【知財高裁令和2年9月29日判決(令和元年(行ケ)第10128号)】

【要約】
 実施例が、特定の条件下で得られたものであることは認めながらも、原告(無効審判請求人)が主張する諸条件を変化させても課題解決手段の機序が大きく阻害されたり、全く異なる機序に変化してしまうとは解されないという本件の事情の下、課題の解決が認識できるとしてサポート要件充足を認めた。

【キーワード】
サポート要件、数値限定、実験

事案

 原告が被告の特許(以下「本件特許」という。)について、サポート要件違反及び発明の新規性・進歩性欠如を主張して無効審判請求をしたが、特許庁は、請求が成り立たないとの審決(以下「本件審決」という。)をした。原告は、本件審決の取消しを請求する本件訴訟を提起した。本稿では、本判決中、本件特許の請求項1に係るサポート要件に関する部分を検討する。

 本件特許の請求項1は、以下のとおりである(請求項1~3に係る発明を「本件発明1」~「本件発明3」といい、総称して「本件各発明」という。)。

「【請求項1】
 鋼板の板厚内部における1箇所又は複数箇所に、板厚方向に対する応力が引張り応力であり、かつその最大値が40 MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下である応力が存在する領域が、鋼板の圧延方向に7.0 mm以下の間隔で形成されていることを特徴とする低鉄損一方向性電磁鋼板。」

 原告が、サポート要件違反に関し、本件審決の判断の誤りとして主張するのは、概ね以下の内容である。

⑴ ①「板厚方向の引張り応力の最大値が40 MPa以上となること」が本件各発明の課題解決手段である。本件審決は、②「板厚方向に鋼板素材の降伏応力以下の範囲で引張り応力を導入すること」を課題解決手段と判断した点で誤っている。
⑵ 被告は、審査段階では上記①を主張していたのに、審判において上記②を主張した。被告の審判手続における上記主張は信義則により許されず、本件訴訟でも同様に許されない。
⑶ 本件各発明の課題解決手段における「最大値が40 MPa以上」は、実施例(図5)を根拠として導き出されたものであり、特定の条件の下で得られたものにすぎない。各種の条件を変更した場合に、技術的に意味のある引張り応力の最大値の下限値が40 MPaとなるとはいえず、実施例(図5)の結果を一般化することはできない。

判決

⑴ 課題解決手段について
 本件各発明は、鋼板の板厚方向に対する引張り応力を導入し、その最大値が40 MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下である応力の存在する領域を、鋼板の圧延方向に7.0 mm以下の間隔で、鋼板の板厚内部に形成するとの構成を採用することにより、一方向性電磁鋼板の鉄損をヒステリシス損と渦電流損に分け、特に磁区細分化による渦電流損の観点から、歪及び応力分布を表面内だけでなく、板厚内部も含めて定量的に適正な条件下で制御することにより、優れた一方向性電磁鋼板を提供するとの課題を解決したものと認められる。

⑵ サポート要件適合性
 本件発明1の渦電流損とヒステリシス損という2種類の鉄損は、以下の機序によって大幅に低減されることが演繹的に理解される。

ア 渦電流損については、一方向性電磁鋼板の板厚方向に対して引張り圧力が導入されるよう制御して、還流磁区を効果的に発生させ、180度磁区の細分化を促すことによって、渦電流損を低減させる。
 具体的には、引張り応力の最大値が40 MPa以上であると、渦電流損が低減する。
イ ヒステリシス損については、導入される板厚内部の応力の最大値を定量的に制限することでヒステリシス損の増加を抑える。
 具体的には、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から、板厚内部に対して導入する引張り応力が鋼板素材の降伏圧力以上になると、板厚内部の塑性域が磁壁のピンニングサイトとして働くので、ヒステリシス損が増加することが理解できる。また、その他の記載からも、導入される引張り応力の最大値が鋼板素材の降伏圧力以下であればヒステリシス損が低減し、降伏圧力以上であるとヒステリシス損が増加することが裏付けられている。
 そうすると、当業者は、本件明細書の記載から、一方向性電磁鋼板の板厚内部に対して引張り応力が導入されると、渦電流損が低減すること、導入される引張り応力の最大値が40 MPa以上であると、渦電流損が有意に低減すること、及び、その引張り応力の最大値が鋼板素材の降伏応力値以下であれば、ヒステリシス損の増加が回避されることを、作用機序の観点から、具体的裏付けをもって理解することができるものといえる。
ウ ア及びイから、本件発明1は、一方向性電磁鋼板について、ヒステリシス損と渦電流損との2つの観点から鉄損の低減を図ったものであり、特に渦電流損の低減は磁区細分化によるものであること及び引張り応力の導入により鉄損特性に優れたものとなることが理解できる。

 一方、「優れた一方向性電磁鋼板」は、本件明細書全体の記載から、鉄損特性に優れた一方向性電磁鋼板を意味すると解される。
 したがって、当業者は、本件明細書の詳細な説明の記載から、本件各発明の課題を解決できると認識することができる。また、本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、詳細な説明に記載されたものである。

⑶ 原告の主張について
ア 本件審決の課題解決手段の判断の誤り(上記1⑴)
 上記①「板厚方向の引張り応力の最大値が40 MPa以上となること」が本件各発明の課題解決手段に含まれるものとしなかった点で、本件審決の認定ないし判断は誤りである。もっとも、サポート要件適合性は、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載との実質的な対応関係に基づいた対比により判断されるものであり、本件明細書の詳細な説明の記載から本件各発明の課題を解決できると認識でき、特許請求の範囲の記載が詳細な説明に記載されたものであることから、本件審決の上記誤りが直ちにサポート要件に係る判断の誤りと評価されることはない。
 本件審決の認定ないし判断が誤りであるから、その前提とされた被告の主張が信義則により制限されるか否かは問題とする余地がない(上記1⑵)。

イ 実施例(図5)の結果を一般化することができないとの主張について(上記⑶)
 本件明細書においては、以下の式:

電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギー=-C×M×σ×cos2θ
(C:正の定数、M:磁化の大きさ、σ:応力の大きさ、θ:磁化と応力のなす角度)

を用いて、電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギーは、「θが0°又は180°であると低くなり、エネルギー的に安定になること、板厚方向に引張り応力が導入されると、σは正なので、磁化は、応力の向き、すなわち板厚方向に向く方がエネルギー的に安定になること、その結果、還流磁区が形成され、鋼板全体の磁区の再構成が促進され、180度磁区幅が細分化され、渦電流損が低減すること」が論理的に説明されている。
 これを図5から導かれる40 MPaの引張り応力を板厚方向に導入することに当てはめることも可能である。
 なるほど、図5及び実施例は、それぞれ特定の条件下で得られた例であるが、上記式には、電磁鋼板の板厚、分布幅、照射痕幅等の原告が指摘する諸条件の寄与が含まれないことからすれば、これらの諸条件により結果が左右されるものではない。そして、本件各発明の機序を併せ考えると、これらの諸条件にいずれかを変化させた試料で実験をしても、電磁鋼板の磁化と応力の相互作用エネルギーには影響がないから、これにより本件各発明の課題解決手段の機序が大きく阻害されたり、全く異なる機序に変化してしまうとは解されない。
 また、ヒステリシス損増加抑制の機序は、その引張り応力の値が、塑性域の応力、すなわち降伏応力以上になると、板厚内部の塑性域が磁壁のピンニングサイトとして働き、鉄損の一部であるヒステリシス損が増加するという関係があることから、引張り応力の最大値を降伏応力以下とすれば、ヒステリシス損の増加を抑制することができるというものであり、同様に発明の詳細な説明の記載から理解することができる。
 そうすると、板厚方向に対する引張り応力の「最大値が40 MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下」であることにより鉄損の低減が図られることが理解される。
 したがって、本件明細書の発明の詳細な説明に本件各発明が記載されており、これにより課題を解決できると認識できる範囲内のものということができる。

検討

 本件発明1は、板厚方向に対する引張り応力の最大値というパラメータを「40 MPa以上で鋼板素材の降伏応力値以下」と限定(以下「40 MPa限定」という。)し、さらに、その応力が存在する領域が、「鋼板の圧延方向に7.0 mm以下の間隔」で形成されているとの数値限定(以下「7.0 mm限定」という。)を加えるものである。
 原告(無効審判請求人)による、特定条件下の実験に求められた数値を一般化できないとの主張に対し、本件審決は、概ね以下の論理によりサポート要件違反に当たらないという判断を示した。
① 「板厚方向に鋼板素材の降伏応力値以下の範囲で引張り応力を導入すること」が本件各発明の課題解決手段である。
② 40 MPa限定は、これが特定条件下の実験により求められたものであるとしても、課題解決手段ではないから、引張り応力を導入するものである以上、課題が解決するから、サポート要件は満たされている。
③ 本件明細書に7.0 mm限定により鉄損特性が安定して低減することが記載されていることから、7.0 mm限定は、鉄損特性を安定して低減させる手段ではあっても、課題解決手段であるとまではいえない。
④ 本件明細書の実験例から、板厚方向の引張り応力の最大値が40 MPa限定を満たす実施例は、40 MPa限定を満たさない比較例に対して、鉄損値が明らかに小さい。また、その他の条件が請求項2の範囲を外れても、40 MPa限定を満たしていれば、40 MPa限定を満たさない比較例より鉄損値が小さい。したがって、40 MPa限定により本件課題は解決される。

 これに対し、本判決は、40 MPa限定及び7.0 mm限定のいずれも課題解決手段であることを認定した上で(上記①~③を否定)、本件明細書の記載から課題の解決が認識可能であり、特許請求の範囲の記載は詳細な説明に記載されたものであると判断した。本判決の特徴として、以下の2点が挙げられると思われる。

・本件明細書に記載された技術的な作用機序を具体的に検討し、実験結果から40 MPa限定が裏付けられると判断したこと
・特定の条件下における実験にすぎないとの原告の主張に対し、作用機序に関する式を検討し、式中に、当該特定の条件に由来する要素が含まれていないことを認定した上で、作用機序と併せ考えることで、一般化に支障がないという結論を導いていること

 実施例によって得られたデータと数値限定クレームとの関係の解釈は容易ではないが、本判決の判断手法は、実験データから一般化できる発明の範囲を、技術的な作用機序に基づいて具体的に論証するものであり、参考になる。

 なお、本判決は、本件審決が課題解決手段の認定を誤ったことを認めながら、取り消さなかった(上記2⑶ア)。本判決中に記載されている理由は明確ではないものの、本件審決が、結局のところ40 MPa限定が課題解決手段であることを前提としていると理解可能であることを踏まえたものと思われる。

以上
(筆者)弁護士 後藤直之