平成26年5月22日判決(東京地裁 平成24年(ワ)第14227号)
【ポイント】
本件発明の技術的範囲の解釈において、「実質的に水素を含まない雰囲気」の意義は、水素を含んでいても実質的に作用効果を奏しない程度であれば足りると判示した事例
【キーワード】
技術的範囲、構成要件該当性、「実質」の意義


【事案の概要】
本件は,p型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法に関する特許権を有していた原告が,被告に対し、不法行為による損害賠償請求権又は不当利得返還請求権に基づき,原告が受けた実施料相当額の損害又は被告が受けた実施料相当額の利益12億5000万円のうちの1億円及び遅延損害金の支払を求めた事案。

【争点】
被告方法の構成の特定
被告方法における本件発明の技術的範囲の属否

本件発明(特許番号第2540791号)の内容(訂正後の特許請求の範囲)は以下のとおり。
A  気相成長法により,p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,
B  実質的に水素を含まない雰囲気中,
C  400℃以上の温度でアニーリングを行い,
D  上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す
E  ことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

【結論】
被告方法は、本件発明の技術的範囲に属する。

【判旨抜粋】
(イ) 「実質」とは,「物事の内容または本質」を意味し,「実質的」とは,「実際に内容が備わっているさま。また,外見や形式よりも内容・実質に重点をおくこと。」を意味する(広辞苑第六版)から,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」との文言は,文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気をいうと解される。
そして,証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,「【0009】アニーリング(Annealing:焼きなまし)はp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,反応容器内で行ってもよいし,ウエハーを反応容器から取り出してアニーリング専用の装置を用いて行ってもよい。アニーリング雰囲気は真空中,N2,He,Ne,Ar等の不活性ガス,またはこれらの混合ガス雰囲気中で行い,最も好ましくは,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行う。なぜなら,窒素雰囲気として加圧することにより,アニーリング中に,窒化ガリウム系化合物半導体中のNが分解して出て行くのを防止する作用があるからである。」,「【0021】アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られる理由は以下のとおりであると推察される。【0022】即ち,窒化ガリウム系化合物半導体層の成長において,N源として,一般にNH3が用いられており,成長中にこのNH3が分解して原子状水素ができると考えられる。この原子状水素がアクセプター不純物としてドープされたMg,Zn等と結合することにより,Mg,Zn等のp型不純物がアクセプターとして働くのを妨げていると考えられる。このため,反応後のp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体は高抵抗を示す。【0023】ところが,成長後アニーリングを行うことにより,Mg-H,Zn-H等の形で結合している水素が熱的に解離されて,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層から出て行き,正常にp型不純物がアクセプターとして働くようになるため,低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られるのである。
従って,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。また,キャップ層においても,水素原子を含む材料を使用することは以上の理由で好ましくない。」との記載があることが認められる。これらの記載に前記(ア)認定の事実を併せ考えると,本件発明は,アニーリングという技術手段を採用して,これにより,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体から水素を出すという作用が生じ,p型窒化ガリウム系化合物半導体が製造されるという効果が得られるというものである。そして,この場合のアニーリング雰囲気は,真空中,N2,He,Ne,Ar等の不活性ガス又はこれらの不活性ガスの混合ガス雰囲気中で行うのが好ましく,さらに,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行うのが最も好ましいとされる。これに対し,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したりキャップ層に水素原子を含む材料を使用することは,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型のための反応が進行せず,上記作用効果を奏しないことがあるので好ましくないとされるが,逆に,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型化のための反応が進行して,上記作用効果を奏することもあると考えられることから,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したり,キャップ層に水素原子を含む材料を使用することが排除まではされていないということができる。
そうであれば,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」とは,このような作用効果を奏するような雰囲気,言い換えれば,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するものと解するのが相当である。
・・・
(エ) 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中でアニーリングを行い,これにより,p型窒化ガリウム系化合物半導体を製造するのであって,アニーリング雰囲気中の1.3%のアンモニアから生じる水素原子は,窒化ガリウム系化合物半導体をp型化することを妨げていない。
そうであるから,被告方法は,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気中でアニーリングを行うものであって,本件発明の構成要件Bを充足する。
【解説】
 本件発明の技術的範囲の属否において、本件発明の「実質的に水素を含まない雰囲気」の意義が問題となった。 原告は、数値的には数%程度以下をもって、「実質的に・・含まない」ものと解釈されるべきと主張し、被告は、通常の方法では除去することができない程度にしか含まないものと解釈されるべきと主張した。
 裁判所は、水素原子を含むガス等の使用が排除まではされておらず、本件発明の作用効果(アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得る)を奏することの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味すると解釈した。その根拠として、本件明細書の発明の詳細な説明の記載からすると、本件発明は、400度以上の
温度でアニーリングを行い、p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出すことを特徴とするもので、その結果、低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られるものであるが、仮に水素原子を含むガスや材料をアニーリング雰囲気中に含んだり、キャップ層に使用したとしても、水素原子を熱的に解離するという反応が進行せず、上記作用効果を奏しないことがあるので好ましくないが、必ずしもその使用が排除まではされていないというものである。要するに、含んではならない「水素」を出すためのメカニズム(水素原子を熱的に解離するという反応)が本件発明そのものに組み込まれているため、上記作用効果が得られているのであれば、その作用効果を得られる程度に水素は含まれていない程度で十分に「実質的に・・含まない」ものと解釈し得ると判示している。
 できる限り客観的かつ具体的に特許請求の範囲を記載するのが原則であるが、「実質」などの曖昧な記載が避けられない場合、その発明の本質から、どのように解釈されるか検討した上で当該用語を用いるのが肝要である。
なお、本件については、特許法102条3項に基づき、売上額の5%に相当する損害額(2億5874万3620円)のうちの一部(1億円)につき、損害賠償請求が認められた。

(文責)弁護士・弁理士 和田祐造