【平成20年2月29日判決 (知財高裁平成19年(行ケ)第10239号審決取消請求事件)】

【キーワード】
ソフトウェア関連発明,2条1項,29条1項柱書,自然法則の利用

【事案の概要】
 アメリカの法人である原告は,発明の名称を「ビットの集まりの短縮表現を生成する方法」とする発明(特願平11−295775号,以下「本願」という)の発明者である。本願につき拒絶査定を受けたため,拒絶査定不服審判請求をした(不服2004−13406号事件)が,「本願発明1は,実質的には「ビットの集まりの短縮表現」を計算するための計算方法であって,それがハードウェア資源を用いて具体的に実現されているものとは認めることは出来ないので,本願発明1は,「自然法則を利用した技術的思想」に該当せず,特許法第2条に定義された「発明」に該当するものとは認められない」との理由で拒絶審決を受けた。
 そこで,原告は,当該審決の取消を求めて知財高裁に取消訴訟を提起したが,知財高裁は審決を支持し棄却した事案。

本願発明:
  出願番号 特願平11−295775号
  発明の名称 ポイント管理装置および方法
  平成11年10月18日 出願
  平成15年10月28日 拒絶査定
  平成16年 2月 9日 第1次補正
            同年 3月29日 拒絶査定
            同年 6月29日 審判請求(不服2004−13406号事件)
         同年 7月29日 第2次補正
  平成19年 2月21日 第2次補正を却下,拒絶審決

本願発明の概要:
 データ操作に関し,長いデータストリングを短いデータストリングとして表現する効率的な技術に関するものである。長さ w ワードのストリングをハッシュするのに,従来技術のw2回の演算ではなく,(w2+w)/2回の演算を使用する効率的なハッシュ法を提供する。

 


請求項1:

nビットの集まりを入力するステップと,
少なくともnビットを有するキーと,前記nビットの集まりとの和をとるステップと,
前記和を2乗して,和の2乗を生成するステップと,
pを,2より大きい最初の素数以上の素数として,前記和の2乗に対して,法p演算を実行して法p演算結果を生成するステップと,
nより小さい1により,前記法p演算結果に対して,法21演算を実行して法21演算結果を生成するステップと,
前記法21演算結果を出力するステップとを有すること
を特徴とする,ビットの集まりの短縮表現を生成する方法。

 原査定の拒絶の理由:
 この出願の下記の請求項に係る発明は,下記の点で特許法第29条第1項柱書に規定する要件を満たしていないので,特許を受けることができない。

   請求項1にはビットの集まりの短縮表現を生成する方法なるものが記載されている。しかしながら,かかる方法において,自然法則を利用したものがあるとは認められない。また,かかる方法がコンピュータで動作するソフトウェアにより実現されているとしても,該短縮表現を生成するソフトウェアの情報処理と,ハードウェア資源とが協働しているとはいえず,全体として自然法則を用いた技術的思想の創作とは認められないから,特許法第2条に規定された「発明」に該当しない

審決の理由:
 (1)本願発明1乃至4が特許法第2条に規定された「発明」に該当するか否か,以下判断する。
 
 本願発明1は,表現上は「ビットの集まりの短縮表現を生成する装置」であるとして,一応「物」の発明であるように記載されている。
 
 しかしながら,本願発明1における「ビットの集まりの短縮表現を生成する」ための各段階は,
 (i)少なくともnビットを有するキーと,入力されたnビットの集まりとの和をとり,
 (ii)前記和を2乗して,和の2乗を生成し,
 (iii)pを,2より大きい最初の素数以上の素数として,前記和の2乗に対して,法p演算を実行して法p演算結果を生成し,
 (iv)nより小さい1により,前記法p演算結果に対して,法21演算を実行して法21演算結果を生成し,
 (v)前記法21演算結果を出力する
 というものであって,これら各段階は,ビットの集まりに対する数学的計算の段階であって,対象の物理的性質や技術的性質に基づく情報処理を特定したものということはできず,又,上記数学的計算が機器等に対する制御や制御に伴う処理に関与するものでもない。更に,本願発明1は「ビットの集まりの短縮表現を生成する装置」と記載されているのみであって,「ビットの集まりの短縮表現を生成する装置」としての具体的な回路構成や,ソフトウェアとハードウェア資源とが協働した具体的手段が何ら記載されていない。
 
 したがって,本願発明1は,実質的には「ビットの集まりの短縮表現」を計算するための計算方法であって,それがハードウェア資源を用いて具体的に実現されているものとは認めることは出来ないので,本願発明1は,「自然法則を利用した技術的思想」に該当せず,特許法第2条に定義された「発明」に該当するものとは認められない

【裁判所の判断】
 (1) 法2条1項は,「この法律で『発明』とは,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定し,法29条1項柱書は,「産業上利用することができる発明をした者は,次に掲げる発明を除き,その発明について特許を受けることができる。」と規定する。すなわち,法により特許として保護の対象とされる発明は,「自然法則を利用した技術的思想の創作」であることを要し,これを欠くときは,その発明は特許を受けることができないと解される。
 そこで,本願発明が「自然法則を利用した技術的思想の創作」に該当するかについて検討する。
 (中略)
 (4) ところで,上記数学的課題の解法ないし数学的な計算手順(アルゴリズム)そのものは,純然たる学問上の法則であって,何ら自然法則を利用するものではないから,これを法2条1項にいう発明ということができないことは明らかである。また,既存の演算装置を用いて数式を演算することは,上記数学的課題の解法ないし数学的な計算手順を実現するものにほかならないから,これにより自然法則を利用した技術的思想が付加されるものではない。したがって,本願発明のような数式を演算する装置は,当該装置自体に何らかの技術的思想に基づく創作が認められない限り,発明となり得るものではない(仮にこれが発明とされるならば,すべての数式が発明となり得べきこととなる。)。
 この点,本願発明が演算装置自体に新規な構成を付加するものでないことは,原告が自ら認めるところであるし,特許請求の範囲の記載(前記第3,1(2))をみても,単に「ビットの集まりの短縮表現を生成する装置」により上記各「演算結果を生成し」これを「出力している」とするのみであって,使用目的に応じた演算装置についての定めはなく,いわば上記数学的なアルゴリズムに従って計算する「装置」という以上に規定するところがない
 そうすると,本願発明は既存の演算装置に新たな創作を付加するものではなく,その実質は数学的なアルゴリズムそのものというほかないから,これをもって,法2条1項の定める「発明」に該当するということはできない。
 3(1) これに対し原告は,デジタル演算回路又はプロセッサの本来的ハードウェアの性質上,乗算回数が実質的に計算時間を決定することから,そのような計算時間を減らすことは,ハッシュ化の実際の応用(装置)にあって要望される技術的課題であるとし,本願発明の技術的作用効果は,上記課題に対応した装置において計算時間を短縮させたことにあるなどと主張する。
 しかし,原告の主張する上記技術的課題は,デジタル演算回路ないしプロセッサという装置自体が有する課題であって,演算される数式自体の有する課題ではないところ,計算装置の要する計算時間を短縮するために計算式を変更しても,当該演算装置自体の演算処理能力が改善されるものでないことは明らかである。原告の上記主張は,複雑なアルゴリズムよりも平易なアルゴリズムの方が演算時間が短かくて済むという,いわば数学的な常識を述べたものにすぎず,原告の主張する課題は依然として解決していないのであるから,失当といわなければならない。
 なお原告は,本願発明は物理的な電気回路装置であり,かつ,当該アルゴリズムはコンピュータのような有限時間で動作する物理的構造上で実行されるからこそ上記技術的作用効果を有する点で,コンピュータ構造の本来的に有するハードウェア資源の物理的性質そのものに係るとして,本願発明が自然法則を利用した技術的思想に当たることになるとも主張するが,原告の上記主張は,数学的なアルゴリズムであってもコンピュータで演算を実行することで時間が短縮されれば発明になるというに等しく,自然法則を利用しない単なる数式を発明から除外する法2条1項の趣旨を没却するものであって,採用することができない。
 (2) また原告は,「装置」の発明としての本願発明の具体的構成は,示された演算内容に応じて規定される演算回路として特許請求の範囲に明確に記載されている旨主張する。
 しかし,前記2(3)及び(4)のとおり,特許請求の範囲には数学的なアルゴリズムと,それを実現するものとして単に「装置」と記載されているのみであって,当該数学的アルゴリズムをデジタル演算装置で演算するための具体的な回路構成が記載されているものではない
 また原告の上記主張は,特許請求の範囲にデジタル論理演算を意味する演算内容を記載すれば,これに対応した一般的なデジタル論理演算回路(布線論理回路と蓄積プログラム論理回路)によるプログラムが特定されるというものであるが,特許請求の範囲に記載された数学的アルゴリズムがデジタル論理演算回路に置換可能であるとしても,それはプログラム可能な数式一般の持つ特性にすぎず,既存の演算装置に新たな技術的思想に基づく創作が付加されることを直ちに意味するものではない。その意味で,特許請求の範囲に原告主張のデジタル論理演算回路による演算内容が記載されたことは,前記2(4)に述べたところを左右するものではない。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。
 (3) さらに原告は,本願発明には実用的な応用分野があり,例えば探索や通信等の技術分野に適用される,実用的で効率的なハッシュ装置を提供するものであると主張する。
 しかし,本願発明1~3の特許請求の範囲をみても,ハッシュ関数によるアルゴリズムのほかには,単に「ビットの集まりの短縮表現を生成する装置」と記載するのみであって,当該装置がいかなる応用分野に適用されるものであるかを具体的に明らかにするところがない。また本願発明において入力されるものは「ビットの集まり」とされ,「キー」は「少なくともnビットを有する」ものとされ,「p」は「2nより大きい最初の素数以上の素数」とされ,「l」は「nより小さい」ものとされているが,これらは数学的な関係を記述したにとどまり,原告の主張する応用分野におけるいかなる技術的思想に基づいてそのような数値が導き出されるかについて,何ら示唆するところがなく,それらの技術的意義を読み取ることができない。出力される「ビットの集まり」についても,衝突確率が所定以下となるという数学的な説明が与えられているにすぎない。そうすると,本願発明は,抽象的には原告の主張する分野において応用することが可能であるとしても,当該装置自体が直ちに具体的な技術的思想に基づき新たな創作を付加したものと解釈することはできないから,原告の上記主張は採用することができない。
 (4) 以上のほか,原告は,審決が審査基準に基づき判断したことは,審査基準に記載されていない場合の発明該当性の判断を看過するもので,審理不尽の違法があるなどと主張するが,審決は上記2(4)で述べたところと同旨の理由をもって本願発明の「発明」該当性を否定したものと認められるから,そこに審理不尽の違法は認められない。したがって,原告の上記主張も採用することができない。

【解説】
 ソフトウェア関連発明及びビジネス関連発明について問題となりやすい特許要件のひとつが,発明該当性(特許法2条1項,29条1項柱書),とくに自然法則利用性の充足である(ソフトウェア関連発明において,自然法則利用性が問題となった事案1:ポイント管理装置事件参照)
 本願発明は,請求項はもちろんのこと,明細書を含めても,数式(アルゴリズム)についての記載があるのみで,どのようなハードウェア資源を用いるのか記載されておらず,必然的に審査基準のいう「ソフトウェアによる情報処理が,ハードウェア資源を用いて具体的に実現されている」といえるか,とくに単なる「数学上の公式」にあたるのではないかが問題になる。
 裁判所は,「本願発明のような数式を演算する装置は,当該装置自体に何らかの技術的思想に基づく創作が認められない限り,発明となり得るものではない」と規範を立てている。これは,言い換えれば,数式自体は発明になりえず,数式とハードウェアを組み合わせた場合であっても,ハードウェアに「技術的思想に基づく創作」がなければ発明該当性が認められない,ということになる。したがって,「数学上の公式」にあたる以上,「ソフトウェアによる情報処理が,ハードウェア資源を用いて具体的に実現」されていても発明該当性が充足されないことになり,「数学上の公式」であっても「ソフトウェアによる情報処理が,ハードウェア資源を用いて具体的に実現」されていれば発明該当性が充足するとする審査基準との間にズレが生じている。
 もっとも,本件事案に対する判決であり,また同様の規範を使用する裁判例は他にない。これは,本願発明については,ソフトウェア関連発明の出願がピークを迎える直前の平成11年(西暦1999年。我が国のソフトウェア関連発明の出願は2000年に急激に伸びた。)の出願であること,発明者はアメリカの法人であり,アメリカでは同様の発明が特許として認められたこと,といった理由から,日本においても知財高裁で争うまでに至ったと考えられる。しかし,そもそも上述の審査基準の存する我が国において,本願発明のようにハードウェアの用い方について明記しない,純粋な数式(アルゴリズム)の発明が出願されることは稀であり,知財高裁まで持ち込まれることはさらに稀と考えられるため,他の裁判例が存在しないという事情もある。
 したがって,仮に「数学上の公式」にあたりつつ,「ソフトウェアによる情報処理が,ハードウェア資源を用いて具体的に実現」されている発明について,裁判所がどのように判断するかについては,まだわからない。
 このように,本件はソフトウェア関連発明の中でも,審査基準で発明該当性がないとされている「数学上の公式」にあたる珍しい事案であるため,ここに取り上げた。

以上 
(文責)弁護士 松原 正和