【平成22年 2月24日(東京地裁 平成21年(ワ)第5610号[流し台のシンク事件])】

【判旨】

原告の特許権の侵害を理由とする差止請求について、文言侵害が否定された。

【キーワード】

充足論、文言侵害、特許発明の技術的範囲、特許請求の範囲基準の原則、明細書参酌の原則、特許法70条

1.事案の概要(特許発明の内容)

(1)特許請求の範囲

(2)明細書

(3)本件特許の図4と、被告製品との対比

    

2.争点

 「傾斜面」の充足性

3.判旨(下線部は当職が付した)

「傾斜面」の解釈
 ア 本件明細書の【発明が解決しようとする課題】の記載,【課題を解決するための手段】の「後の壁面である後方側の壁面は,上側段部と中側段部との間が,下方に向かうにつれて奥方に向かってのびる傾斜面でつながって,上側段部の前後の間隔と中側段部の前後の間隔とがほぼ同一に形成されており,それら上側段部と中側段部とに,選択的に同一のプレートを掛け渡すようにして載置することができる。」との記載(2頁3欄32行ないし38行【0005】)から,本件発明の目的は,上側段部と中側段部のそれぞれに,上側あるいは中側専用の調理プレート等のプレートを各別に用意する必要があるという,従来技術の課題を解決することであると認められる。また,本件発明1の「前記後の壁面である後方側の壁面は,前記上側段部と前記中側段部との間が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっている」(構成要件C1)との構成も,この課題を解決し,上側あるいは中側専用のプレートを用意する必要のない流し台シンクを提供するために,上側段部の前後の間隔と中側段部の前後の間隔とをほぼ同一に形成し,同一のプレートを,選択的に上側段部と中側段部とに掛け渡して載置することができるための構成であると理解することができる。
 さらに,本件明細書の【発明の実施の形態】の「本発明は,上述した実施の形態に限定されるわけではなく,その他種々の変更が可能である。…また,シンク8gの後方側の壁面8iは,上側段部8fと中側段部8nとの間が,第2の段部8bを経由して,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる上部傾斜面8pとなっていなくとも,上側段部8fと中側段部8nとに同一のプレートが掛け渡すことができるよう,奥方に延びるように形成されているものであればよく,その形状は任意である。」との記載(6頁11欄7行ないし23行【0027】),本件明細書の【発明の効果】の「後の壁面である後方側の壁面につき,上側段部と中側段部との間を,下方に向かうにつれて奥方に向かってのびる傾斜面でつなぐことにより,上側段部の前後の間隔と中側段部の前後の間隔とを容易にほぼ同一にすることができる。」との記載(6頁12欄3行ないし8行【0029】)から,後方側の壁面は,上側段部と中側段部の前後の間隔とを同一にして,各段部に同一のプレートを掛け渡すことができるように,下方に向かうにつれて奥方に延びるように形成されているものであれば,本件明細書に記載された実施形態に限られるものでなく,上側段部の前後の間隔と中側段部の前後の間隔とを容易にほぼ同一にすることができる形状のものであればよいことが理解できる。
 イ しかしながら,他方,【発明の実施の形態】の「シンク8gは,図4にて明示するように,その後方側の壁面8iが,シンク8gの開口部8jよりも下部が奥方に延びるように形成されている。具体的には,後方側の壁面8iは,第2の段部8bから下が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっている。…こうして,シンクの後方側の壁面8iの傾斜面は,中側段部8nにより,上部傾斜面8pと下部傾斜面8qとに分断されている。」(2頁4欄35行ないし3頁5欄6行【0010】)との記載及び「後方側の壁面8iは,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面(上部傾斜面8pおよび下部傾斜面8q)となっており,その壁面8iは,徐々に奥方に向かうので,その壁面8iの清掃を容易に行うことができる。」との記載(4頁7欄46行ないし50行【0018】)並びに【図4】からは,後方側の壁面の傾斜面が,上側段部の下の第2の段部である8bから下の部分が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっており,その傾斜面は,中側段部まで続き,さらに,中側段部により分断されるものの,中側段部から下の部分まで続くような形態のものであることが理解でき,この傾斜面(上側段部と中側段部の間を含む。)は,奥行き方向に一定の長さを有した左右の幅のある連続性をもった傾斜面であることが理解できる。
 また,【発明の実施の形態】の「後方側の壁面8iが,開口部8jよりも下部が奥方に延びるように形成されており,シンク8gの内部空間は,その開口部8jから奥方に広がっている。したがって,開口部8jを広げることなく,内部空間を広くすることができ,この内部空間が広くなったシンク8gで,大きな調理器具や食材を洗う等することが楽にできる。また,シンク8gの内部空間は,後方側に広がっているので,その内部空間を,開口部8jを通して,シンク8gで調理器具や食材を洗う等の作業をする者は,容易に見ることができる。」(4頁7欄35行ないし44行【0018】)との記載から,傾斜面となっている後方側の壁面は,開口部よりも下部が奥方に延びるように形成されることにより,開口部よりも奥方に向けて「内部空間」という一定の広がりをもった空間が形成されるようなものであること,この「内部空間」は,後方側に広がることにより,シンク内で大きな調理器具や食材を洗うなどの作業を行うことが容易になるとともに,当該作業を行う者が,開口部を通じて,その空間を容易に見ることができるようなものであり,傾斜面となっている後方側の壁面も,そのような内部空間を形成すべきものであることが理解できる。
 ウ さらに,前記(2)のとおり,原告は,本件特許の出願当初の【特許請求の範囲】において,【請求項1】を「前後の壁面の,上部に上側段部が,深さ方向の中程に中側段部が形成されて,前記上側段部および前記中側段部のいずれも同一の調理プレート等のプレートを,掛け渡すようにして載置できるように,前記上側段部の前後の間隔と前記中側段部の前後の間隔とがほぼ同一に形成されてなることを特徴とする流し台のシンク。」として,上側段部と下側段部に同一のプレートを載置することが可能となるように,上側段部同士と中側段部同士との幅がほぼ同一に形成された流し台のシンクとして特許請求の範囲に記載していたところ,特許庁審査官から,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとの拒絶理由通知を受け,【請求項1】を,「前後の壁面の,上部に上側段部が,深さ方向の中程に中側段部が形成されて,前記上側段部および前記中側段部のいずれにも同一のプレートを,掛け渡すようにして載置できるように,前記上側段部の前後の間隔と前記中側段部の前後の間隔とがほぼ同一に形成されてなり,かつ,前記後の壁面である後方側の壁面は,前記上側段部と前記中側段部との間が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっていることを特徴とする流し台のシンク。」と補正し,出願当初の【請求項1】の構成のうち,構成要件C1の構成を有するものに限定することにより,特許庁審査官の指摘した特許法29条2項の規定に該当するという拒絶理由を回避して,特許査定を受けたものであることが認められる。
 エ 以上のような本件明細書の記載,図面及び出願経過に照らせば,「前記後の壁面である後方側の壁面は,前記上側段部と前記中側段部との間が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっている」(構成要件C1)という構成は,後方側の壁面の傾斜面が,中側段部によりその上部と下部とが分断されるように後方側の壁面の全面にわたるような,本件明細書に記載された実施形態のような形状のものに限られないと解されるものの,その傾斜面は,少なくとも,下方に向かうにつれて奥方に向かって延びることにより,シンク内に奥方に向けて一定の広がりを有する「内部空間」を形成するような,ある程度の面積(奥行き方向の長さと左右方向の幅)と垂直方向に対する傾斜角度を有するものでなければならないと解するのが相当である。
 したがって,構成要件C1の「下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面」とは,上側段部と中側段部との間において,下方に向かうにつれて奥方に延びることにより,奥方に向けて一定の広がりを有する「内部空間」を形成するような,ある程度の面積と傾斜角度を有する傾斜面を意味すると解するのが相当である。

「傾斜面」の充足性
 オ これを被告製品についてみるに,証拠(甲11,12)及び弁論の全趣旨によれば,被告製品の後方側の壁面は,上側段部の前後の間隔と中側段部の前後の間隔とを容易にほぼ同一にすることができる形状であるものの,原告自身も認めるとおり,上側段部と中側段部の間は,そのほとんどが垂直の壁面のままであって,上側段部の下面のみが傾斜面となっているものと認められる。したがって,被告製品の上側段部の下面の傾斜面は,段部(リブ)を形成するに当たり,段部(リブ)の下面が傾斜したものにすぎず,奥方に向けて一定の広がりを有する空間を形成するような,ある程度の面積と傾斜角度を有する傾斜面であるということはできない。
したがって,被告製品は,「前記後の壁面である後方側の壁面は,前記上側段部と前記中側段部との間が,下方に向かうにつれて,奥方に向かって延びる傾斜面となっている」(構成要件C1)という構成を充足すると認めることはできない。

4.検討

 クレーム解釈は、特許請求の範囲を基準になされ(特許法第70条第1項)、明細書及び図面の記載が参酌される(同2項)。明細書の参酌においては、明細書中の課題(正確には、課題の他に、作用効果、技術的意義、技術的思想も含まれるため課題等)の記載が与える影響が大きいとの指摘がされている[1]
 本判決では、「傾斜面」の解釈につき、ほぼ、図4等の実施例の記載に基づき、限定した解釈をしているが、課題等から認定される発明の意義を踏まえると、実施例の記載に限定をする必要がない点で、原審の判断は裁判例の傾向に沿った判断とはいえないと思われる。控訴審では、課題等から認定される発明の意義を重視して、異なった判断がされている。
 なお、判決では、明細書の「内部空間」の記載も、クレーム解釈の根拠として挙げているが、クレームに対応しない明細書の箇所を参酌しているので、クレーム解釈として参酌すべきでないと考えられる。また、判決では、出願経緯も、クレーム解釈の根拠として挙げているが、単に補正で限定したというだけで、包袋禁反言の理由になっていない点で疑問がある。

(文責)弁護士・弁理士 杉尾雄一


[1] 「特許権侵害訴訟において本件発明の課題が与える影響」(パテント2020 Vol. 73 No. 10)