【令和2年(行ケ)第10050号(知財高裁R2・12・23)】

【判旨】
 本件商標に係る特許庁の取消2018-300815号事件について商標法51条1項の判断は正当であるとして,請求を棄却した事案である。

【キーワード】
商標の類否判断,農口,周知著名性,商標法第51条第1項

事案の概要

以下,証拠等は適宜省略する。
⑴ 被告は,以下の商標(登録第5707382号。以下「本件商標」という。)の商標権者である(甲99,100)。
商 標   農口(標準文字)
登録出願日 平成26年5月23日
登録査定日 平成26年9月5日
設定登録日 平成26年10月3日
指定商品 第33類「日本酒,洋酒,果実酒,酎ハイ,中国酒,薬味酒」
⑵ 原告は,平成30年10月5 26日,商標法51条1項の規定により,本件商標について商標登録取消審判を請求した。
特許庁は,上記請求を取消2018-300815号事件として審理を行い,令和2年3月27日,「本件審判の請求は成り立たない」との審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は,同年4月4日,原告に送達された。
⑶ 原告は,令和2年4月22日,本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。
【本件商標】
事案の概要を参照。
【本件使用商標】
使用例1

使用例2

【引用商標の例】

争点

 本件商標が,商標法第51条第1項に該当するか否か。

判旨抜粋

第4 当裁判所の判断
1 出所の混同の判断の誤りについて
(1) 引用商標の周知性について
原告は,原告の手による「農口尚彦研究所」の日本酒及びその日本酒を販売する「農口尚彦研究所」の名称も,需要者の間で広く認識されており,引用商標は,本件審決時において,原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,周知又は著名であったから,これを否定した本件審決の認定は誤りである旨主張するので,以下において判断する。
ア 認定事実
前記第2の1の事実と証拠及び弁論の全趣旨を総合すれれば,以下の事実が認められる。
(中略)
イ 検討
原告は,「農口尚彦研究所」の日本酒は,日本酒評価サイトである「SAKETIME」の石川の日本酒ランキング2020において,第1位を獲得したこと,ANAの国際線ファーストクラスにおいて,2018年(平成30年)から継続して「農口尚彦研究所」の日本酒が提供されていること,このほか,様々な著名雑誌や全国放送のテレビ等においても,原告のみでなく,「農口尚彦研究所」も,北陸を代表する酒蔵として紹介されていることなどからすると,原告自身の名はもちろん,原告の手による「農口尚彦研究所」の日本酒及びその日本酒を販売する「農口尚彦研究所」の名称も,需要者の間で広く認識されており,引用商標は,本件審決時において,原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,周知又は著名であったといえるから,これを否定した本件審決の認定は誤りである旨主張するので,以下において判断する。
(ア) 引用商標は,別紙2に示すとおり,「農口尚彦研究所」の文字を縦書きの楷書体で書してなるものである。
商品「日本酒」は,嗜好品であり,その需要者は,一般消費者であるから,引用商標が周知であるというためには,需要者である一般消費者の間で,引用商標が原告の業務に係る「日本酒」を表示するものとして広く認識されている必要がある。
(イ) そこで検討するに,前記アの認定事実によれば,原告が杜氏を務める株式会社農口尚彦研究所は,平成29年12月頃から,引用商標を付した日本酒(「農口尚彦研究所」の日本酒)を継続して販売し,本件審決時(審決日令和2年3月27日)までの販売期間は約1年5か月であることが認められる。一方で,引用商標を付した日本酒の販売数量,売上金額,市場占有率等についての立証はなく,引用商標を付した日本酒の販売実績を認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 次に,前記ア(エ)の雑誌,新聞,ウェブサイト等には,原告について,「酒造りの神様・X杜氏の復活!」,「酒造りの神,Xの酒が復活!」,「日本酒の神様,ふたたび始動!」,「「酒造りの神様」「伝説の杜氏」と称されるX氏」などと掲載され,原告が平成29年から酒蔵「農口尚彦研究所」で杜氏として酒造りを再開したことが紹介されていること,引用商標を付した日本酒が,2018年(平成30年)から,ANAの国際線ファーストクラスの機内で提供される「日本酒セレクション」に採用されていること,令和2年にもANAのウェブサイトで人気の銘柄として紹介されていることが認められる。
もっとも,上記雑誌,新聞,ウェブサイト等においては,「農口尚彦研究所」は,原告が杜氏を務める酒蔵として紹介されており,上記ANAのウェブサイトを除き,日本酒の銘柄又はブランド名として,「農口尚彦研究所」が用いられることを明確に示す記載はない。また,日本酒が掲載された写真についても,当該写真から「農口尚彦研究所」と表示されていることを判読することは困難である。
加えて,前記ア(エ)の雑誌,新聞,ウェブサイト等における原告の紹介記事等によれば,原告の氏名である「X」は,日本酒の銘柄等に関心の高い日本酒愛好家の間では知名度が高かったものといえるが,嗜好やこだわり等も様々な一般消費者の間において,広く知られていたとまで認めることはできない。
以上によれば,前記ア(エ)の雑誌,新聞,ウェブサイト等の掲載状況から,本件審決時において,酒蔵「農口尚彦研究所」及び「農口尚彦研究所」の日本酒は,日本酒の銘柄等に関心の高い日本酒愛好家の間では,相当程度認識されていたものと認められるものの,一般消費者の間で広く認識されていたものと認めることはできず,ましてや,引用商標が原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,広く認識されていたものと認めることはできない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(エ) 以上によれば,引用商標は,本件審決時において,原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,需要者の間で広く認識されていたものと認めることはできないから,原告の前記主張は採用することができない。
⑵ 本件使用商標1及び2と引用商標の類否について
ア 本件使用商標1及び2について
 (ア)a 被告が平成26年から別紙1記載の使用例1又は使用例2記載のラベルを瓶に貼付した「農口」の銘柄の日本酒の販売を開始したことは,前記(1)ア(イ)のとおりである。
使用例1のラベルには,草書体の縦書きの「農口」の文字(本件使用商標1)が,使用例2のラベルには,楷書体の「農口」の文字(本件使用商標2)が,それぞれ大きく表示され,「農口」の文字の左側に「杜氏 X」の文字及び「X」の落款が表示されている。
しかるところ,本件使用商標1及び2の「農口」の文字は,他の文字部分等から明確に分離して観察することができるから,独立した商品の出所識別標識として認識することができる。
b 本件使用商標1及び2は,その構成文字に応じてそれぞれ「ノグチ」又は「ノウグチ」の称呼を生じる。
また,「農口」の語は,特定の意味を有しない造語として認識されると解されるので,本件使用商標1及び2からは特定の観念を生じない。
(中略)
イ 引用商標について
(ア) 引用商標は,楷書体で「農口尚彦研究所」の文字を縦書きしてなるものである。
引用商標は,同書,同大,同間隔の文字で一連に縦書きで表記されたものであり,全体が1つのまとまりある標章として認識されるから,その全体からよどみなく一連のものとして「ノグチナオヒコケンキュウジョ」又は「ノウグチナオヒコケンキュウジョ」の称呼が生じる。
そして,引用商標からは「Xの研究所」ないし「Xを研究する研究所」の観念を生じる。
ウ 類否について
本件使用商標1及び2と引用商標を対比すると,本件使用商標1及び2はそれぞれ「農口」の漢字2字から構成されるのに対し,引用商標は,「農口尚彦研究所」の漢字7字から構成されるから,本件使用商標1及び2と引用商標は,外観が異なる。
また,本件使用商標1及び2からそれぞれ「ノグチ」又は「ノウグチ」の称呼が生じるのに対し,引用商標から「ノグチナオヒコケンキュウジョ」又は「ノウグチナオヒコケンキュウジョ」の称呼が生じるから,本件使用商標1及び2と引用商標は,称呼が異なる。
本件使用商標1及び2からは特定の観念が生じないのに対し,引用商標からは「Xの研究所」ないし「Xを研究する研究所」の観念が生じるから,両者は観念においても相違する。
そうすると,本件使用商標1及び2と引用商標は,外観及び称呼が異なり,観念においても相違することからすると,本件使用商標1及び2と引用商標が本件商標の指定商品中の「日本酒」に使用された場合,その出所について誤認混同を生ずるおそれがあるものと認められないから,本件使用商標1及び2が引用商標に類似する商標であると認められない。
 (3) 出所の混同について
原告は,引用商標は,周知又は著名な商標であり,本件使用商標1及び2は引用商標と類似の商標であって,被告が本件使用商標1及び2を本件商標の指定商品の「日本酒」に使用した場合,原告及び「農口尚彦研究所」と組織的又は経済的な関係を有する者の業務に係る商品と混同を生じさせるおそれがあるばかりでなく,現実に原告及び「農口尚彦研究所」の業務に係る商品と混同を生じているから,被告による本件使用商標1及び2の使用は,商標法51条1項に該当し,これと異なる本件審決の判断は誤りである旨主張する。
しかしながら,引用商標は,本件審決時において,原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,需要者の間で広く認識されていたものと認められないこと,本件使用商標1及び2と引用商標が類似するものと認められないことは,前記(1)及び(2)のとおりであるから,原告の上記主張は,その前提において,採用することができない。
2 品質の誤認についての判断の誤りについて
原告は,需要者は,本件使用商標1及び2を使用した被告の日本酒を原告の手による日本酒であるとの誤解の下で購入しており,商品の品質の誤認も生じているから,被告による本件使用商標1及び2の使用が,品質の誤認を生ずるものであり,これを否定した本件審決の判断は誤りである旨主張する。
そこで検討するに,商標法51条1項にいう「商品の品質」には,商品が日本酒(清酒)の場合,原料,製造方法等の違いによって分類される特定名称や特定の杜氏が関与して製造された商品であることをも含むものと解される。
しかるところ,前記1(2)ア(ア)bのとおり,本件使用商標1及び2から,特定の観念を生じるものではなく,原告の観念を生じるものでもないから,本件使用商標1及び2を付した日本酒を原告が杜氏として製造した日本酒であるとの誤認を生じさせるものと認めることはできない。
もっとも,被告の日本酒の瓶に貼付されたラベルには,別紙1記載の使用例1及び2のとおり,本件使用商標1又は2の左側に「杜氏 X」の表示があること(前記1(2)ア(ア)a)に鑑みると,上記ラベルに接した需要者は,「杜氏X」の表示から原告が杜氏として酒造りをした日本酒であると認識するものと認められるが,そのことは,「杜氏 X」の表示から生じる認識であって,本件使用商標1及び2自体から生じた認識あるいは誤認であるということはできない。
したがって,原告の上記主張は採用することができない。
3 小括以上によれば,被告が本件商標と類似する本件使用商標1及び2をその指定商品に使用して商品の品質の誤認又は原告の業務に係る商品と混同を生ずるものをしたということはできないから,被告の故意の有無について判断するまでもなく,被告による本件使用商標1及び2の使用は,商標法51条1項に該当するものと認めることはできない。
したがって,これと同旨の本件審決の判断に誤りはないから,原告主張の取消事由は,理由がない。

解説

 本件は,商標権に係る審決取消訴訟である。特許庁は,本件商標について,商標法第51条第1項1について成立しないとの判断を行い,裁判所は当該判断を追認した。
 裁判所は,まず「引用商標(筆者注:農口尚彦研究所)は,本件審決時において,原告の業務に係る商品「日本酒」を表示するものとして,需要者の間で広く認識されていたものと認めることはできない」と判断した。
 これは,同項の「商標の使用・・・であって・・・他人の業務に係る商品若しくは役務と混同を生ずるもの」に当たるためには,「使用に係る商標の具体的表示態様が他人の業務に係る商品等との間で具体的に混同を生ずるおそれを有するものであることが必要であるというべきであり,そして,その混同を生ずるおそれの有無については,商標権者が使用する商標と引用する他人の商標との類似性の程度,当該他人の商標の周知著名性及び独創性の有無,程度,商標権者が使用する商品等と当該他人の業務に係る商品等との間の性質,用途又は目的における関連性の程度並びに商品等の取引者及び需要者の共通性その他取引の実情等に照らし,当該商品等の取引者及び需要者において普通に払われる注意力を基準として,総合的に判断されるべきものである。」(知財高裁平成24年(行ケ)第10187号 審決取消請求事件 平成24年12月26日判決)とされているために,周知著名性を判断したものである。
 つぎに,裁判所は,本件使用商標及び引用商標において類似性を否定し,週初の混同を否定した。
 最後に,品質誤認も生じていないとした。
 本件では,被告は,自らのラベルに「杜氏 X(筆者注:原告)」との文言を用いており,この点は,誤認において問題になり得るものの,本件使用商標自体からのものではなく,当該「杜氏X」の表示から生じるものであると判断している。この点に関しては,不正競争防止法等の別の根拠を元に,被告に対して請求することは,別途考え得るように思われる。
 以上,商標法第51条第1項にかかる判断の参考になる事案であるため,ここに取り上げる。

以上
(筆者)弁護士 宅間仁志


1 第五十一条 商標権者が故意に指定商品若しくは指定役務についての登録商標に類似する商標の使用又は指定商品若しくは指定役務に類似する商品若しくは役務についての登録商標若しくはこれに類似する商標の使用であつて商品の品質若しくは役務の質の誤認又は他人の業務に係る商品若しくは役務と混同を生ずるものをしたときは、何人も、その商標登録を取り消すことについて審判を請求することができる。