【知財高判平成27年10月8日判決(平成26年(行ケ)第10255号 審決取消請求事件)】

【キーワード】

特許法第29条2項,進歩性,容易の容易

【事案】

本件は,原告が,発明の名称を「プレストレスト構造物」とする特許出願をし,設定の登録を受けた特許(特許第4404933号,以下「本件特許」という。)について,被告が特許無効審判を請求したところ,特許庁が,本件特許の請求項1及び2について無効との審決をしたことにつき,原告が請求項1及び2に係る部分についての審決の取消しを求める審決取消訴訟を提起した事案である。裁判所は,本件特許の請求項1及び2について,容易想到性を認めた本件審決の判断を維持し,原告の請求を全部棄却した。

【事案の概要】

(特許庁における手続きの経緯等)

1 特許庁における手続の経緯等

(1)原告は,平成20年3月18日(優先権主張:平成19年11月1日,日本国。以下「本件優先日」という。),発明の名称を「プレストレスト構造物」とする特許出願(特願2008-69055号)をし,平成21年11月13日,設定の登録を受けた(特許第4404933号。請求項の数5。甲33)。

(2)被告は,平成25年5月24日,本件特許の特許請求の範囲請求項1から3及び5に係る特許について,特許無効審判を請求し,無効2013-800090号事件として係属した。

(3)原告は,平成26年5月16日,請求項5を削除するなどの訂正を請求した(甲34。以下「本件訂正」といい,その明細書を「本件明細書」という。)。

(4)特許庁は,同年10月17日,「請求のとおり訂正を認める。特許第4404933号の請求項1ないし2に係る発明についての特許を無効とする。特許第4404933号の請求項3に係る発明についての審判請求は,成り立たない。」との別紙審決書(写し)記載の審決(以下「本件審決」という。)をし,同月27日,その謄本が原告に送達された。

(5)原告は,同年11月21日,本件審決のうち,請求項1及び2に係る部分の取消しを求める本件審決取消訴訟を提起した。

(本件訂正後の特許請求の範囲請求項1及び2の記載,下線は筆者による)

以下,請求項1に係る発明を「本件発明1」,請求項2に係る発明を「本件発明2」という。

 【請求項1】内ケーブル方式のプレストレスト構造物であって,/PC鋼材が挿入されるとともに,充填材が充填されるシースと,/前記シースに接続される接続部材と,/前記シース及び前記接続部材の接続部分に配置され,液体の吸収に伴う膨張によって前記シース及び前記接続部材に密接可能な膨張体と,を有し,/前記膨張体は,液体を吸収可能な材料を含む不織布によって構成され,前記不織布は吸水膨張性繊維と基材繊維からなり,前記吸水膨張性繊維としてベルオアシス(登録商標)またはランシール(登録商標)を用いることを特徴とするプレストレスト構造物

 【請求項2】内ケーブル方式のプレストレスト構造物であって,/PC鋼材が挿入されるとともに,充填材が充填されるシースと,/前記シースに接続される接続部材と,/前記シース及び前記接続部材の接続部分に配置され,液体の吸収に伴う膨張によって前記シース及び前記接続部材に密接可能な膨張体と,を有し,/前記接続部材が,前記シースと他のシースとを接続するためのジョイントシースであり,/前記膨張体は,液体を吸収可能な材料を含む不織布によって構成され,/前記ジョイントシースの内周面と前記シースの外周面の隙間(クリアランス)が前記膨張体の厚さ以下であり,前記膨張体の少なくとも一部は,前記ジョイントシースの内周面と前記シースの外周面との間に配置され,かつ,前記膨張体の一部は,ジョイントシースの外部に露出していることを特徴とするプレストレスト構造物

【争点】

本件の争点(原告の主張する本件審決の取消事由)は,以下のとおりである。

(1) 本件発明1に係る容易想到性の判断の誤り

 ア 相違点2の判断の誤り(取消事由1)

 イ 相違点6の判断の誤り(取消事由2)

(2) 本件発明2に係る容易想到性の判断の誤り(取消事由3)

 ア 相違点3について

 イ 相違点7について

 本稿では,裁判所が「容易の容易」について言及した「取消事由1(本件発明1に係る容易想到性の判断の誤り-相違点2の判断の誤り)」について取り上げる。

【判決一部抜粋】(下線は筆者による。)

第1~第3 ・・(省略)・・

第4 当裁判所の判断

1 本件発明について

・・(省略)・・

2 取消事由1(本件発明1に係る容易想到性の判断の誤り-相違点2の判断の誤り)について

(1)引用発明1について

・・(省略)・・

(2)本件発明1と引用発明1との間の一致点及び相違点

 いずれも,本件審決が,「一致点」並びに「相違点1」及び「相違点2」として認定したとおり(前記第2の3(3)ア,イ)である。

<筆者追記>

本件審決が認定した「相違点2」は以下のとおりである。

(相違点2)

膨張体につき,本件発明1においては,液体を吸収可能な材料を含む不織布によって構成され,前記不織布は吸水膨張性繊維と基材繊維からなり,前記吸水膨張性繊維としてベルオアシス(登録商標)またはランシール(登録商標)を用いるのに対し,引用発明1においては,特殊ウレタン系の合成樹脂からなる点

(3)周知技術について

ア 各文献が開示する技術

・・(省略)・・

イ 周知技術の認定

 以上によれば,周知例2,3,6ないし9の各文献は,いずれも,管又は管体の接続に際し,吸水膨張性繊維と基材繊維から成る不織布を用いた接続部材(周知例2記載の「パッキン」,周知例3及び周知例6ないし9記載の「管継手」)を使用することによって,接続対象である管又は管体と前記接続部材との接続部分に前記不織布が配置され,前記吸水膨張性繊維が水分を吸収して膨張することにより前記接続部分の隙間をふさぎ,高い止水性を確保できるという技術を開示しており,さらに,周知例6ないし9の各文献は,前記吸水膨張性繊維としてベルオアシス又はランシールを用いる技術を開示している。これらによれば,管又は管体の接続に際し,接続対象である管又は管体と接続部材との接続部分の止水性を高めるために,同接続部分に吸水膨張性繊維と基材繊維から成る不織布によって構成される膨張体を配置すること,前記吸水膨張性繊維としてベルオアシス又はランシールを用いることは,本件優先日である平成19年11月1日当時において,周知の技術(以下「本件周知技術」という。)であったということができる。

(4)相違点2に係る容易想到性について

 ア 引用発明1の課題及びこれを解決するための手段について

・・(省略)・・

 イ 引用発明1において本件周知技術を採用する動機付けについて

 (ア) 課題及び課題解決手段の共通性

 ・・(省略)・・引用発明1において,シース同士の接続に際し,水漏れや外部からの染み込みを防止することは,シース内を通過する水圧に耐える強度を備えることと並んで,解決すべき課題の1つである。そして,引用発明1は,接続対象であるシースと接続部材であるシース用ジョイントとの間に,吸水膨張性を有する特殊ウレタン系の合成樹脂から成るシール材を配置し,同シール材が吸水膨張によりシースの接合部分を密に嵌合させるようにすることによって,これらの課題を解決しようとするものである。

 他方,本件周知技術は,前記(3)イのとおり,管又は管体の接続に際し,接続対象である管又は管体と接続部材との接続部分の止水性の確保を課題とし,同接続部分に吸水膨張性繊維と基材繊維から成る不織布によって構成される膨張体を配置し,その吸水膨張性繊維としてベルオアシス又はランシールを用いて,同吸水膨張性繊維が吸水膨張により前記接続部分の隙間をふさぐことによって,前記課題を解決するものである。

 したがって,引用発明1と本件周知技術とは,複数の管状のものを接続するに当たり,接続部分の止水性を確保することを課題とし,接続対象物と接続部材との間に吸水膨張性を有する物質を含むものを配置して同物質が吸水膨張により接続対象物と接続部材との隙間をふさぐようにすることによって,前記課題を解決しようとする点,すなわち,前記課題解決手段の点において共通している。

 (イ) ベルオアシス及びランシールの用途

 引用発明1を構成する接続部材であるシース用ジョイントは,プレストレストコンクリート用の表面に螺状の突起を設けたものであり,コンクリート内に埋設されるものであるから,同シース用ジョイントとこれによって接続されるシースとの間に配置される吸水膨張性を有する物質は,ほぼ常時,コンクリートに接することになるものと考えられる。

 この点に関し,本件優先日である平成19年11月1日の前に頒布された刊行物であるカネボウ繊維株式会社「カネボウ2000年の素材 展開 『ベルニート』,『ベルオアシス』,『セルモクラシア』」繊維科学 1999年11月号(甲30)には,ベルオアシスの用途は,光ファイバーケーブル用止水材等の通信材料,結露防止シート等の農業・園芸材料など幅広く,その中には土木・建築材料も含まれる旨が記載されており,コンクリート養生シートが製品例として挙げられている。また,同様に本件優先日前に頒布された刊行物である曽根正夫ほか「特殊2層構造高吸水性繊維『ランシール』の開発」平成7年9月繊維学会誌51巻9号(甲14)には,ランシールの用途も,産業資材分野では電線ケーブル止水等,農園芸分野では活着シートなど幅広く,土木分野ではコンクリート養成マットにも使用されている旨記載されている。

 (ウ) 引用発明1における本件周知技術の採用

 以上によれば,当業者は,本件優先日当時,引用発明1につき,シースの接合部分の水漏れや外部からの染み込みを防止するという課題の解決のために,①前記(ア)のとおり,引用発明1と本件周知技術とは,同じく接続部分の止水性の確保を課題とし,接続対象物と接続部材との間に吸水膨張性を有する物質を含むものを配置して同物質が吸水膨張により接続対象物と接続部材との隙間をふさぐようにするという課題解決手段の点において共通性があること,②さらに,前記(イ)のとおり,引用発明1においては吸水膨張性を有する物質がほぼ常時コンクリートに接することになるところ,本件周知技術において用いられるベルオアシス及びランシールにつき,ベルオアシスは,土木・建築材料を含む幅広い用途に実用化され,コンクリート養生シートにも使用されており,ランシールも,土木分野を含む広範な分野において活用され,コンクリート養成マットにも使用されていることに着目して,本件周知技術の採用を容易に想到することができたというべきである。そして,引用発明1において本件周知技術を採用すること,すなわち,接続対象であるシースと接続部材であるシース用ジョイントとの間に配置する吸水膨張性を有する物質として,特殊ウレタンの合成樹脂に代えて,吸水膨張性繊維と基材繊維から成る不織布によって構成される膨張体を配置し,その吸水膨張性繊維としてベルオアシス又はランシールを用いることは,相違点2に係る本件発明1の構成にほかならない。

 加えて,前記1(3)によれば,本件発明1も,複数の管状のものを接続するに当たり,接続部分の止水性を確保することを課題とする点,接続対象物と接続部材との間に吸水膨張性を有する物質を含むものを配置して同物質が吸水膨張により接続対象物と接続部材との隙間をふさぐようにすることによって前記課題を解決しようとする点において,引用発明1及び本件周知技術と共通している。

 ウ 小括

 したがって,当業者は,本件優先日当時,引用発明1に本件周知技術を採用することによって,相違点2に係る本件発明1の構成を容易に想到することができたというべきであり,これとほぼ同旨の本件審決の判断に誤りはない。

(5) 原告の主張について

 ア 原告は,本件審決の判断は,「引用発明1+周知技術A+周知技術B」という二段階の組合せ判断であり,引用発明から容易に想到し得たものを基準として更に他の技術の適用の容易性を検討する,いわゆる「容易の容易」という考え方によるものであるところ,このような判断枠組みは誤りである旨主張する。

 しかしながら,本件審決は,「膨張体として,液体を吸収可能な材料を含む不織布によって構成され,前記不織布が吸水膨張性繊維と基材繊維からなるもの」を周知例3ないし5によって「本件優先日前に周知の技術事項」と認定した上で,同技術事項のうち「吸水膨張性繊維」の具体例として「ベルオアシスやランシール」が本件優先日前に周知されていたことを,周知例5ないし11によって認定したにすぎない。同認定によれば,「ベルオアシスやランシール」は,「本件優先日前に周知の技術事項」の内容を具体化するものであって,「他の技術」ではないことは,明らかといえる(なお,周知例1には,「ポリエステル繊維等を素材とする不織布で,吸水膨張性樹脂素材である高吸水性ポリマーを繊維自体に混合包含させたもの又は繊維の外周面若しくは繊維間に付着保持させたもの」は開示されているが,高吸水性ポリマー自体を繊維形状化させた吸水膨張性繊維と基材繊維から成る不織布については開示されておらず,したがって,本件審決は,周知例1が前記不織布を開示している旨解した点においては誤りがあるといえるものの,この誤りは,本件審決の結論に影響するものではない。)。

 したがって,本件審決の判断枠組みは,原告の主張する「容易の容易」という考え方によるものとはいえないから,原告の主張は前提を欠き,採用できない。

【検討】

本件は,原告が,本件審決の判断は,いわゆる「容易の容易」という考え方によるものであり,容易想到性を肯定した本件審決の判断枠組みに誤りがある,と主張したのに対し,裁判所は,「本件審決の判断枠組みは,原告の主張する『容易の容易』という考え方によるものとはいえない」と判断した点に特徴がある。

 原告は,本件審決の判断について,「『引用発明1+周知技術A+周知技術B』という二段階の組合せ判断であり,引用発明から容易に想到し得たものを基準として更に他の技術の適用の容易性を検討する,いわゆる「容易の容易」という考え方によるものである。」と主張した。これに対して,裁判所は,本件審決は,「『膨張体として,液体を吸収可能な材料を含む不織布によって構成され,前記不織布が吸水膨張性繊維と基材繊維からなるもの』を周知例3ないし5によって『本件優先日前に周知の技術事項』と認定した上で,同技術事項のうち『吸水膨張性繊維』の具体例として『ベルオアシスやランシール』が本件優先日前に周知されていたことを,周知例5ないし11によって認定したにすぎない。同認定によれば,「ベルオアシスやランシール」は,「本件優先日前に周知の技術事項」の内容を具体化するものであって,「他の技術」ではないことは,明らかといえる」と判断した。これは,周知技術A(周知例3ないし5)の内容を,周知技術B(周知例5ないし11)により具体化した上で,その具体化した周知技術Aを引用発明1に適用することは,引用発明1に周知技術を適用するに過ぎず,原告の主張する「二段階の組合せ判断」ではなく,「容易の容易」に当たらない,と判断したものと考えられる。

 実務上,「容易の容易」という考え方は,容易想到性を否定する場合に用いられる。しかし,「容易の容易」は,特許庁の審査基準に記載されているわけではない。また,裁判実務上も確立されているわけではないと考えられる。本件では,原告が「容易の容易」を主張したことから,裁判所がそれに応じるために,「容易の容易」に言及したものと想定される。判示より、主引例に対して周知技術(周知の技術事項)を適用する場合に,当該周知技術の内容を別の周知技術により具体化することは,容易想到性を肯定する上で問題にならない(つまり,発明の進歩性を否定する上で問題にならない),と理解することができる。本件は,特許の無効を主張する立場(無効審判請求人の立場)から参考になる判決であり,また,「容易の容易」の考え方を理解する上でも参考になる判決である。

以上

弁護士・弁理士 溝田 尚