【東京地裁令和1年11月6日判決(平成31年(ワ)7788号)】

事案の概要

 本件は、被告の従業員であった原告が、被告が有していた特許第1997141号の特許(以下「本件特許」という。)に関し、原告は本件特許に係る「球形で粒度分布の狭いマグネシウムアルコラートの合成方法」という名称の発明(本件特許の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の請求項1記載の発明。以下「本件発明」という。)の発明者であり、特許を受ける権利を被告に承継させたとして、被告に対し、特許法35条3項(平成16年法律第79号による改正前のもの。以下同じ。)の規定による相当の対価の支払請求権(以下「本件対価請求権」という。)に基づき、806万4000円のうち300万円及びこれに対する本件対価請求権の支払を請求した日の後である平成31年4月12日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

判決抜粋(下線部筆者)

第2 事案の概要
(中略)
 2 前提事実(当事者間に争いがない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により認定できる事実。なお、本判決を通じ、証拠を摘示する場合には、特に断らない限り、枝番を含むものとする。)
  (1) 当事者
  原告は、昭和53年4月に被告に入社し、本件特許の出願当時、被告に在籍していた。
  被告は、ケイ素化合物の合成、静電気防止塗料の製造、加工、販売等を目的とする株式会社である。
  (2) 本件特許
  ア コルコートエンジニアリング株式会社(以下「コルコートエンジニアリング」という。)は、本件特許の出願人であり、本件特許に係る以下の内容の特許権(以下「本件特許権」という。)の権利者であった。(甲1、2)
  番号:特許第1997141号(特公平7-20898号)
  発明の名称:球形で粒度分布の狭いマグネシウムアルコラートの合成方法
  出願日:平成元年8月16日
  公告日:平成7年3月8日
  登録日:平成7年12月8日(平成21年8月16日存続期間満了)
  発明者:A、B、原告
  イ 本件特許の特許請求の範囲は、以下のとおりである。(甲2)
  【請求項1】
  「金属マグネシウムと一般式ROHで示されるアルコールとを無溶媒かつ触媒の存在下に直接反応させてマグネシウムアルコラートを合成する方法において、
  (i)金属マグネシウムとアルコールの反応系への最終添加割合を金属マグネシウム/アルコール(重量比)=1/9~15とし、
  (ii)前記最終添加割合の金属マグネシウムとアルコールを、アルコールの還流下の反応系に連続的または断続的に添加し、5~80分間に亘り反応させ、
  (iii)次いでアルコールの還流下に熟成反応を行なうこと、
  を特徴とする球形で粒度分布の狭いマグネシウムアルコラートの合成方法。」
  ウ 被告は、原告に対し、本件発明について、昭和58年7月1日施行に係る被告の発明考案取扱い規則(甲3。以下「被告規則」という。)9条に基づき、譲渡補償金を支払った。
  エ 被告は、平成15年11月21日、コルコートエンジニアリングを吸収合併し、本件特許権を承継した。(甲1、4)
  (3) 被告規則の定め
  被告規則には、以下の規定が置かれている(甲3)。
  (権利の帰属)
  第3条 職務発明は会社がその権利を承継する。ただし、会社がその必要がないと認めたときはこの限りではない。
  2 (略)
  (譲渡補償金の支給)
  第9条 会社がつぎの各号に掲げる場合において、その権利を承継するに当っては、これを有償とし、譲渡補償金を支給する。
  (1) 会社が特許を受ける権利を承継し、これを特許出願したとき
  (2) 前号の出願について、これが特許登録されたとき
  2 前二号の補償金の支給は外国出願を含み、1件につき1回限りとする。
  3 補償金の額は別表の通りとする。
  (褒賞金の支給)
  第10条 会社が職務発明に基づく発明の実施または実施権の許諾もしくは処分により相当の利益を得たときは、会社は当該発明者に褒賞金を支給することがある。
  別表

  (4) 被告の行為
  ア 被告は、平成元年11月、本件発明を実施した触媒担体である「CMG-100S」(以下「被告旧製品」という。)を完成させ、同月頃から東邦チタニウム社に継続的に出荷したが、平成5年末に同製品の製造、販売を中止した。
  イ 被告は、被告旧製品を改良し、平成6年2月に「CMG-100B」(以下「被告新製品」といい、被告旧製品と併せて「被告製品」という。)を完成させた。被告新製品は現在に至るまで東邦チタニウム社から販売されている。(弁論の全趣旨)
  (5) 本件対価請求権の支払請求
  原告は、平成30年10月26日、被告に対し、本件対価請求権の支払を請求した。(甲5)
  (6) 消滅時効の援用
  被告は、令和元年5月15日の本訴第1回口頭弁論期日において、本件対価請求権につき、消滅時効を援用する旨の意思表示をした。
 3 争点
  (1) 被告新製品が本件発明の実施品であるか(争点1)
  (2) 相当の対価(争点2)
  (3) 消滅時効の成否(争点3)
(中略)
 第4 当裁判所の判断
  事案に鑑み、争点3から判断する。
 1 争点3(消滅時効の成否)について
  (1) 消滅時効は「権利を行使することができる時」から起算される(民法166条1項)ところ、特許法35条3項は、「従業者等は、契約、勤務規則その他の定めにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利…を承継させ…たときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。」と規定しているから、同条項に基づく相当の対価の支払請求権は、原則として、特許を受ける権利を承継させたときに発生し、その時点から、権利を行使することができることになり、その時点が本件対価請求権の消滅時効の起算点となるものというべきである。もっとも、勤務規則その他の定めに、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となると解される(最高裁平成13年(受)第1256号同15年4月22日第三小法廷判決・民集57巻4号477頁参照)。
  (2) これを本件についてみるに、前記のとおり、被告規則には特許出願時及び特許登録時に譲渡補償金を支払う旨の明示的な規定はあるものの(同9条)、いわゆる実績補償金については、「会社が職務発明に基づく発明の実施または実施権の許諾もしくは処分により相当の利益を得たときは、会社は当該発明者に褒賞金を支給することがある。」(同10条)と規定するのみで、一義的に明確な支払時期の定めがあるということはできない
  被告規則10条が、前記のとおり、「職務発明に基づく発明の実施または実施権の許諾」等を前提として褒賞金の支給について定めていることに照らすと、発明者である従業者等は、登録された特許に係る発明が実施又は実施権の許諾等される以前褒賞金の支払を求めることはできないものの、当該発明が実施又は実施許諾等された場合には、褒賞金の請求権の行使が可能になるということができる。
  そうすると、被告規則に定められた褒賞金の支払時期については、本件発明の実施又は実施許諾等により利益を取得することが可能になった時点、すなわち、特許権の設定登録時又はその実施若しくは実施許諾時のうちいずれかの遅い時点であると解するのが相当である。
  (3) これに対し、原告は、被告規則10条は、本件発明の実施がされる限り、各事業年度の決算の結果を踏まえ、毎年4月1日に褒賞金を支払う旨を定めたものであることを前提とし、少なくとも平成20年度及び平成21年度の実施に係る褒賞金については、消滅時効が完成していないと主張する。
  しかし、同条は、被告が本件発明の実施等により相当の利益を得たときは、発明者に褒賞金を支給することがあると規定するのみであり、支払時期については一義的に明らかではないというべきであり、同条に基づき、褒賞金の支払時期が毎年4月1日に到来すると解することはできず、また、被告においてそのような慣行や支払実態があったと認めるに足りる証拠もない。
  (4) 第2の2(2)アのとおり、本件特許の登録時は平成7年12月8日であり、また、同(4)アのとおり、被告が平成元年11月頃から本件特許の実施品である被告旧製品を第三者に継続的に出荷していたことは当事者間に争いがないから、被告規則10条に基づく褒賞金、すなわち本件対価請求権の支払時期は、平成7年12月8日となる。
  そうすると、その翌日である平成7年12月9日が消滅時効の起算日となり、同日から10年後の平成17年12月8日の経過をもって消滅時効が完成したので、本件対価請求権は時効消滅したものと認められる。
  したがって、原告の本件対価請求権に基づく請求は、理由がない。
 2 結論
  以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

解説

 本件は、本件発明の発明者である原告が、本件対価請求権に基づき、被告に支払いを求めたところ、本件対価請求権の消滅時効の成立が認められて、請求が棄却された事案である。
 消滅時効は、民法166条1項によると、権利を行使することができる時から起算される。特許法35条3項に定める相当の対価の支払請求権の消滅時効の起算点について、裁判所は、オリンパス事件の規範を引用して、勤務規則その他の定めに、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合は、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点になると示した。しかし、被告規則には、譲渡補償金を支払う明示的な規定はあるものの、実績補償金については、一義的な支払時期の定めが見られない。そこで、褒賞金(実績補償金)が職務発明に基づく発明の実施または実施権の許諾等を前提としていることから、当該発明が実施又は実施許諾等された場合が褒賞金の請求権の行使が可能となる時期とし、支払時期は、特許権の設定登録時又はその実施若しくは実施許諾時のうちいずれかの遅い時点であると判断した。そして、本件発明は、出願直後の平成元年から実施されていることから、対価請求権の支払時期は、本件特許の登録日の平成7年12月8日であるとして、本件対価請求権は、支払時期の翌日の10年後の平成17年12月8日の経過をもって時効消滅したと判断した。
 被告規則のように、褒賞金の支払時期に関して一義的に定めていない規定の場合は、本件に対する裁判所の判断は正当である。しかし、本件発明が現に実施されて、被告が利益を得ている場合は、原告主張のように、利益確定の時点で当該利益に係る褒賞金が確定し、消滅時効の起算点となるという考え方も不可能ではない。実際、自己実施されている期間又は他者に実施許諾している期間に、毎年褒賞金を支払う(毎年褒賞金請求権が発生する)企業も多くみられる。しかし、本裁判例の判断を前提とすると、毎年褒賞金請求権が発生するためには、その根拠となる具体的な規定の存在が必要と考えられる。職務発明取扱規程等を新たに定める企業(特に中小又はスタートアップ企業)では、譲渡補償金については具体的な定めがあるものの、前もって予測が難しいことから、実績補償金については、本件のような抽象的な規定にとどまる企業も多いと考えられる。抽象的な規定は、発明ごとに柔軟に対応できるメリットもあるが、規定の内容によっては、褒賞金の支払請求権の発生時期について、本件のように不確定性が伴う場合もある。
 なお、2020年4月1日の改正債権法施行に伴い、債権は、債権者が権利を行使できることを知った時から5年間行使しないとき、又は権利を行使することができる時から10年間行使しないとき、時効によって消滅する。本件と同様の事件が改正債権法施行後に発生したとしても、被告規則の内容からは、対象特許の登録日が、「権利を行使できること」に該当すると原告が判断できる(知る)可能性は低い。したがって、時効の起算点は「権利を行使することができる時」であり、その時から権利を10年間行使しないときに、支払請求権は消滅することになると考えられる。

以上
(筆者)弁護士 石橋茂