【判旨】
X社(原告・控訴人)が就業規則等に基づき従業者Aから特許を受ける権利の譲渡を受けた本件発明につき,AがX社退職後Y社(被告・被控訴人)に入社し,Y社に特許を受ける権利を譲渡してY社において特許出願した事案について,Y社は「背信的悪意者」に当たるとして,X社からY社に対する,X社が特許を受ける権利を有することの確認請求が認容された事例。
【キーワード】
背信的悪意者、特許を受ける権利の譲渡
 

 

1 事案の概要
Xは,各種機械工具や機械部品の設計,製造,販売等を業とする株式会社である。本件発明は,平成15年8月23日にXの名古屋工場においてその従業員であるAが中心となってこれを完成させたが,その後同工場は閉鎖され,平成16年6月神奈川県平塚市に移転した。
 Yは,工作機械その他各種機械器具の設計,製作,販売等を業とする株式会社であり,その活動拠点は愛知県である。
Aは,平成16年1月15日まではXの,平成16年4月からYの従業員である。
 2 本件は,Yが出願し特許庁において審査中の本件発明について,XがYに対し,同発明はXの従業者であるB等がその職務として発明したものであり,使用者たるXが就業規則等に基づき上記従業者から特許を受ける権利の譲渡を受けたとして,Xが同権利を有することの確認を求めた事案である。
 3 Xは一審で敗訴したため、控訴した。
 
2 争点
 ①特許を受ける権利について二重譲渡関係が成立するとき、背信的悪意者排除論の適用があるか。② ①の適用があるとして、どのような場合に、背信的悪意者と認定されるか。
 
3 判旨抜粋
 Aが発明し、これがXに承継されたことを前提として、以下のように判断した。
(2) Yは,Xにおいて,本件特許を受ける権利につき特許出願を経ていないから,本件特許を受ける権利の承継をYに対抗することができない(特許法34条1項)旨を抗弁するのに対し,Xは,Yにおいて,Aからの本件特許を受ける権利の譲受けにつき背信的悪意者である旨主張するので,この点を検討する。
ア 原判決第2,1(前提となる事実)に,証拠(甲1,6の1~5,9,10の2,32の1~4,39,40の1~13,41の1~6,44の1~5,45の1・2,乙19~22,29,34,証人B,同A,同C,同D,同J[書面尋問],同K[書面尋問],同E[書面尋問])及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の事実が認められる。
(ア) Xの就業規則24条には,社員の遵守事項として,「会社の機密を他に洩らさないこと」と記載されており(甲9),Aは,平成16年1月15日にXを退社するに際しても,Xに対し,下記のとおり在職中に知り得た秘密を第三者に漏洩することは退社後といえども一切しない旨の誓約書(甲10の2)を提出している。
 記
「誓約書
        私は,貴社を退職するに当り,貴社に在職中,知り得たものに関して,
       以下のとおり誓約致します。
      1 秘密に関する文書,図面,磁気ディスクなど一切の資料につき,原本は
        もとよりコピー等を含め,すべて貴社に返還いたします。
      2 秘密に関する一切の権利が貴社に帰属することを確認し,秘密の権利
        帰属について固有の権利主張は,一切いたしません。
      3 秘密が公知のものとなるか,あるいは,秘密を適法に第三者から入手
        しない限り,秘密を第三者に漏洩したり,自己で使用したりすることは,
        退社後といえども一切いたしません。
      ・ 製造開発,製造技術,設計等に関する一切の情報
      ・ 原材料,製造原価,製造開発等に関する一切の情報
      ・ 仕入先,顧客等に関する一切の情報
      ・ 財務・経営に関する一切の情報
      ・ その他,秘密と指定・管理されていた一切の情報
                                                     以上                         
           平成16年1月15日
                     (住所)
                                A  (印)
           カトウ工機株式会社
           代表取締役 I殿 (印) 」
(イ) Aは,Yへの入社直後にYのF社長から新しい商品を生み出したいと言われたことなどから,バリ取りホルダーの開発をYにおいて行えないかと考え,Cに相談し,平成16年4月9日,Cと共にFのところへ行き,Xにおいて,機構を考え試作品を製作したが,未だ製品化していないバリ取りホルダーがあるので,それをYにおいて製品化したい旨を述べた。Fは,これを了承し,Yにおいてバリ取りホルダーを製品化することとなった。
(ウ) Aは,Xに在職しているときに作成した,機構を分析したノートなどを参考に,図面を作成し,平成16年5月11日にバリ取りホルダーの図面を完成させた。
(エ) Dは,平成16年5月12日に「いいだ特許事務所」と連絡を取って,特許出願のための打合せを始め,平成16年6月14日に,Yは,「いいだ特許事務所」の弁理士を代理人として,発明者をFのみとする本件発明についての特許出願をした。その後,Yは,平成17年9月7日に,特許庁に手続補足書と宣誓書を提出して,Aを発明者に追加した。なお,本件発明の発明者は,前記のとおりAのみであるので,Fを発明者とする出願は事実に反するものである。
 「いいだ特許事務所」では,前記のとおりYによる上記特許出願の図面については,前記の平成15年10月2日にDから依頼を受けた際に作成した図面データを利用した。
 Yによる上記特許出願の図面(甲1)を,AがXにおいて作成した図面(甲6の1~5)と重ねると,それらは,ほぼ重なり合う。
(オ) 前記のとおり,Yが本件特許出願をしたのは,平成16年6月14日であり,その公開特許公報(特開2005-349549号)が公開されたのは,平成17年12月22日であるが,Xが本件発明につきYが特許出願をしていることを知ったのは,平成18年1月ころ,Xの下請け会社である「鈴木アンドアソシエイツ」の社長からYのバリ取りホルダーのカタログを見せられ,そこに「特許出願中」と記載されていたことから,特許出願の検索をして知ったものである。
      そこで,X(代表取締役I)は,Y(代表取締役F)宛てに,平成18年3月31日付けで下記(1)の(甲34),平成18年4月27日付けで下記(2)(甲35の1・2)の内容の書簡((2)は配達証明付)を送付したが,平成19年5月21日の本訴提起までYが回答することはなかった。
                          記(1)  
                「     特許申請について

      拝啓 貴社益々ご発展のこととお喜び申し上げます。

      さて,貴社で特許申請され,昨年の12月22日に公開されました「加工工具」
      の特許出願(特開2005-349549)に関しましてご連絡申し上げます。

      ご承知とは存じますが,今回貴社が発明者の一人として登録されておられま
      す「A氏」につきましては,以前に弊社の在職者であり,また本件発明考案に
      つきましても当該者による弊社在職中の考案と酷似しており,いささか困惑し
      ております。

      今回の考案事項に関して弊社で開発期間・費用が発生していることをご存知
      でしょうか。御社のお考えおよび御社の今後のご対応についてお聞かせ願い
      たいと思います。つきましては,一度お会いしたく,ご都合をお聞かせいただ
      けますか?よろしくお願い申し上げます。」

                               記(2)
                「       特許申請についての再確認
      拝啓 貴社益々ご発展のこととお喜び申し上げます。
      さて,平成18年3月31日付けの書面にてお伺い申し上げました,貴社の特
      許出願(特開2005-349549)に関する件でございますが,既に1ケ月近
      く経過致しました本日に措きましても,ご都合などのご回答を頂いておりません。
      再度,前回の書面も同封致しますのでご多忙中とは存じますが,ご検討頂き
      まして何らかのご回答を頂きますよう,お願い申し上げます。
      なお,この文書と行き違いにご回答を頂いている場合は,何卒ご容赦ください。」
(カ) Xは,本件発明の完成までの間及びその後の製品化に向けての開発に当たって,設備投資として3100万円余りを支出したほか,試作関連費用として680万円余りを支出し,更に,開発担当者の給与を負担するなどした。
 他方,Yは,バリ取りホルダーの製品化に当たって,本件特許出願後約2年を要し,設備投資として1億6500万円余りを支出したほか,開発担当者の給与を負担するなどした。
イ 上記の事実関係を踏まえて検討すると,Xのもとで平成15年8月23日に完成した本件発明は,Yにおいてそのままの形で平成16年6月14日に特許出願がされたということができる。
 Aは,平成21年12月16日付け陳述書(乙36)において,本件発明は秘密ではなかったと述べる。しかし,本件発明が公に知られていたとすれば,特許出願の要件が欠けるのであるから,前記のとおり本件発明を平成15年10月に特許出願しようとし,更にYにおいても本件発明を平成16年6月に出願したことと矛盾することは明らかである。また,開発の協力会社であったエンシュウ株式会社には本件発明が知られることがあったとしても,証拠(甲54)によれば,Xは,エンシュウ株式会社との間では,バリ取りホルダーの開発に当たって平成15年7月1日付けで秘密保持契約を締結していたことが認められる。そして,その他上記乙36の記載によるも,本件発明が,AがYに入社した平成16年4月当時,公に知られていたとまで認めることはできず,本件発明は,上記ア(ア)認定の誓約書に記載された秘密保持義務の対象であったと認められる。
 そうすると,Aは,Xとの秘密保持契約に違反して,本件発明に関する秘密をYに開示したということができる。
 そして,上記アの事実からすると,Yの代表者であるFは,平成16年6月14日までの間に(ただし,AからYへの譲渡証書[乙21]は平成16年7月2日付け)YがAから本件発明の特許を受ける権利の譲渡を受けた際,同発明について特許出願がされていないこと及び本件発明はAがXの従業員としてなしたものであることを知ったというべきである。そして,Fは,Aから本件発明について開示を受けてそのまま特許出願しかつ製品化することは,Xの秘密を取得してYがそれを営業に用いることになると認識していたというべきであり,さらに,本件発明はAがXの従業員としてなしたものであることからすると,通常は,Xに承継されているであろうことも認識していたというべきである。
 このように,Yの特許出願は,Xにおいて職務発明としてされたXの秘密である本件発明を取得して,そのことを知りながらそのまま出願したものと評価することができるから,Yは「背信的悪意者」に当たるというべきであり,Yが先に特許出願したからといって,それをもってXに対抗することができるとするのは,信義誠実の原則に反して許されず,Xは,本件特許を受ける権利の承継をYに対抗することができるというべきである。
ウ Yは,Aらは,本件発明に係る設計図書等を複製して持ち出していないと主張するが,上記ア認定のとおり,Aは,Xに在職しているときに作成した,機構を分析したノートなどは持ち出しており,全く書類を持ち出していないとはいえないのみならず,Dによって平成15年10月にされた特許出願の依頼において作製された本件発明の図面データが「●●特許事務所」を通じてYによる本件特許出願にそのまま利用されており,仮に,Aが本件発明についての記憶とJIS規格等(乙30~32)に基づいて本件発明を再現としたとしても,それをYに開示することは秘密保持契約に違反することとなるのであって,上記イの判断を左右するものではない。
 また,Yは,①Xにおいては,バリ取りホルダーの開発は中止され,特許出願はされず,バリ取りホルダーの図面等も廃棄処分されたのであり,その開発要員の社員らは慰留されることなく退職し,Xにおいてノウハウとして本件発明を引き続き保有し,保全すべき行為を行った形跡は見当らず,3年8か月という長期間放置したままの状態に置いていた,②YのF社長は,Xではバリ取りホルダーの開発・商品化は将来的にも取り扱うことはないであろう,すなわち,Xにおける本件特許を受ける権利の行使はあり得ないであろうと確信し,Yとしての開発が開始されたとの主張をする。しかし,Xにおいて,バリ取りホルダーの開発が中止され,特許出願がされず,バリ取りホルダーの図面等が廃棄処分されたとしても,それらが本件特許を受ける権利の放棄ということができないことは,前記のとおりであり,その開発要員の社員らが退職し(AとDにつき全く慰留しなかったとの点については,これに反する証人Bの証言及びBの平成20年2月25日付け陳述書[甲18]の記載に照らし,採用できない),Xにおいてバリ取りホルダーの製品の製造販売が行われていないことも,同様に,本件特許を受ける権利の放棄ということはできない。また,YのF社長が,Xではバリ取りホルダーの開発・商品化は将来的にも取り扱うことはないであろうと仮に確信したからといって,本件特許を受ける権利が放棄されておらず,Xが本件発明に係る秘密を保持しているのであるから,Yにおいて自らが出願することができると考えたとしても,その信頼を保護すべき理由はないといわなければならない。したがって,これらも上記イの判断を左右するものではない。
 さらに,上記ア(カ)認定のとおり,Yは,バリ取りホルダーの製品化に当たって,約2年を要し,設備投資として1億6500万円余りを支出したほか,開発担当者の給与を負担するなどしたと認められるが,これらは,本件発明がなされた後の製品化に要した費用であって,そのことが上記イの判断を左右するものではない。
エ 以上のとおり,Yが先に特許出願したからといって,それをもってXに対抗することができるとするのは,信義誠実の原則に反し許されないというべきであり,Xは,自ら特許出願をしなくとも,本件特許を受ける権利の承継をYに対抗することができるというべきである。
 
4 検討・考察
本件は、発明者がAであるとして、XはAから職務発明規則に基づく自動承継により特許を受ける権利を譲り受けており、他方YはAから特許を受ける権利を譲り受け、これを特許出願したという事案である。
 このようにAからXとYそれぞれに特許を受ける権利の譲渡がなされ、Yが対抗要件を備えている場合、Xは、Yに対して対抗できないのが原則(特許法34条1項)である。もっとも、YがAからXに対して権利が譲渡されている事実を知悉しており、また自由競争を害するといえる事情がある場合にも、当該原則が通用するのかという点が本件の論点である。
 この点について、本件判決は、出願人は、背信的悪意者に当たる場合には、信義則に照らして、その出願を他の譲受人に対して対抗できないと判断した。
 この判断の結論には賛成するが、特許を受ける権利は非公開であることが原則であるので、自由競争理論を土台とする背信的悪意者排除論がどこまで妥当するかは疑問である。
また、本件は、特許権譲渡の場面において、①何を以て背信的悪意者であるといえるのか、②これを立証するための証拠方法は何かという点についても、参考になろう。本件では、①については、(i)特許権譲渡に際して、譲渡人は、対象となる発明が第1譲受人との間の秘密情報であったにもかかわらずこれを第2譲受人に開示したこと、(ii)第2譲受人は、第1譲受人に、当該発明に係る特許を受ける権利が承継されていることを認識していたであろうこと、及び(iii)第2譲受人が秘密であることを知りながら当該発明につき出願をしたということを事実認定している。そして、②証拠に関しては、(i)について、第1譲受人と譲渡人間で締結された秘密保持契約書、(ii)(iii)について、特許出願に至るまでの経緯が挙げられている。第1譲受人の立場に立った時、(ii)(iii)に関する直接証拠(書証)をあつめるのは、困難かもしれないが、職務発明であれば従業員(譲渡人)と使用者(第1譲受人)の間の秘密保持契約の対象となり、かつ従業員から使用者に承継されることからすると、問題となる特許受ける権利に係る発明が職務発明であることを主張立証すれば足りると考える。
 そうだとすると、会社は、競合他社からの転職者を雇用する際に、背信的悪意者にならないようにする必要がある。よく用いられるのは、前職との関連で営業秘密の流用がないことを誓約させるという手法であるが、むしろ積極的に転職者と前会社との間になされた秘密保持契約や、その内容について正確に把握したうえで(もちろん、秘密保持契約の内容を把握することが秘密保持契約違反とならないように、弁護士等を介して)、営業秘密の流用とならないように気を付けなければならない。

以上

2012.4.2 (文責)弁護士 溝田宗司