【令和7年3月4日 (知財高裁 令和6年(ネ)第10026号)】
1 事案の概要
⑴ 手続の経緯等
控訴人は、発明の名称を「熱可塑性樹脂組成物とそれを用いた樹脂成形品および偏光子保護フィルムならびに樹脂成形品の製造方法」とする特許(特許第4974971号。以下「本件特許」といい、本件特許に係る特許権を「本件特許権」という。)の特許権者であるところ、被控訴人による被控訴人製品の製造販売等及び被控訴人方法(被控訴人製品の製造方法)の使用が本件特許権の侵害に当たる旨を主張して、その差止め、損害賠償等を求めて訴訟を提起した。
原判決は、文言侵害、均等侵害共にその成立を否定して、控訴人の請求を棄却したことから、原判決の取消等を求めて、控訴人が控訴を提起した事案である。
⑵ 本件各発明
本件で控訴人が侵害を主張したのは、本件特許の特許請求の範囲に記載の請求項のうち、請求項1及び請求項6であるところ、これらに係る特許発明(以下、請求項1に係る特許発明を「本件発明1」、請求項6に係る特許発明を「本件発明6」といい、本件発明1及び本件発明6を併せて「本件各発明」という。)の構成要件を分説すると、以下のとおりである。
ア 本件発明1
1A:ラクトン環構造、無水グルタル酸構造、グルタルイミド構造、N-置換マレイミド構造および無水マレイン酸構造から選ばれる少なくとも1種の環構造を主鎖に有する熱可塑性アクリル樹脂と、
1B:ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤と、
1C:を含み、
1D:110℃以上のガラス転移温度を有する
1E:熱可塑性樹脂組成物。
1F:ここで、前記ヒドロキシフェニルトリアジン骨格は、トリアジンと、トリアジンに結合した3つのヒドロキシフェニル基とからなる骨格((2-ヒドロキシフェニル)-1、3、5-トリアジン骨格)である。
イ 本件発明6
6A:ラクトン環構造、無水グルタル酸構造、グルタルイミド構造、N-置換マレイミド構造および無水マレイン酸構造から選ばれる少なくとも1種の環構造を主鎖に有する熱可塑性アクリル樹脂と、
6B:ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤と、
6C:を溶融混合して、
6D:110℃以上のガラス転移温度を有する熱可塑性樹脂組成物を得る、
6E:熱可塑性樹脂組成物の製造方法。
6F:ここで、前記ヒドロキシフェニルトリアジン骨格は、トリアジンと、トリアジンに結合した3つのヒドロキシフェニル基とからなる骨格((2-ヒドロキシフェニル)-1、3、5-トリアジン骨格)である。
⑶ 被控訴人製品及び被控訴人方法
被控訴人製品は、紫外線吸収剤(以下「UVA」という。)であるC42H57N3O6(分子量が699.91848)を含む熱可塑性樹脂組成物であり、被控訴人方法は被控訴人製品の製造方法である。
⑷ 原判決
ア 文言侵害
被控訴人製品は、UVAを含むものの、その分子量は699.91848であるから、構成要件1B及び6Bの「分子量が700以上の紫外線吸収剤」に該当せず、構成要件1B及び構成要件6Bを充足しない。
イ 均等侵害
被控訴人製品及び被控訴人方法について、UVAの分子量が「700以上」ではないという相違点は、本件各発明の本質的部分に係る相違点であることから、ボールスプライン事件最高裁判決(最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁)が示した均等侵害の成立要件のうち、第1要件(対象製品等との相違部分が特許発明の本質的部分ではないこと)を充足せず、均等侵害は成立しない。
⑸ 当事者の主張
ア 控訴人の主張
(ア) 文言侵害
以下の理由から、構成要件1B及び6Bにおける「分子量が700以上」のUVAとは、算出される分子量の小数点以下の数字をJISの基準により四捨五入することにより「分子量が700」となるもの以上の分子量、すなわち分子量が「699.5以上」のUVAを意味する。したがって、被控訴人製品及び被控訴人方法(UVAの分子量が699.91848)はこれを充足する。
a 本件明細書においては、正確に計算すれば小数第5位までの数字となる分子量を、全て整数第1位を有効な数字とする整数として記載しており、算出された分子量を特定の桁(整数値)に丸めることが前提とされている。
b 数字を丸める方法について本件明細書にはその記載がないため、当業者の技術常識(①「JISハンドブック49/化学分析」2007」の「数値の丸め方」(Z8401)の基準(以下「本件JIS基準」という。)及び②学者の意見書を根拠とする。)により解釈すると、整数値で分子量を表記する場合は、小数第1位の数字を四捨五入した数字として表記される。
(イ) 均等侵害
a 第1要件(非本質的部分)について
本件各発明の本質的部分は、環構造を主鎖に有する熱可塑性アクリル樹脂とUVAとを含む熱可塑性樹脂組成物において、そのUVAが、本件ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有するもので、分子量が「700程度以上」であることと解するべきである。そして、ここでの「700程度」には、「699、698、697」等が含まれ、厳密な分子量の違いに係る相違点は本件各発明の本質的部分ではない。
b 第5要件(意識的除外等の特段の事情)について
マキサカルシトール事件上告審判決は、意識的除外と評価できる場合を、特許請求の範囲の構成に代替し得る技術を明細書に記載し、客観的、外形的に表示した場合に限定したものであるところ、本件明細書にも、それが引用する文献においても、例えば分子量が「695」とか「699」であるUVAが、分子量「700」のUVAに代替し得る旨が明記されているわけではないから、「分子量が700.0」未満の構成が特許請求の範囲に記載されていないことをもって、意識的除外と評価できるものではない。
イ 被控訴人の主張
(ア) 文言侵害
以下の理由から、控訴人が主張する分子量の計算方法は採用できず、本件各発明の「分子量が700以上の紫外線吸収剤」に該当するかを評価する際には、対象となる化合物の分子量が「700以上」(すなわち、「700.00000以上」)であるかを評価する。したがって、被控訴人製品及び被控訴人方法(UVAの分子量が699.91848)はこれを充足しない。
a 本件明細書には、控訴人が主張する分子量の計算方法とは矛盾する分子量の記載がある。
b 分子量は、小数点以下4~5桁が化合物の構造決定に重要な要素であることを考慮すれば、ある化合物について、小数第5位程度に精密に算出された分子量を、小数第1位を四捨五入することによって整数値化することが一般的であるとか、技術常識であるということはできない。
c 控訴人が主張する方法により分子量を算出するとすれば、本件各発明の「分子量が700以上」という記載は、第三者に不測の不利益を及ぼすほど不明確であるといえ、明確性要件違反(特許法36条6項2号)の無効理由を構成する。
(イ) 均等侵害
a 第1要件(非本質的部分)について
本件各発明は、従来技術の延長線上にある改良発明として位置付けられ、その従来技術に対する貢献の程度は大きいとはいえず、「従来技術と比較して特許発明の貢献の程度がそれ程大きくないと評価される場合」に該当するから、本件各発明の本質的部分は、特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されるべきであり、控訴人が主張するように、特許請求の範囲に「700」と特定された数値を「700程度」と読み替えるような不明確な「上位概念化」は認められるべきではない。
b 第5要件(意識的除外等の特段の事情)について
本件明細書には実施例におけるUVAの分子量として「958」が記載され、比較例におけるUVAの分子量として「676」が記載されているから、控訴人は、分子量の下限値として、上記二つの数値間のいかなる値でも任意に設定し得た。かつ、被控訴人製品に使用されているUVAと同じ分子式(C42H57N3O6)のUVAは、本件特許の優先日前に既に知られていた。したがって、控訴人は、それを本件特許の技術的範囲に含ませたいと考えるのであれば、特許請求の範囲に「699以上」とか「699.5以上」と記載すれば簡単にできた。そうであるにもかかわらず、控訴人が、UVAの分子量の下限値を「700未満」とする記載をしなかったことは、客観的、外形的にみて、請求項1及び6の「分子量が700以上の紫外線吸収剤」にいう下限値の「700」の構成を「700未満」とする構成と代替できることを認識しながら、あえて特許請求の範囲に記載しなかったというべきである。
2 判決
本判決は、以下のように述べて、文言侵害、均等侵害共に成立を否定し、本件控訴を棄却した。
⑴ 文言侵害の成否について
本判決は、控訴人が技術常識の根拠とする本件JIS基準及び学者の意見書のそれぞれについて以下のように述べた上で、被控訴人製品は構成要件1Bを、被控訴人方法は構成要件6Bを充足しないとして、文言侵害の成立を否定した。
ア 本件JIS基準について
「本件JIS基準は、『与えられた数値』を一定の『丸めの幅』に従って丸める場合の手法を示すものであるところ、ここでいう『与えられた数字』とは、処理(切上げ、切下げ等)する必要のある端数を持った所与の数値を想定していると解される。これに対し、本件で問題となっている構成要件1B、6Bの『700以上』という数値限定は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら任意に定めた数値であり、いわば『創設された数値』とも呼ぶべきものである。上記数値限定のこのような性格は、当該数値が臨界的意義を有さない本件各発明において、一層明らかである。
以上のように自らが任意に定める数値であれば、本来の技術的範囲を画する数字として『端数のある数値』をまず決めた上で、当該数字を『丸める処理』をして、わざわざその『丸められた数値』を特許請求の範囲に掲げるなどという迂遠かつミスリーディングなことをする必要性も妥当性も見いだせない。本件特許の特許請求の範囲の記載に接した第三者の立場から考えても、『700以上』という数値範囲が示されているのに、当該数値の背後に『丸める前の数値』が別に存在しており、そのような背後の数値こそが技術的範囲を画する数値であるなどと理解するとは考え難い。」
「以上によれば、本件JIS基準は、控訴人の主張する技術常識の根拠になるものとはいえない。」
イ 学者の意見書について
「学者の意見書(甲21~25)には、①分子(化合物)の分子量(質量)は、教科書や辞書では整数値で示されるのが通常であり、特定の分子について精緻な正確さを必要とする場合には小数点以下1~2位程度、化合物の同定で用いる精密質量では小数点第4位~第5位までの数値が使われる、②分子量が整数値で示される場合、小数点以下は有効数字の範囲外と考えるのが通常であり、通常、小数第1位を四捨五入した数値として示される、③紫外線吸収剤としての性質が、分子量699.91848の場合と700.00000の場合とで実質的に異なるとは考え難い、④科学的にみて700は700.0や700.0000とは異なり、桁数の異なる数値を比較すること自体が適切でない等の記載がある。」
「上記②の技術常識が存在するからといって、特許請求の範囲に数値限定が発明特定事項として記載されている場合における当該数値の意義(クレーム解釈)に、当該技術常識がそのまま妥当するものではない。
すなわち、特許請求の範囲は、特許発明の技術的範囲を画するものであり(特許法70条1項)、第三者の予測可能性を保障する『権利の公示書』としての役割が求められるものである。したがって、その解釈は、特許法固有の観点を抜きに行うことはできない。
このような観点から考えるに、本件で問題となっている(紫外線吸収剤の分子量)『700以上』という数値範囲は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら定めたものであり、特許発明の技術的範囲(独占の範囲)に属するものと属さないものを、一線をもって区分する線引きにほかならない。そうである以上、上記数値範囲の下限である『700』は、切り下げられた小数点以下の端数も、切り上げられた小数点以下の端数も持たない、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当である。
数値範囲にこれと異なる趣旨、役割を持たせたいのであれば、特許請求の範囲又は明細書に、分子量の計算方法や小数点以下の数値の処理等を説明しておくべきである。本件明細書等にそのような記載がないことは前述のとおりであり、以上によれば、『分子量が700以上』という構成要件は、分子量が700をたとえ0.00001でも下回れば、これを充足しない(その技術的範囲に属さない)ものと解すべきことになる。」
⑵ 均等侵害の成否について
ア 均等論の第1要件(非本質的部分)について
「被控訴人UVAの分子量は699.91848であり、本件各発明の構成要件1B、6Bの『分子量が700以上』という数値範囲に含まれない。しかし、上記数値範囲は、臨界的意義を有するものではなく、本来、本件各発明の作用効果との関係で技術的意義を有する分子量は、ピンポイントの700ではなく、かなり広い幅にまたがる数字と考えられるところ、いわば『切りのよい数字』として『700以上』という数値限定を採用したものと理解される…。そして、紫外線吸収剤としての性質が分子量699.91848の場合と700の場合とで実質的に異なるとは考え難いものと認められる…。
そうすると、上記分子量の相違は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと解される。本件で、均等論の第1要件は充足する。」
イ 均等論の第5要件(意識的除外等の特段の事情)について
「特許請求の範囲の記載は、特許発明の技術的範囲を画する機能を有するものであり(特許法70条1項)、第三者に対しては『権利の公示書』としての役割を果たすことが求められるものである。構成要件1B、6Bの『分子量700以上』との記載は、一般的な技術文献の記載ではなく、上記のような役割を担う特許請求の範囲の記載であることが本件の大前提となる。
そして、証拠(甲8、9)によれば、化合物の分子量は、その分子を構成する原子の原子量の和に等しく、原子量の選定については歴史的変遷があるものの、小数第4位又は第5位の数字で示される原子量表記載の数値によることになるから、そのような小数点以下の数値を有する数値として算出されるということは、本件特許の出願日当時の技術常識であったと認められる。それにもかかわらず、控訴人は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1、6の『分子量が700以上の紫外線吸収剤』との構成の数値範囲について、『700以上』という整数値をあえて使用している。
本件において、分子量700という数値に臨界的意義も認められないから、当該数値は控訴人がいわば任意に選択して定めたものといえる。また、控訴人としては、その数値範囲を『699.5以上』とすることや、分子量の小数点以下の数値の取扱いについて定めることも容易にできたと解されるにもかかわらず、あえてそのような手当もしていない。これは、小数点以下の数値は、技術的に意味のある数字でないという理解に加え、法的にも特段の含意がない(特別な意味を持たせない)ことを前提とするものと解するべきである。
そうすると、控訴人が特許請求の範囲において分子量を『700以上』とする数値範囲を定めたということは、『700以上』か『700未満』かという線引きをもって特許発明の技術的範囲を画し、下限値『700』をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当である。」
3 解説
特許権侵害訴訟において、侵害が主張されている対象製品等が特許発明の技術的範囲に属するか否かを判断するに際しては、①文言侵害の成否、②均等侵害の成否の順に判断がなされる。
本件は、「分子量が700以上の紫外線吸収剤」という構成要件を含む数値限定発明について、文言侵害の成否、均等侵害の成否の両者が争点となった事案である。
⑴ 文言侵害について
文言侵害について控訴人は、JIS基準及び学者の意見書を根拠として、「分子量が700以上」のUVAとは、算出される分子量の小数点以下の数字を四捨五入することにより「分子量が700」となるもの以上の分子量、すなわち分子量が「699.5以上」のUVAを意味すると主張した。このように解する場合、分子量が699.91848のUVAを含有する被控訴人製品は構成要件1Bを充足し、その製造方法は構成要件6Bを充足することとなる。
これに対し、本判決は、第三者の予測可能性を保障する「権利の公示書」としての特許請求の範囲の機能を重視し、控訴人の主張を否定した。すなわち、本判決は、控訴人が学者の意見書を根拠として主張する技術常識(分子量が整数値で示される場合、小数点以下は有効数字の範囲外と考えるのが通常であり、通常、小数第1位を四捨五入した数値として示される。)の存在自体は認めたものの、このような技術常識は、上記のような機能を有する特許請求の範囲に記載された数値限定の意義の解釈に、そのまま妥当するものではないとした。
その上で、「分子量が700以上」という数値範囲は、権利範囲を画定するために控訴人自ら定めたものである点を重視して、「700」という数値は、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当であるとし、分子量が699.91848のUVAは、構成要件1B及び6Bにおける「分子量が700以上の紫外線吸収剤」を充足しないと判断した。
⑵ 均等侵害について
均等侵害に関して、本判決は、ボールスプライン事件最高裁判決が示した成立要件のうち、第1要件(対象製品等との相違部分が特許発明の本質的部分ではないこと。)及び第5要件(対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情がないこと。)について判断している。
ア 第1要件について
第1要件に関して、原判決は、UVAの分子量が「700以上」ではないという相違点は、本件各発明の本質的部分に係る相違点であるとして、充足性を否定していた。これに対して、本判決は、「700以上」という数値は臨界的意義を有するものではなく、技術的意義を有する分子量は、ピンポイントの700ではない点を重視して、分子量に係る相違点は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと判断し、第1要件についてはその充足性を肯定した。
イ 第5要件について
第5要件に関して、本判決は、文言侵害について述べたのと同様、特許請求の範囲が有する「権利の公示書」としての機能を前提として判断し、その充足性を否定した。すなわち、分子量700という数値に臨界的意義は認められないことから、控訴人は、数値範囲を任意に設定可能であったにもかかわらず、特許請求の範囲において、あえて「700以上」という数値範囲を定めた。本判決は、この点を重視して、控訴人は下限値「700」をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当であると判断した。
⑶ まとめ
本判決は、特に新しい判断を示したものではないものの、数値限定発明に関する文言侵害及び均等侵害の成否について、特許請求の範囲が果たす機能を踏まえて詳細に判断したものであり、実務上参考となる事案であると考えたことから、紹介させていただいた。
以上
弁護士・弁理士 井上 修一