【判旨】
審決が、本件補正を却下した点には誤りがあるが,本願補正発明は引用文献に記載された発明及び周知技術に基づき容易に想到できたと判断した点に誤りはなく,本件補正却下の誤りは審決の結論に影響を及ぼすものではないから,審決を取り消すべきとはいえない。
【キーワード】
補正、補正却下、拒絶査定不服審判時の補正、明細書の補正、進歩性、特許法17条の2第4項、特許法29条2項、3部判決
 

【事案の概要】
本件は、拒絶審決の取消訴訟である。
特許出願人(原告)は、発明の名称が「無線によるエンジン監視システム」なる発明について特許出願をしたものの拒絶査定を受けた。請求項1に係る発明は以下のとおりのものである。
 
[請求項1]
航空機のエンジンのパフォーマンスの記録を提供するためのシステムであって:
前記航空機エンジンの動作に関係する航空機エンジンデータを収集するために前記航空機エンジンに取り付けられ,さらに無線通信信号を介して前記エンジンデータを送信するための送信機を有するエンジン監視モジュールであって前記航空機エンジンを追跡するための前記航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てられているエンジン監視モジュールと,
前記送信されたエンジンデータを受信するための受信機,
とを有することを特徴とするシステム。
 
特許権者は、拒絶査定不服審判の請求時に、明細書の段落0011について以下の補正を行った(以下「本件補正」といい、下線部が補正箇所である。)。
 
[0011]
本発明のいま一つの側面では,エンジンデータを収集するためにFADEC/ECUが航空機エンジンとともに動作する。当該エンジン監視モジュールはエンジンデータを集めるために電気的にFADEC/EDUに接続される。好ましくは当該エンジン監視モジュールにデータアドレスが割り当てられ,該データアドレスは当該航空機エンジンを追跡するtrackためのエンジンシリアル番号と結び付けられている。このデータアドレスは好ましくはインターネットアドレスを含んでいる。当該エンジン監視モジュールはまた,トランシーバの一部として,エンジン監視のために使われるさまざまなアルゴリズムを含むデータを機上処理のためにアップロードするための受信機をも含むことができる。
 
審決は、①本件補正が、特許請求の範囲の減縮に当たらず,請求項の削除,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的としたものでもないから,平成18年改正前特許法第17条の2第4項(現5項)の規定に違反するとして却下した上,本願発明は,引用文献に記載された発明及び周知技術に基づき,容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断し,②仮に,本件補正が適法であるとしても,本件補正後の特許請求の範囲の請求項1に記載された発明(以下「本願補正発明」という。)は,引用文献に記載された発明及び周知技術に基づき,容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。
 
なお、審決では、引用文献に記載された発明との相違点は、
「エンジン監視モジュールに関して,本願発明(本願補正発明)においては航空機『エンジン』に取付けられ,『航空機エンジンを追跡するための前記航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てられている』のに対して,引用文献に記載された発明においては,本願発明(本願補正発明)における『エンジン監視モジュール』に相当する『GDLセグメント101』が航空機エンジンに取り付けられているかどうか不明であって,『航空機エンジンを追跡するための前記航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てられている』かどうか不明な点。」
とされた。
 
【争点】
①明細書の補正(請求項の補正ではない)が、平成18年改正前特許法17条の2第4項(現5項)の規定に違反するとした審決の妥当性
②本願補正発明の進歩性
【判旨抜粋】
争点①について
「1 取消事由1(本件補正却下の違法性)について
 審決は,本件補正は,特許請求の範囲の減縮に当たらない上,請求項の削除,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的としたものではないから,旧特許法17条の2第4項1号ないし4号(現5項1号~4号)のいずれにも該当しないとして,これを却下した。
 しかし,審決の上記判断には誤りがある。すなわち,旧特許法17条の2第4項は,特許請求の範囲についてする補正に係る規定であるところ,本件補正は・・・明細書の段落[0011]の「追跡する」の後に,英語で追跡を意味する語である「track」を付け加えるものであって,特許請求の範囲についてする補正に当たらない。これに対し,被告は,本件補正は,実質的に特許請求の範囲についてする補正であり,特許17条の2第4項が用される主張するが,明細書の記載に係る補正に同条同項の用があるとすることはできず,主張自体失当である。
 したがって,審決の本件補正却下の判断には誤りがある。もっとも,審決は,本件補正を却下する一方で,予備的に,本件補正が適法であるとしても,本願補正発明は,引用文献に記載された発明及び周知技術に基づき,容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断しているので,進んでこの点について検討することとする。」
 
争点②について
「3 取消事由3(容易想到性判断の誤り)について
(1) 事実認定
・・・(中略)・・・
(2) 判断
ア 上記引用文献の記載によれば,引用文献には,①地上データリンクユニット(GDLセグメント)は,航空機のエンジン状態を検知するセンサーに接続されて航空機のエンジンのデータを収集していること,②収集されたエンジンデータは,GDLセグメントから地上にダウンロードされて到着地でエンジン整備が必要かどうかの判断に役立てるなどエンジンの追跡管理に用いられていること,③FADECエンジン制御システムは,エンジン状態を検知するセンサーに接続され,エンジン事象の監視に使用できること,④GDLセグメントのGDLユニットは,IPアドレスを保持し,航空機のテール番号(識別番号)と結びつけられていることが記載されており,引用文献に記載された発明は,GDLセグメントを通じて各エンジンを監視していると認められる。
 また,甲2・・・には・・・と,甲3・・・には・・・と,乙1・・・には・・・と記載されており,航空機エンジンにFADECなどのエンジン制御システムを取り付けることや,FADECなどのエンジン制御システムがエンジン事象を監視する機能を有することは,周知の技術事項といえる。
 そして,引用文献に記載された発明のGDLセグメントは,航空機のエンジンのデータの収集のほか,航空機の飛行中の飛行性能データの収集や,音声及び映像ファイルなどのアップロードを行うもので,複数種類の情報を総合的に処理する装置であるが,一つの装置各種合的理する類ごとに個別理するは,選択技術的事項であるといGDLセグメにおけるエンジンの監視機着目し,その手段をエンジンに取り付けることは,容想到といえる。
 さらに,用文に記載された発明においては,ネットク全体CP/IPプロトコルをとして,GDLユニットIPアドレスを保持し,行機のテール番号と結びつけられているとこ,エンジンをシリアル番号で追跡理すること理するためシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てることは周知であること(4ないし7,1ないし4)らすれ用文に記載された発明において,IPアドレスをエンジンのシリアル番号と結びつけることも,容想到といえる。
 なお,本願補正発明の効果についてみても,引用文献に記載された発明や周知技
術から予測し得る範囲内のものであり,格別顕著なものとはいえない。
 以上によれば,本願補正発明は,引用文献に記載された発明に周知技術を適用することにより容易に想到することができたといえる。
イ 原告の主張に対して
・・・(中略)・・・
(ウ) 原告は,FADECは,無線通信信号を介してエンジンデータを送信する機能を有しないから,エンジン監視モジュールとFADECとを同一視することはできず,FADECを航空機エンジンに取り付けることが知られていたとしても,エンジン監視モジュールを航空機エンジンに取り付けることが容易であったとはいえない,引用文献に記載された発明においては,GDLユニット111が『航空機の航空電子工学機器区画の管理された環境の中』に設置されることが最善の選択肢であり,引用文献には,GDLセグメントを航空機エンジンに取り付けることは,記載も示唆もされていない,と主張する。
 この点,確かに, FADECなどのエンジン制御システムは,エンジン監視モジュールそのものとはいえず,また,上記引用文献の記載によれば,引用文献に記載されたGDLセグメントは,航空機のエンジンのデータのほか,航空機の飛行中の飛行性能データの収集や音声及び映像ファイルなどのアップロードを行うもので,好ましくは,航空機の航空電子工学機器区画の管理された環境の中に設置されるものであり,このようなGDLセグメントをそのままFADECと一緒に,あるいは一体化して,航空機エンジンに取り付けることが容易とは直ちには言い難い。
 しかし, FADECなどのエンジン制御システムは,エンジン監視モジュールそのものとはいえないとしても,エンジン事象を監視する機能を有するものである。また,上記のとおり,引用文献に記載された発明において,GDLセグメントを通じて航空機のエンジンを監視する機能に着目し,そのための手段を各エンジンに取り付けることに想到することは容易であったといえる上,引用文献には,エンジン監視モジュールが航空機エンジンを追跡する(track)ための航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを有する点についての示唆があるといえる。そうすると,無線通信信号を介してエンジンデータを送信するための送信機を有し,航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てられているエンジン監視モジュールを航空機エンジンに取り付けること自体が知られていないとしても,引用文献に記載された発明に上記周知技術を適用することにより,本願補正発明の構成に想到することは容易であったといえる。したがって,原告の上記主張も採用することができない。」

【解説】
本件では、明細書についてされた補正が特許請求の範囲についての補正と評価できるか否かが争われた。この点につき、平成18年改正前の特許法17条の2第4項(現在の5項)では「特許請求の範囲についてする補正」と明示されているので、文理上は、明細書の補正につき同項が適用される余地はない。しかし、特許庁は、明細書に「追跡する(track)ための・・・」との補足説明を加えた補正が、実質的には特許請求の範囲についての補正であると主張した。
この特許庁の主張は、一面においては理解できる。なぜなら、請求項1の「前記航空機エンジンを追跡するための前記航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレス」との表現は、英語を日本語に翻訳して国内に出願(パリ優先権主張出願)されたという事情もあり、日本語としては直感的に理解しづらいところ、「track」という英単語には「監視する」という意味もあることに鑑みれば、明細書の「追跡する」との文言が「track」すなわち「監視する」という意義に解釈されるとするならば、特許請求の範囲においても同様の解釈がされてもよいはずであり、「追跡する」を「監視する」と理解すると、本願補正発明の内容が理解しやすくなり、文言解釈も若干変わり得るからである。
もっとも、条文上の文理は上記の通り、明細書の補正を、直ちには特許請求の補正であると評価できないところ、本願補正発明には「・・・追跡するための・・・データアドレスを割り当てられているエンジン監視モジュール」とも記載されており、「追跡する」を「track」の文言を参酌して解釈しなくても、発明の内容を把握できるという事情もある。そうすると、本願補正発明につき補正却下を行った特許庁の判断は誤りがあるとする知的財産高等裁判所の判断は妥当であると考えられる。
 
次に、本件では、本願補正発明が進歩性を有するかということが争われた。具体的には、引用文献に記載の発明において、①「エンジン監視モジュール」に相当する「GDLセグメント101」をエンジンに取り付けること、及び②「GDLセグメント101」に「航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てる」こと、が容易想到といえるか否かが争われた。本判決は、引用文献記載の発明に周知技術を組み合わせること(付加すること)により、本願補正発明は容易想到であると判示した。
この点については、本判決では進歩性の判断過程(例えば課題の共通性等)が詳しく説明されていないが、「GDLセグメント」をエンジンに取り付けることや、「GDLセグメント」に所定のデータアドレスを付与する程度のことは、引用文献の記載や周知技術に鑑みれば当業者の設計事項であるという価値判断があったと推測される。
もっとも、知的財産高等裁判所における近時の進歩性の判断(進歩性は総合的に判断する)からすれば、逆の結論もあり得たようにも考える。なぜなら、引用文献に記載された発明における「GDLセグメント」は「航空機の航空電子工学機器区画の管理された環境の中」に設置されることが最善の選択肢とされており、エンジンに取り付けることを阻害するような記載もあるからである。原告サイドから考えれば、「上記所定の環境の中に置かれるべき『GDLセグメント』をエンジンに取り付けることは、引用文献に記載の発明の技術的思想を破壊するものであって、引用文献に記載の発明に接した当業者であればこそ行わない創作である」というような主張も可能であったと考える。
2012.5.14 (文責)弁護士 栁下彰彦