【平成27年11月13日判決(東京地裁 平成27年(ワ)第27号)】

【判旨】
原告が、被告に対し、原告商標権に基づいて被告各標章の使用の差止めを求めるとともに、被告各標章を付した商品の廃棄等を求めることは、権利の濫用に当たり、許されない。

【キーワード】
商標権侵害、商標権の行使の濫用、権利濫用、民法1条3項、不使用

1.事案の概要
(1)当事者
ア 原告
   原告は、昭和50年12月に設立された会社であり、化粧品、健康食品、食品、医薬品、遺伝子検査キット、アパレル等の商品を販売している。
   原告は、「DHC-DS」の商標について、第9類「バッテリーテスター」等の商品について、商標権(登録第5636696号、以下「本件商標権」という。)を有するが、「DHC-DS」の商標を使用したことはなく、また、これまでにバッテリーテスター等の製造・販売を行ったこともない。
イ 被告
   被告は、平成22年6月頃から、台湾DHCよりバッテリーテスター及びその関連商品を輸入・販売している。
   被告が、販売するバッテリーテスターには、商標「DHC-DS」が付されている。
ウ 台湾DHC
      台湾DHCは、1987年に設立された会社であり、創業者A、その妻Bの頭文字を取って「DHC」としたものである。
      台湾DHCは、バッテリーテスター、充電器、メモリーサーバ等を販売しており、中国及び台湾に工場を有するほか、米国に「DHC USA」を設立するなど世界規模で事業を展開し、バッテリーテスター装置産業においては、上位2位に入る製造会社である。
      台湾DHCは、日本、米国、欧州、台湾及び中国で特許権の取得や出願を行い、米国、欧州、台湾及び中国では「DHC」の商標権を取得している。

(2)経緯

  原告 被告
平成22年6月   商標「DHC JAPAN」が付されたバッテリーテスターを、台湾DHCより輸入・販売開始
平成24年1月6日 被告に対し、「DHC」の商標権侵害を理由に商標の使用中止を請求  
平成24年2月16日   原告の「DHC」の商標登録(指定商品は「電気磁気測定器」等)に対し不使用取消審判を請求
平成24年2月21日   原告に対し、原告の主張には理由がないが、協議には応じる旨通知
平成24年4月18日   「DHC JAPAN」をやめて「DHC-DS」に変更する旨を通知するとともに、「DHC-DS」の使用を開始
    原告との協議の中で、被告が「DHC-DS」の商標登録を受けるのは難しいと考え、原告が「DHC-DS」の商標登録を受けた上で、被告にその商標権を譲渡するよう要求
被告の要求に対し、商標権を譲渡することはできないが、無償で使用許諾することを提案   
平成24年10月頃 ①原告が「DHC-DS」の商標登録を受けた上で、被告に使用許諾する、②被告は、係属中の不使用取消審判を除き、今後、原告の商標権の効力を争わない、などの内容で交渉が進行
平成24年10月30日   前記不使用取消審判の請求認容審決がされる
平成24年11月27日   上記審決を受け、原告の要求は妥当でないと考え、原告に対し、原告が「DHC-DS」の商標登録を受けた上で、商標権を被告に譲渡するよう要求
平成24年12月7日 「DHC-DS」について商標登録出願   
平成25年12月13日 「DHC-DS」について商標登録を受け、本件商標権取得     

 

2.争点
  本件商標権の行使は、権利の濫用に該当するか 1
  
3.判旨
  「台湾DHCはその設立から30年近くを経た会社であり、諸外国で「DHC」の商標権を取得している上、バッテリーテスター等について相当な製造実績を有している。そして、被告はこの台湾DHCからバッテリーテスター等を輸入・販売しており、現在に至るまで台数にして●(省略)●、金額にして●(省略)●規模の販売実績を有しているものである。
  また、被告は、その使用する標章をめぐって原告と交渉する中で、「DHC JAPAN」との標章の使用をやめて「DHC-DS」という標章を使用し始めたものであって、被告も原告の利益に一定程度の配慮をしていることがうかがわれ、この点に特段の背信性等があるともいい難い。
そして、被告が使用し始めた「DHC-DS」との標章(被告各標章)についてみても、「DHC」との部分のみならず「DS」という部分も造語であって(被告は「大作商事(だいさくしょうじ)」の「だ」と「し」の頭文字であると説明する。)、この部分だけが特定の観念を有するものでもないし、文字の大きさも「DS」の部分は「DHC」の部分と同じかやや小さい程度にとどまるのであって、被告各標章全体をみても、「DHC」の部分のみが著しく強調されているというわけでもない
  他方で、原告は、「化粧品、健康食品、食品、医薬品、遺伝子検査キット、アパレル等」の商品を販売する会社であって(原告自身、訴状ではこのように説明していた。)、不使用取消審判でも指摘されたように「電気磁気測定器の小売」を行ったことはなく、ましてやバッテリーテスターの製造・販売を行ったこともない。しかるに、原告は、被告の使用する標章をめぐって交渉を積み重ねている中で、被告が譲歩を示して、当初原告から商標権の侵害であるとして使用の中止を求められた「DHC JAPAN」を「DHC-DS」という標章に変更してこれを使用していることを十分認識しながら、被告との交渉が条件が折り合わず暗礁に乗り上げたとみるや、自らの標章につき不使用取消審判を受けているにもかかわらず、あえて被告の使用していた「DHC-DS」の文字につき、指定役務にわざわざバッテリーテスターを含めた上で、原告商標として出願し、その登録を得ると、直ちにこれを被告に対して行使したことが認められる
以上の諸事情に照らせば、原告が、被告に対し、原告商標権に基づいて被告各標章の使用の差止めを求めるとともに、被告各標章を付した商品の廃棄等を求めることは、権利の濫用に当たり、許されないものといわざるを得ない。
(3)  この点に関して原告は、「DHC-DS」という原告商標の出願当時、同商標をバッテリーテスター等に使用する意思があったと主張する。
  しかし、原告は、当審において、被告からその具体的な理由及び事業計画を明らかにするよう求められたにもかかわらず、これを明らかにしない
  そもそも原告は「化粧品、健康食品、食品、医薬品、遺伝子検査キット、アパレル等」の商品を販売する会社というのであって、原告のホームページ上では美顔器やドライヤーが販売されていることや、ヘリコプター事業を行っている旨の記載があることを考慮に入れても、原告が、原告商標の出願当時、バッテリーテスター等の製造・販売事業に参入する事業計画があったとか、ましてやバッテリーテスター等の製造・販売に当たって「DHC」ではなく「DHC-DS」という原告商標を使用する具体的な意思があったことをうかがわせる証拠は何ら存しない
(4) 以上によれば、争点(1)アないしウについて判断するまでもなく、原告の商標権侵害に基づく請求は理由がない。」 2

4.検討
(1)本件は、原告の商標権の行使が権利の濫用3にあたると判断された事例である。商標権の行使が権利の濫用にあたるかどうかは、登録商標の取得経過や取得意図、商標権の行使の態様等によって、商標権の行使が、客観的に公正な競争秩序を乱すものかどうかという基準で判断される。4
     本件では、被告が「DHC-DS」を使用することは、その使用経緯、使用態様等からして、原告の「DHC」の信用にただ乗りしようとする意図などはなく、被告が「DHC-DS」の商標を使用していることには相応の事情があったことから、被告に商標の使用を継続させるべき事情が認められる。一方で、原告は、「DHC-DS」を、バッテリーテスターに、これまでに使用した事実も、今後使用する計画もないことに加え、「DHC」の商標登録が不使用取消審判で取り消された直後に、「DHC-DS」をバッテリーテスターに出願し、権利行使に及んでいる。したがって、原告は、専ら権利行使のみを目的として取得した商標権に基づき権利行使を行っており、原告に権利行使を認める必要性は認められない。
     このように本件では、被告に「DHC-DS」の使用を継続させるべき事情と、原告に権利行使を認める必要性がない事情を踏まえて、商標権の行使を認めなかったことから、判決の結論は妥当であろう。
(2)本件では、原告が、「DHC-DS」を使用する具体的計画等が全く認められなかった上に、不使用取消審判の請求認容審決を受けた事情が、結論に大きく影響を与えたと思われる。5
     商標法では、登録要件として使用意思(商標法3条1項柱書)が求められるが、将来も使用しないことが明らかでない限り、使用意思がないとはされない。したがって、出願人の業務範囲が制限される等の事情がない限り、使用意思が否定されることは考え難いことから、商標権者は、将来、商標を使用する可能性さえあれば、商標登録は無効にならないため、第三者の使用行為を差し止めることができるのである。
     本件で、原告が、「DHC-DS」をバッテリーテスターに使用する事業計画を明らかにしなかった事実だけをもって、直ちに原告の使用意思を否定することは難しいため、無効理由はないとして、原告の差止請求が認められる余地もあった。
     しかし、使用意思を否定することが難しくても、商標法の保護対象が業務上の信用であり、不使用取消審判を設けて不使用商標を取り消している趣旨からして、登録商標を使用する具体的計画も明らかにせず、しかも不使用取消審判により商標登録が取り消された直後に出願して取得した商標権の行使を認めることは、商標法の仕組みからしても明らかに不当である。このような理由から、判決では、商標登録を無効にすることはできなくても、権利濫用の法理を用いて、商標権の行使を制限しているものと思われる。
    他の法域では、権利濫用が認められる場合は殆どないが、商標法では、無効理由があるか微妙な事案の場合、本件のように権利濫用が認められる場合がある。したがって、商標権侵害訴訟の被告は、無効理由の抗弁を主張する場合、無効理由が認められない場合に備えて、権利濫用の抗弁を主張しておくことが重要である。
(3)被告は、原告から警告を受けた際、商標「DHC-DS」を指定商品「バッテリーテスター」について商標登録を受けることが困難だと考え、自ら商標権の取得をしようとはしなかった。被告がこのように考えた理由は、原告が、商標「DHC」について、「電気磁気測定器」等を指定商品として商標登録を受けていたからである。6
     しかし、その後、被告は、原告の前記商標登録に対し、不使用取消審判を請求し、その請求認容審決を得ることができたのであるから、前記不使用取消審判を請求すると共に、「DHC-DS」の商標登録出願をしておけば、原告の商標登録が取り消されるのと引き換えに、被告が「DHC-DS」の商標権を取得することは可能であった。それにもかかわらず、被告は、「DHC-DS」の商標登録出願をせずに、原告と交渉を続けたことから、その間に、原告が、「DHC-DS」の商標登録出願をし、商標権を取得したために、本件訴訟に至ったのである。
    このように、取消理由又は無効理由が存在する商標登録について、同内容の商標権を取得したい場合、取消審判又は無効審判を請求すると共に、商標登録出願をしておくことが重要である。

(文責)弁護士・弁理士 杉尾雄一


  1本件では、商標権に基づく請求において、権利の濫用以外にも、①商標の類否、②商標法4条1項7号による無効、③商標法3条1項柱書による無効について、争点となったが、判決では、権利の濫用についてのみ判断が示され、他の争点についての判断は示されなかった。
  2本件では、不正競争防止法2条1項1号、2号及び12号に基づく請求もされたが、いずれの請求も棄却された。
  3権利の濫用とは、外見上は権利の行使にみえるけれども、実際には権利の行使として社会的に許される限度を超えており、権利の行使と認めることができないことをいう(佐久間毅『民法の基礎1 総則』437頁(有斐閣,第3版,2012年))。
  4商標権の行使が権利の濫用にあたるとした最高裁の判例として、最判平成2年7月20日〔ポパイ・マフラー事件〕がある。ポパイ・マフラー事件は、「本件商標は右人物像の著名性を無償で利用しているものに外ならないというべきであり、客観的に公正な競業秩序を維持することが商標法の法目的の一つとなっていることに照らすと、被上告人が、「ポパイ」の漫画の著作権者の許諾を得て乙標章を付した商品を販売している者に対して本件商標権の侵害を主張するのは、客観的に公正な競業秩序を乱すものとして、正に権利の濫用というほかない。」と判示しており、事例判断としての要素が強いが、東京地判平成17年10月11日〔ジェロヴィタール事件〕は、ポパイ・マフラー事件を引用した上で、「商標登録に商標法46条1項所定の無効理由が存在しない場合であっても、登録商標の取得経過や取得意図、商標権行使の態様等によっては、商標権の行使が、客観的に公正な競争秩序を乱すものとして権利の濫用に当たり、許されない場合があると解すべきである」と判示しており、一般的・抽象的な法規範を明示している。
  5不使用商標に基づく差止請求権の行使を権利の濫用にあたらないと判断した事例として、東京地判昭和63年2月12日〔VOGUE事件〕がある。
  6「DHC」と「DHC-DS」は、審査において、商標が類似すると判断される可能性が高い。また、「電気磁気測定器」と「バッテリーテスター」は互いに類似する商品である(両商品は類似群コードが共に11A04であるため。)。したがって、商標法4条1項11号により、被告は「DHC-DS」について商標登録を受けられない可能性が高い。