【平成21年8月27日判決(東京地裁平成19年(ワ)第3494号】

【ポイント】
被告の製造販売する原告製品の後発医薬品について,原告の特許権侵害であるとして,被告製品の製造販売差し止め,ならびに補償金および損害遅延賠償金の支払いを求め,さらに被告らのパンフレット等の表示が品質誤認表示である旨主張して,パンプレット等の差し止めを求めた事案において,被告は,原告の特許出願前に,KK-1,KK-2及びKK-3の3つのサンプルを製造しており,これが「事業の準備」にあたるとして,先使用権を主張したところ,裁判所は,「KK-1とKK-2及びKK-3とを実質的に同一であると認めることができない以上,これらのサンプルが製造された段階では,被告製品の内容が一義的に確定しておらず,事業の内容が確定したとはいえない。」として,「事業の準備」の該当性を否定した事例

【キーワード】
先使用権,事業の準備

【事案の概要】
 本件の原告は,石油ピッチを炭素源とした球状活性炭を有効性成分とする腎疾患薬「クレメジン」(以下,原告製品)を製造販売している。
 被告Y1は,原告製品の後発医薬品として「メルクメジン」(以下,被告製品)の製造承認を受け,被告製品を製造販売していた者である。被告Y1は,平成20年2月,被告Y2に被告製品の製造販売事業を含む製品事業を譲渡した。被告Y3は,平成16年12月から,被告製品を業として販売した。
 本件は,経口投与用吸着剤並びに腎疾患治療又は予防剤及び肝疾患治療又は予防剤についての特許権(特許3835698号)を有する原告が,被告製品は原告の特許権に抵触すると主張して,被告製品の製造販売差し止め,ならびに補償金および損害遅延賠償金の支払いを求め,さらに被告らのパンフレット等の表示が品質誤認表示である旨主張して,パンプレット等の差し止めを求めた事案である。
 本件では,先使用権の有無,特に,「事業の準備」の該当性が争われた。

【判旨】
 本判決は,被告の行為によって被告に先使用権を認めるかについて,以下のように判示した。
「これらの認定事実を前提として,メルクが本件特許の優先日である平成14年11月1日の際,発明の実施である事業の準備をしている者(特許法79条)に該当するかどうかにつき,以下検討する。
ア 特許法79条にいう発明の実施である「事業の準備」とは,特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が,その発明につき,いまだ事業の実施の段階には至らないものの,即時実施の意図を有しており,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていることを意味すると解するのが相当である(最高裁昭和61年10月3日第二小法廷判決・民集40巻6号1068頁参照)。そして,特定の発明を用いたある事業について,即時実施の意図を有しているというためには,少なくとも,当該事業の内容が確定していることを要するものであると解すべきである。
イ 前記認定事実のとおり,メルクは,本件特許の優先日である平成14年11月1日より前において,被告製品の原末となるべき球状活性炭の試作サンプルとしてKK-1を製造し,これと原告製品との物理的性質及び吸着特性の比較試験に着手し,●(省略)●の各試験を実施したこと,KK-1より賦活時間を短縮した試作サンプルのKK-2及びKK-3を製造し,KK-1,KK-2及びKK-3のそれぞれについてカプセル製剤及び細粒製剤のサンプルを製造し,これらの製剤について,規格及び試験方法に関する試験及び安定性試験に着手し,細粒製剤についての規格及び試験方法に関する試験についてはこれを了したこと,KK-1のみについて,生物学的同等性試験のための動物の入手をしたことが認められる。
 このように,メルクは,本件特許の優先日までに,KK-1,KK-2及びKK-3の3つのサンプルを製造し,これらすべてについて,規格及び試験方法に関する試験を実施するとともに安定性試験に着手しており,被告らの主張するとおりの事実が認められる。
ウ しかしながら,前記認定事実のとおり,KK-1とKK-2及びKK-3とでは,その賦活時間において,KK-1が29時間であるのに対し,KK-2及びKK-3が21時間(KK-2)又は21.5時間(KK-3)であって,7.5時間から8時間の違いがあり,賦活のための温度が●(省略)●もの高温であることに鑑みると,この違いは製造コストにおいて大きな差異をもたらすものと考えられる。また,この賦活時間の違いから,活性炭の吸着性能に影響を及ぼす重要な指標であると認められる比表面積及び充填密度について下記のとおりの違いを生じている。
  比表面積(BET法)
  KK-1 1542m2/g
  KK-2 1362m2/g
  KK-3 測定されていない
  充填密度
  KK-1 0.52g/ml
  KK-2 0.61g/ml
  KK-3 0.61g/ml
 これらの点に照らすならば,KK-1とKK-2及びKK-3とを実質的に同一であると認めることはできない
 そして,KK-1とKK-2及びKK-3とを実質的に同一であると認めることができない以上,これらのサンプルが製造された段階では,被告製品の内容が一義的に確定しておらず,事業の内容が確定したとはいえない
 したがって,これらの3つのサンプルを製造し,これらが規格に適合することを確認し,安定性試験に供したことにより事業の即時実施の意図が表明されたとする被告らの主張は採用することができない。

【検討】
 特許法79条は,先使用権を定めている。その要件として,「事業の準備」が要求される。
この要件について,最判昭和61・10・3 民集40巻6号1068頁[ウォーキングビーム炉]は,「いまだ事業の実施の段階に至らないものの,即時実施の意図を有しており,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていることを意味する」とし,工業用加熱炉の大型プラントの事例で見積もり仕様書等が引合いの相手方に提出されたのみで受注に至らず,したがって具体的な製品ができあがっていない段階で先使用権の成立を認めた。
 具体的あてはめについて,以後の下級審裁判例をみると,特許出願前に発明が完成しており,かつ当該発明に特有の投資(関係特殊的投資)がなされていれば(東京地判平成11・11・4判タ1019号238頁[芳香性液体漂白剤組成物],大阪地判平成17・7・28平成16(ワ)9318[モンキーレンチ]等),「事業の準備」の該当性は肯定されてきたといえる(増井和夫=田村善之『特許判例ガイド』(第3版・有斐閣・2005年)216頁~220頁)。
 本件は,一般的規範としては,「特許法79条にいう発明の実施である「事業の準備」とは,特許出願に係る発明の内容を知らないでこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者が,その発明につき,いまだ事業の実施の段階には至らないものの,即時実施の意図を有しており,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていることを意味すると解するのが相当」であると述べ,前掲[ウォーキングビーム炉]の考えを踏襲した。
 しかし,具体的あてはめについては,本件は被告が発明を完成させており,かつ,サンプルを6500個製造して1億3000万円以上の費用を投資し関係特殊的投資が認められる事案であったのにもかかわらず,「被告製品の内容が一義的に確定しておらず,事業の内容が確定し」ていないとして,「事業の準備」の該当性を否定した。つまり,従来の裁判例の流れと反する判断をしたと評価できる。
 したがって,本件は,従来の裁判例の潮流とは異なる判断を示した点に意義を有する。実務においても,今後は出願前に事業内容が確定しているか否かという点を意識する必要があろう。

以上
(文責)弁護士 高橋正憲