【平成27年11月19日(知的財産高等裁判所平成25年(ネ)第10051号)】特許権侵害行為差止等請求控訴事件

【判旨】
主引用例である東日印刷版胴(表面粗さを2.47~4.02μmとした版胴)には、版ずれトラブルの防止という課題や版と版胴のズレが版の裏面と版胴の表面との摩擦係数に影響されるとの知見は存せず、また、副引用例である乙29文献にも、版ずれを防止するために版胴の表面粗さを調整するという技術的思想は存しないから、東日印刷版胴に、版ずれトラブル防止のために、乙29文献に記載された発明を組み合わせる動機付けがあるとは認められない。
さらに、仮に、当業者において、東日印刷版胴に乙29文献に記載された発明の適用を試みたとしても、乙29文献に記載された発明(裏面の粗さを20μm以上とした印刷版用基材)は平版印刷版用基材の裏面の表面粗さを調整する発明にすぎないから、東日印刷版胴の表面粗さをより粗に(大きな数値に)調整することにはならない。
以上によれば、本件訂正発明2(表面粗さを6.0μm~100μmとした版胴)は、東日印刷版胴に乙29文献に記載された発明を組み合わせることによって、容易に発明をすることができたものであるとは認められない。

【キーワード】
東京地方裁判所平成23年(ワ)第21311号平成25年4月26日判決、特許法29条2項、進歩性、数値限定発明、訂正審判、減縮、特許法102条1項、販売することができないとする事情、推定の覆滅、損害論

【事案の概要】
  本件は、①発明の名称を「印刷物の品質管理装置及び印刷機」とする特許権(本件特許権1)を有する控訴人X(1審原告、三菱重工印刷紙工機械(株))が、被控訴人Y(1審被告、(株)東京機械製作所)において、装置(Y製品1)を製造、販売等する行為が、本件特許権1を侵害する行為であると主張し、Yに対し、特許法100条1項に基づき、Y製品1の製造、販売等の差止めを求めるとともに、同条2項に基づき、Y製品1の廃棄を求め、併せて、損害賠償請求権(民法709条、特許法102条3項)に基づき、Y製品1の製造、販売等に関する損害額1億3440万円の一部として500万円の支払を求めるとともに、②発明の名称を「オフセット輪転機版胴」とする特許権(本件特許権2)を有するXが、Yが版胴(Y製品2)を製造、販売等した行為が、本件特許権2を侵害する行為であると主張し、Yに対し、損害賠償請求権(民法709条、特許法102条1項ないし3項)に基づき、Y製品2の製造、販売等に関する損害額●●●●●●●円の一部として2億4000万円の支払を求めた事案である。

 ① 本件特許権1
   特許番号  特許第3790490号
   発明の名称  印刷物の品質管理装置及び印刷機
   出願日  平成14年3月29日
   登録日  平成18年4月7日

   ②  本件特許権2
    特許番号  特許第2137621号
    発明の名称  オフセット輪転機版胴
    出願日  平成3年3月26日(平成23年3月26日、存続期間満了により消滅)
    登録日  平成10年7月31日

  一審判決は、①Y製品1は、本件特許権1の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(本件発明1)の技術的範囲に属せず、②Y製品2は、本件特許権2の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(本件発明2)の技術的範囲に属するが、本件特許2は、特許無効審判により無効にされるべきものと認められる(特許法104条の3)として、Xの請求をいずれも棄却した。
  そこで、Xが、一審判決を不服として控訴した。

【判旨】
1 Y製品1が本件発明1の技術的範囲に属するかについて
  Y製品1が構成要件A、B、Hを充足することについては、一審、控訴審ともに争点となっていない。構成要件C~Gに関し、一審判決は、Y製品1は構成要件C~Fを充足するが、構成要件Gを充足しないとした。これに対して、知財高裁は次のとおり判示して、構成要件Gを非充足とした上で、構成要件C~Fについても充足性を否定して、一審判決と同様に、Xの請求には理由がないとした。
  「Y製品1は、原判決別紙「Y製品1の構成」記載のとおり、紙面監視手段において、良紙時点でティーチング(基準値取り込み)をして取得したRGB基準データ(本件明細書1における「OKシートデータ」に相当)を印刷絵柄の見本として用い(構成e)、濃度判定手段において、製版システムから取得したCMYK目標濃度データ(本件明細書1における「製版データ」に相当)を印刷絵柄の見本として用いる(構成f)ものであり、「製版データ」と「OKシートデータ」を併用するものである。
  よって、Y製品1は、本件発明1における「見本絵柄データ」(構成要件C~F)を充足しない。」
  「Y製品1は、印刷欠陥検出手段における「所定の閾値」とインキキー開度制御手段における「濃度差等の範囲」が、同じデータ形式によって設定されたものとはいえないから、構成要件Gを充足しない。」
  「Y製品1は、構成要件C~F及びGを充足せず、本件発明1の技術的範囲に属しないから、争点(2)及び(3)について判断するまでもなく、本件特許権1の侵害に基づくXの請求は理由がない。」

2 Y製品2が本件訂正発明2の技術的範囲に属するかについて
  Y製品2(1)ないし(3)が本件訂正発明2の構成要件J、K’及びLを各充足することについては、控訴審において争点となっていない。構成要件Iに関し知財高裁は次のとおり判示して充足性を認めた。
 「特許請求の範囲(請求項1)には、「版を装着して使用するオフセット輪転機版胴」と記載されており、オフセット
 輪転機版胴に装着される「版」の種類を特定のものに限定する記載はない。
   また、本件訂正明細書2の発明の詳細な説明の記載を参酌しても、本件訂正発明2のオフ
  セット輪転機版胴に装着される「版」の種類を特定のものに限定する記載はない。」
   「以上によれば、「版」(構成要件I)を、PS版に限定して解釈すべき理由はないというべきで
  あり、PS版のみならずCTP版も構成要件Iにいう「版」に含まれると解される。
   なお、本件特許2の出願当時、PS版が一般に用いられており、日本においてはまだCTP版
  が実用化されていなかったとしても(乙6)、前記ア及びイに照らせば、かかる事情は前記認定を
  左右しないというべきである。」
   「構成要件Iの「版」には、PS版のみならずCTP版も含まれるから、Y製品2の構成iは、本件訂正
  発明2の構成要件Iを充足するものと認められる。」

3 本件特許2は特許無効審判により無効にされるべきものかについて
(1)一審判決
  一審において、Yは、「出願前である昭和63年8月に東日印刷の越中島工場に納入したVBW型オフセット輪転機の版胴は、表面をステンレス鋼で形成したものであり、表面粗さRmaxを1.5μmに調整したものであるから、本件発明2はその出願前に日本国内において公然と実施されたものに当たる」と主張した。
  東京地裁は、同版胴(東日印刷版胴)の「表面粗さRzは、版胴のかからない部分において、2ないし4μmであり、版胴のかかる部分においても、大半が1.0μmを超えるものであり、その平均値は平成23年1月31日測定結果においてLS版胴につき約2.03μm、RS版胴につき約2.09μm、同年2月24日測定結果においてLS版胴につき約2.24μm、RS版胴につき約2.18μmである。」「本件輪転機の版胴は、その納入時において、表面粗さが1.0μm≦Rmax≦100μmに調整されたものであったと認めるのが相当である」「したがって、本件発明2は、本件輪転機の納入により、その内容を不特定多数の者が知り得る状況となったものであり、本件特許2の出願前に公然実施されたものであると認められる。」と判示して、公然実施による無効の抗弁を認めた。

(2)本件発明2の訂正
  その後、Xは、東日印刷版胴の公然実施に基づく無効理由を回避するため、構成要件Kの表面粗さの数値範囲を減縮する旨の訂正審判を請求した(平成25年6月13日審決確定)。

訂正前(本件発明2) 訂正後(本件訂正発明2)
I   版を装着して使用するオフセット輪転
    機版胴において、
J 前記版胴の表面層をクロムメッキ又は 
  耐食鋼で形成し、
K 該版胴の表面粗さRmaxを
    1.0μm≦Rmax≦100μmに調整した
L ことを特徴とするオフセット輪転機版   
    胴。
I   版を装着して使用するオフセット輪転機
    版胴において、
J  前記版胴の表面層をクロムメッキ又は
   耐食鋼で形成し、
K’ 該版胴の表面粗さRmaxを
     6.0μm≦Rmax≦100μmに調整した
L  ことを特徴とするオフセット輪転機版        胴。

(3)控訴審の判断
  表面粗さが減縮された上記訂正後の発明に対して、Yは、新たに進歩性欠如の主張として、本件訂正発明2は、東日印刷版胴を主引用例として、これに先行技術文献(乙29:特開昭57―156296号公報)を組み合わせれば容易に想到することができたと主張した。
  しかし、知財高裁は、乙29文献の特許請求の範囲が、「平織物の表裏両面に樹脂層を設けた印刷版用基材において、版胴との接触面となる裏面は平織物を構成する糸の一部が露出され、かつ裏面の表面粗さが20μ以上であることを特徴とする平版印刷版用基材。」とされているように、「乙29文献に記載されているのは、版胴に取り付けられる平版印刷版用基材に関する発明であって、版胴に関する発明ではないから、本件訂正発明2とは、表面粗さを規定する対象が異なる」ことから、「したがって、乙29文献からは、金属製の版胴の表面粗さを調整することによって、版と版胴間の摩擦係数を増加させ、これにより版ずれトラブルを防止するという技術的思想を読み取ることはできず、乙29文献に、本件訂正発明2に係る版胴の表面粗さRmaxの構成が記載又は示唆されているということはできない」とした。
  そして、「東日印刷版胴(表面粗さを2.47~4.02μmとした版胴)には、版ずれトラブルの防止という課題や版と版胴のズレが版の裏面と版胴の表面との摩擦係数に影響されるとの知見は存せず、また、乙29文献にも、版ずれを防止するために版胴の表面粗さRmaxを調整するという技術的思想は存しないから、東日印刷版胴に、版ずれトラブル防止のために、乙29文献に記載された発明を組み合わせる動機付けがあるとは認められない。
  さらに、仮に、当業者において、東日印刷版胴に乙29文献に記載された発明の適用を試みたとしても、前記ウのとおり、乙29文献に記載された発明は平版印刷版用基材の裏面の表面粗さを20μm以上、好ましくは25~100μmに調整する発明にすぎないから、東日印刷版胴において、その版胴の表面粗さRmaxをより粗に(大きな数値に)調整することにはならない。
  以上によれば、本件訂正発明2は、東日印刷版胴に乙29文献に記載された発明を組み合わせることによって、容易に発明をすることができたものであるとは認められない」と判示した。
  他方、Yは、相違点に係る構成は設計事項であると主張したが、知財高裁は、「Yは、本件訂正発明2は、版ずれトラブルの原因が版と版胴との摩擦係数にあることが乙29文献などで広く知られ、東日印刷版胴が存在した状況において、版胴の表面粗さをRmax≧6.0μmと更に粗くしたにすぎないものであるとして、表面粗さの程度は、設計的事項であって、本件訂正発明2に進歩性が認められるには、Rmaxの数値範囲に臨界的意義が必要である旨主張する。
  しかしながら、前記イ及びウのとおり、東日印刷版胴や乙29文献に、版胴の表面粗さRmaxを調整することによって、版と版胴間の摩擦係数を増加させ、これにより版ずれトラブルを防止するということが開示されていると認めることはできず、他に本件特許2の出願当時上記事項が当業者に周知であったことを認めるに足りる証拠はないから、本件訂正発明2の規定する版胴の表面粗さRmaxの数値範囲が、当業者において適宜定めるべき設計的事項にすぎないとはいえない。」と判示した。
  なお、Yは、行技術文献(特許文献)基づく新規性欠如の主張も行っている。しかし、知財高裁は、本件訂正発明2においては版胴のタイプが「フォルメシリンダ」であるのに対し、先行技術文献(乙28)で開示されているのは「インプレッションシリンダ」であるから、乙28文献に係る発明と本件訂正発明2は同一ではないとしてYの主張を斥けた。

4 本件特許権2の侵害に基づく損害額について
(1)Yが納めた既設の輪転機の版胴に「加工」を施した場合における102条1項の適用について
 「ア Y製品2(2)及び(3)についての特許法102条1項の適用の可否
  Y製品2(2)及び(3)に係るYの行為は、前記第2の2(5)イのとおり、顧客先の輪転機に既存の版胴に対するヘアライン加工を受注し、同工事を施工したというものであるところ、Xは、Y製品2(2)及び(3)が既存版胴に対する加工というより安価な侵害態様であっても、特許権者の製品の販売機会が喪失する以上、特許法102条1項が適用されるとして、Y製品2(2)及び(3)を譲渡数量に含めた損害額の算定を主張するのに対し、Yは、Y製
 品2(2)及び(3)については、「譲渡」ではなく、「生産」の実施行為があっただけであるから、これらについて同項の適用はない旨主張する。
  製品について加工や部材の交換をする行為であっても、当該製品の属性、特許発明の内容、加工及び部材の交換の態様のほか、取引の実情等も総合考慮して、その行為によって特許製品を新たに作り出すものと認められるときは、特許製品の「生産」(特許法2条3項1号)として、侵害行為に当たると解するのが相当である。
  本件訂正発明2は、前記2(1)イのとおり、オフセット輪転機の版胴に関する発明であり、版胴の表面粗さを6.0μm≦Rmax≦100μmに調整することによって、版と版胴間の摩擦係数を増加させ、これにより版ずれトラブルを防止するというものである。そして、Yが、Y製品2(2)及び(3)に対して施工した版胴表面のヘアライン
 加工は、金属(版胴)の表面を一定方向に研磨することで連続的な髪の毛のように細かい線の傷をつける加工であり(乙79)、表面粗さRmaxが加工前は6.0μmよりも小さい値であったのを、加工後は約10μmに調整するものであるから、上記加工は、版胴の表面粗さを6.0μm≦Rmax≦100μmに調整した本件訂正発明2に係る版胴を新たに作り出す行為であると認められる(弁論の全趣旨)。
  したがって、YのY製品2(2)及び(3)に係る行為は、特許法2条3項1号の「生産」に当たるというべきである。
  また、Yは、顧客からY製品2(2)及び(3)に対するヘアライン加工を有償で受注し、上記のとおり、ヘアライン加工の施工により本件訂正発明2の版胴を新たに作り出し、これを顧客に納入していること(証拠略)により、Xの販売機会を喪失させたことになるから、Y製品2(2)及び(3)についても、特許法102条1項を適用すること
 ができるというべきである。

(2)「販売することができないとする事情」の有無について
 「イ 特許法102条1項に基づく損害額について
   特許法102条1項は、民法709条に基づき販売数量減少による逸失利益の損害賠償を求める際の損害額の算定方法について定めた規定であり、同項本文において、侵害者の譲渡した物の数量に特許権者等がその侵害行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益額を乗じた額を、特許権者等の実施能力の限度で損害額と推定し、同項ただし書において、譲渡数量の全部又は一部に相当する数量を特許権者等が販売することができないとする事情を侵害者が立証したときは、当該事情に相当する数量に応じた額を控除するものと規定して、侵害行為と相当因果関係のある販売減少数量の立証責任の転換を図ることにより、従前オールオアナッシング的な認定にならざるを得なかったことから、より柔軟な販売減少数量の認定を目的とする規定である。」「「販売することができないとする事情」は、侵害行為と特許権者等の製品の販売減少との相当因果関係を阻害する事情を対象とし、例えば、市場における競合品の存在、侵害者の営業努力(ブランド力、宣伝広告)、侵害品の性能(機能、デザイン等特許発明以外の特徴)、市場の非同一性(価格、販売形態)などの事情がこれに該当するというべきである。
 「a  Yは、「販売することができないとする事情」として、①X製品はY製の輪転機に用いる版胴との代替可能性がないこと、②版胴単体での取引が想定されないこと(他社製の輪転機向けの版胴単体での取引が想定されないこと、X製の版胴とY製の版胴との間には機械的互換性がないこと、顧客の負担額に鑑みれば、X製品をあえて購入した現実的可能性がないこと)、③競合メーカーが存在すること、④本件訂正発明2は版胴需要喚起への寄与がないか又は著しく低いこと等を主張する。
  b   後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
  ⒜ 市場における競合品の存在
    本件訂正発明2(版胴表面粗さRmaxを6.0μm≦Rmax≦100μmに調整すること)は、版ずれトラブルを解決する手段として有効である(証拠略)。
    他方・・・本件特許2の出願前にYが製造し東日印刷株式会社に納入した東日印刷版胴は、表面粗さRmaxが1.5μmに調整されるように設計され、平成23年の測定では2.47~4.02μmに調整されていたところ、本件訂正明細書2の記載に照らすと、本件訂正前の特許請求の範囲に係る「1.0μm≦Rmax<6.0μm」の数値範囲内に版胴表面粗さRmaxを調整することによっても、版ずれトラブルを解決するのに一定の効果があることが認められる(証拠略)。
  ⒝ 侵害者の営業努力等
   ⅰ YがY製品2(2)及び(3)を加工した時期が含まれる●●●●●●●から●●●●●●●の期間・・・輪転
            機市場においては、XとYの二社寡占状態であった(証拠略)。
   ⅱ 株式会社高速オフセットは、X、Yを含めた輪転機メーカー4社の中から購入する輪転機の選定を進めた
     結果、「シングル版胴で5年間の海外実績があり、当社の要望に対する技術陣の真摯な対応に期待が
     持てた」として、Yの版胴が登載されたY製の輪転機を選定したものである(証拠略)。
  ⒞ 侵害品の特徴等
     版胴は、輪転機の印刷部を構成する多数の部品の一つであり、X製の輪転機にはX製の版胴を、Y製の輪転機にはY製の版胴を、用いるのが通常である。
     他方、Y製の輪転機の構成部品である版胴としてX製品を導入することは、技術的に不可能であるとまではいえないにせよ、版胴には高い機械精度が求められるところ、Xは、各部の寸法や製造条件等が記載された加工図面を入手することはできないから、Y輪転機2(2)及び(3)に導入するX製品を作製するのは容易ではない。そして、これを製造、販売しようとすれば、顧客先において実測等の調査を行い、各部の寸法や製造条件等を検討し、版胴の設計を経て、これを生産するという過程を要することから、実際に版胴を製造し、これを顧客に引き渡すまでには長期間を要する(証拠略)。しかるに、YがY製品2(2)について工事の発注を受けたのは平成22年9月頃、Y製品2(3)についての工事の発注を受けたのは同年10月頃であり、本件特許2の存続期間は平成23年3月26日までであった。
  ⒟ 市場の非同一性
     YがY製品2(2)及び(3)に対してヘアライン加工を施したことによる顧客の負担額は、Y製品2(2)及び(3)について●●●●円合計●●●●円であった(乙74、77)。
     これに対し、Y輪転機2(2)及び(3)に、X製品を導入する場合には、加工費用とは比較にならないほど高額の費用を要することになる(取引事例2及び3を参照しても、1個●●●●円から●●●●●円の契約金額で、輪転機2セット分48個の版胴となると、顧客の負担額は●●円前後となる。)。
 c   Y製品2(2)及び(3)に係る譲渡数量の控除
   Xにおいて、輪転機の販売を伴わない版胴取引を行った例があること(取引事例1~3)に加え、証拠(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、他社においても、インターネットホームページに、版胴単体の取引の申込みを行っている例があり、また、Yにおいても、Y輪転機2(2)及び(3)の増設工事に伴い、輪転機の販売を伴わない版胴取引を行っていることが認められることからすれば、輪転機の販売を伴わない版胴単体での取引がおよそ想定されないものであるとは認められない。
   しかし、前記bに認定したとおり、①本件訂正発明2のほかに、版ずれトラブルを解決するのに一定の効果がある手段(版胴表面粗さRmaxを1.0μm≦Rmax<6.0μmに調整すること)が存したこと、②Yは、Y製品2(2)及び(3)の加工当時、Xに次ぐシェアを有する輪転機メーカーであり、顧客から、技術力や営業力を評価されていたこと、③版胴は、輪転機の印刷部を構成する多数の部品の一つであり、Y輪転機2(2)及び(3)にあえてX製品を導入することについては時間と費用がかかるところ、YがY製品2(2)について工事の発注を受けたのは平成22年9月頃、Y製品2(3)についての工事の発注を受けたのは同年10月頃であり、本件特許2の存続期間は平成23年3月26日までであるにもかかわらず、Xが、Y輪転機2(2)及び(3)に導入するX製品を製造、販売しようとすれば、実際に版胴を製造し、これを顧客に引き渡すまでには長期間を要すること、④YがY製品2(2)及び(3)に対してヘアライン加工を施したことによる顧客の負担額は、合計で●●●●円すぎないのに対し、Y輪転機2(2)及び(3)に、X製品を導入する場合には、●●円前後の高額の費用を要すことが認められる。
   これらの事実を総合考慮すれば、Y製品2(2)及び(3)について、その譲渡数量の4分の3に相当する数量については、Xが販売することができない事情があるというべきである。

【解説】
1 事案のポイント
  本判決において争点はいくつかあるが、本件特許権1に関しては、Y製品1が本件発明1の技術的範囲に属しないことは、一審及び控訴審のいずれも認定が同じであって、特にみるべき事項はない。事案のポイントは、本件特許権2に係る無効理由の有無と、無効理由がないと判断された場合におけるXに生じた損害額の算定である。

2 本件特許権2の無効理由の有無
  本件特許権2については、一審判決では新規性の欠如を理由として無効とされたが、一審判決後にXが特許請求の範囲を減縮し、訂正審判が確定したことから、新規性の欠如に基づく無効理由は回避することとなり、控訴審では進歩性の有無が争点となった。知財高裁は、本件訂正発明2には進歩性が欠如しているとは認められないとして、Xによる無効主張を認めなかった。判決文では、主引用例と公知文献のいずれにも本件訂正発明2の課題と解決手段が記載されていないから組み合わせる動機付けがないと判示しており、本判決は組合せの動機づけに関して、かなり厳格な判断基準を設定しているようにも読める。
  なお、訂正審判(訂正2013-390073)の方では、独立特許要件(新規性、進歩性)に関して次のように言及されている。
    「なお、本件訂正前の請求項1に係る発明(以下「本件訂正前発明」という。)は、本件訂正前発明を対象とする侵害訴訟事件(平成23年(ワ)第21311号)において、「…本件輪転機(審決注:昭和63年8月頃東日印刷に納入されたVBW型オフセット輪転機)の版胴は、その納入時において、…本件発明2(審決注:本件訂正前発明)の構成要件を充足するものであったと認められる。…したがって、本件発明2は、本件輪転機の納入により、…本件特許2の出願前に公然実施されたものであると認められる。以上によれば、本件特許2は、…特許無効審判により無効にされるべきもの…」(71、72頁)との判決が下されているところである(平成25年4月26日。東京地方裁判所)。しかしながら、上記侵害訴訟事件において、本件訂正
   前発明の特許無効の根拠とされた「昭和63年8月に東日印刷株式会社に納入されたオフセット輪転機「ET-1」の版胴追加加工図」(乙15の1)の左上の版胴を示すとみられる図には、「1.5-S」、「▽▽▽」の表示があり、当該表示は、版胴の表面粗さRmaxの「許せる最大値」が1.5μmであることを示すものであると解することはできるものの、当該表面粗さRmaxの「許せる最大値」がそれ以上の値であることを示すものということはできない。また、乙15の1の前記図から、版胴の表面粗さRmaxの値を本件訂正後発明のように6.0μm以上とすることが、当業者において容易になし得たことであるということもできない。」

3 「加工」の場合における102条1項の適用の有無
  Xは、自己が受けた損害については特許法102条1項ないし3項に基づき主張した。知財高裁は、このうち102条1項に基づく損害額が最も大きいとして、同項に基づき損害額を認定している。
  Yは、102条1項においては「侵害の行為を組成した物を譲渡したとき」に適用される規定であるところ、①Yは既納入の輪転機の版胴に被控訴人が表面粗さを高める「加工」を行っただけであって、これらについては、「譲渡」がなく特許法102条1項は適用されない、②版胴に追加工する場合の顧客の負担と版胴を控訴人製品に交換する場合の顧客の負担に鑑みれば、被控訴人製の輪転機の顧客が、本件訂正発明2を実施した版胴を得たいがためだけに、既存の版胴を廃棄し、控訴人製品をあえて購入した現実的可能性はないから、Yによる「加工」がなければXが「販売」できたという補完関係がない、加工利益を用いるなら格別、販売利益を用いる前提で特許法102条1項を類推適用することはできないなどと主張した。
  これに対して知財高裁は102条1項の適用があると判示したが、その理由付けは必ずしも明確ではない。実施品である版胴を販売した場合の費用と、既納入の版胴に加工を施した結果として実施品となる場合の費用との間に大きな差があるという事情については、推定の覆滅(販売することができないとする事情)の方で考慮している。

4 推定の覆滅(販売することができないとする事情)
  損害額の認定において裁判所は、特許法102条1項の「販売することができないとする事情」は、侵害行為と特許権者等の製品の販売減少との相当因果関係を阻害する事情を対象とし、本件においては、
  (ⅰ) 本件訂正発明2の他に、版胴の表面粗さを最大6.0μm程度まで調整するという、版ずれトラブルを解
      決するのに一定の効果がある手段が存在すること
  (ⅱ) Yは、Xに次ぐシェアを有する輪転機メーカーであり、顧客から技術力や営業力を評価されていたこと
  (ⅲ) 版胴は、輪転機の印刷部を構成する多数の部品の一つであり、Y輪転機2(2)及び(3)にあえてX製品を
      導入することについては時間と費用がかかるところ、YがY製品2(2)及び(3)についての工事の発注を
      受けたのは、本件特許2の存続期間の満了が近づいた時期であり、仮にXが、X製品を製造、販売しよ
            うとすれば、顧客に引き渡すまでに長期間を要すること
  (ⅳ) YがY製品2(2)及び(3)に対してヘアライン加工を施したことによる顧客の負担額は、合計で●●●●円に
            すぎないのに対し、Y輪転機2(2)及び(3)に、X製品を導入する場合には、●●円前後の高額の費用を要
            すること
が認められるとした。
  このうち、(ⅰ)で挙げられた事実は、特許発明の代替技術が存在するということであり、顧客は、X製品への交換に多額の費用と時間が掛かるのであれば、当該代替技術で済ませる場合があるから、推定を覆滅させる事情の一つとなりうる。
  次に、(ⅱ)については、Y製品は特許技術以外の特徴(Yの技術力や営業力)により需要が喚起されており、仮にYが製造販売しなかったとしても、その需要が特許権者の版胴に流れることはなく、需要は減少するということであるが、「侵害した者勝ち」となってしまう傾向が生じるため、あまり重視されるべき事情ではなかろう。
  次に、(ⅲ)については、版胴はY輪転機の印刷部を構成する多数の部品の一つであり、もともと輪転機全体を納めているメーカーに発注される傾向があるもので、かつ交換に時間を掛けるべき性質のものでもないところ、顧客としては長期間かけてXの版胴に交換することを選ぶ可能性よりも、本件特許権2の存続期間が満了した後に、速やかにYに加工を依頼することを選ぶ可能性があるという意味であろう。
  (ⅳ)については、Yの「加工」よりもXの版胴に交換する方が高額であることから、需要者が、本件特許発明2の実施を諦めて(ⅰ)の代替技術で我慢する可能性もある。また、既に納入していた機械に加工を施すことによって侵害品になるという本件の特殊性から、Yが侵害によって得た利益は「加工」による利益にすぎないとも思えるが、このような場合に版胴全体に対する利益を損害推定の基礎にすれば衡平に反することから、(ⅳ)に挙げる事情により推定を覆滅して調整するという意味もあろう。
  知財高裁は、以上のような事実を総合考慮すれば、Y製品2(2)及び(3)について、その譲渡数量の4分の3(75%)に相当する数量については、Xが「販売することができない事情」があるとした。

5 侵害品を販売する場合と既販売品を加工して侵害品とする場合との覆滅率の差
  Y製品2(1)については、Yは、既設の輪転機の版胴へ後になってヘアライン加工を施すのではなく、輪転機の納入と同時に実施品である版胴(Y製品2(1))を納入している。よって、Y製品2(2)及び(3)における覆滅事情のうち(ⅲ)及び(ⅳ)が妥当しない。知財高裁は、Y製品2(1)については、その譲渡数量の2分の1(50%)に相当する数量については、Xが「販売することができない事情」があるとした。
  このように、本判決では、最終的に侵害品を生産するという結論は同一であるとしても、既に納入していた機械の一部品について納入業者が後加工を施すことにより当該部品が侵害品になった場合は、最初から侵害品を販売した場合と比べて、推定の覆滅割合を大きくしている。

以上
(文責)弁護士 山口 建章