【平成27年10月13日(知財高判 平成27年(行ケ)第10021号)】 

【判旨】
医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができないから,医薬用途発明において実施可能要件を満たすためには,本願明細書の発明の詳細な説明は,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある。

【キーワード】
特許法36条4項,実施可能要件,審決取消訴訟,知財高裁2部判決


【事案の概要】
 本件は,特許出願拒絶査定不服審判請求に対する不成立審決の取消訴訟である。争点は,実施可能要件及びサポート要件の充足の有無である。
 対象とされた出願は医薬組成物に関するものであり,補正後の請求項1(拒絶査定不服審判で拒絶理由通知を受けたために補正)に係る発明(以下「本願発明」という。)は以下のとおりのものである。
「【請求項1】
薬理学的に有効な量の下記の構造を有する化合物または医薬上許容可能されるその塩(裁判所注:以下,下線部分を「HDP-CDV又はその塩」ともいう。)と,少なくとも1つの免疫抑制剤とを含む,ウイルス感染を治療するための医薬組成物であって,前記ウイルス感染は,アデノウイルス,オルソポックスウイルス,HIV,B型肝炎ウイルス,C型肝炎ウイルス,サイトメガロウイルス,単純ヘルペスウイルス1型,単純ヘルペスウイルス2型又はパピローマウイルス感染である,医薬組成物。
【化1】

 特許庁(審決)では,本願発明は,実施可能要件及びサポートともに満たさないとされた。以下,実施可能要件についての審決の判断を抜粋して紹介する。

(1)実施可能要件について
ア 本願発明は,シドフォビルのプロドラッグであるHDP-CDV又はその塩と「少なくとも1つの免疫抑制剤」とを含むウイルス感染を治療するための医薬組成物に関するものであるところ,本願明細書の発明の詳細な説明には,本願請求項に記載の「免疫抑制剤」が,シドフォビルのプロドラッグの生物学的利用能の増強に有用である旨の一般的な記載・・・のほか,【0010】,【0070】には,免疫抑制剤の一つであるシクロスポリンがP糖タンパク質の作用を阻害すること,【0011】には,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤がバイオエンハンサー(薬物の分解,又は生体内変換を最小限に抑えるために薬物とともに投与できる化合物)として使用されることの記載がある。
  しかし,本願明細書の発明の詳細な説明には,実際に,本願請求項に記載の「少なくとも1つの免疫抑制剤」がシドフォビルのプロドラッグであるHDP-CDV
又はその塩の生物学的利用能を増強でき,また,これらを含む組成物がウイルス感染を治療するために使用できたことを確認し得る,薬理試験方法や薬理試験データ
等に関する具体的な記載は全く存在しない。
イ すすんで,発明の詳細な説明の上記のような記載及び本願出願日当時の技術常識に基づいて,当業者が本願発明の組成物をウイルス感染の治療のために使用できるといえるのか否かについて,検討する。
  本願出願日当時において,HDP-CDV又はその塩,及び「免疫抑制剤」を含む組成物がウイルス感染を治療するために使用できることが,技術常識であったとは解されない。むしろ,抗ウイルス剤であるところのHDP-CDV又はその塩と「免疫抑制剤」は,一般的には,互いに相反する作用を有するものといえることを考慮すると,HDP-CDV又はその塩と免疫抑制剤とを併せて投与した場合に十分な治療効果が得られるとは認められない。
  上記のような技術常識を踏まえれば,本願明細書の発明の詳細な説明には,シドフォビルのプロドラッグであるHDP-CDV又はその塩,及び「少なくとも1つの免疫抑制剤」を含む組成物がウイルス感染を治療するために使用できることが,当業者に理解できるように記載されているとは認められない。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものではない。

【争点】
 実施可能要件,サポート要件につき,審決の判断に誤りがあるか。

【判旨抜粋】(下線筆者)
2 取消事由1(実施可能要件の判断の誤り)について
(1) 特許法36条4項1号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明においては,当該発明にかかる物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使用することができる程度のものでなければならない
  そして,医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができないから,医薬用途発明において実施可能要件を満たすためには,本願明細書の発明の詳細な説明は,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある
  本願発明は,前記1において述べたように,抗ウイルス化合物であるシドフォビルの脂質含有プロドラッグとして公知のHDP-CDVに対し,免疫抑制剤をエンハ
ンサーとして併用することにより,HDP-CDVの生物学的利用能を増強させ,より良い治療効果を奏する組成物とすることを技術的特徴とすることに照らせば,本願発明について医薬としての有用性があるというためには,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されるだけでなく,HDP-CDVを単独で用いた場合に比べて,ウイルス感染の治療効果が向上することが必要であると解するのが相当である。

(2) 原告は,審決が,当業者の本願明細書の詳細な説明の理解を検討するに際し,「抗ウイルス剤であるところのHDP-CDV又はその塩と『免疫抑制剤』は,一般的には,互いに相反する作用を有するものといえることを考慮すると,HDP-CDV又はその塩と免疫抑制剤を併せて投与した場合に十分な治療効果が得られるとは認められない。」としたことは誤りであると主張するので,まず,免疫抑制剤とウイルス感染症に関する本願出願日当時の技術常識について検討する。
ア 以下の文献には,次のような記載がある。
・・・(中略)・・・
イ 以上にあるとおり,免疫抑制剤は,臓器移植における拒絶反応を抑制するために主に用いられているところ,免疫抑制剤を投与する
とウイルスなどに対する生体防御機構である免疫が抑制されてしまうために,感染症が起こりやすくなるという副作用があること(乙4,5),及び,免疫抑制剤を投与された移植患者におけるサイトメガロウイルス疾患などの感染症を予防・治療するために,ガンシクロビルやシドフォビルなどの抗ウイルス薬が投与されていること(甲7,8)が記載されている。
  したがって,本願出願日当時において,免疫抑制剤を投与すると,免疫を抑制してしまうために,サイトメガロウイルスなどのウイルス感染症が起こりやすくなることは技術常識であったと認められる。
ウ そうすると,本願出願日当時において,ウイルス感染症を発症している患者に,免疫抑制剤を投与すると,患者に備わっている免疫が抑制され,ウイルス感染症が悪化する懸念を抱くことは,当業者にとって極めて自然なことであった。
  以上によれば,本願明細書の発明の詳細な説明において,上記のような技術常識の存在にもかかわらず,本願発明が医薬としての有用性を有すること,すなわち,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されるだけでなく,HDP-CDVを単独で用いた場合に比べて,ウイルス感染の治療効果が向上することを,当業者が理解できるように記載する必要があるというべきである。

(3) そこで,本願明細書の発明の詳細な説明におけるHDP-CDV並びにエンハンサー及び免疫抑制剤に関する記載について検討すると,以下のとおりである。
  前記1(1)のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,脂質含有プロドラッグとして,HDP-CDVが使用できること(【0029】,【0034】),及び,エンハンサーとして,シトクロムP450 3A酵素(CYP3A酵素)の阻害剤又は基質,あるいは,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤が使用できること(【0016】~【0018】,【0062】,【0066】,【0075】)が記載されている。また,シトクロムP450 3A酵素の基質として免疫抑制剤(シクロスポリン,FK-506,ラパマイシン)が,また,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤としてシクロスポリンが例示され(【0010】,【0067】,【0068】の表1,【0070】),エンハンサーとして適切な化合物を選択するために,酵素阻害を測定するなどの試験を行うことができることが記載されている(【0061】,【0077】)。
  このように,脂質含有プロドラッグは,シトクロムP450 3A酵素の阻害剤又は基質,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤をエンハンサーとして併用すると生物学的利用能が向上すること,シクロスポリンを含む免役抑制剤の一部がシトクロムP450 3A酵素(CYP3A酵素)の阻害剤又は基質となり,また,シクロスポリンがP糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤となることが記載されており,脂質含有プロドラッグとエンハンサーの組合せとして,本願発明のようにHDPCDVと免疫抑制剤との組合せを選択した場合にも,免疫抑制剤は,HDP-CDVの生物学的利用能を向上させる役割を果たすことについて一応の示唆がある。
  しかし,本願明細書の発明の詳細な説明には,【0136】以下において,実施例1~12が示されているところ,HDP-CDVあるいはその上位概念である抗ウイルス化合物と,特定の「免疫抑制剤」を併用した事例についての記載は,生体内(インビボ)における実験だけでなく,生体外(インビトロ)における実験についても一切記載されていない。前記のとおり,表1において,エンハンサーとして使用できる薬物として,抗不整脈や抗鬱薬などの種々の薬物と並んで免疫抑制剤が記載されているのみであって,免疫抑制剤によりHDP-CDVの生物学的利用能がどの程度向上するのかは具体的に確認されておらず,また,免疫抑制剤にはウイルス感染症を悪化させるという技術常識があることを念頭においた説明(例えば,免疫抑制作用によるウイルス感染症の悪化が生じない程度のエンハンサーとしての免疫抑制剤の用量など。)もないから,HDP-CDVと免疫抑制剤を投与すると,免疫抑制作用によるウイルス感染症の悪化が生じてエンハンサーとしての作用を減殺してしまい,HDP-CDV自体が有するウイルス感染治療作用を損なうという疑念が生じるものといわざるを得ない。
  そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,ウイルス感染症を発症している患者に対してHDP-CDVと共に免疫抑制剤を投与すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されることを当業者が理解することが可能であったとしても,上記の技術常識に照らすと,それと同時に,免疫抑制剤の利用により免疫が抑制されて感染症が悪化することが懸念されることから,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用した場合には,HDP-CDVを単独で用いる場合に比べてウイルス感染の治療効果が向上するか否かは不明であるというほかなく,当業者が本願発明に医薬としての有用性があることを合理的に理解することは困難である
  したがって,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,本願出願日当時の技術常識に照らして,当業者が,本願発明の医薬としての有用性があることを理解できるように記載されていないから,実施可能要件を充足するということはできない。
・・・(中略)・・・
(5) 以上によれば,審決の実施可能要件に関する判断に誤りはなく,取消事由1は理由がない。

3 小括
  以上によれば,本願発明が,実施可能要件を欠くとした審決の判断には誤りがないから,その余の審決の当否を判断するまでもなく,原告の請求には理由がない。

【検討】
 本件は,審理の対象となった本願発明の明細書の記載が,特許法36条4項1号にいう「実施」を充足しているといえるかが争いとなった事案である。
 本件判決は「実施」の意義を「物の発明においては,当該発明にかかる物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使用することができる程度のもの」と判示した上で,本願発明のような医薬の用途発明では,「一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量
を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができないから,医薬用途発明において実施可能要件を満たすためには,本願明細書の発明の詳細な説明は,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある」と判示した。
 ここで,「実施」の意義における「物を生産し,使用することができる程度」につき,前田健准教授は「・・・実施可能要件に関しては,生産・使用できるといえるためには,発明の構成要件を形式的に再現できるのみならず,所期の作用効果を奏する必要もあると考えられてきた(知財高判平成17・11・22平17(行ケ)10341号,知財高判平成21・4・23平18(行ケ)10489号)。」と指摘している(特許法判例百選第4版(別冊Jurist No.209)有斐閣 p.47)。本件でも「出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある」と判示しており,上記前田准教授が指摘する従来の裁判例の考え方を踏襲しているものと考えられる。
 このように,特許法36条4項(実施可能要件)を充足するためには「所期の作用効果を奏する必要がある」と考えられ,それゆえ,医薬,化学,バイオ等の実験データがないとその作用効果の確認が難しい技術分野においては,明細書の発明の詳細な説明に実験データ(実施例・比較例)を記載する必要が多いとの結論が導かれるであろう。他方,特許法36条6項1号(サポート要件)については,こうした実験データまでは必ずしも必要とされないと判示した裁判例として,知財高判平成22・1・28(平成21(行ケ)10033:フリバンセリン事件)がある。この裁判例では,

「 すなわち,法36条4項1号は,特許を受けることによって独占権を得るためには,第三者に対し,発明が解決しようとする課題,解決手段,その他の発明の技術上の意義を理解するために必要な情報を開示し,発明を実施するための明確でかつ十分な情報を提供することが必要であるとの観点から,これに必要と認められる事項を『発明の詳細な説明』に記載すべき旨を課した規定である。そして,一般に,医薬品の用途発明が認められる我が国の特許法の下においては,『発明の詳細な説明』の記載に,用途の有用性を客観的に検証する過程が明らかにされることが,多くの場合に妥当すると解すべきであって,検証過程を明らかにするためには,医薬品と用途との関連性を示したデータによることが,最も有効,適切かつ合理的な方法であるといえるから,そのようなデータが記載されていないときには,その発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されていないとされる場合は多いといえるであろう。
  しかし,審決が,法36条6項1号の要件充足性との関係で,『発明の詳細な説明において,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている必要があ(る)』と述べている部分は,特段の事情のない限り,薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることが,必要不可欠な条件(要件)ということはできない。法36条6項1号は,前記のとおり,『特許請求の範囲』と『発明の詳細な説明』とを対比して,『特許請求の範囲』の記載が『発明の詳細な説明』に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,『発明の詳細な説明』の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,『特許請求の範囲』が『発明の詳細な説明』に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,『発明の詳細な説明』において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである
  したがって,審決が,発明の詳細な説明に『薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載をすることにより,その用途の有用性が裏付けられている』ように記載されていない限り,特許請求の範囲の記載は,法36条6項1号に規定する要件を満たさないとした部分は,常に妥当するものではなく,そのことのみを理由として,法36条6項1号に反するとした判断は,特段の事情があればさておき,このような特段の事情がない限りは,理由不備があるというべきである。」

と判示されている(下線筆者)。
 もっとも,これは筆者の私見であるが,フリバンセリン事件で示された,「特段の事情のない限りは,『発明の詳細な説明』において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りる」との規範(解釈・判断手法)は,裁判実務では用いられていないようである。裁判例をみていると,サポート要件の判断は,上記規範(解釈・判断手法)ではなく,知財高判平成17・11・11(平成17(行ケ)10042:偏光フィルム事件)で示された規範を採用する事案が多いようである。そして,偏光フィルム事件の規範に従う限り,医薬,化学,バイオ等の実験データがないとその作用効果の確認が難しい技術分野においては,明細書の発明の詳細な説明に実験データ(実施例・比較例)を記載してないと“当業者が発明の課題解決を認識できない”としてサポート要件違反となる場合は相当程度あると考える。

 本件は,実施可能要件について,従来からの考え方を踏襲する裁判例として参考になるものとして紹介した次第である。

(文責)弁護士 柳下彰彦