【平成27年1月27日判決(東京地裁平成25年(ワ)第33993号)特許権侵害差止請求事件】

【キーワード】
 ピタバスタチンカルシウム、結晶、回折角、ピーク

第1 はじめに
 本件は、ピタバスタチンカルシウム塩の結晶に関する特許権、ピタバスタチンカルシウム塩の保存方法に関する特許権を有する原告が、ピタバスタチンカルシウム原薬、ピタバスタチンカルシウム製剤を製造、販売等する製薬会社数社に対して、ピタバスタチンカルシウム原薬及び製剤の製造販売等の差止めを求めた事案である。本件の他にも、本訴の原告が異なる被告を相手にした差止請求訴訟の判決、本件で対象となった特許権の無効審判の審決取消訴訟の判決が出されている。
 本件判決は、医薬品の結晶型を回折角のピークで特定した特許発明の構成要件の充足性について判断した。本件判決は、特許の明細書の発明の詳細な説明の記載、出願経過及び技術常識から、被告製品が特許発明の構成要件を充足するには、特許請求の範囲に記載されたピーク全てについて誤差なく一致することが必要であると判示したものである。
 特許請求の範囲に記載された要件を全て満たさなくてはならないということで、一見すると当たり前の判断であるようにも見える。しかし、逆にいうと、明細書の記載、出願時の意見書等の記載、技術常識の立証等いかんによっては、特許請求の範囲に記載された回折角の一部についてピークが一致しない場合や、ある程度の誤差があったとしても、特許発明の構成要件を充足する、という判断もあり得ることが示唆されたとも解される。

第2 事案
 1 概要

 本件は、発明の名称を「ピタバスタチンカルシウム塩の結晶」とする特許第5186108号(以下「本件結晶特許」)、及び、発明の名称を「ピタバスタチンカルシウム塩の保存方法」とする特許第5267643号(以下「本件方法特許」)の特許権者である原告が、被告ら7社に対し、被告らによるピタバスタチンカルシウム原薬及びピタバスタチンカルシウム製剤の製造・販売等が特許権侵害に当たると主張して、被告製品の製造・販売・販売の申出の差止めを求めた事案である。原告は、平成26年8月22日付で、本件結晶特許に係る無効審判において、訂正請求をした(以下、訂正後の請求項1に係る発明を「本件訂正発明」という。)。

 2 本件結晶特許の訂正後の請求項1記載の発明及び本件方法特許の請求項1記載の発明
 訂正後の本件結晶特許の請求項1を分説すると以下のとおりである。
   式(1)

 
で表される化合物であり、
   7~13%の水分を含み、
   CuKα放射線を使用して測定するX線粉末解析において、4.96°、6.72°、9.08°、10.40°、10.88°13.20°、13.60°、13.96°、18.32°、20.68°、21.52°、23.64°、24.12°及び27.00°の回折角(2θ)にピークを有し、かつ、30.16°の回折角(2θ)に、20.68°の回折角(2θ)のピーク強度を100%とした場合の相対強度が25%より大きなピークを有し、
   7~13%の水分量において医薬品の原薬として安定性を保持することを特徴とする
  D’ 粉砕されたピタバスタチンカルシウム塩の結晶
   (但し、示差走査熱量測定による融点95℃を有するものを除く)。

 また、本件方法特許の請求項1は以下のとおりである(構成要件の符合は、上記本件結晶特許に合わせている)。
  C’  CuKα放射線を使用して測定するX線粉末解析において,4.96°,6.72°,9.08°,10.40°,10.88°,13.20°,13.60°,13.96°,18.32°,20.68°,21.52°,23.64°,24.12°,27.00°及び30.16°の回折角(2θ)にピークを有し,かつ
   7重量%~13重量%の水分を含む,
   式(1)で表される
   ピタバスタチンカルシウム塩の結晶
   (但し,示差走査熱量測定による融点95℃を有するものを除く)を,
   その含有水分が4重量%より多く,15重量%以下の量に維持することを特徴とする
   ピタバスタチンカルシウム塩の保存方法。

第3 主な争点
 1(充足論) 原告が被告製品の結晶形態の回折角パターンを5回測定したところ、本件発明の構成要件C・C’の15個の回折角の数値のうち、最大でも6個が一致するにとどまった。また、構成要件C・C’は、各数値が小数点第2位まで含む数値であるが、被告製品の測定結果は構成要件C・C’の各数値と小数点第2位まで全て一致するものは無かった。
 この点について、原告は結晶形の同一性がいえればよいのであって、全ての回折角でピークが一致する必要はないと主張し、被告はそれを否定した。
 すなわち、原告は、構成要件C・C’の15本の回折角の数値は、ピタバスタチンカルシウムの結晶形態Aとの同一性を判断するための数値にすぎず、あるピタバスタチンカルシウム塩の結晶が結晶形態Aといえるためには、当該結晶の粉末X線回折測定で得られたチャートにおいて上記同一性を判断するのに十分な数のピークが確認されれば足りると主張する。また、原告は、日本薬局方に、同一結晶形といえるためには、2θ回折角は0.2°以内で一致し、一般的には10本以上の強度の大きな反射を測定すれば十分であるとの記載があるから、結晶形のX線回折測定において、回折角0.2°の誤差は許容され、10本程度のピークが一致すれば結晶形が同一といえると主張する。
 対する被告は、原告の主張は、本件特許の特許請求の範囲に記載のない「結晶形態A」を媒介として特許発明の対象を特定しようとするものであり、主張自体失当であると主張する。
 2(無効論) 新規性・進歩性・記載要件違反(いずれも判断されず)。

第4 判旨
「第3 当裁判所の判断
1 争点(1)イ(構成要件C・C’の回折角の充足性)について
 まず,争点(1)イについて判断する。
(1) 後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
本件各明細書の発明の詳細な説明の欄には,次の趣旨の記載がある(甲2の1及び2。なお,以下に認定する記載は本件各明細書に共通するので,以下では本件明細書の段落番号のみを摘示する。)。
 本発明は,HMG-CoA還元酵素阻害剤として高脂血症の治療に有用な結晶性形態のピタバスタチンカルシウム塩等に関するものである(段落【0001】)。医薬品の原薬としては,高品質で保存上安定的な結晶性形態を有することが望ましく,更に大規模な製造にも耐えられることが要求されるが,従来のピタバスタチンカルシウムの製造法においては,水分値や結晶形に関する記載がなかった(段落【0008】)。本発明者らは,原薬に含まれる水分量を特定の範囲にコントロールすることで,ピタバスタチンカルシウムの安定性が格段に向上することを見いだし,さらに,水分量が同等で結晶形が異なる形態を3種類見いだし(結晶形態A~C),その中で,CuKα放射線を使用して測定した粉末X線回折図によって特徴付けられる結晶(結晶形態A)が,医薬品の原薬として最も好ましいことを見いだし,本発明を完成させた(段落【0010】)。
 結晶形態B及びCは,いずれも結晶形態Aに特徴的な回折角10.40°,13.20°及び30.16°のピークが存在しない結晶多形であるが,ろ過性が悪く,厳密な乾燥条件が必要であるなど欠点が多く,医薬品の原薬としては結晶形態Aが最も優れている(段落【0014】)。結晶形態Aのピタバスタチンカルシウムは,その粉末X線回折パターン(構成要件C・C’の回折角等)によって特徴付けることができる(段落【0016】)。実施例により得られたピタバスタチンカルシウムの白色結晶は,その粉末X線回折を測定することで結晶形態Aであることが確認された(段落【0033】)。
本件結晶特許の出願経過は,次のとおりである。(甲9,乙5,丙2 0)
 本件結晶特許の出願当初の特許請求の範囲の請求項1の記載は,「式(1)で表される化合物であり,5~15%の水分を含み,CuKα放射線を使用して測定するX線粉末解析において,30.16°の回折角(2θ)に,相対強度が25%より大きなピークを有することを特徴とする結晶(結晶性形態A)。」というものであった。
 これに対し,出願に係る発明は特願2006-501997号(特表2006-518354。原告を出願人とし,後に特許第5192147号として特許登録されたもの。その優先日は平成15年2月12日)の当初明細書(以下「チバ特許明細書」という。これには,ピタバスタチンカルシウム塩の結晶多形A~Fが記載されている。)等により特許法29条1項,2項又は29条の2に違反する旨の拒絶理由通知がされた。そこで,原告は,平成23年11月29日付けの手続補正書で,特許請求の範囲に15本のピークの回折角の数値(構成要件Cの数値)を記載するなどの補正をし,同日付けの意見書において,上記補正は限定的減縮に当たり,もはや1点のみのピークにより特定しているとの認定には該当しない旨主張した。なお,上記意見書において,上記回折角の数値について一定の誤差が許容されること,上記15本中の一部のピークのみの対比によって発明が特定されることをうかがわせる記載は見当たらない。
ウ ピタバスタチンカルシウム塩の結晶形態は,本件明細書の結晶形態A~C及びチバ特許明細書の結晶多形A~F以外にも存在し得る(弁論の全趣旨)。
エ 粉末X線回折測定の回折角の数値により結晶形態を特定した医薬化合物の発明の特許出願には,ピークの回折角に±0.1°~0.2°の許容誤差を設けるものが多数存在し,一つの発明中で許容誤差を低角領域では±0.2~0.3°とし高角領域では±0.4°~0.5°とするものも存在する。また,結晶形態を特定するピークの本数も,数本~十数本のピークで特定するものなど多様である。(丙22~47)
(2) 前記前提事実及び上記認定事実に基づき,構成要件C・C’の回折角について検討する。
本件各発明の構成要件C・C’においては,発明の構成が15本のピークの小数点以下2桁の回折角により特定されており,その数値に一定の誤差が許容される旨の記載や,15本中の一部のピークのみの対比によって特定される旨の記載はない。
また,上記認定の発明の詳細な説明の記載によれば,本件各発明は,ピタバスタチンカルシウム原薬に含まれる水分量を特定の範囲にコントロールすることでその安定性が格段に向上すること,及び,結晶形態A~Cの中で結晶形態Aが医薬品の原薬として最も好ましいことを見いだしたというものである。そして,結晶形態B及びCは,水分量が結晶形態Aと同等で,単に,CuKα放射線を使用して測定した粉末X線回折図で結晶形態Aに特徴的な3本のピークの回折角が存在しないことによって結晶形態Aと区別される結晶多形というのであるから,構成要件C・C’の小数点以下2桁の数値で表される15本のピーク中3本のみ相違することが,技術的範囲の属否を判別する根拠とされていることになる。
 さらに,本件明細書のその余の記載をみても,結晶形態Aは構成要件C・C’の回折角等の粉末X線回折パターンによって特徴付けられるという以上の特定がされておらず(段落【0008】,【0010】,【0016】,【0033】参照。本件保存方法特許の明細書についても同様である。甲2の1及び2),回折角に一定の誤差が許容されることなどをうかがわせる記載も見当たらない。
 そうすると,本件各発明の技術的範囲に属するというためには構成要件C・C’の回折角の数値が15本全てのピークについて小数点第2位まで一致することを要するというべきである。
イ 上記アの解釈は,前記(1)イ~エの事実からも裏付けられる。
すなわち,ピタバスタチンカルシウム塩の結晶形態には,本件明細書の結晶形態A~C及びチバ特許明細書の結晶多形A~F以外にも未知の結晶多形が存在し得るところ,粉末X線回折測定の回折角の数値により結晶形態を特定した医薬化合物の発明の特許出願には,ピークの回折角に±0.1°~0.2°の許容誤差を設けるものが多数存在し,結晶形態を特定するピークの本数も数本~十数本で特定するものなど多様であって,その技術的範囲が一定の許容誤差ないし一定のピーク本数によって判断されるとの技術常識は存在しないことがうかがわれるから,構成要件C・C’に記載された15本の数値のうち一部のみが一致し,又は一定の誤差の範囲で一致するにとどまる結晶がこれに含まれると解する場合には,本件各発明の技術的範囲への属否が一義的には定まらないこととなる。また,上記のように解すると,原告自身が本件各発明の技術的範囲に属しないことを認めている結晶形態までもがこれに属する結果になるなど(例えば,チバ特許明細書に記載の結晶形態Eは,構成要件C・C’に記載の15本のピークが全て±0.2°以内で一致する回折角を含んでいる。),不合理な結果となる。さらに,原告は,本件結晶特許の出願当初は1本のピークの回折角(許容誤差のない小数点以下2桁の数値)及び相対強度をもって発明を特定していたが,拒絶理由通知を受けて構成要件Cの回折角に係る補正をし,この補正が限定的減縮に当たる旨の意見を表明したのであるから,上記補正により,発明の技術的範囲を字義どおり小数点以下2桁の回折角の数値が15個全て一致する結晶に限定したとみるほかなく,このように解釈することが補正の趣旨に沿うものというべきである。
以上によれば,本件各発明の構成要件C・C’を充足するためには,15本のピークの全ての回折角の数値が小数点第2位まで一致することを要し,その全部又は一部が一致しないピタバスタチンカルシウム塩の結晶又はその保存方法はその技術的範囲に属するということができないものと解するのが相当である。
(3) これを被告原薬等についてみると,別紙原告測定結果の記載に被告らの主張するような問題点がある(甲5,27,55等によっても,原告がピークに当たると主張する角度の測定値がノイズではなくピークと判別される根拠が必ずしも明らかではない部分がある。)ことをおいても,原告測定においては,15本全てのピークについて回折角の数値が小数点第2位まで一致するような測定結果は得られなかったというのである(前記前提事実(3)エ)。そして,原告が被告原薬等に含まれるとするピタバスタチンカルシウム塩における15本のピークの回折角は別紙物件目録記載1のとおりであり,うち9本は構成要件C・C’と相違している。そうすると,同目録記載の回折角自体から,被告原薬等は構成要件C・C’を充足しないと判断すべきことになる。
(4) 以上の認定判断に対し,原告は,①本件発明の対象は本件明細書記載の結晶形態Aであり,その充足性は当該ピタバスタチンカルシウム塩の結晶の粉末X線回折測定で得られたチャートにおいて結晶形態Aとの同一性を判断するのに十分な数のピークが確認されれば足りる,②上記の同一性の判断は,日本薬局方等の記載によれば,X線粉末回折法において±0.2°以内の誤差で一致するピークが10本以上確認されるなどすれば十分である,③別紙原告測定結果によればモチダ錠及びこれに用いられた被告原薬は構成要件C・C’の回折角を充足すると主張する。
 しかしながら,本件各発明の特許請求の範囲に結晶形態Aという記載はなく,また,前記発明の詳細な説明によっても,結晶形態Aとの同一性は構成要件C・C’の回折角の数値が全て一致するか否かにより判定すべきものと解されるから,構成要件C・C’の回折角の充足性は,端的に,当該結晶がその数値を全て充足するか否かにより判断すべきものであって,上記①の主張は失当である。
 また,日本薬局方は,厚生労働大臣が医薬品の性状及び品質の適正を図るため,医薬品,医療機器等の品質,有効性及び安全性の確保等に関する法律41条(平成25年法律第84号による廃止前の薬事法41条も同趣旨)に基づき定める医薬品の規格基準書であり,原告の挙げる各文献中の記載も,上記法律の目的とする保健衛生の向上という公益的見地から医薬品の同一性等を判断する基準として記載されたものと解される。これに対し,医薬品等に係る特許発明の技術的範囲は,明細書の記載及び図面を考慮し当該発明に係る特許請求の範囲の記載に基づいて定めるべきものであるから(特許法70条1項,2項),日本薬局方の記載と常に一致しなければならないものではない。したがって,上記②の主張も理由がない。
 さらに,上記③の主張は,原告の主張する回折角の解釈を前提とするものであるから,明らかに失当である。
(5) なお,本件結晶特許については本件訂正請求がされているが,構成要件C・C’の回折角は訂正の対象となっていないから,訂正の許否は本件の結論に影響するものではない。
2 結論
 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。」

第5 検討
 本件では、原告の行った測定によっても、被告製品が、本件発明の構成要件C・C’の回折角の数値のうち、一部についてのみ一致するという結果であった。
 原告は、構成要件C・C’は、結晶形態Aとの一致を判断するための数値にすぎず、回折角の全ての数値が一致する必要までは無いと主張したが、容れられなかった。
 裁判所は、明細書の記載、出願経過(補正により、回折角の数値を1個から15個に増やした)及び技術常識から、本件各発明の構成要件C・C’を充足するためには,15本のピークの全ての回折角の数値が小数点第2位まで一致することを要し,その全部又は一部が一致しないピタバスタチンカルシウム塩の結晶又はその保存方法はその技術的範囲に属するということができないものと解するのが相当である、と判示した。
 特許請求の範囲に回折角が明記されており、そのうちの一部のみ満たせばよいとの記載や、多少の誤差が許されるといった記載が、特許請求の範囲にも明細書の発明の詳細な説明にも記載されていない以上、裁判所の判断は妥当であると考えられる。
 「第1 はじめに」でも触れたが、明細書の記載、出願時の意見書等の記載、技術常識の立証等いかんによっては、特許請求の範囲に記載された回折角の一部についてピークが一致しない場合や、ある程度の誤差があったとしても、特許発明の構成要件を充足する、という判断もあり得ることが示唆されたとも解される。そうすると、ある結晶形態を特定するために回折角をどこまで特許請求の範囲に記載するか、誤差を許容するような記載を明細書に入れておくか、数値を記載する場合に小数点第何位まで規定するか等によって、権利行使に強い明細書の作成が可能であるということもできる。

以上
(文責)弁護士 篠田 淳郎