【判旨】
特許請求の範囲に「5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オン(以下「CMIT」という。)を含まない・・・生物致死性組成物」とあったところ、引用文献(甲1)には「CMITを含まない」点は開示されていないとして、新規性がないとした無効審決を取り消した事案。
【キーワード】
新規性、否定的表現で記載された請求項、「・・・を含まない」、記載されたに等しい事項、特許法第29条1項3号

 

【事案の概要】
 本件は、発明の名称を「相乗作用を有する生物致死性組成物」とする特許権(特許第3992433号)の無効審決に対する審決取消訴訟である。同特許の請求項1は、
少なくとも2つの活性な殺菌剤を含み、活性な殺菌剤のひとつが2-メチルイソチアゾリン-3-オン(以下「MIT」という。)である、病原性微生物によって感染されるものに付与される生物致死性組成物において、より活性な殺菌剤として1、2-べンゾイソチアゾリン-3-オン(以下「BIT」という。)を含み、CMITを含まないことを特徴とする生物致死性組成物。
と記載されている(以下「本件発明1」という。)ところ、甲1の実施例1には、MITとBITを組み合わせた例(CMITについての言及はない。)が示されていた。上記状況の下、特許庁は、本件発明1が甲1記載の発明と同一ゆえ新規性がないと判断した。
 これに対し、知財高裁は、甲1の記載に接した当業者はMITには不純物としてのCMITが含有されるものと認識するのが通常ゆえ、甲1の実施例1でも「CMITが含まれる」ものと理解され、「CMITを含まない」旨は甲1に記載・開示されていないとして、無効審決を取り消した。
【争点】
甲1に「CMITは含まない」旨が記載、開示されているか(公知発明が、特許発明の「一部の構成要件」のみを充足し「その他の構成要件」について何らの言及がされていない場合の新規性はどのように考えるべきか)
【判旨抜粋】
「・・・公知発明が、当該発明の特許請求の範囲に記載された構成要件の一部しか充足しない発明である場合には、当該発明は特許を受けることができる(当該発明は新規性を有する。)。ただし・・・公知発明が、『一部の構成要件』のみを充足し、『その他の構成要件』について何らの言及もされていないときは、広範な技術的範囲を包含することになるため、論理的には、当該発明を排除していないことになる。したがって、例えば、公知発明の内容を説明する刊行物の記載について、推測ないし類推することによって、『その他の構成要件についても限定された範囲の発明が記載されているとした上で、当該発明の構成要件のすべてを充足する』との結論を導く余地がないわけではない。しかし、刊行物の記載ないし説明部分に、当該発明の構成要件のすべてが示されていない場合に、そのような推測、類推をすることによってはじめて、構成要件が充足されると認識又は理解できるような発明は、特許法29条1項所定の文献に記載された発明ということはできない。仮に、そのような場合について、同法29条1項に該当するとするならば、発明を適切に保護することが著しく困難となり、特許法が設けられた趣旨に反する結果を招くことになるからである。上記の場合は、進歩性その他の特許要件の充足性の有無により特許されるべきか否かが検討されるべきである。・・・上記観点から、新規性を否定した審決の当否を検討する。」
「・・・甲1・・・には、防菌・防黴剤の組成物として用いられるMITについて、『CMITを含まない』ことについては言及がなく、CMITが含まれたことによって生じる欠点に関する指摘もない。したがって、甲1において、CMITが含まれることによる欠点を回避するという技術思想は示されていない。甲1に接した当業者は、『CMITを含まない』との構成要件によって限定された範囲の発明が記載されていると認識することはなく、甲1には、『CMITを含む発明』との包括的な概念を有する発明が記載されていると認識するものと解される。・・・もっとも、甲1には、MIT及びBITからなる実施例・・・が示されている。そこで、この点について検討する。」
「・・・①甲1発明には,上記のとおり,CMITが含まれたことによって生じる問題点に関する指摘は,全くされていないこと,②のみならず,甲1発明では,CMITが一般式(2)で示される化合物の具体例(2-2)として記載されていること,③本件優先日において,当業者が利用可能なMITとしては,CMITとの混合物しか市販されていなかったこと・・・④甲1の表2に示される実施例として用いられたMITにCMITが含まれるか否かを,原告において追試により確認した結果によれば,実施例は,純粋なMITからなるものではなく,むしろMITにCMITが含まれたものであると推測されること・・・⑤甲1の出願人と同一の出願人の特許出願に係る明細書において,『MITの合成法では,CMITの生成が避けられず,仕方なくこれまで両者の混合物を使用してきた』,『MITを単一に得ることは難しく,製造コストの点からわざわざ分離してまで使用することはしなかったからである。』・・・などの記述があり,本件発明の出願日(優先日)当時においても,一般に,上記明細書に記述されていたとおりの認識がされていたと推認されること等の諸事実を総合すれば,当業者であれば,甲1発明において使用されるMITは,当然にCMITを含有するものであり,製造コストをかけて,CMITを除去するような化合物を使用することはないと認識していたものと解するのが合理的・・・そうすると,甲1には,MIT及びBITからなる実施例が示されていたとしてもなお,同実施例の記載から直ちに,『CMITを含まない』との構成要件を充足する発明が記載,開示されていると認定することはできない。」

【解説】
 判決では、甲1の実施例1にはCMITが含まれる旨が記載されていないが、各事情に鑑みれば、同実施例のMITはCMITを含むものであるとの認定されている(以下「認定1」という。)。しかし、この認定1の根拠となる規範(上記判旨抜粋の最初の「」内の判示)と、認定1との関係がわかりにくいように思う。
 例えば、上記規範においては、公知発明に記載のない構成要件を推測・類推によって付け加えて、本件特許発明と公知発明とが同一であること(充足)を導くことを禁止する一方で、同判決の事実認定(後半部分)においては、各事情を総合して、「甲1の実施例1にはCMITが含まれている」と推測・類推をして本件特許発明と公知発明とは相違する(非充足)との結論を導いているように読める。しかしながら、充足非充足かは表裏の関係にあるから、片方(充足)については推測・類推を禁止し、他方(非充足)についてはこれを許容することが、理論的に整合した判示といえるのか疑問がある。
 また、最初の「」内の下線をつけた部分については、審査基準や実務で定着している「刊行物に記載されているに等しい事項」を全く認めない趣旨なのか、それとも判決にいう「そのような推測、類推」とは、審査基準にいう「記載されている事項から導き出せる事項」よりもよりレベルの高いものをいう趣旨なのか、判決文からは不明である。
 もっとも、本件における各事情(上記①~⑤等)に鑑みれば、認定1自体に違和感はない。また、MITが不可避的にCMITを含む旨が記載された甲1の出願人の別の明細書を原告は証拠として提出しているが(上記⑤)、こうした証拠提出は実務上参考になる。
 なお、本件判決の認定によれば、「CMITを含まない」とは「CMITを全く含まない」ことを意味するとの解釈が導かれる(実際は測定装置の検出限界以下を意味すると考えられる。)。本件特許発明では薬品使用者のアレルギー抑制のためにCMITを含まないとし、薬品の純度が高い方が好ましいようにも考えられるので一概にはいえないが、上記判決から導かれる解釈は、侵害訴訟(技術的範囲の解釈)では被告に有利に働く可能性がある。もし、そうであるならば、特許を無効にできなかったものの、被告としては無効審判・審決取消訴訟の活動は事業戦略的には成功したことになる。

2011.11.14 (文責)弁護士 栁下彰彦