平成26年4月16日判決(東京地裁 平成24年(ワ)第24317号)
【ポイント】
請求項を削除する補正(出願経過)が、削除されずに特許された請求項の文言の解釈に影響を与えた事例
【キーワード】出願経過参酌、禁反言、クレーム解釈

【事案の概要】
 本件特許権(特許第4350910号)につき本件専用実施権を有する原告が,被告に対し,被告が業として製造等を行っている被告各製品は,本件発明の技術的範囲に属しており,本件専用実施権を侵害するとして,被告各製品の製造・販売等の差止め並びに被告各製品及びその半製品の廃棄を求めた事案。

 当該特許発明は以下のとおり。
【請求項1】フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の組成物。

 以下、簡単に審査経過につき述べる。
 出願当初請求項は以下のとおり(抜粋。化学式は省略。)。
【請求項1】下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を含有する痴呆予防及び治療用の組成物であって,【化1】【化2】である前記組成物。
【請求項2】前記化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体がフェルラ酸又はイソフェルラ酸である請求項1に記載の組成物。
【請求項8】下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの食品学的に許容される塩を含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物であって,【化3】【化4】である前記食品組成物。

 平成18年12月13日付け補正後の請求項は以下のとおり(抜粋。化学式は省略。)
【請求項1】下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の組成物であって, 【化1】【化2】である前記組成物。
【請求項7】下記の化学式Iのハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの食品学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の食品組成物であって,【化3】【化4】である前記食品組成物。

 出願人は、上記補正と同日付の意見書にて、上記請求項7は、上記補正後の請求項1の組成物を食品の形態にしたものと述べた。
 特許庁審査官は、平成20年7月1日付けで同補正後請求項につき拒絶査定をした。その際、審査官は、拒絶査定の備考として、引用文献2も同請求項7~12の発明も、ともに食品として利用されるもので、「痴呆の治療及び予防」なる記載を付加したことをもって、本願発明の食品が食品として新たな用途を提供するものとはいえないと述べた。
 そこで、出願人は、同年9月29日付け及び10月29日付補正により、請求項1につき以下の下線部を付加する補正をし、請求項7ないし12等を削除した。そして、同年12月10日付け意見書にて、請求項7以降を削除したことで引用文献2に記載の発明であるとの拒絶理由は解消されたと述べた。
【請求項1】フェルラ酸又はイソフェルラ酸であるハイドロキシシンナム酸誘導体又はこれの薬学的に許容される塩を痴呆の予防及び治療に有効量で含有する痴呆予防及び治療用の組成物。

【争点】
出願経過(請求項を削除する補正)が、削除されずに特許された請求項の文言の解釈に影響するか。

【結論】
影響する。

【判旨抜粋】(以下、説明の便宜上、判決の表現を修正した。)
 ・・本件特許の出願経過,特に,本件特許権者が,前記イ(エ)の拒絶査定における拒絶理由を受けて,前記イ(オ)においていわゆる「食品組成物」クレームである出願当初の請求項8ないし13(前記イ(ウ)における補正後の請求項7ないし12)を削除した補正の経過に鑑みると,
・本件特許権者は,上記の「食品組成物」クレーム(出願当初の請求項8・・)を,いわゆる「組成物」クレーム(前同請求項1ないし7・・)とは別途に,かつ,この「組成物」クレームの用途である「痴呆予防及び治療用」と同じ用途の発明として出願し,前者の請求項(「食品組成物」クレーム)には「食品学的に許容される塩」と,後者の請求項(「組成物」クレーム)には「薬学的に許容される塩」と記載していたこと,
・本件特許権者は,出願当初の請求項8・・(補正後の請求項7・・)について,特許庁審査官から,当該請求項に係る発明は,食品として新たな用途を提供するものではなく,健康食品の発明である引用文献2に対して新規性を有しないとして拒絶査定がされたことを受け,その対応として当該請求項を全て削除し,その結果,特許査定がされたものであること,
 以上の出願経過に鑑みると,特許庁審査官は,出願当初の請求項1ないし7(・・補正後の請求項1ないし6)記載の発明は,その文言が単なる「組成物」であってもそれが医薬組成物に係る発明であることを前提とし,また,前同請求項8・・(前同請求項7・・)記載の発明は食品組成物に係る発明であることを前提とした上で審査し,前同請求項1ないし7に係る発明について引用文献2を適用して新規性を有しないとはしない一方で,前同請求項8ないし13に係る発明については,引用文献2との関係で新規性を有しないとして拒絶査定をすると,本件特許権者が当該請求項を全て削除する補正をしたことから,本件発明がもはや食品組成物に係る発明を含まない医薬組成物に係る発明であることが明らかになり,さらに,前記イ(オ)の「フェルラ酸又はイソフェルラ酸である」との記載を追加する補正により,引用文献1との関係でも新規性が肯定できるとして,本件発明について特許査定をしたものと認められ,本件特許権者においては,かかる特許庁審査官の認識を前提に対応して,前記イの補正を経て本件発明の特許査定に至ったものと認められる。

 また,本件発明は,痴呆「予防『及び』治療用の」組成物であると記載されるところ,食品は治療の用途で用いられるものではないから,痴呆の予防のみならず「治療用の」組成物でもあるとした上記記載の組成物は,食品組成物ではなく,医薬組成物であると解するのが自然である。
 そうすると,上記出願経過を経て,特許査定がされた本件発明において,原告が,構成要件Cの「組成物」になお,食品組成物が含まれると解されるとして,被告各製品が本件発明の技術的範囲に属すると主張することは,禁反言の原則により許されないと解するのが相当である。
 これに対して原告は,本件発明は削除した請求項と何ら従属関係がなく,拒絶査定において拒絶の対象とされたものではなく,原告が本件発明の内容から食品の構成を除外するかのような主張をしたことはないから,被告各製品のような食品であっても,構成要件Cの「組成物」に含まれると主張する。
 しかし,前記ウの認定判断のとおり,本件特許権者は「組成物」クレームの他に,同じ用途の「食品組成物」クレームを出願していたところ,前記イで認定した拒絶理由及び拒絶査定における特許庁審査官の判断の内容からすれば,特許庁審査官は前者を医薬組成物に係る発明として,後者を食品組成物に係る発明として認識した上で各引用文献との対比を行って審査し,本件特許権者はかかる特許庁審査官の認識を前提に補正をし,その結果,本件発明につき特許査定を受けたものと認められるから,本件発明が削除した請求項と何ら従属関係がなくとも,原告が本件発明の内容には食品組成物は含まれないことを当然の前提として補正したことは明らかというべきである。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。

【解説】
 他の請求項の削除が、削除されなかった請求項の文言解釈に影響を与える可能性があることを示す事例である。なお、当該禁反言の原則の採用にあたり、特許査定をするにあたってのクレームの内容ないし範囲につき、特許庁審査官の認識が、特許権者の意図を参酌するにあたり問題とされたこと、また、拒絶査定を受けての補正に際し、「組成物」の意義につき何ら主張しなかったことも出願経過として参酌されている。
 包袋禁反言は、一般には、審査経過等で出願人がクレームに包含される要素を除外する旨表明し、その結果として特許が付与された場合、当該要素を技術的範囲に含むとする権利者の主張を排斥するという考え方であり、いったんクレームを減縮して特許付与を受けておきながら、侵害訴訟で当該要素が技術的範囲に含めるという矛盾した行為を信義則に基づいて排斥するものである。したがって、本件のように、当該特許付与にあたっての審査官の認識が大きく問題となることはあまりない。
 より明確な範囲の権利取得のためには、出願人の意図を補正書等で主張しておき、出願経過として残しておくことも考えられるが、あえて限定解釈される余地のある主張を出願段階でしておくことは簡単ではなく、悩ましいところである。
なお、同判決は、知財高裁においても是認されている(知高判平成26年10月23日、平成26年(ネ)第10051号)。

(文責)弁護士・弁理士 和田祐造