平成26年9月25日判決(東京地裁 平成25年(行ケ)第10324号)
【判旨】
刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される場合がある。
【キーワード】
 刊行物に記載された発明、特許法29条1項3号

【事案の概要】
原告は,発明の名称を「誘電体磁器及びこれを用いた誘電体共振器」とする特許第3830342号(以下「本件特許」という。)の特許権者である。被告は,平成22年8月4日,本件特許について無効審判請求(無効2010-800137号事件)をし,特許庁は,平成23年5月27日,本件特許を無効にする旨の審決をした。
これに対して,原告は,同年7月5日,審決取消訴訟(知的財産高等裁判所平成23年(行ケ)10210号)を提起した。原告は,同年9月30日,特許請求の範囲等の記載について訂正審判請求(訂正2011-390113号。後に,訂正請求とみなされた。以下「本件訂正」という。)をしたため,知的財産高等裁判所は,同年11月11日,平成23年法律第63号による改正前の特許法181条2項の規定により,同審決を取り消す旨の決定をし,この決定は後に確定した。
特許庁は,これを受けて無効2010-800137号事件の審理を再開し,平成24年4月18日,本件訂正を認める,審判の請求は成り立たない旨の審決をした。
これに対して,被告は,同年5月22日,審決取消訴訟(知的財産高等裁判所平成24年(行ケ)10180号)を提起し,知的財産高等裁判所は,平成25年7月17日,特許庁が無効2010-800137号事件について平成24年4月18日にした審決を取り消す旨の判決をし,この判決は後に確定した。
特許庁は,これを受けて無効2010-800137号事件の審理を再度再開し,平成25年10月25日,本件訂正を認める,本件特許の請求項1ないし5に係る発明についての特許を無効とする旨の審決(この審決が本件訴訟の対象となる審決である。)をし,その謄本は,同年11月8日,原告に送達され、これに対する審決取消訴訟(本件訴訟)が提起された。
【争点】
本件発明1は,特開平6-76633号公報(甲1。以下「甲1公報」という。)に記載の発明(以下「甲1発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明することができたか否か(本件評釈に関係する部分のみ。)。
【判旨抜粋】
エ 特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明・・・」については,特許を受けることができない旨規定している。同号の「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。
 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。
 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず,このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない。
(中略)
本件発明は,甲1公報記載の上記実施例と,甲4報告書や甲35報告書から,その構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえず,本件発明は特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)には当たらないと解される。
(中略)
しかし,甲35報告書は,甲1発明の試料No.35とはその組成を異にした試料についての実験であるから,これによりその結晶構造が判明したとしても,前記の理由により,これを出願時の公知技術と同視することはできない。審決が,これを出願時の公知技術と同視して,容易想到性の判断をしたとすれば,その点で審決の判断は誤りである。
【解説】
 本件は、特許庁の行った、本件特許を無効とする旨の審決が、誤りであるとして取り消されたものである。
 本件判決において、注目すべきは、特許法29条1項3号に係る「刊行物に記載されているに等しい事項」についての判断である。
 裁判所は、「複数の成分を含む組成物発明の分野においては」甲1公報に記載の実施例について再現実験して特定の構成を確認し得る場合には、当業者の技術常識を参酌しても、当該特定の構成が明らかでなかったとしても、当該公報には再現実験によって確認される当該構成も含めて特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」と評価しうるとしたものである。
 これに対して、刊行物(甲1公報)に記載の実施例の再現実験でない場合、つまり、実験条件を一部変更するなどした場合には、上記明らかでなかった特定の構成を特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」に含めると評価することはできない旨判示している。
 なお、本件裁判例では、本件において行われた再現実験は甲1公報に記載の実施例とは試料の組成が異なり、当該再現実験において判明した特定の構成が甲1公報に記載されていたと解することはできないとして、本件審決を取り消した。
 訴訟等においては、再現実験を行うことがままあるが、本件裁判例は、当該再現実験を行うに当たって、刊行物記載の発明の内容を広義に解するためには、当該刊行物に記載されている実験方法どおりに再現実験を行うことが重要であることを示している。本件裁判例は、再現実験に関して極めて重要な内容を含んでいるため、ここに紹介する。

(文責)弁護士 宅間仁志