【東京地判平成31年1月17日(平成29年(ワ)第16468号)】

【キーワード】
抗体、CDR、機能クレーム

1 事案の概要

 本件は、特許権侵害差止請求事件であり、被告が製造販売するモノクローナル抗体が原告特許権を侵害するものであるかどうかが争われた。
 本件で特徴的なのは、問題となった特許発明が、抗体の発明でありながら、CDR配列が限定されておらず、機能のみで特定された発明であるという点である。

2 本件特許発明

⑴ 本件訂正発明1-1(構成要件ごとに分説)
[1A] PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,
[1B’]PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,
[1C] 単離されたモノクローナル抗体。

⑵ 本件訂正発明2-1(構成要件ごとに分説)
[2A] PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,
[2B’]PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列から なる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,
[2C] 単離されたモノクローナル抗体。

3 被告が販売していた抗体

 被告は、本件明細書に具体的なアミノ酸配列が記載されたモノクローナル抗体とはアミノ酸配列が異なるものの、本件訂正発明の構成要件にかかる機能を有する抗体を販売していた。

4 主な争点

 機能で特定された特許発明への充足性判断である。
 被告は、機能クレームは、明細書の記載から当業者が実施可能な範囲に限定して解釈されるべきであると主張し、本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張した。

5 裁判所の判断

「争点⑴(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について
⑴ 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。
 そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

⑵ 本件各明細書には,21B12参照抗体(註:訂正後の請求項に記載された配列番号で特定された抗体)や31H4参照抗体(註:訂正後の請求項に記載された配列番号で特定された抗体)及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。
・・・(中略)・・・

⑶ 前記⑵のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する、PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定、取得するための免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。
 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

⑷ また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR 結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。
 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12 参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。
 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9- LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR 結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるか ら(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

⑸証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。なお,被告モノクローナル抗体は,本件訂正発明1-1及び本件訂正発明2-1の技術的範囲にも属し,被告製品は,本件訂正発明1-2及び本件訂正発明2-2の技術的範囲にも属すると認められる。」

6 考察

 本件が特徴的なのは、問題となった特許発明が、抗体発明でありながら、CDR(相補性決定領域)配列が何ら特定されておらず、機能のみで特定された発明であるという点であり、また、イ号製品である抗体が、特許明細書に例示された抗体とはアミノ酸配列が異なるものであったにも拘わらず、特許発明の技術的範囲に属すると判断された点である。
 従来から、モノクローナル抗体の発明を日本で出願すると、審査過程でサポート要件違反などが指摘されるなどして、抗体のCDRを配列番号などで具体的に特定しないと特許が得られないという傾向が強いといわれていた(日本弁理士会ライフサイエンス委員会の調査結果。https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/201109/jpaapatent201109_014-029.pdf)。つまり、同じ抗体発明を日米欧で出願すると、米欧では、具体的な配列まで限定せずにある程度概括的で広いクレームで特許が成立するのに、日本では、6つのCDR配列すべてを特定しないと権利化できないといった事例が散見されていた。クレームにおいてCDR配列が特定されるということは、それとは異なるCDR配列を有する抗体は、原則として特許発明の技術的範囲に属さないということになるから、当該クレームにかかる特許権の権利範囲は狭いということになる。
 これに対して、本件特許発明は、CDR配列は何ら特定されておらず、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができるという機能、及び、ある特定の抗体と競合するという機能を有するという発明であり、日本においてこのようなクレームで特許が成立していたこと自体が比較的珍しいと考えられる。
 さらに、本件では、被告が、本件特許発明は機能クレームであり、本件特許発明の技術的範囲は、本件明細書に実施可能に記載された発明すなわち本件明細書に具体的に例示された配列にかかる抗体かそこから数個のアミノ酸が変異した配列にかかる抗体に限られると主張したのに対して、裁判所が、本件明細書の記載を参酌したうえで、本件特許発明の技術的範囲は、本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえないと判断した点も特徴的であるといえる。
 このように、抗体に関する特許権について、特許明細書に記載された具体的なアミノ酸配列に引きずられずに、被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると認定した点において本件判決は興味深いと考えられる。

以上
(文責)弁護士 篠田淳郎