【平成22年11月17日(知財高判平成22(行ケ)第10191号判例時報2120号98-103頁) 】

【ポイント】
特許庁が拒絶査定不服審決において提出した引例を,審決取消訴訟段階で差し替えた事例において,本判決は,かかる差し替えは特許法157条の趣旨に反するもので許されないと判断した事例

【キーワード】
審決取消訴訟,新証拠提出,証拠の差し替え,特許法157条


【事案の概要】
 本件は,原告が,本件出願に対する拒絶査定不服審判の請求について,特許庁が,同請求は成り立たないとした本件審決には,取消事由があると主張して,その取消しを求める事案である。
 その手続中で,特許庁が拒絶査定不服審決において提出した引例を,審決取消訴訟段階で差し替えたことが,認められるかが争われた。

【争点】
 特許庁が拒絶査定不服審決において提出した引例を,審決取消訴訟段階で差し替えたことが,認められるか。

【結論】
 特許庁が拒絶査定不服審決において提出した引例を,審決取消訴訟段階で差し替えた事は特許法157条の趣旨に反するもので許されない。

【判旨抜粋】
 「第4 当裁判所の判断
1 取消事由(相違点2の判断の誤り)について
 (1) 本件審決の判断
 ア 本件審決は,以下のとおり,相違点2に係る本願発明の事項は,引用発明1及び引用例2に記載された発明に基づき当業者が容易に想到し得たことであると判断した。
 すなわち,本件審決は,〈1〉引用発明1は,短波長のレーザとして,吸収率の高い波長のレーザ,すなわち,反射率の低いレーザを使用するものであるところ,〈2〉アルミニウムにおいて反射率が低い波長域が0.8μm付近にあることは,乙1に記載されているように従来周知の事項であり,また,〈3〉引用例2には,「波長808nmの半導体レーザのビームと波長940nmの半導体レーザのビームとを同一の光軸上に重畳して,当該重畳されたレーザビームによりアルミニウムをレーザ溶接する」点が記載されており,これによれば,相違点2に係る本願発明の事項である「アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルをもつ半導体レーザ」が開示されていると認定した上,〈4〉引用発明1と引用例2に記載された発明とは,長波長と短波長の2つのレーザビームを被加工物上に集光するアルミニウム溶接用レーザ加工光学装置である点で共通するとともに,引用例2に接した当業者であれば,波長808nmの半導体レーザを短波長レーザの選択肢の一つとして考慮することに何らの困難性も見いだせないから,〈5〉引用発明1のエキシマレーザに代えて引用例2に記載された「波長808nmの半導体レーザ」を採用することについては,上記周知技術も踏まえれば,十分な動機がある,と判断したものである。
 イ しかしながら,特許法29条2項は,「特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が同条1項各号に掲げる発明に基づいて容易に発明をすることができたとき」は,特許を受けることができない旨を規定しているのであって,同条1項3号に掲げる刊行物記載の発明すなわち引用発明1に基づいて容易に発明をすることができたか否かは,特許出願時において判断すべきはいうまでもないことであるから,本件原出願後に頒布されたものであることについて当事者間に争いがない引用例2に記載された事項を,引用発明1に採用することによって,容易に発明をすることができたと判断した本件審決には,特許法29条2項の適用を誤った違法があることが,明らかである。
 (2) 被告の主張について
 ア 被告は,引用例2が本件原出願後に頒布されたものであることを認めた上,相違点2に係る本願発明の事項(アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルを持つ半導体レーザ)は,引用発明1及び乙1ないし3に記載された周知の事項に基づき当業者が容易に想到し得たことであるから,本件審決の結論に誤りはないと主張する。
 しかしながら,本願明細書には,背景技術として,「金属が低い反射率を有する短波長のレーザビームを吸収することによって金属の表面の温度が上昇し,さらに加工されるとこの2つの現象の結果,この部分の反射率が低下するため重畳された長波長のYAGレーザビームも容易に吸収されてレーザビームが効率よく加工物に結合されることを利用したものである」こと((0002)),「この分野の最近の公知例…の場合,YAGレーザとKrFエキシマレーザを加工物の同一所に集光して照射するもので,これら2つのレーザビームは別々のレンズで集光され,水平面におかれた被加工物に対してYAGレーザビームは垂直にKrFエキシマレーザビームは垂直から45度傾けて照射される。このような従来技術では,装置が大きくなり,さらに2つのレーザビームが集光された加工物の下面では別々の光路を進み,別の箇所を照射するために2つのレーザの出力ビームの利用効率が低く,加工特性が良くないという問題があった」ことが記載され((0003)),本願発明が解決しようとする課題として,「以上で述べたような従来技術の欠点を除くために行われたものであり,2つのレーザの出力ビームを同軸に重畳して被加工物に照射し,レーザビームの利用効率を高めて加工特性を改善することを目的とする」ことが記載され((0004)),本願発明の効果として,「被加工物がアルミニウムであり,前記長波長のレーザが,アルミニウム溶接加工用として用いられているYAGレーザであり,前記短波長のレーザが,アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルをもつ半導体レーザであるので,2つのレーザの出力ビームを被加工物の同一の部位に照射することができ,レーザビームの利用効率が高く,加工性がよい」((0010)(0014)),「短波長レーザとしては半導レーザを使用することができ,レーザのかわりにLEDを使用することもできる。被加工物がアルミニウムである場合,0.8μm付近に反射率の低い波長域があるため,0.8μm付近の発光スペクトルをもつ半導体レーザやLEDを選択することが有利である。」((0018))等の記載がある。これらの記載によれば,本願発明においては,相違点2に係る短波長レーザの構成が,課題解決のための本質的な部分であると解される。
 しかるところ,前記のとおり,本件審決は,引用例2に,相違点2に係る本願発明の構成(アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルを持つもつ半導体レーザ)が開示されていると認定した上(前記(1)ア〈3〉),引用発明1のエキシマレーザに代えて引用例2に開示された上記半導体レーザを採用することが容易である(前記(1)ア〈4〉〈5〉)という論理を展開したものである。
 しかし,引用発明1における短波長レーザであるエキシマレーザは,アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,波長0.8μm付近の発光スペクトルを持たない上に,半導体レーザとは異なる種類のレーザである(乙2,3)。このようなエキシマレーザを,「アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルをもつ半導体レーザ」という,種類の異なる短波長レーザに置き換える点の容易想到性を判断するに際し,引用例2に代えて周知技術で置き換えるという理由の差替えを,審判段階ではなく,訴訟段階に至ってから特許庁の側が行うことは,審決に理由を付することを義務づけた特許法157条の趣旨にも反するものであり,許されないといわざるを得ない。
 なお,審決取消訴訟において,審判の手続で審理判断された刊行物記載の発明との対比における進歩性の有無を認定して審決の適法,違法を判断するにあたり,審判の手続には現れていなかった資料に基づき当業者の特許出願当時における技術常識を認定し,これによって同発明の持つ意義を明らかにすることは許されるとしても(最高裁昭和54年(行ツ)第2号同55年1月24日第一小法廷判決・民集34巻1号80頁参照),刊行物記載の発明と公知技術との組合せにより容易に発明できたという理由を,技術常識の名の下に刊行物記載の発明から容易に発明できたという理由に差し替えることが許されるとまで解することはできない。
 イ また,被告は,乙1及び2にアルミニウムに対する反射率が低い波長域が0.8μm付近にあることが記載され,乙3に0.8μm付近の発光スペクトルを持つ半導体レーザが記載されていると主張する。
 しかしながら,本件審決が認定するとおり,引用例2には,重畳された半導体レーザビームによりアルミニウムをレーザ溶接する点が記載されているのに対し,乙1ないし3には半導体レーザビームによりアルミニウムをレーザ溶接する点が記載されていない上に,引用発明1と本願発明との相違点2に係る構成そのもの(アルミニウムに対する反射率が低い波長域である,0.8μm付近の発光スペクトルを持つ半導体レーザ)が,引用例2に開示されていることと,乙1及び2にアルミニウムに対する反射率が低い波長域が0.8μm付近にあることが記載され,乙3に0.8μm付近の発光スペクトルを持つ半導体レーザとがそれぞれ別々に記載されていたこととは,等価とはいえないから,被告が主張するような理由の差替えは,失当である。」

 
【検討】
 審決取消訴訟における審理範囲については,最高裁大法廷昭和51年3月10日判決・民集30巻2号79頁[メリヤス編機]において,「無効審判における判断の対象となるべき無効原因もまた,具体的に特定されたそれであることを要し,たとえ同じく発明の新規性に関するものであっても,例えば,特定の公知事実との対比における無効の主張と,他の公知事実との対比における無効の主張とは,それぞれ別個の理由をなすものと解さなければならない。以上の次第であるから,審決の取消訴訟においては,抗告審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比における無効原因は,審決を違法とし,又はこれを適法とする理由として主張することができないものといわなければならない」と判断しており,審決取消訴訟においては,その審理範囲は,特許庁が審判及び審決において対比した公知事実(具体的な文献)ごとであることを明らかにした。
 他方,最高裁昭和55年1月24日判決・民集34巻1号80頁[食品包装容器]によると,「審判の手続において審理判断されていた刊行物記載の考案との対比における無効原因の存否を認定して審決の適法,違法を判断するにあたり,審判の手続にあらわれていなかった資料に基づき右考案の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)の実用新案登録出願当時における技術常識を認定し,これによって同考案のもつ意義を明らかにしたうえ無効原因の存否を認定」することは許されると判示した。
 したがって,これら上記二つの最高裁判例により,前掲[メリヤス編機]の下であっても,審決取消訴訟において一切の新証拠の提出は認められない訳ではなく,審判段階で判断された公知技術の意義を確定するために他の公知技術を主張・立証することは許容されることが明らかにされた(前掲[食品包装容器])。
 その後の裁判例においても,裁判所は審決取消訴訟における新証拠提出について,一律にその提出を禁止しているわけではない。つまり,高橋正憲「審決取消訴訟における新証拠提出範囲の検討:裁判例の類型的整理」知的財産法政策学研究44217頁(2014年)によると, (1)出願時の当業者の技術水準を知るための証拠の提出は原則として認められる(技術水準型),(2)そして,既に審判で判断された技術事項の意義を明らかにするための証拠の提出も原則として,認められる(補強型)。(3)一方で,審判で審理された技術事項を補強する趣旨であっても特許性の本質的事項についての証拠の提出は認められない(特許性本質型)。(4)また,審判で判断されていない技術事項についての証拠の提出は認められない(追加型)。(5)その他に主たる技術的審理事項ではない事項に関する証拠の提出は許容される(その他型)。
 本件についてみると,裁判所も「特許明細書の記載によれば,本願発明においては,相違点2に係る短波長レーザの構成が,課題解決のための本質的な部分である」と認定している通り,本件の差し替えにかかる部分は,アルミニウムに対する反射率が低い波長域が0.8μm付近にあること及び0.8μm付近の発光スペクトルをもつ半導体レーザが存在することに係る部分であり,発明の課題解決の中心部分といえるので,従来の裁判例によると,差し替えが否定されるものであった(特許性本質型)ので,結論からみると従来の裁判例の流れを踏襲したものであった。
 他方,本件は差し替えを認めなかった理由として,特許法157条の趣旨に反することを挙げている。
 以上より,本件は,裁判例の流れを踏襲する事例であるが,証拠の差し替えを特許法157条の趣旨に反するとして認めなかった点に意義のある事案であろう。

 以上
(文責)弁護士 高橋正憲