【平成27年9月30日判決(東京地裁平26(ワ)10089号)】

【要旨】
 本件映画の表現は,本件各著作物を翻案したものと認められるとして,被告が本件映画を製作することにより,原告の著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権)を侵害したものと認められるなどとして,請求を一部認容した。

【キーワード】
 著作権侵害,翻案権侵害,著作者人格権侵害,同一性保持権侵害,著作物性,事実と著作物,ろ過テスト

【事案の概要】
 原告は,本件各著作物の著作者であり,本件各著作物は,性犯罪被害を受けた原告のノンフィクション小説である(甲1,2)。
 被告は,株式会社NHKエンタープライズ(以下「NHKエンタープライズ」という。)に所属するテレビディレクター兼プロデューサーであって,日本放送協会のドキュメンタリー番組などを制作する者であるが,NHKエンタープライズの許可を得て,プライベートでも劇場用映画を製作している(乙18,被告本人〔18頁〕)。
 被告は,かねてから本件各著作物を映画化した作品を製作しようと考え,原告に話をもちかけていたが,なかなか実現に至らなかった。その後,ゆうばり国際ファンタスティック映画祭実行委員会及びNPO法人ゆうばりファンタが主催し,平成26年2月から同年3月にかけて開催予定の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014」(以下「本件映画祭」という。)において上映するための映画を製作するに当たり,本件各著作物の映画化の話を具体化させ,平成25年8月頃,原告と本件各著作物の出版元である株式会社朝日新聞出版(以下「朝日新聞出版」という。)の担当者であるC(以下「C」という。)に相談した(甲7,12,乙1,18)。
 被告は,本件映画祭に向けて,本件映画(上映作品名「あなたもまた虫である」)を製作したが,本件映画祭直前の平成26年2月28日,原告及び朝日新聞出版の抗議及び差止め要求により,本件映画の上映は中止された(乙1,10)。
 本件は,原告が,被告に対し,被告の製作に係る別紙物件目録記載の映画(以下「本件映画」という。)は,原告の執筆に係る「性犯罪被害にあうということ」及び「性犯罪被害とたたかうということ」と題する各書籍(以下,それぞれ,「本件著作物1」,「本件著作物2」といい,両者を併せて「本件各著作物」という。)の複製物又は二次的著作物(翻案物)であると主張して,本件各著作物について原告が有する著作権(複製権〔著作権法21条〕,翻案権〔同法27条〕)及び本件各著作物の二次的著作物について原告が有する著作権(複製権,上映権,公衆送信権〔自動公衆送信の場合にあっては,送信可能化権を含む。〕及び頒布権〔同法28条,21条,22条の2,23条,26条〕),並びに本件各著作物について原告が有する著作者人格権(同一性保持権〔同法20条〕)に基づき,本件映画の上映,複製,公衆送信及び送信可能化並びに本件映画の複製物の頒布(以下,これらを併せて「本件映画の上映等」という。)の差止め(同法112条1項)を求めるとともに,本件映画のマスターテープ又はマスターデータ及びこれらの複製物(以下,これらを併せて「本件映画のマスターテープ等」という。)の廃棄(同条2項)等を求めた事案である。

【争点】
翻案権侵害の成否,事実の著作物性

【判旨】
 2 争点1(著作権〔翻案権・複製権〕侵害の成否)に対する判断
  (1) 著作者は,その著作物を「複製する」権利を専有し(著作権法21条),また,その著作物を「翻訳し,(中略)脚色し,映画化し,その他翻案する」権利を専有する(同法27条)。複製とは,「印刷,写真,複写,(中略)その他の方法により有形的に再製すること」をいい(同法2条1項15号参照),翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらない(最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第一小法廷判決・民集55巻4号837頁参照)。すなわち,事実それ自体は,人の思想又は感情から離れた客観的な所与の存在であり,精神的活動の所産とはいえず,著作物として保護することはできない。ただし,歴史的事実や客観的事実であっても,これを具体的に表現したものについて,その表現方法につき表現の選択の幅があり,かつその選択された具体的表現が平凡かつありふれた表現ではなく,そこに作者の個性が表れていれば,創作的に表現したものとして著作物性が肯定される場合があり得るし,客観的事実を素材とする場合であっても,種々の素材の中から記載すべき事項を選択し,その配列,構成や具体的な文章表現に,著作者の思想又は感情が創作的に表現され,著作物性が認められる場合もあり得る
 したがって,本件各著作物と本件映画との間で表現上の共通性を有するものについては,その共通性(同一性)を有する部分が事実それ自体にすぎないときは,複製にも翻案にも当たらないと解すべきであるし,それが,一見して単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などからそこに筆者の個性が何らかの形で表現され,思想又は感情の創作的表現と解することができるときには,複製又は翻案に当たるというべきである(知財高裁平成25年(ネ)第10027号同年9月30日判決・判時2223号98頁参照)。
 また,著作権法27条は,著作物を「変形し,又は脚色し,映画化し」たりすることが「翻案」に該当することを明文で規定しているところ,そもそも言語の著作物と映画の著作物とでは,表現方法が異なり,言語の著作物を映画化した映画の著作物においては,登場人物の思考や感情などを表現するに際し,もとになった言語の著作物の表現をそのまま使用するのではなく,登場人物の行動,仕草,表情,構図,効果音などといった視覚的・聴覚的要素も加えた表現が用いられることが,むしろ通常であることをも考慮した上で,本件映画の表現(描写)に接した際に,本件各著作物の表現(著述)上の本質的な特徴を直接感得することができるか否かを判断すべきである。
 以上の観点から検討する。
  (2) 別紙エピソード別対比表の各エピソードについて(以下,同別紙の番号に従い「エピソード1」などという。)
   ア エピソード1について
 (ア) エピソード1において,本件各著作物と本件映画とは,①主人公の女性が,夜間の一人の帰り道に,停車中の車の助手席に座った若い男から道を尋ねられること,②主人公が道を教えようとしたところ,仲間の男が現れて,車に連れ込まれたこと,③主人公が生理中であったこと,④その男たちのうちの一人から車内で性的暴行を受けたが,一人は主人公が生理中であったことを嫌がって性的暴行をしなかったこと,⑤主人公が刃物で脅され,恐怖で抵抗できなかったこと,⑥性的暴行後に主人公が車から降ろされ,車が走り去ったことを描いている点において共通し,同一性がある。一方,本件映画においては,上記②で車内に連れ込まれた後,⑥の場面に移り,回想シーンの中で,③ないし⑤の場面が表現されており,表現の順序において異なる。
 (イ) エピソード1における本件各著作物と本件映画の上記同一性のある部分は,原告が被害を受けた事件についての客観的な事実を記述したものにすぎず,その表現として原告の個性が表れたものとはいえず,表現上の創作性があるとまではいえない。
 したがって,上記同一性のある部分は,原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
 (ウ) 原告は,上記の同一性を有する部分は,性的暴行の際に原告が感じた恐怖と絶望,原告がこれから先に待ち受ける苦しみの中に一人放り出された孤独感を表現している旨主張する。
 確かに,本件著作物1では,「『殺されるの?死にたくない』そんなことしか頭に浮かばなかった。大声なんて,出ない。出せない。出し方を忘れてしまったように。(中略)解放されるまでの記憶はすべて聴覚だけである。私は何をしていたんだろう。無抵抗だったのか……。身体の記憶がない。」,「このとき,一度だけ,大声で,叫んだ(ような気がする)。出たか出ないか分からないその声と一緒に,それまでの二十四年間を過ごしてきた私が,消えた。学生時代の勉強や,部活動,友達づき合い,すべて洗い流されたように感じた。「水の泡」「全否定」。そんな気がした。(中略)医学的・心理学的にどうとかは分からないが,横断歩道を渡っているときに凄い速さで自動車が走ってきたら,自動車に気づいた瞬間,「はっ」とそこで立ち止まってしまうのではないか。そのまま歩き続ければぶつからないで済むものを,まるで自動車とぶつかるのを待っているように。“足が竦んで”というより,きっと足を動かすことさえ思いつかないだろう。そんな感覚だ。」,「そんななか,ずっと『生き残りたい』と祈っている自分がいた。(中略)一瞬一瞬に常に私は二つの相反する願いと不安を感じていた。『早く終わって……。放して!!!』」といった表現部分,本件著作物2では,「怖かった。“まさか,ここで殺されるの?”(中略)ベルトを切られ,シャツのボタンがはじかれ,パンツと下着を下ろされ……。それは後に自分の服装を見てわかったことで,いつそうされたかの記憶は,ほとんどないのです。」,「頭の中がただ真っ白で,抵抗する気力も,声も,感情も消えた私の耳元で聞こえる声。(中略)一方で,射精する瞬間に上がった男のうなり声を聞きながら,“こいつ,バカだ”強烈にそう思ったことを覚えています。」などの表現部分に,原告が感じた恐怖と絶望,孤独感などが具体的に表現されているといえる。
 しかしながら,上記(ア)及び(イ)でみたとおり,本件映画と共通性を有する部分に関しては,表現上の創作性があるとまでは認められない。
 したがって,原告の上記主張は採用できない。
   イ エピソード2について
 (ア) エピソード2において,本件各著作物と本件映画とは,①主人公が傷付いた体で公園の公衆トイレに入ったこと,②そこで血などの汚れを落としたこと,③トイレの鏡に映った自分の姿や状態に気付いて愕然としたことを描いている点において共通し,同一性がある。
 (イ) エピソード2における本件各著作物と本件映画の上記同一性のある部分は,原告が被害を受けた後に原告がとった行動についての客観的な事実を記述したものにすぎず,その表現として原告の個性が表れたものとはいえず,表現上の創作性があるとまではいえない。
 したがって,上記同一性のある部分は,原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
 (ウ) 原告は,これらの事実は,事件直後の原告がとにかく誰にも見られないところに身を隠したかったこと,原告は暴行されたという現実に否応なく目を向けさせられたこと,それによって受けた衝撃を表現している旨主張する。
 しかし,人目の付きにくい場所として公園内の公衆トイレに向かったこと,自らの衣服の状態等を確認し,現実に起きたことを認識したことは客観的事実である。そして,本件著作物1では,原告がその時受けた衝撃を表現するものとして,「持っていたポケットティッシュを水で濡らし,身体中を拭いた。」,「臭くて汚いトイレだ。(中略)私は,何度も水を流した。(中略)そこで,悔しさと無力感が込み上げてきて,泣いた。惨めだった。小さなポケットティッシュで身体を拭いている自分を,とても惨めに感じた。」などと表現され,本件著作物2においても,「持っていたポケットティッシュを水で濡らし,全身を拭きながら,悔しさと無力感が込み上げてきて,自分がみじめで仕方ありませんでした。私は震えていました。」などと表現されているのに対し,本件映画にはこれらに対応する場面は認められず,鏡に向かって主人公が叫びをあげる様子が描写されているだけで,その表現方法も異なる。
 したがって,原告の主張は採用できない。
   ウ エピソード3について
 (ア) エピソード3において,本件各著作物と本件映画とは,①主人公が(元)恋人に助けを求めたこと,②公園に駆け付けた(元)恋人が主人公の様子に驚いて,誰かに何かされたのかと聞いたこと,③主人公はうなずくことしかできなかったこと,④(元)恋人が,主人公が性的暴行を受けたことを知ってやり場のない怒りで物に当たる様子,⑤主人公が(元)恋人に対して「ごめんなさい」と謝り続けた点及びその著述(描写)の順序において共通し,同一性がある。
 (イ) 本件各著作物のエピソード3における著述中の上記同一性のある部分のうち,①主人公が(元)恋人に助けを求めたこと,②公園に駆け付けた(元)恋人が主人公の様子に驚いて,誰かに何かされたのかと聞いたこと,③主人公はうなずくことしかできなかったことは,いずれも事実の記載にすぎない。一方,(元)恋人がやり場のない怒りを物にぶつける様子に対し,主人公が「ごめんなさい」と謝り続けた著述は,単にその事実を記述しただけでなく,被害に遭ってしまった悔しさ,被害者であるにもかかわらず込み上げてくる罪悪感,やるせなさを表現したものと認められる。そうすると,本件各著作物のうち,上記同一性のある部分は,原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し,事件後の原告の状況や原告の元恋人とのやりとりを淡々と記述することによって,原告の悔しさ,罪悪感,やるせなさ等を表現したものとみることができ,上記同一性のある部分全体として,原告の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
 (ウ) 以上より,本件映画のエピソード3における描写は,上記認定の表現上の共通性により,本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画におけるエピソード3部分に接することにより,本件各著作物のエピソード3における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ,本件各著作物を翻案したものといえる。
 (エ) 被告は,上記同一性のある部分はいずれも事実の記載である旨主張するが,上記のとおり,事実の著述であっても,原告が,自身の上に実際に起きた自己の認識に基づく事実を選択し,上記のとおり,原告が抱いた悔しさ,罪悪感等を表現したものと認められ,その表現には,原告の個性が表れているとみるべきであって,原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって,被告の上記主張を採用することはできない。
   エ エピソード4について
 (ア) エピソード4において,本件各著作物と本件映画とは,①事件翌朝に(元)恋人が主人公に仕事を休むように勧めたこと,②それを主人公が拒んだこと,事件が起きたことを理由として,仕事を休むことはできないと対応した点において共通し,同一性がある。なお,上記①の場面の,本件著作物1の元恋人の「こんな日くらい休めよ……」と本件映画における恋人の「仕事・・・休めない?」との台詞はほぼ共通し,上記②の場面の本件著作物1の原告及び本件映画の主人公の「なんて言って休めばいいの?」という台詞は同一である。
 (イ) 本件各著作物のエピソード4における著述中の上記同一性のある部分は,被害に遭った翌朝,元恋人との会話の内容を記述しながら,被害を他人に知られることに対する恐怖,被害に遭った事実は現実であるのにこれを正直に話すことはできないやるせなさ,無力感,不条理さ等を表現したものと認められ,そのための事実の選択や感情の形容の仕方,叙述方法の点で原告の個性ないし独自性が表れており,表現上の創作性が認められる。
 (ウ) 以上より,本件映画のエピソード4における描写は,上記認定の表現上の共通性により,本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画におけるエピソード4部分に接することにより,本件各著作物のエピソード4における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ,本件各著作物を翻案したものといえる。
 (エ) 被告は,上記同一性のある部分はいずれも事実の記載である旨主張する。しかし,上記同一性のある部分は,その記述全体を通じて,原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり,上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから,その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり,原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって,被告の上記主張を採用することはできない。
   オ エピソード5について
 (ア) エピソード5において,本件著作物1と本件映画とは,主人公がシャワーでずっと体を洗い続けることがあったことを著述又は描写している点において共通し,同一性がある。しかし,本件映画のエピソード5における描写は,恋人がシャワーで体を洗い続ける主人公にシャワーを浴びさせるのを止めさせ,主人公の体はきれいだよと慰めるシーンが付け加わっている点で本件各著作物と異なる。
 (イ) 本件著作物1のエピソード5における著述中の上記同一性のある部分は,被害に遭った事実を思い起こすと,自分の体が汚れてしまったように感じ,忌まわしい過去を洗い流したいが消し去ることはできないやるせなさ等を表現したものということもできるが,その表現自体に原告の個性が表れたものとはいえず,表現上の創作性があるとまではいえない。
 (ウ) 原告は,上記表現は,事件に対する恐怖や忌まわしさ,事件をなかったことにしたいという衝動や,事件によって自分が汚れてしまったという感覚が深く根付いて拭い去れなかったこと,それらが蘇ってきていたことを表現している旨主張する。しかし,上記のとおり,本件映画では恋人とのやり取りが加わっている点が異なる上,「シャワーでずっと身体を洗っていることもあった」との形容の仕方としては一般的であり,ありふれた表現といえる。
 よって,原告の上記主張を採用することはできない。
   カ エピソード6について
 (ア) エピソード6において,本件各著作物と本件映画とは,事件後の(元)恋人とのやりとりにおいて,①主人公が(元)恋人に対し,また自分が襲われてもいいのかなどと挑発的,脅迫的な言葉を発したり,②(元)恋人が,主人公に対し,主人公が被害に遭ったことを本当は喜んでいた,とか,スリルがあって気持ちいいとか楽しんでいたとか,被害を受けた主人公と付き合ってあげていることに感謝して欲しいなどという言葉を発し,主人公の気持ちを逆なで,主人公を絶望させるような言葉をかけたこと,③最後には,(元)恋人が,主人公に対し,もう俺のことは忘れて,幸せになってくれなどと言って,主人公の元を去っていく点において共通し,同一性がある。
 なお,①の場面の本件著作物1の原告の「また襲われてもいいの?」と,本件映画の主人公の「健ちゃんはまた私が襲われてもいいの?」,②の場面の本件著作物1の元恋人の「ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」や「お前みたいな汚れた女とつき合ってやってんだ。感謝しろ!」と本件映画の恋人の「おまえ二人組に犯されているとき,本当は興奮して濡れてたんだろ?また襲われたいって,今もそう思ってるんだろう?」や「今までつきあってやっただけでも,感謝してほしいよ」,③の場面の本件著作物1の元恋人の「頼むから,もう俺のことは忘れて,幸せになってくれ。」と本件映画の恋人の「頼むから,もうおれのことは忘れて,幸せになってくれ」という各台詞は,ほぼ同一である。
 (イ) 本件各著作物のエピソード6における著述中の上記同一性のある部分は,単に原告が元恋人との間でした会話の内容を記述しただけでなく,被害に遭った原告のやり場のない悔しさを,当時身近にいてくれた元恋人に対し,脅迫的な言動でぶつけてしまうしかなかった不合理な気持ち,原告の気持ちを理解しながらも,受け止めることが負担になり,精神的にも追い詰められていった元恋人の無念さや無力感とともに,自分を理解しようとしてくれていた人を失っていく悲しみなどを表現したものと認められる。そうすると,本件各著作物のうち,上記同一性のある部分は,原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し,事件後の原告の元恋人とのやりとりを淡々と記述することによって,原告の悔しさ,やるせなさ,悲しみ等を表現したものとみることができ,上記同一性のある部分全体として,原告の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
 (ウ) 以上より,本件映画のエピソード6における描写は,上記認定の表現上の共通性により,本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画におけるエピソード6部分に接することにより,本件各著作物のエピソード6における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ,本件各著作物を翻案したものといえる。
 (エ) 被告は,上記同一性のある部分は事実の記載である旨主張する。しかし,上記同一性のある部分は,その記述を通じて,原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり,上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから,その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり,原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって,被告の上記主張を採用することはできない。
   キ エピソード7について
 (ア) エピソード7において,本件各著作物と本件映画とは,①主人公が意を決して,暴行被害に遭ったことを母親に告白したこと,②それに対して母親が主人公をやさしくいたわるどころか逆に主人公に怒ったこと,③その後も両親は主人公を気遣うどころか厳しい言葉を投げ,それに対して主人公が失望と怒りをぶつけたこと,④母親にやさしく抱きしめてもらいたかったが,その願いが叶わなかった点において共通し,同一性がある。
 なお,⑤本件著作物1における母親の「なんでいまさらそんなこと言うのよ!?あんたの言うこと信じられない!」と本件映画における母親の「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん,あなたの神経が信じられない!」,⑥本件著作物1の父親の「お前は強い子だから,そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」と本件映画の父親の「おまえは強い子だから,そんなことは気にせず今までどおり,生きていけるはずだ」,⑦本件著作物1における母親の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど,私たちのせいでもないんだから,そんなことで私たちを責めないでよね!」と本件映画の母親の「あなたが襲われたのは,私たちのせいかしら?親を責めるなんて,筋違いだわ」との各台詞は,ほぼ共通し,同一性がある。
 (イ) 本件各著作物のエピソード7における著述中の上記同一性のある部分は,被害を受けた原告が,母親に対し,母親にいたわってもらいたい,すぐに真実を告白できなかった自分を理解して欲しいとの思いで事件を告白したにも関わらず,両親が,原告の被害を受けた現実を受け止めることができなかったこと,原告が被害に遭った事実を認めたくないという態度を示したことを著述することで,原告の悲しみ,失望,やるせなさ,被害者であるのに隠さなければならないことに対する矛盾や怒り等を表現したものと認められる。そうすると,本件各著作物のうち,上記同一性のある部分は,原告が被害を受けた当事者としての視点から上記の各事実を選択し,事件後の原告の両親とのやりとりを淡々と著述することによって,原告の悲しみ,やるせなさ,怒り等を表現したものとみることができ,上記同一性のある部分全体として,原告の個性ないし独自性が表れており,思想又は感情を創作的に表現したものと認められる。
 (ウ) 以上より,本件映画のエピソード7における描写は,上記認定の表現上の共通性により,本件各著作物の著述の表現上の本質的な特徴の同一性を維持しているものと認められ,本件映画におけるエピソード7部分に接することにより,本件各著作物のエピソード7における著述の表現上の本質的な特徴を直接感得することができ,本件各著作物を翻案したものといえる。
 (エ) 被告は,上記同一性のある部分は事実の記載である旨主張する。しかし,上記同一性のある部分は,その著述全体を通じて,原告が抱いた上記の感情が表現されたものというべきであり,上記同一性のある部分は原告なりに事実や表現を選択して著述を行ったものと認められるから,その表現には原告の個性が表れているとみるべきであり,原告の思想又は感情を表現したものではないということはできない。よって,被告の上記主張を採用することはできない。
   ク エピソード8について
 (ア) エピソード8において,本件著作物1では,彼が部屋に泊まったとき,「ちょっとトイレ行ってくるね」といい,彼には気分が悪くなっていることは告げられずに吐いてしまうこと,原告が,セックスに対して人よりも恐怖心が強いことや敏感であることを告げていても,乱暴に扱われ,怯えると,何が怖いと感じたのか説明することもあったこと,怖いと感じたときでも,そういう気持ちを出さないように,別のことを考えて気を紛らわして我慢していたこと,そういうときは,被害に遭ったときと同じように早く終われという気持ちになっていたことなどが著述されている。
 これに対し,本件映画では,自ら服を脱ぎ,セックスに応じようとする主人公に対し,恋人が止めておこうと言うのを遮り,主人公は自らベッドに入るものの,性行為時には唇を噛みしめ,我慢している表情が描写されるとともに,被害に遭った事件のシーンが回想シーンとして描写されると,突然,「怖いよ」と言って恋人を突き飛ばしてしまい恋人が謝るシーン,その後,恋人が熟睡しているのを横目に,洗面台に行って吐いて苦しむ様子が描写されるが,「幸せになってやる……私だって,幸せに……」などとつぶやく場面が描写されている。
 そうすると,本件著作物1と本件映画とは,①男性と親しい関係になっても,性行為時には事件のことが思い出されて必死に我慢しなければ応じられないこと,②性行為後には吐き気をもよおしてしまう点において同一性を有する。しかし,これらは原告が被害に遭った後,性行為時の身体的状況や心身の状況を客観的に記述したものにすぎず,性犯罪被害を受けた者の身体的状況や心身の状況を表現したものとして,原告の個性が表れたものとはいえず,表現上の創作性があるとはいえない。したがって,上記同一性がある部分は,原告の思想又は感情を創作的に表現したものとは認められない。
 (イ) 原告は,上記①,②に加え,事件のせいでセックスに対して拒否反応が起きるようになったことも同一性を有する部分として掲げているが,本件映画では,洗面台で吐いてしまうこと以外にセックスに対する拒否反応は描かれていない。
 また,原告は,エピソード8の本件著作物1の著述は,普通の男女の関係を築きたいという原告の願いと,それを阻むように起きる拒否反応に対する悔しさや原告の心の傷の深さを表現していると主張する。
 しかし,エピソード8における本件著作物1の記述全体を通してそのような原告の心情が表現されていると認められるとしても,本件映画と同一性を有する部分についてみれば,その表現はありふれており,原告の主張は採用できない。
  (3) 依拠性について
 本件映画の各エピソードのうち,本件各著作物の記述と同一性を有する部分は,いずれも対象となる事実や感情の選択や形容の仕方などが共通していることは前記(2)で認定したとおりである。
 これに加え,被告本人尋問の結果(被告本人〔10頁〕)及び弁論の全趣旨によれば,被告は,本件映画は,少なくとも本件各著作物にある場面を参考にして映像として表現したものであることは自認しているものと認められるから,本件映画の各エピソード部分の表現は,いずれも本件各著作物の記述に依拠して作成されたと認めるのが相当である。
  (4) 台詞の著作権の侵害について
   ア 原告が,本件各著作物の台詞の著作権が侵害されているとして,別紙エピソード対比表において主張するのは,以下のとおりである。
 ① エピソード4における本件著作物1の「こんな日くらい休めよ……」という台詞と,本件映画における「仕事・・・休めない?」という台詞
 ② 上記①に対する返答として,本件著作物1及び本件映画の「なんて言って休めばいいの?」との台詞
 ③ エピソード6における本件各著作物の「また襲われてもいいの?」という台詞と,本件映画における「健ちゃんは,私がまた襲われてもいいの?」という台詞
 ④ エピソード6における本件著作物1の「お前ホントは喜んでたんだろ。スリルがあって気持ちいいとか思ってたんだろ」という台詞と,本件映画の「おまえさあ,その二人組だっけ,犯されてたとき,本当は興奮して濡れてたんだろ?また犯されたいって今もそう思ってんだろう?」という台詞
 ⑤ エピソード6における本件著作物1の「お前みたいな汚れた女とつき合ってやってんだ。感謝しろ!」という台詞と,本件映画の「今までつきあってやっただけでも感謝してほしいよ」という台詞
 ⑥ エピソード6における本件著作物1の「頼むから,俺のことは忘れて,幸せになってくれ」との台詞と,本件映画の「頼むから,おれのことは忘れて,幸せになって」との台詞
 ⑦ エピソード7における本件著作物1における原告の母親の原告に対する「なんでいまさらそんなこと言うのよ?!あんたの言うこと信じられない!」という台詞と,本件映画における主人公の母親の主人公に対する「どうして今頃になってそんなことを打ち明けるの?お母さん,あなたの神経が信じられない!」という台詞
 ⑧ エピソード7における本件著作物1における原告の両親の原告に対する「お前は強い子だから,そんなこと(事件のこと)を気にするような子じゃないでしょ」といった台詞と,本件映画における,主人公の父親の「お前は,強い子だから,そんなことは気にせず,今までどおり,生きていけるはずだ」という台詞
 ⑨ エピソード7における本件著作物1で,原告の母親の「あんたが襲われたのはあんたのせいではないけど,私たちのせいでもないんだから,そんなことで私たちを責めないでよね!」という台詞と,本件映画における主人公の母親の「あなたが襲われたのは,私たちのせいかしら?親を責めるなんて,筋違いだわ!」といった台詞
   イ 上記①ないし⑨の台詞自体は,いずれもごく短いものであり,台詞そのものに表現上の創作性があるとはいえず,ありふれたものであって,各台詞はそれ自体で原告の個性が表れているということはできない。
 したがって,仮に,上記各台詞が類似又は同一と解されるとしても,上記台詞のみでは,思想又は感情を創作的に表現したものとはいえず,原告の主張は採用できない。
  (5) まとめ
 以上のとおり,エピソード3,4,6及び7の本件映画における表現は,それに対応する本件各著作物の各エピソードの著述を翻案したものと認められる。
 そして,前記1に認定した事実によれば,原告が,被告に対し,本件映画の製作に本件各著作物を利用することについて許諾したとは認められないから,仮に,被告が本件各著作物から事実のみを抽出したものであり,著作権侵害に当たらないと理解していたとしても,少なくとも本件各著作物の利用について過失は認められる。
 したがって,被告は,上記エピソードを不可分的に有する本件映画を製作することにより,原告が本件各著作物について有する著作権(翻案権)を侵害したものと認められる。

【検討】
 本件は,事実の著作物性に関する判断が示された裁判例である。一般に,事実そのものは,人間の思想または感情といった主観的要素を含まない客観的な事実として社会的に取り扱われているため,著作物として保護されない。しかし,事実そのものを表現したものではなく,人間の思想,感情を創作的に表現したものであれば,著作物性が認められる余地があるとされる。
 本件では,事実の著作物性に関する規範として,「事実それ自体は,人の思想又は感情から離れた客観的な所与の存在であり,精神的活動の所産とはいえず,著作物として保護することはできない。ただし,歴史的事実や客観的事実であっても,これを具体的に表現したものについて,その表現方法につき表現の選択の幅があり,かつその選択された具体的表現が平凡かつありふれた表現ではなく,そこに作者の個性が表れていれば,創作的に表現したものとして著作物性が肯定される場合があり得るし,客観的事実を素材とする場合であっても,種々の素材の中から記載すべき事項を選択し,その配列,構成や具体的な文章表現に,著作者の思想又は感情が創作的に表現され,著作物性が認められる場合もあり得る。」と判示している。
 上記規範のうち,「表現方法につき表現の選択の幅があり,かつその選択された具体的表現が平凡かつありふれた表現ではなく,そこに作者の個性が表れてい」ることについては,従来からの創作性の議論における選択の幅や個性の発露の議論であることから,目新しいものではないが,「種々の素材の中から記載すべき事項を選択し,その配列,構成や具体的な文章表現に,著作者の思想又は感情が創作的に表現され,著作物性が認められる場合もあり得る。」は,事実の著作物性に関する規範としては,あまり見られない規範であり,先例性があるように思われる。
 本件は,ノンフィクション小説の一部のエピソードの著作物性が問題となった。当該小説でのエピソードが,単に事実をそのまま表現しているのであれば,著作物性は否定され得るが,本判決では,存在する事実の中から一部を選択した上で,その選択した事実から,思想または感情が表現されているエピソード(例えば,悔しさ,やるせなさといった感情等)について,著作物性が肯定されている。
 事実の著作物性の判断に関し,規範が示され,詳細な判断がされていることから,先例性がある裁判例として取り上げる次第である。

(文責)弁護士・弁理士 杉尾雄一