平成26年2月24日判決(知財高裁 平成25年(行ケ)第10201号)
【キーワード】
特許法17条の2第3項、新規事項の追加、補正の許否

【事案の概要】
 本件は,被告の特許無効審判請求により原告らの特許を無効とした審決の取消訴訟である。争点は、補正に関しての新規事項の追加の有無である。

【特許庁における手続の経緯】

【発明の概要】
1 従来の問題点
 従来,育苗ポットには,苗に関する情報が表示された表示板が取り付けられる。表示板を直接培土に差し込む方法は,簡単に引き抜かれてしまい,ホッチキス等の締結具によって締結する方法は,締結作業に非常に手間がかかるという問題があった。
 そこで,特許文献1(実公平7-46128)では,育苗ポットの上縁部に設けた鍔部と,その鍔部に表示板を差し込むための孔とを備えた育苗ポットが開示されている。

しかしながら,特許文献1の方法では,表示板を孔の部分だけで支持しているため表示板がぐらつきやすく,略直立した状態で固定することができないという問題があった。

2 本発明の概要
 そこで,本発明は,苗に関する情報が表示された表示板を育苗ポットに対して略直立した状態で固定することができるとともに,育苗ポット内に培土が収納されている状態であっても,その表示板を取り付けるための位置を外部から容易に把握することができるようにした育苗ポット及び表示板付育苗ポットを提供するものである(段落【0010】~【0012】)。

【特許請求の範囲の記載】
1 出願当初(平成16年3月26日)
 【請求項1】
 苗に関する情報が表示された表示板を育苗ポットに対して略直立した状態で固定することができると共に,育苗ポット内に培土が収納されている状態であっても,その表示板を取付けるための位置を外部から容易に把握することができる育苗ポット及び表示板付育苗ポット。

2 本件補正後(平成18年3月22日)(争点の請求項7のみを示す)
 【請求項7】
 底壁と,その底壁の縁部から上方に向かって立設する側壁と,その側壁と前記底壁とで囲まれる空間であって苗や培土を収納する収納空間と,その収納空間に培土や苗を入れるために前記側壁の上縁部により形成される開口面とを備えた育苗ポットにおいて,
 前記側壁は平面視多角形に形成されており,
 その多角形に形成された側壁の少なくとも1の面は,前記底壁側の側壁面が前記上縁部側の側壁面に対して段差部を有して前記収納空間側へ窪んで形成されており,その段差部は,前記収納空間に前記培土を収納した場合にその培土によって埋没した状態となる位置に形成され,
 その段差部の前記開口面を臨む部分に開口され,前記収納空間に収納される苗に関する情報が表示された表示板を差込む差込み口を有し,
 その差込み口は,前記多角形に形成された側壁の1の面における周方向の略中央部に形成されていることを特徴とする育苗ポット。

3 訂正後(平成25年4月22日)(訂正の適否については争いなし)
 【請求項7】
 底壁と,その底壁の縁部から上方に向かって立設する側壁と,その側壁と前記底壁とで囲まれる空間であって苗や培土を収納する収納空間と,その収納空間に培土や苗を入れるために前記側壁の上縁部により形成される開口面とを備えた育苗ポットにおいて,
 前記側壁は平面視多角形に形成されており,
 その多角形に形成された側壁の少なくとも1の面は,前記底壁側の側壁面が前記上縁部側の側壁面に対して段差部を有して前記収納空間側へ窪んで形成されており,その段差部は,前記収納空間に前記培土を収納した場合にその培土によって埋没した状態となる位置に形成され,
 その段差部の前記開口面を臨む部分に開口され,前記収納空間に収納される苗に関する情報が表示された表示板を差込む差込み口を有し,
 その差込み口は,前記多角形に形成された側壁の1の面における周方向の略中央部に形成され,
 前記段差部は,少なくともその差込み口が開口されている部分に形成されていることを特徴とする育苗ポット。

【争点】
 本件補正後の請求項7における「段差部」が新規事項の追加に該当するか

【判旨抜粋】(下線部は判旨に付されていたものであり,斜体は筆者による)
1 本件補正について
 本件補正及び本件訂正において示される「段差部」は,底壁側の側壁面が上縁部側の側壁面に対して収納空間側へ窪んで形成されることは特定されているものの,その段差部が側壁面の幅に対していかなる幅を有するかについての特定はなく育苗ポットの側面の全周に段差部が形成されるという技術事項や一つの側壁の全幅に渡って段差部が形成されるという技術事項までを含むものである(以下「技術事項A」とも総称する。)。
2 第1凹部について
 ア 原告らは,上記の「段差部」は,当初明細書等において,「第1凹部」として示されており,技術事項Aは当初明細書等の記載や周知事項等から当業者にとって自明であり,当初明細書等に記載されているのと同視できる旨主張する。
 しかし,当初明細書等には,「段差部」との記載や,技術事項Aを含む構成を明示的に記載した記載や図面はなく,段落【0027】,【0049】,【0055】等において,「第1凹部」あるいは「第1凹部7」と記載されているにすぎない。
 そこで,まず,当初明細書等における「第1凹部」,「第1凹部7」の技術的意義について,検討する。
 イ 当初明細書等における「第1凹部」について見るに,前記1のとおり,当初明細書の段落【0049】の「側壁4には,他の側壁4の外面よりも収納空間5側に窪み,側壁4の上縁部との間に所定間隔を開けた位置から底壁3まで帯状に延びる1つの第1凹部7…が形成されている。」との記載,段落【0012】の「差込み口が開口されている第1凹部は,側壁の一部であって他の側壁の外面よりも収納空間側に窪んだ部分であるので,その第1凹部を目印とすることで,差込み口の位置は,育苗ポットの側壁側から把握される。」との記載,段落【0027】の「差込み口が開口されている第1凹部は,側壁の一部であって他の側壁の外面よりも収納空間側に窪んだ部分であるので,収納空間に培土を収納し,差込み口が培土に埋もれ,開口面から差込み口の位置を把握することができなくなったとしても,第1凹部を目印とすることで,育苗ポットの側壁側から差込み口の位置を把握することができるという効果がある。」との記載,段落【0069】の「差込み口9は,第1凹部7の開口面6を臨む位置に配置されているので,第1凹部7の位置を把握できれば,差込み口9の位置も把握することができる。」との記載及び段落【0079】の「収納空間5に培土Bによって差込み口9が埋もれ,差込み口9の位置を外部から把握できなくても,第1凹部7の窪みを目印とすることで,表示板2を差し込む位置を外部から容易に判断することができる。」との記載からすれば,「第1凹部」は,側壁の一部が他の側壁の外面よりも収納空間側に窪むことで,育苗ポットに収納された培土に埋もれて開口面から把握できない差込み口の位置を,側壁の外面から把握するための目印としての機能を有するものである。
 そして,段落【0031】,【0032】,【0069】には,差込み口を有する第1凹部7と差込み口を有しない第2凹部8との外観形状を異にすることで,一見して区別することができ,側壁の外面から差込み口を簡単に認識できるようにした旨が記載されており,また,段落【0020】のとおり,第1凹部7が側壁に複数備えられている場合には,第1凹部の各々に差込み口を開口し,容易に側壁の外面から差込み口を把握できるような構成がとられている。さらに,段落【0083】には,「第1凹部7…は,側壁4の内面から収納空間5側に突出するように形成しても良い。但し,かかる場合には,側壁4の外面には,差込み口9の位置を示すような目印を設ける必要がある。」との記載があり,第1凹部によっても差込み口の存在が側壁の外面から明らかとならない場合には,側壁の外面に目印を設けることが開示されている。これらのことに,本項の上記下線部の記載を考慮すると,前記の第1凹部による目印は,差込み口の位置に対応した側壁の一部が当該側壁の外面よりも収納空間側に窪むことにより,当該部分に着目させて側壁の外面から特定可能とし,育苗ポットに収納された培土に埋もれて外部から把握できない差込み口の位置を,容易に把握させるとの機能を果たすものであると認められる。
 ウ 以上を前提に,本件補正により新たな技術的事項が導入されるか否かについて検討するに,前記(1)のとおり,本件補正によると,育苗ポットの側面の全周に段差部が形成されたものや,一つの側壁の全幅に渡って段差部が形成されたものまでが「段差部」に含まれることとなる(技術事項A)が,この場合,段差部において差込み口が形成されている領域と差込み口が形成されていない領域とが区別できなくなり,差込み口の位置を側壁の外面から把握できない結果となる。上記のとおり,差込み口のある側壁部分と他の側壁部分とを区別させる第1凹部の構成は,側壁の外面から差込み口を容易に把握できるという本件発明の技術課題の解決手段として設けられたものであることからすれば,本件補正により第1凹部を設けない場合には,当初発明の技術課題を解決することにはならないから,技術事項Aは,新たに導入した技術的事項に該当するというべきである。

【解説】
1 新規事項の追加についての判断基準
 新規事項の追加については,ソルダーレジスト事件大合議判決(平成18年(行ケ)第10563号審決取消請求事件,知財高裁平成20年5月20日判決)の規範により判断することが実務上定着している。以下にその規範を示す。

 すなわち,新たな技術的事項を導入するものではない限り,明細書に対応する文言がなくとも,補正・訂正をすることは可能である。そして,新たな技術的事項を導入するものであるか否かの判断は,課題及び手段や,周知技術を考慮して判断がなされる。
2 裁判所の判断
 知財高裁は,まず本件補正後の請求項7における「段差部」がどのような技術事項を含むものであるかを確定し,技術事項Aとした。
 次に,「段差部」の記載や,技術事項Aを含む構成を明示的に記載した記載や図面はなく,「第1凹部」が記載されているにすぎないことを認定した。そのうえで,「第1凹部」の技術的意義について検討を行っている。
 そして,明細書中の「第1凹部」の記載によれば,「第1凹部」は,側壁の一部が他の側壁の外面よりも収納空間側に窪むことで,育苗ポットに収納された培土に埋もれて開口面から把握できない差込み口の位置を,側壁の外面から把握するための目印としての機能を有するものであり,第1凹部による目印は,差込み口の位置に対応した側壁の一部が当該側壁の外面よりも収納空間側に窪むことにより,当該部分に着目させて側壁の外面から特定可能とし,育苗ポットに収納された培土に埋もれて外部から把握できない差込み口の位置を,容易に把握させるとの機能を果たすものであると認められるとした。
 「第1凹部」の意義,機能を上記のように把握したうえで,知財高裁は,技術事項Aについては,段差部において差込み口が形成されている領域と差込み口が形成されていない領域とが区別できなくなり,差込み口の位置を側壁の外面から把握できない結果となるとし,差込み口のある側壁部分と他の側壁部分とを区別させる第1凹部の構成は,側壁の外面から差込み口を容易に把握できるという本件発明の技術課題の解決手段として設けられたものであることからすれば,本件補正により第1凹部を設けない場合には,当初発明の技術課題を解決することにはならないと認定して,「段差部」は新規事項の追加にあたるとした。
3 考察
 判旨における新規事項の追加の判断過程は,実務上非常に参考になる。判断過程をまとめると,おおむね以下のようになる。
 (1) 問題となる請求項中の文言「段差部」がどういった技術事項を含むことになるか
 (2) 当該文言「段差部」は当初明細書等に記載されているか
 (3) 「段差部」に一番近いと思われる「第1凹部」の意義・効果を,明細書の記載から判断
 (4) 「第1凹部」の意義・効果からすると,第1凹部を設けない構成は、当初発明の技術課題を解決することにならず,「段差部」は新規事項の追加にあたると認定
 すなわち,知財高裁は,「段差部」が当初明細書等に記載がないことからただちに新規事項の追加にあたると認定してはいないことはもちろん,「技術事項A」が当初明細書等に記載のない構成を含むものであっても,そのことのみをもって,ただちに新規事項の追加であると認定してはいないのである(仮に「段差部」が当初明細書等に記載のない構成を含むことが、ただちに新規事項の追加にあたるのであれば,その後の判断は不要となるからである)。
 知財高裁は,当初発明の技術課題(差込み口の位置を容易に把握できる)からすると,第1凹部を設けない構成は,当初発明の技術課題を解決することにはならないとして,そういったものまで含んでしまう技術事項Aを表す「段差部」は新規事項の追加にあたるとした。
 なお,本件では判断されていないが,判旨からすれば,仮に「段差部」が当初明細書に記載のない構成を含むことになったとしても,当初発明の技術課題からして,当該構成も技術課題を解決することになるのであれば,新規事項の追加にはあたらないことになるだろう。
 本件の知財高裁の判断は,発明の技術的課題・意義・効果等をもとにして新規事項の追加にあたるか否かを判断しており,至極妥当な判断である。新規事項の追加の判断にあたっては,文言のみに拘泥する代理人も散見されるが,特許の専門家としては,裁判所がどのような判断手法を用いているかを研究すべきである。新規事項の追加にかかわらず,知財高裁は、発明の技術的意義をとらえて判断する傾向が顕著にみられることから,代理人としても,発明の技術的意義をしっかり理解し,裁判所を納得させるような主張を組み立てるべきである。

(文責)弁護士 幸谷泰造