【判旨】
明細書に明示的に記載されていない数値範囲に限定する訂正が、いわゆる新規事項追加にはならないとされたものの、訂正が認められた理由の一つ(数値限定をすることにつき臨界的意義がない)を引用しつつ、進歩性の判断では、当該数値限定は容易想到と判断された。 
【キーワード】
ソルダーレジスト大合議判決、訂正、新規事項追加、数値限定、進歩性、無効、特許法第17条の2第3項、第134条の2第5項で準用する第126条第3項


【事案の概要】
無効審判において、特許権者が訂正請求をしたところ、特許庁は、訂正を認めた上で無効審判請求は成り立たない旨の審決をしたので、無効審判の請求人が審決取り消し訴訟を提起した。
【争点】
ア・特許請求の範囲の減縮を理由とする訂正請求を認めたことが適法か。なお、訂正請求された箇所は複数があるが、今回は、請求項1において、「該本体の内部で該石膏廃材を・・・840℃以下」とあったのを、「該本体の内部で該石膏廃材を・・・500℃以下」と訂正した点が、いわゆる新規事項追加といえるか否かの点にしぼって紹介する。
イ・本件事案において、上記数値限定が進歩性の判断上どのように扱われるか。
【判旨抜粋】
(1)争点アについて
「特許請求の範囲・・・の訂正は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず(法134条の2第5項、126条3項)・・・上記規定中、『願書に添附した明細書又は図面に記載した事項の範囲内』とは、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、訂正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、『明細書・・・に記載した事項の範囲内』においてするものということができる・・・(・・・知財高裁平成18年(行ケ)第10563号・・・参照)。そして、上記・・・技術的事項は、必ずしも明細書又は図面に直接表現されていなくとも、明細書又は図面の記載から自明であれば、特段の事情がない限り、新たな技術的事項を導入しないものである・・・」
「・・・『500℃』という値は当初明細書等に明示的に表現されているものではない。そこで、上記『500℃』という値が、当初明細書等に記載された事項から自明であるといえるかどうかが問題となる。・・・『500℃』という特定温度は、もともと訂正前の『・・・840℃以下』の温度の範囲内にある温度であるから、上記『500℃』という温度が当初明細書等に明示的に表現されていないとしても、硫黄酸化物の発生抑制のための温度として分解温度以下である以上他の温度と異なることはなく、実質的には記載されているに等しいと認められること、当初明細書等に記載された実施例においては、炉出口粉粒体温度が460℃になることを目標とした旨・・・『炉出口粉粒体温度(℃)』が、『460℃』・・・『470℃』・・・であったことが記載されていることからすれば、具体例の温度自体にも開示に幅があるといえること、したがって、具体的に開示された数値に対して30℃ないし50℃高い数値である近接した500℃という温度を上限値として設定することも十分に考えられること、また、訂正後の上限値である『500℃』に臨界的意義が存しないことは当事者間に争いがないのであるから、訂正前の上限値である『840℃』よりも低い『500℃』に訂正することは、それによって、新たな臨界的意義を持たせるものでないことはもちろん、500℃付近に設定することで新たな技術的意義を持たせるものでもないといえるから、『500℃』という上限値は当初明細書等に記載された事項から自明な事項であって、新たな技術的事項を導入するものではない・・・」
(2)争点イについて
「・・・訂正後発明1では上限値を『500℃以下』と定めているのに対し、甲1発明では上限値を設定していない・・・が・・・訂正後発明1において上限値として臨界的意義を有しているのは・・・850℃・・・以下で加熱することであって、前記・・・認定したとおり、もともと上限値を『500℃以下』と設定した点については臨界的意義はもちろんのこと何らの技術的意義も存しないのであるから、『500℃』という特定の温度を設定することについては格別の創意工夫を要しないこと、さらに、甲2・・・によれば、石膏廃材を加熱すると硫黄酸化物が発生するという課題認識の下にそれを抑制するために、加熱温度の範囲を・・・甲2では『400~850℃』・・・甲5では・・・甲14では・・・と設定していることからすれば、甲1発明において、硫黄酸化物の発生を極力抑制することを念頭に置いて甲2、甲5及び甲14に記載された周知技術を用いて、上限を『500℃以下』と設定することは、当業者が容易に想到し得ることであると認める・・・」
【解説】
ソルダーレジスト大合議判決以降、補正・訂正に関して「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲」内か否かの解釈が緩やかになり、補正・訂正が以前に比べて広く認められる傾向にある。本件のように、明細書に明示的に記載されていない数値範囲限定(以下「記載されてない数値限定」という。)がいわゆる新規事項追加ではないとした裁判例として、平成21年(行ケ)第10175号(知財高裁平成22年1月28日判決)が挙げられる。この事案では、数値限定根拠が明細書に明示的に記載されていなかったが、知財高裁は、「高断熱・高気密住宅」を「熱損失係数が1.0~2.5kcal/m2・h・℃の高断熱・高気密住宅」とする補正を「明細書・・・に記載した事項の範囲」内のものと判断した。
記載されてない数値限定をする補正・訂正が認められると、予想もしなかった技術的事項が特許請求の範囲に加筆される事態が想定される。もっとも、上記「判旨抜粋」で紹介したように、記載されてない数値限定が認められる根拠の一つは、当該数値限定に技術的意義や臨界的意義が認められない点にあるとされている。それゆえ、仮に記載されてない数値限定がいわゆる新規事項追加でないとされても、当該補正・訂正に基づく引例との差(進歩性)は認められにくい傾向にあると考えることはできそうである。
ただ、上記平成21年(行ケ)第10175号においても、「仮に・・・技術的意義を有するといえるとしても・・・」とされ、記載のない数値限定も技術的意義が認められる場合があることを予定しているようにも読める。そこで、審判実務的には、記載されてない数値限定をしたいと考える特許権者は、進歩性の判断で不利にならないように、当該数値限定が技術的意義を有すると主張すべきであるし、他方、無効審判請求人としては、当該数値限定が認められた場合に備え、進歩性否定の主張をしておくべきと考える。

2011.7.11 (文責)弁護士 栁下彰彦