【判旨】
本件補正事項を含む本件補正は,法17条の2第4項(現行法の5項)の規定に違反するものであるとして,これを却下すべきものであるとした本件審決の判断に誤りはない。本願発明は,引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
【キーワード】
パラメータ特許、特許請求の範囲の減縮、特許法17条の2第5項、進歩性、特許法29条2項、4部判決
 

【事案の概要】
 本件は、拒絶審決の審決取消請求事件である。
 特許出願人(原告ら)は、発明の名称を「セルロースアシレート,セルロースアシレート溶液およびその調製方法」とする発明について特許出願をしたものの拒絶査定を受け、拒絶査定不服審判を請求するとともに、特許請求の範囲を補正(以下「本件補正」という。)した。ところが、特許庁は、本件補正を却下した上で不成立審決をしたため、原告らは当該審決の取消訴訟を提起した。
 特許法17条の2第4項(現行法の5項)違反として却下された本件補正は以下の下線部分である。
【請求項1】
ソルベントキャスト法によりセルロースアシレートフイルムを製造するためのセルロースアシレートであって,2位,3位のアシル置換度の合計が1.70以上1.90以下であり,かつ6位のアシル置換度が0.88以上であるセルロースアシレート
 また、補正が却下された結果、本件審決が判断対象とした、補正「前」の請求項2に係る発明(請求項1に従属するものを独立形式に書き換えたもの:以下「本願発明」という。)は、以下のとおりである。
2位,3位のアシル置換度の合計が1.70以上1.90以下であり,かつ6位のアシル置換度が0.88以上であるセルロースアシレートであって,アシル基がアセチル基であるセルロースアシレート
【争点】
争点は、
①補正却下の判断の誤り(現行法の特許法17条の2第5項2号違反の判断の誤り)
②進歩性判断の誤り(本願発明は、引用例(特開平11-5851号公報)に記載された発明から容易想到であるか)
なお、争点②につき、特許庁は、本願発明と引用例に記載の発明(実施例2の記載)との一致点・相違点を以下のとおり認定した。
(一致点)
6位のアシル置換度が0.88以上であるセルロースアシレートであって,アシル基がアセチル基であるセルロースアシレート
(相違点)
2位,3位のアシル置換度の合計が,本願発明では,「1.70以上1.90以下」であるのに対し,引用発明では,「1.91」である点
 
【判旨抜粋】
争点①について
「1 取消事由1(本件補正を却下した判断の誤り)について
(1) 本件補正の許否
ア 法17条の2第4項に基づく補正は,法36条5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって,その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限られる(法17条の2第4項2号)。すなわち,補正前の請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであることが必要である。
イ 本件補正事項に係る『ソルベントキャスト法によりセルロースアシレートフイルムを製造するためのセルロースアシレート』とは,セルロースアシレートがフイルムという物品を製造するための原料であり,そのフイルムの製造方法がソルベントキャスト法であることを特定するものであるが,補正前の請求項1には,セルロースアシレートが何らかの物品を製造するための原料であることや,その物品の製造方法に関して何ら特定する事項がない。よって,本件補正事項は,補正前の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものには該当しない。そうすると,本件補正事項を含む本件補正は,法17条の2第4項の規定に違反するものであるとして,これを却下すべきものであるとした本件審決の判断に誤りはない。」
 
争点②について
「2 取消事由2(本願発明の進歩性に係る判断の誤り)について
(1) 本願発明について
<略>
(2) 引用例に記載された発明について(甲5)
ア 引用例の実施例2には,本件審決が認定した引用発明が記載されているところ,引用例の特許請求の範囲(請求項1)には,『2位,3位および6位のアセチル置換度の合計が2.67以上であり,かつ2位および3位のアセチル置換度の合計が1.97以下であるセルロースアセテートを含むことを特徴とするセルロースアセテートフイルム』が記載されている。ここには,セルロースアセテートフイルムを製造するための原料であるセルロースアセテートが特定されていることが明らかである。
イ そして,引用例の図1(別紙図1)において,斜線で示されている部分は,上記の請求項1において特定されているセルロースアセテートの範囲を示すものである。」

「(3) 本願発明と引用例の請求項1に記載された発明との対比
・・・本願発明と引用例に記載された上記発明とは,『セルロースアシレート』に関する点で一致し,セルロースアシレートに関して,本願発明は『2位,3位のアシル置換度の合計が1.70以上1.90以下であり,かつ6位のアシル置換度が0.88以上』を特定するのに対して,引用例に記載された発明は『2位,3位および6位のアセチル(アシル)置換度の合計が2.67以上であり,かつ2位および3位のアセチル(アシル)置換度の合計が1.97以下』を特定する点において相違する。
 このように,本願発明は『2位,3位のアシル置換度の合計』と『6位のアシル置換度』という方法で発明を特定しているのに対し,引用例に記載された発明では,『2位および3位のアシル置換度の合計』と『2位,3位および6位のアシル置換度の合計』という方法で発明を特定しているものであって,両者は,セルロースアシレートの特定の方法が異なる
(4) 容易想到性
ア 本願発明と引用例に記載された発明とは,上記のとおり,セルロースアシレートの特定の方法が異なり,直接比較することができない。
 しかし,いずれも,セルロースアシレートを2位,3位及び6位のアシル置換度の関係という,共通するパラメータを用いて特定するものであるから,引用例の別紙図1に本願発明に特定される数値範囲を反映させてみると,別紙図2に示す塗りつぶし部が本願発明の数値範囲に対応する。
 別紙図2によれば,本願発明(塗りつぶし部)と引用例の特許請求の範囲に記載された発明(斜線部)とは,重複する範囲を有する。」

「イ 引用例は,発明の詳細な説明において,実施例1ないし3と比較例1ないし3により,実施例1ないし3が優れたフイルムであることを示すものである。しかし,引用例の特許請求の範囲に記載された発明は,セルロースアシレートに関して『2位,3位および6位のアセチル置換度の合計が2.67以上であり,かつ2位および3位のアセチル置換度の合計が1.97以下』の範囲を特定するものであり,その範囲のセルロースアセテートが製造可能であることは,引用例の記載及び技術常識に照らして明らかであるから,引用例に特定される要件を満足する範囲の中で,セルロースアシレートを特定すること,またそのように特定したセルロースアシレートを用いて引用例に記載された方法によってドープを調製し,フイルムを製膜してみることは,当業者が容易に想到し得ることである。
 そして,本願発明がそのような引用例の記載から当業者が容易に発明できるセルロースアシレートを包含していることは明らかである。
(5) 発明の効果について
 本願明細書の発明の詳細な説明の表2には,本願発明は,比較例1ないし3と比較して,溶液の安定性や粘度,フイルムの面状,ヘイズ値において,良好な性能を奏するものであることが記載されている。
 しかし,表2に示される効果は,表1に示される特定の条件においてドープを調製した場合に奏されるものであって,そのうちフイルムの面状やヘイズ値が良好であることは,溶液(ドープ)の安定性が良好なことや40℃の粘度が低いことに基づくものであり,ドープからの製膜性の善し悪しがフイルムの性能に影響を与えると解される。
 ・・・引用例・・・の記載によると,ドープの安定性は,ドープに使用される有機溶媒の種類や溶解方法に影響を受けるものと認められる。また,ドープの粘度は,溶解されるセルロースアセテートの分子量やドープ中の濃度にも影響を受けることや,フイルムの性能は,乾燥方法などの製膜条件によっても影響を受けるものである。
 したがって,本願明細書の実施例において確認された効果も,実施例に示されるような特定の方法で調製されたドープや,それを用いて製膜されたフイルムについて認めることができるものというにとどまり,他の条件の調製方法でドープを製造した場合にも,同じ結果が得られるとは必ずしもいえない。よって,そのような特定の条件においてドープを製造した場合の効果は,本願発明のセルロースアセテートという化学物質それ自体の効果であって,かつ,その効果が格別顕著であるということはできない。」
 
「(6) 原告らの主張について
ア 原告らは,本願発明と引用例に記載された発明とは,技術的思想が相違すると主張する。
 上記(3)のとおり,本願発明と引用例に記載された発明とは,特定する方法が異なる。しかし,両者が特定する方法は,セルロースアシレートという化学物質を2位,3位及び6位のアセチル置換度の関係という,共通するパラメータで特定するものである。本願発明と引用例に記載された発明の,それぞれが特定する方法を満足する個々のアセチルセルロースは,それぞれ個々の2位,3位及び6位のアセチル置換度を有している。そして,そのような個々のセルロースアセテートは,両発明が特定する方法とは直接関係がない。
 すなわち,本願発明と引用例に記載された発明とは,いずれも,両者が特定する方法や,原告らの主張する技術思想とは関係なく,2位,3位及び6位のアセチル置換度という共通するパラメータで対比,検討することができるものである。
 そして,本願発明と引用例に記載された発明,それぞれの方法で特定される範囲を対比すると,前記のとおり,両者は重複する範囲を有し,その範囲に同じセルロースアセテートを包含するのである。
 したがって,原告らの上記主張は失当である。
イ 
<略>
ウ 原告らは,引用例で広く規定された数値範囲と一部重複するものの,引用例の実施例とは重複せず,しかも引用発明とは技術的思想が異なり,かつ異質で顕著な効果を奏する本願発明においては,数値範囲の重複は特許性を認められない理由とはならないと主張する。
 しかし,引用例には,実施例以外の引用例に特定される範囲のセルロースアシレートも,フイルムを製造するものとして記載されていると解される。そして,引用例に特定される範囲のセルロースアシレートのうち,引用例に実施例として記載されていないものについて,引用例に特定される範囲の中で,セルロースアシレートという化学物質を単に特定したり,さらにより限定された範囲を単に特定してみたりすることは,当業者が適宜想到し得ることにすぎない。
 そして,本願明細書において確認されているのは,特定の条件で製造されたドープや当該ドープから製造されたフイルムの性能のみである。本願明細書には,本願発明の範囲に含まれるセルロースアシレートという化学物質を特定したことによって,当業者が予測できない効果を奏することに関しては明らかにされていない。
 また,本願発明のように,引用例の請求項1に開示される範囲に含まれるものであって,引用例に具体的に記載された実施例を含まない範囲を単に選択して特定することは,当業者にとって容易なことであるといわざるを得ない。」
 
【解説】
 争点①については、特許法17条の2第4項2号(現行法の5項2号)の「第36条5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって」との要件を満たさないとされた。「ソルベントキャスト法によりセルロースアシレートフイルムを製造するためのセルロースアシレート」との補正は、知財高裁が認定するとおり、セルロースアシレートがフイルムという物品を製造するための原料であり、そのフイルムの製造方法がソルベントキャスト法であることを特定するものであって、発明特定事項を限定とする内容ではない(いわゆる外的付加)。それゆえ、特許庁、知財高裁の判断のとおりと考える。
 
 争点②につき、興味深いのは、特許庁と知財高裁とで引用例に記載された発明(引用発明)の認定が異なる点である。すなわち、特許庁は実施例2の記載を引用発明としたが、知財高裁は請求項1の記載を引用発明と認定した。
 その結果、審判では、相違点が「2位,3位のアシル置換度の合計が,本願発明では,『1.70以上1.90以下』であるのに対し,引用発明では,『1.91』である点」とされ、本願発明は引用発明に対して数値限定的な位置づけにあるとされた一方、取消訴訟では、「本願発明は『2位,3位のアシル置換度の合計』と『6位のアシル置換度』という方法で発明を特定しているのに対し,引用例に記載された発明では,『2位および3位のアシル置換度の合計』と『2位,3位および6位のアシル置換度の合計』という方法で発明を特定しているものであって,両者は,セルロースアシレートの特定の方法が異なる」とされた。
 このセルロースアシレートの特定方法の違いが、技術思想の違いとして説明できれば、本願発明の進歩性は肯定されたかもしれない。この点、原告ら(特許出願人ら)は、技術思想の相違を主張したものの、上記「(6) 原告らの主張について」の判示をみる限り、説得的な主張は難しかったようである。知財高裁は、(i)本願発明と引用発明とのアセチル置換度を整理すると、上記図2に示すとおり本願発明と引用発明とには重複領域がある上、(ii)引用例の実施例、比較例等の記載を参酌すれば引用発明の領域(請求項1に記載の範囲)のセルロースアセテートは製造可能である、と判断し、当業者が引用発明から本願発明を容易に想到できるとした。
 
 ところで、上述のとおり、特許庁は実施例2の記載を引用発明としたのに対し、知財高裁は請求項1の記載を引用発明とした。この点については、審決取消訴訟の審理範囲について判断したメリヤス編機事件大法廷判決(最大判昭51・3・10)との関係で問題がないか検討が必要となる。同大法廷判決では、
 
「無効審判における判断の対象となるべき無効原因もまた、具体的に特定されたそれであることを要し、たとえ同じく発明の新規性に関するものであっても、例えば、特定の公知事実との対比における無効の主張と、他の公知事実との対比における無効の主張とは、それぞれ別個の理由をなすものと解さなければならない。・・・審決の取消訴訟においては、抗告審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比における無効原因は、審決を違法とし、又はこれを適法とする理由として主張することができないものといわなければならない。」
 
と判示されている。メリヤス編機事件は特許無効の事案に関するものであるが、この大法廷判決の理論はいわゆる当事者系及び査定系のいずれにも妥当する理論であるとされている(調査官解説)。
 本件では、同一の文献においてのものではあるが、特許庁が実施例2の記載を引用発明としたのに対し、知財高裁が請求項1の記載を引用発明としたことは、厳密には、「拒絶査定不服審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比」になるのではとの疑問が生じうる。そこで、特許庁の審決を参照すると、同審決では、「引用文献1の記載事項」の欄で請求項1の記載を引用した上で、「相違点に対する判断」の欄では、
 
そして、引用文献1の合成例1及び36においては、硫酸触媒の量及び酢化反応の時間を調節することにより、2位と3位のアセチル置換度の合計の値及び6位のアセチル置換度の値が異なるセルロースアセテートが得られたことが記載されている(摘示(1-)(1-)及び(1-)(1-))
※・・・摘示(1-)が請求項1の記載である。
 
とされ、請求項1の記載を参照した対比が一応行われている。
 こうした状況に鑑みると、本件の取消訴訟で「拒絶査定不服審判の手続において審理判断されなかった公知事実との対比」が行われたとはいえず、上記大法廷判決のいう審理範囲を逸脱するような違法性はないと考える。
 ただし、当事者の手続保障(不意打ち防止)の見地からは、審決取消訴訟の段階で引用発明を変更するのであれば、裁判所からその旨の示唆(訴訟指揮)が当事者にされるべきと考える。もっとも、本件でこうした訴訟指揮がなされたか否かは不明である。
 
 最後に、化学分野におけるパラメータ特許は、有効な公知文献が見つかりにくく、実務上は無効としにくい(つぶしにくい)とされる。もっとも、本件では「2位、3位、6位のアシル置換度」という共通したパラメータで引用発明と本願発明とが特定されており、対比が行いやすいという特殊事情があったため、上記のとおりの結論になったと考える。それゆえ、本件は比較的特殊なケースであろう。ただ、知財高裁が採用したパラメータの図示(上記図1、2)は実務上参考になる。そのような理由から、本判決を紹介した次第である。
 
2013.2.1 (文責)弁護士 栁下彰彦