【東京地方裁判所令和2年1月30日(平成29年(ワ)第39602号)】

【キーワード】
実施可能要件違反

【判旨】
 本件訂正発明1-1を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端を「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」(構成要件1-1E)とする必要があるところ,本件明細書1において, 当業者が「熱気流の上部」を検知して本件訂正発明1-1を生産,使用することができる程度に明確かつ十分な記載がされているとは評価できない。

本件訴訟の内容

1.事案の概要
 本件は,発明の名称を「加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置」とする特許権2件を有する原告が,被告らによる被告製品の製造,販売及びその申出が上記特許権を侵害すると主張して,被告らに対し,被告製品の製造等の差止め,被告製品,その半製品及び金型の廃棄を求めると共に,被告らに損害賠償等の支払を求める事案です。

2.当事者
 ①原告は,焼肉無煙ロースター,上引きクリアーフード,集塵機,脱臭機等の開発,製造,販売,施工等の事業を行う株式会社,②被告1は,カウンター排煙装置,串焼用排気装置等の製造,販売等の事業を行う株式会社,③被告2は,焼肉無煙ロースター,上引きフード排気設備システム等の仕入れ,販売等の事業を行う株式会社,また,④被告3は,業務用調理機器等の仕入れ,販売等の事業を行う株式会社です。

3.本件特許権等
(1)本件特許権
 原告は,以下の2件の特許権(以下,それぞれを順に「本件特許権1」,「本件特許権2」といいます。)を有しています(以下,本件各特許権1に係る特許を「本件特許1」といいます。)。

【本件特許権1】
特許番号 特許第3460996号
発明の名称 加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置
出願日 平成14年4月2日
登録日 平成15年8月15日

【本件特許権2】
特許番号 特許第3460998号
発明の名称 加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置
出願日 平成14年10月9日
登録日 平成15年8月15日

 原告は,平成30年10月10日付で,特許庁に対し,本件特許1の請求項1の特許請求の範囲について,訂正審判請求を行いました。平成31年3月19日,原告の請求のとおりに訂正を認める旨の審決がされ,確定しました。

(2)本件各発明(※取り上げる争点と関係があるもののみを記載)
 訂正後の本件特許権1の特許請求の範囲の請求項1を分説すると,以下のとおりです(請求項1に記載された発明を「本件訂正発明1-1」といいます。また,本件特許権1に係る明細書及び図面を「本件明細書1」と総称します。また,分説された構成要件の符号に従い,「構成要件1-1A」などといいます。)。

  • 1-1A 天井の排気ダクトに接続された吸気部がその吸引端を加熱調理部付きテーブルの焼き網を備えた焼肉用の炭火コンロまたはガスコンロからなる加熱調理部に上方から臨ませ,この吸引端を介して吸引することにより,前記加熱調理部に対する排気を前記加熱調理部付きテーブルごとになせるようにされている,加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置において,
  • 1-1B 前記吸気部がパイプで形成され,
  • 1-1C かつ前記吸引端が前記パイプの先端部開口のみで形成され,
  • 1-1D さらにこの吸引端のサイズが前記加熱調理部のサイズよりも小さくされ,
  • 1-1E そしてこの吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている
  • 1-1F ことを特徴とする加熱調理部付きテーブル個別排気用の排気装置

4.本稿で取り上げる争点と当事者の主張
(1)本稿で取り上げる争点
 本件の争点は多岐にわたりますが,本稿では,構成要件1-1Eとの関係において,本件特許が実施可能要件に違反して特許無効審判により無効にされるべきものかどうかという争点について取り上げます。

(2)争点に係る被告らの主張
「ア 構成要件1-1Eは,「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」とするが,本件各明細書には,熱気流や熱気流の上端部がいかなるものであり,これをどのような技術手段をもって認識することができるのかについて記載はなく,熱気流や熱気流の上端部に関わる実施例も存在せず,課題解決手段に係る技術的説明は一切存在しない。
イ 原告は,熱気流や熱気流の上端部は,サーモグラフィーによって認識する ことができるかのように主張するが,本件明細書1にはそのような記載は存在しない上,本件特許1の出願時において,サーモグラフィーを用いることは当業者(加熱調理部付テーブル個別排気用の排気装置の製造者・使用者)の技術常識ではなかった。サーモグラフィーを用いるとしても,被告が実施した実験結果…によれば,加熱調理部から立ち上る熱気流らしきものは収束することなく,高さ位置らしきものは常に変動し,特定することがない。そうすると,当業者は,どの位置をもって熱気流の上端部と特定することも困難であり,熱気流及び熱気流の上端部を特定することはできないから,本件各発明が解決すべき課題を解決することはできない。」

(3)争点に係る原告の主張
「ア 本件明細書1は,【0009】及び【0019】において熱気流がローソクの炎のように立ち上がる旨を説明した上で,図2(本件明細書2の図7と 同じ図であり,別紙図面のとおりの図である。以下「本件図」という。)において熱気流Hの上部又は上端部を明確に図示している。
イ また,加熱調理部から発生する熱気流はローソクの炎のようなパターンで立ち上っていること,加熱調理部から発生する煙もこの熱気流に乗って流れる傾向にあること,熱気流の上部(上端部)は煙を目視することによって知ることができることは,実験結果…から明らかである。
ウ 被告は,サーモグラフィーを用いても「熱気流」及び「熱気流の上部」を特定できないと主張するが,熱気流は熱い気体の流れであるため揺れ動くのは当然であるし,サーモグラフィーに映し出された熱気流を観察すると,上昇するに伴い,熱気流が一定程度,中央部分に三角形状に収束し,その後空中に拡散している。また,煙の形と熱気流の形には一定の共通性を見出すことが可能であり,煙が拡散する位置と熱気流が拡散する位置は概ね一致していることが明確に見て取れるから,煙が熱気流に沿って流れる傾向にあることも強く裏付けられている。」

(「本件図」。本件特許権1に係る特許公報より引用)

判旨

1.規範
「平成14年法律第24号による改正前の特許法36条4項は,明細書の発明の詳細な説明の記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない」と定める。物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),同条にいう記載がされているというためには,物の発明については,明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき,当業者がその物を作ることができ,かつ,その物を使用することができる必要があるといえる。」

2.あてはめ
「ア 本件訂正発明1-1についてみると,構成要件1-1Eは「吸引端は,前記加熱調理部から前記焼き網を通過して立ち上る熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置で前記加熱調理部に臨まされている」とするから,本件各発明を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端をこの「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」とする必要があり,熱気流の上部を検知できなければならない。
 また,本件明細書1には,課題を解決するための手段として,前記の記載があり,発明の実施形態として,同エの記載があり,本件図が掲載されている。これらによれば,本件訂正発明1は,加熱調理部付きテーブルの加熱調理部からはローソクの炎のようなパターンで熱気流が立ち上っており,その熱気流には,上記の炎と同じような上端部があるという前提に基づき,この熱気流の上端部に吸引端を臨ませて,集中的な吸引をするというものである(【0009】Ⅰ)。また,その立ち上るという熱気流は,本件図のとおりとされていて,本件図において,「熱気流(H)」として,加熱調理部の上部から吸引端の付近まで三角形に似た形状(以下「本件三角形状」という。)が示されている(【0019】Ⅰ)。
 これらによれば,本件明細書1によれば,「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」は,本件図に示された加熱調理部の上部にある本件三角形状の頂点である熱気流の上端部を吸引端が包むことができる位置であり,熱気流の上部とは,本件三角形状の頂点である熱気流の上端部をいうものといえる。
イ 被告は,熱気流の上部を特定することができず,本件訂正発明1が実施可 能要件に違反すると主張する。
 熱気流そのものは目視できないものの,原告は,本件明細書1には,「加熱調理部からの煙もこの熱気流に乗って流れる傾向にある」(【0009】Ⅰ)等の記載があることを挙げて,熱気流に乗って流れる煙を目視することで,熱気流の上部を知ることができる旨主張する。
 なお,本件明細書1において,その記載に照らせば,本件訂正発明1の加熱調理部から焼き網を通過して立ち上る熱気流は排気装置の吸引端における吸引をしない状態で本件三角形状になるとされているものと認められ,原告も,このことを前提として,上記のとおり,その上部(上端部)を知ることができると主張する。
ウ ここで,炭火コンロにおける煙の立ち上り方等についてみると,加熱調理部である炭火コンロから発生する煙の様子を通常のカメラで撮影した動画…によれば,加熱調理部から発生した煙は,いずれも上方に行くにしたがって徐々に拡散しており,加熱調理部の上方のいずれかの位置において,本件図に示された本件三角形状のように収束する様子は見られない。
 原告は,上記動画…の30秒及び52秒時点における煙の動き…を見ると,炭火コンロから発生した煙は炭火コンロの中央上部に向かって収束するように立ち上っていることが見て取れると主張する。しかし,煙がコンロの中央上部に向かって立ち上るようにみえる動きをする瞬間があったとしても,一定の時間を通じて見ると,加熱調理部から発生した煙は,いずれも上方に行くにしたがって徐々に拡散しており,加熱調理部の上方のいずれかの位置において,本件図に示された本件三角形状のように収束する様子は見られない。
 これらによれば,本件各発明を実施しようとする者が,煙の動きを観察したとしても「熱気流の上部」の位置を特定することができるとは認められないというべきである。」(続けて,原告のサーモグラフィーに係る主張も,「本件明細書の記載や技術常識に基づいて,加熱調理部から立ち上る熱気流の全体やその熱気流の上部を検知することはできない。」として排斥)

「以上によれば,本件訂正発明1-1を実施するためには,排気装置の生産,使用に当たり,その吸引端を「熱気流の上部を包み込むことのできる高さ位置」(構成要件1-1E)とする必要があるところ,本件明細書1において, 当業者が「熱気流の上部」を検知して本件訂正発明1-1を生産,使用することができる程度に明確かつ十分な記載がされているとは評価できない。」

3.結論
「したがって,本件訂正発明1に係る特許は,特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,原告は,特許法104条の3第1項により,本 件訂正発明1に係る特許権を行使することができない。」

説明

1. 実施可能要件
 現行特許法36条4項1号は,次のように規定し,発明の詳細な記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないとしています。
 これは,発明の詳細な説明に基づいて当業者が実施できない発明に対して,独占的,排他的な権利を付与することは,一般大衆からその自由利用の利益を奪い,ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ,特許制度の趣旨に反することとなることを背景とします1

(特許出願)
第36条 (1項及び2項略)
3 前項の明細書には、次に掲げる事項を記載しなければならない。
(1号及び2号略)
三 発明の詳細な説明
4 前項第三号の発明の詳細な説明の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
一 経済産業省令で定めるところにより、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。(以下略)

2. 「実施をすることができる」の意義
 知財高判平17・6・30(平成17(行ケ)第10280号)では,物の発明における実施可能要件充足の判断基準について,次のように述べています。

「我が国の特許制度は,産業政策上の見地から,自己の発明を公開して社会における産業の発達に寄与した者に対し,その公開の代償として,当該発明を一定期間独占的,排他的に実施する権利(特許権)を付与してこれを保護することにしている。特許請求の範囲,明細書及び図面は,特許発明の技術的内容を公開するとともに,その技術的範囲を明示する役割を担うものであるところ,特許法36条4項は,明細書の発明の詳細な説明の記載について,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に記載しなければならないとしている(なお,平成6年法律第116号による改正前の特許法36条4項は「当業者が容易にその実施をすることができる程度に」と規定し,改正後の同条項は,「容易に」を削除し,「明確かつ十分に」と加えているが,要件が過重又は緩和されたものではなく,解釈上も運用上も実質において差異はないものと解される。)。
 ここでいう「実施」とは,「物の発明」の場合,その物を製造,使用等することであるから,当業者がその物を製造することができる程度に記載しなければならないことはいうまでもなく,そのためには,明細書,図面全体の記載及び技術常識に基づき特許出願時の当業者がその物を製造できるような場合を除き,具体的な製造方法を記載しなければならないと解すべきである。」

 本判決でも,知財高裁の上記判示内容と同じことが判示されています。

3.検討
 実施可能要件については,「例えば,どのように実施するかを発見するために,当業者に期待しうる程度を超える試行錯誤や複雑高度な実験等を行う必要があるときには,当業者が実施することができる程度に発明の詳細な説明が記載されていないこととなる」とされます2
 しかし,本件では,試行錯誤以前の問題として,実施が原始的に不能とも評価できる事案であり,判旨は妥当と考えられます。 

以上
(文責)弁護士 永島太郎


1 中山・小泉編「新・注解特許法[第2版]【上巻】」708頁
2 前掲「新・注解特許法[第2版]【上巻】」717頁