【平成21年4月7日(大阪地裁 平成18年(ワ)第11429号[オキサリプラチン事件])】

【判旨】

特許権の侵害を理由とする差止請求について、文言侵害が否定された。

【キーワード】

充足論、文言侵害、特許発明の技術的範囲、特許請求の範囲基準の原則、明細書参酌の原則、特許法70条

1.事案の概要(特許発明の内容)

A オキサリプラチン,
B 有効安定化量の緩衝剤および
C 製薬上許容可能な担体を包含する
D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E 製薬上許容可能な担体が水であり,
F 緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G 緩衝剤の量が,以下の:
(a) 5×10-5M~1×10-2M,
(b) 5×10-5M~5×10-3M
(c) 5×10-5M~2×10-3M
(d) 1×10-4M~2×10-3M,または
(e) 1×10-4M~5×10-4M
の範囲のモル濃度である,組成物。

2.争点

 被告製品から、シュウ酸が検出されているが,当該シュウ酸は添加されたものではない。そのため、「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,オキサリプラチン溶液に外部から添加されるシュウ酸(添加シュウ酸)に限定されるか、オキサリプラチンの分解によって溶液中に生じるシュウ酸(解離シュウ酸)を含むかが争点となる。

3.判旨(下線部は当職が付した)

(1)  特許請求の範囲の記載について
・・・しかるところ,本件特許の優先日当時の技術常識によれば,「解離シュウ酸」は,オキサリプラチン水溶液中において,「オキサリプラチン」と「水」が反応し,「オキサリプラチン」が自然に分解すること(前記第2の4(1)の(被控訴人の主張)イ(イ)記載の図のうち,平衡①に示された反応)によって必然的に生成されるものであり,「オキサリプラチン」と「水」が混合されなければそもそも存在しないものである(当事者間に争いがない。)。してみると,このような「解離シュウ酸」をもって,「オキサリプラチン溶液組成物」を組成する,「オキサリプラチン」及び「水」とは別個の要素として把握することは不合理というべきであり,そうであるとすれば,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」とは,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られると解するのが自然といえる。
  イ 次に,「緩衝剤」の用語に着目すると,「剤」とは,一般に,「各種の薬を調合すること。また,その薬。」(広辞苑〔第六版〕・乙49)を意味するものであるから,このような一般的な語義に従えば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」を意味すると解するのが自然であり,そうであるとすれば,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「緩衝剤」には当たらないということになる。
・・・
以上のとおり,本件発明に係る特許請求の範囲の記載からみれば,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが自然であるといえる。
・・・
(4)  本件発明の目的(乙1発明との関係)について
  ア 前記1(2)で述べたとおり,本件特許の特許請求の範囲の記載及び本件明細書の記載を総合すれば,本件発明は,乙1発明を含むオキサリプラチンの従来既知の水性組成物(オキサリプラチンと水のみからなるオキサリプラチン水溶液)の欠点を克服・改善すること,すなわち,乙1発明等に比して生成されるジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物が少ないオキサリプラチン溶液組成物を提供することをその目的とし,その解決手段として,所定量の「シュウ酸又はそのアルカリ金属塩」を「緩衝剤」として包含する構成を採用したものであると認められる。
 そして,これを前提とすれば,本件発明の「緩衝剤」は,乙1発明において生成される上記不純物の量に比して少ない量の不純物しか生成されないように作用するものでなければならない。しかるところ,水溶液中のオキサリプラチンの分解により平衡状態に達するまで自然に生成される解離シュウ酸は,乙1発明中にも当然に存在するものであるから,このような解離シュウ酸のみでは,乙1発明に比して少ない量の不純物しか生成されないように作用することは通常考え難いことといえる。他方,前記(3)ア及びイのとおり,本件明細書の記載をみると,いずれの実施例(ただし,実施例1及び8が本件発明の実施例に当たらないことは,前記(3)イで述べたとおりである。)においても,「緩衝剤」としての「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」は外部から加えられたものであり,乙1発明と同様のオキサリプラチン溶液組成物であると認められる実施例18(b)と比較し,安定性試験の結果において有意に少ない量の不純物しか生成されていないことが示されているのである(本件明細書の段落【0063】ないし【0074】(表4ないし8)によれば,1か月経過後の不純物の合計量は,実施例18(b)では0.53%w/wであるのに対し,実施例中最も少ない実施例7では0.11%w/w未満,最も多い実施例2でも0.39%w/wである。)。
 以上のような本件発明の目的及び本件発明と乙1発明との関係に照らしてみても,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが相当といえる。

4.検討

 クレーム解釈は、特許請求の範囲を基準になされ(特許法第70条第1項)、明細書及び図面の記載が参酌される(同2項)。明細書の参酌においては、明細書中の課題(正確には、課題の他に、作用効果、技術的意義、技術的思想も含まれるため課題等)の記載が与える影響が大きいとの指摘がされている[1]
 原審は、「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限定されず、解離シュウ酸を含むと判断したが、控訴審は、「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限定され、解離シュウ酸を含まないと判断した。
 その要因は、控訴審において、①「剤」とは、一般に、「各種の薬を調合すること。また,その薬。」(広辞苑〔第六版〕・乙49)を意味するとの主張、証拠が追加された点、②本件特許の優先日当時の技術常識によれば、「解離シュウ酸」は、オキサリプラチン水溶液中において、「オキサリプラチン」と「水」が反応し必然的に生成されるものであるという主張、証拠が追加され点で、特許請求の範囲基準の原則による「緩衝剤」の意義を限定して解釈した点にあると考えられる。
 発明の課題等に基づく技術的意義の認定という点では、控訴審では、原審よりも具体的な認定がされている。これは、課題等の記載は抽象的であったが、控訴審では、実施形態も踏まえて技術的意義が認定されたという点で、認定が変わっている。このように、課題等の記載が抽象的な場合に、実施形態等の他の記載も踏まえて、具体的な技術的意義を認定するという手法は参考になる手法である。

弁護士・弁理士 杉尾雄一


[1] 「特許権侵害訴訟において本件発明の課題が与える影響」(パテント2020 Vol. 73 No. 10)