【事案の概要】
被告会社の元従業員である原告が、被告会社に対し、職務発明として同社に承継させた特許発明2件につき、旧特許法35条に基づく相当の対価の一部請求として6000万円等を請求したところ、裁判所は、特許発明1についての相当対価請求権(実績補償請求権に係る部分)は時効により消滅したと判断した。なお、特許発明2については、被告会社が実施しておらず原告が受けるべき利益はないと判断したが、この点は割愛する。
【争点】
相当対価請求権の消滅時効の正否。より具体的には、①相当対価請求権の消滅時効の起算点はいつか、②被告会社が消滅時効を援用することが権利濫用にあたるか、の2点であるが、本報告では①を紹介する。
【判旨抜粋】
「争いのない事実等によれば、被告は、昭和50年9月10日に本件発明1の特許出願・・・をし、昭和56年9月30日に本件特許権1の設定登録を受けた後、本件特許権1は、平成7年9月10日に存続期間満了により消滅したこと、原告が・・・被告に対して・・・相当対価の請求をしたのは、平成21年3月26日であることが認められる。」
「従業者等は、勤務規則等により、職務発明についての特許を受ける権利を使用者等に承継させたときは、相当の対価の支払を受ける権利を取得し(特許法旧35条3項)、その対価の額については、特許法旧35条4項により勤務規則等による額が同項により算定される額に満たないときは算定される額に修正されるが、その対価の支払時期については、そのような規定はない。・・・勤務規則等に使用者等が従業者等に対して支払うべき対価の支払時期に関する条項がある場合には、その支払時期が到来するまでの間は、相当の対価の支払を受ける権利の行使につき法律上の障害があるものとして、その支払を求めることができないというべきであるから、その支払時期が相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となり(最判H15・4・22参照)、また、勤務規則等にそのような条項がない場合には、勤務規則等により支払うべき対価が発生したときが相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となる・・・。」
本件の事情の下では、「従業員等は、第三者が職務発明に係る特許権の存続期間中に職務発明を実施し、これによって被告が第三者から実施許諾に基づく利益を得たときは、平成2年被告規程2の12条1項により実績補償請求権を取得し、当該特許権の存続期間満了時までの5年ごとに区分された期間が経過すれば、それぞれの期間に対応する実績補償請求権を行使することができるものと解するのが相当である。・・・証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば・・・平成3年当時において、本件発明1に係る実績補償の対象期間は、昭和61年4月1日から平成3年3月31日までの5年間に区分されていたことを一応うかがうことができる。これを前提とすると、次の対象期間となる5年間は、平成3年4月1日から平成8年3月31日までということとなり・・・以上の諸点と本件特許権1が平成7年9月10日に存続期間満了により消滅していることを総合考慮すると・・・実績補償請求権の5年ごとの区分の最終期間に対応する支払時期は、遅くとも、被告が主張する平成8年9月30日までに到来していたものと認めるのが相当である。・・・相当対価請求権(実績補償請求権に係る部分)の消滅時効の起算点は、上記の平成8年9月30日と解されるから、上記相当対価請求権は、同日から10年を経た平成18年9月30日の経過により消滅時効が完成した・・・。」
【解説】
(1)相当対価請求権の法的性質(民事債権又は商事債権のいずれか)
相当対価請求権は、対価請求権の原因関係たる使用者・従業者間の雇用契約が使用者にとっての商行為(商法503条、会社法5条等参照)と解することも可能なので、商事債権との考え方が一部にはあった(最判H18・10・17参照)。しかし、知財高裁は、相当対価請求権は、使用者と従業者との衡平を図る見地から設けられた債権であって、営利性を考慮すべき債権ではないというべきであるから、商行為によって生じたもの又はこれに準ずるものと解することはできないとし(知財高裁H21・6・25 平成19年(ネ)10056号)、実務は、民事債権と解することで決着がついたと考える。
(2)相当対価請求権の消滅時効とその起算点
民事債権と解されるので、消滅時効は権利を行使することができる時から進行し(民法166条1項)、10年間行使しないときは消滅する(同167条1項)。もっとも、相当対価請求権について「権利を行使することができる時」とは具体的にいつをいうのか実務的には問題となる。
この点について、本判決でも紹介されているとおり、最高裁は、勤務規則に支払時期に関する条項がある場合には、当該支払時期が起算点となると判示している。しかし、勤務規則に上記条項がない場合につきどう考えるべきかについての判断はない。
本判決は、この点について「勤務規則等にそのような条項がない場合には、勤務規則等により支払うべき対価が発生したときが相当の対価の支払を受ける権利の消滅時効の起算点となる」と判示した。この考え方は、民法166条1項を素直に解釈・適用したものと評価はされるものの、実務的にはいくつかの懸念をはらんでいる。
(3)実務上考え得る懸念
本判決の考え方に従う場合、一般的には、相当対価請求権の発生時よりも、勤務規則等で規定される支払時期の方が遅く到来するので、消滅時効を早く完成させて退職者による職務発明の対価請求訴訟のリスクを抑えたい使用者(企業側)としては、勤務規則等に支払時期を定めない方が得策といえそうである。また、相当対価請求権の発生時に関する勤務規則等の規定の仕方を工夫して、より早い起算点を規定することも可能と考える。
他方、従業者にとっては、対価請求訴訟が現実的には従業者の退職後に提起されるのが通常であるので、起算点が早まること自体が不利になる。また、企業が第三者とライセンス契約をしているような場合は、ライセンス料の受領時が相当対価請求権の発生時との解釈もでき得るが、ライセンス契約の当事者でない従業者にとっては、ライセンス料の受領時を知ることは難しく、これを「権利を行使することができる時」といってよいのか疑問が残る。この場合、従業者としては、受領を知ったときが「権利を行使することができる時」という争い方もできるのではないかと考える。
こうした懸念は残されるものの、本判決は、勤務規則等に支払時期の定めがない場合の考え方を判断しており、実務的には有用かつ興味深い。
2011.10.11 (文責)弁護士 栁下彰彦