平成24年9月13日判決(知財高裁 平成23年(行ネ)第10074号)
【判旨】
 被告両製品と本件発明は,歯科用アイオノマー系樹脂液体成分へのアプローチとしては別のタイプに分類される技術に基づいており,被告両製品は,エステル化反応を必要とせずに硬化するものであり,その液体成分中で経時的にエステル化が生じることがあるとしても,それは本来意図された反応ではなく,二重結合を有するポリカルボン酸は偶発的に生じた不純物にすぎないものといえる。そうすると,被告両製品は,偶発的にエステル化し,二重結合を有するポリカルボン酸が生ずる可能性があるとしても,その不飽和部分が互いに重合可能であるとともに,その酸基又は酸誘導基が成分(b)とセメント反応をなすように選択された成分(a)を含むものとはいえず,本件発明の構成要件Eを充足しない。
【キーワード】
 特許法70条、知財高裁3部判決

【事案の概要】
 控訴人(一審原告)は,発明の名称を「重合可能なセメント混合物」とする本件特許権(特許第2132069号)を有していたところ,被控訴人(一審被告)の製造・販売する歯科治療用セメント混合物が酸基を有する重合可能な不飽和モノマー等を含むこと等により,本件特許権を侵害していたとして,不当利得に基づき,被控訴人(一審被告)に対し,実施料相当額の利得金9億円のうち1億円の支払いを求めた。これに対し,被控訴人(一審被告)は,被告製品は本件発明(本件特許権の特許請求の範囲の請求項1に係る発明)の技術的範囲に属さない,本件特許は新規性の欠如又は実施可能要件違反により特許無効審判で無効とされるべきものである,と主張して,これを争った。
 原判決は,被告製品は,本件発明の技術的範囲に属すると認めることができないとして,控訴人(一審原告)の請求を棄却した。これに対し,控訴人(一審原告)は,原判決の取消しを求めて,本件控訴を提起した。

 争点は、被告製品が本件特許発明の技術的範囲に属する否かである。この点につき、本件特許権の請求項1に係る発明(本件特許発明)は、

A 次の成分:(a)酸基及び/またはその酸から誘導された反応性酸誘導体基を含み,次の(b)の成分と混合された場合において,重合可能であると共に(b)の成分とのイオン反応をなしうる,不飽和モノマー及び/またはオリゴマー及び/またはプレポリマーと,
B (b)ホスフェートセメント(ZnO/MgO),Ca(OH)2 セメント,シリケートセメントまたはアイオノマーセメントから選ばれる,該酸基または酸誘導体基とのイオン反応を介して硬化しうる微粉状の反応性充填剤と,
C (c)硬化剤と
D を含有する重合可能なセメント混合物であって,
E 該成分(a)及び(b)は,該成分(a)における酸基または酸誘導体基が該成分(b)の微粉状の反応性充填剤とイオン的に反応し,セメント反応を受け得るように選ばれることを特徴とする重合可能なセメント混合物。

という内容である。
 原審(東京地裁平成23年9月15日判決:平成20年(ワ)第32331号)は、被告製品(※1)中でポリカルボン酸と不飽和モノマーとが共有結合(エステル化)していると認めることができないので(両者は分離した状態で被告製品中に存在)、被告製品は、本件特許発明の構成要件A中の「(a)酸基・・・を含み・・・重合可能である・・・不飽和モノマー」を充足しない(被告製品は成分(a)を有しない)とした。
 これに対して、知財高裁は、以下紹介するとおり、被告製品中では、経時的にポリカルボン酸と不飽和モノマーとが共有結合(エステル化)することはある(構成要件Aは充足される)としつつも、被告製品がエステル化反応を必要とせずに硬化するという原告特許発明とは別の技術に分類されるものである以上、被告製品は原告特許の構成要件Eを充足せず原告特許を侵害しないと判示した。

※1・・・被告製品(商品名:フジリュート(※2))の液体成分は,無色透明で,pH値が約1.3の強酸性の粘ちゅう液であり,被控訴人が開示している安全データシートによれば,ポリカルボン酸が20~30%,不飽和モノマー等であるHEMA(ヒドロキシエチルメタクリレート)が25~35%,UDMA(ウレタンジメタクリレート)が10%未満含まれているほか,水が20~30%含まれている。
※2・・・本件で対象となった被告製品は2種類あり、それぞれ「フジリュート」及び「フジリュートBC」との商品名で歯科治療用セメント混合物として販売されているものである。

【判旨抜粋(下線筆者)】
1 構成要件Eの解釈
 本件発明の構成要件Eは,「該成分(a)及び(b)は,該成分(a)における酸基または酸誘導体基が該成分(b)の微粉状の反応性充填剤とイオン的に反応し,セメント反応を受け得るように選ばれることを特徴とする重合可能なセメント混合物」というものである。この点,本件発明に係る明細書の「本発明は,一方では歯及び骨基質に対する良好な接着力及び組織適合性のような,ポリカルボン酸とサリチレートとを主成分とするセメントの本質的に有利な特徴を有し,他方では低い溶解性と大きな機械的強度のような,複合材料の有利な特徴を有し,複合材料と共重合することができ,はっきりした分野現象(判決注・「分解現象」の誤記と解される。)を示さない新規な歯科用混合物を開発すると云う課題に基づいている。」(甲2・4頁7段33行~39行)との記載に照らすと,構成要件Eにおいて,「成分(a)」は,その不飽和部分により互いに重合可能であるとともに,その酸基又は酸誘導体基が成分(b)とセメント反応をなすように選択されたものであることを要すると解される。
 以下,被告両製品が,上記構成要件Eを充足するか否かについて検討する。
・・・(中略)・・・
3 検討
(1)上記パーシュ補足実験によれば,(a)フジリュートの液体成分と同等の配合物である,ポリカルボン酸,HEMA,UDMA,GDMA,酒石酸及び水からなるモデル混合物を用いて,分取的GPC,限外濾過及び凍結乾燥実施後にNMRを行った結果,分取的GPCによる分離後のポリマーに二重結合は認められず,不飽和モノマー等の混入もほとんど認められなかったこと,(b)フジリュートの液体成分について,再度,分取的GPC,限外濾過及び凍結乾燥実施後にNMRを行った結果,スペクトルは,6.1及び5.7ppmにおいて極めて集中的な陽子シグナルを示しており,これらのシグナルは,重合性二重結合に位置する水素原子,とりわけメタクリレート基の水素原子により惹起されるものであり,そのメタクリレートの分量は,残留した不飽和モノマー等によって説明できるものではないことが認められる。そうすると,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分には,ポリカルボン酸と不飽和モノマーがエステル化してなる共有結合を有する化合物が存在するものと認められる。
・・・(中略)・・・

(2)上記のとおり,パーシュ補足実験においては,フジリュートの液体成分から分取されたポリマーについて,二重結合が検出されたにもかかわらず,フジリュートの液体成分と同等の組成によるモデル混合物から分取されたポリマーについては,二重結合が検出されなかった。
 この点,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分は,原料成分が混合された後,製品化,流通及び販売等により,長時間が経過しているのに対し,モデル混合物は,原料成分が混合された後,短時間で実験に供されたものと認められ,両者には,原料成分を混合した後の経過時間に相当な差異がある。また,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分やモデル混合物に含まれるHEMAやGDMAは,水酸基を有しており,経時的にポリカルボン酸とエステル化反応を起こすものと推認される。そうすると,パーシュ補足実験に供されたフジリュートの液体成分は,原料成分が混合された後,長時間が経過したため,検出可能な量のエステル化合物が生成し,二重結合が検出されたものと認められるところ,フジリュートの液体成分において,必然的にエステル化が生じるのか否か,製造後どの程度の時間が経過すればエステル化が生じるのかなどは,パーシュ補足実験においても定かではない・・・。

(3)ところで,歯科用アイオノマー系樹脂についての総説である「GlassIonomers: THE NEXT GENERATION」(1994年。乙30)によれば,新しいアイオノマー系樹脂液体成分へのアプローチとしては,4つのタイプが挙げられるところ,被告両製品は,「B.ポリアルケン酸に重合可能なモノマー/プレポリマーを添加したもの」に,本件発明は,「C.重合可能なポリアルケン酸」及び「D.酸モノマー」に分類されると解される。そして,上記Bタイプは,乙30において,「これらの材料は,反応性ガラスおよびポリ酸が合わされた時に生じるアイオノマー反応に加えて,フリーラジカル反応によっても硬化する筈である。この現象は,しばしば『デュアルキュア』と呼ばれる。」(乙30訳文1頁21~23行)と記載されているとおり,反応性ガラス及びポリ酸のアイオノマー反応と,重合可能なモノマー/プレポリマー同士のラジカル重合反応という2つの反応により硬化するものであって,ポリアルケン酸(ポリカルボン酸)とモノマーが反応してエステル化反応生成物が生じることは意図されていない。
 また,本件事典(「Ullmann’s Encyclopedia of Industrial Chemistry」と題する化学事典。2006年。甲20)において,被告両製品は,「4.1.6 レジン強化グラスアイオノマー」の項に,「グラスアイオノマーの長所をコンポジットの長所と結び付けようとする試みから,モノマーと重合開始剤がグラスアイオノマーに添加された。・・・メタクリレート化されたポリカルボン酸も用いられる。・・・水性のグラスアイオノマーとレジンとの親和性を得るため,全ての素材は,ヒドロキシエチルメタクリラト(HEMA)及びその他の親水性のモノマーを含んでいる。」と記載されているにすぎず,ポリカルボン酸と結合した不飽和モノマー等が必須の成分であるとはされていないのに対し,「4.1.7 多塩基酸コンポジット」の項において,本件特許権の欧州対応特許が引用され,「かかる素材は,充填剤としてのイオン遊離性ガラス,重合可能な酸,ポリカルボン酸,及び親水性モノマーを含むコンポジット・レジンであり,酸と親和性があり,グラスアイオノマー反応を起こさせるための水を吸収する。」と記載され,重合可能な酸が必須の成分とされており,被告両製品は,本件発明とは別のタイプに分類されている。

(4)以上のとおり,被告両製品と本件発明は,歯科用アイオノマー系樹脂液体成分へのアプローチとしては別のタイプに分類される技術に基づいており,被告両製品は,エステル化反応を必要とせずに硬化するものであり,その液体成分中で経時的にエステル化が生じることがあるとしても,それは本来意図された反応ではなく,二重結合を有するポリカルボン酸は偶発的に生じた不純物にすぎないものといえる。そうすると,被告両製品は,偶発的にエステル化し,二重結合を有するポリカルボン酸が生ずる可能性があるとしても,その不飽和部分が互いに重合可能であるとともに,その酸基又は酸誘導基が成分(b)とセメント反応をなすように選択された成分(a)を含むものとはいえず,本件発明の構成要件Eを充足しない。

【解説】
 有機物は無機物と比較して安定性が劣るという性質があるため、有機物を含む組成物(本件においては歯科治療用セメント化合物)は、その組成が経時的に変化するのが一般的である。
 知財高裁は、製造当初は、被告製品(液体)中でポリカルボン酸と不飽和モノマーとは別々に存在するが、製造から時間が経つとポリカルボン酸と不飽和モノマーとがエステル反応して共有結合(エステル化)すると判示した。これは、被告製品は、製造から時間が経つと、本件特許発明の構成要件A(「(a)酸基・・・を含み・・・重合可能である・・・不飽和モノマー」)を充足すると認定していることに等しい。
 もっとも、知財高裁は、被告製品は、本件特許発明とはセメントの硬化メカニズムが異なる(別のタイプの技術に分類)ため、セメントが硬化する際に成分(a)と成分(b)との反応の仕方を規定した構成要件Eを充足しないと判示した。

 経時的に組成が変化する事実が存在する場合に特許権侵害が成立するかにつき判断した裁判例としては、有名なカビキラー事件(東京地裁平成11年11月4日判決:平成9年(ワ)第938号)がある。この事案では、被告製品中に、特許発明記載の物質「ジメチルベンジルカルビノール」は製造時点では存在しないものの、製造後から28~30日程度経つと、被告製品中の香気性化合物「ジメチルベンジルカルビニルイソブチレート」が「ジメチルベンジルカルビノール」に分解する場合に被告製品が特許発明の技術的範囲に属するかが争点の一つとなった。東京地裁は、

「本件特許発明一は、芳香性液体漂白剤組成物という物の発明であって、その製造方法には何らの限定もないものであるから、特許請求の範囲に記載された香料を当初から添加する場合だけでなく、当該香料が製造後使用時までの間に含有されるように、当該香料を生成させ得る別の香料を製造時に添加する場合も、その技術的範囲に属するものというべきである。」

と判示し、被告製品は本件特許発明一の技術的範囲に属すると判断した。

 また、被告製品を使用しているうちに特許発明の構成要件を具備するようになる事例としては、化学の分野に属するものではないが、これも有名なドクターブレード事件(東京地裁平成14年5月15日判決:平成13年(ワ)第1650号)がある。この事件では、ブレードに係る特許発明の特許請求の範囲においてセラミック材料の表面被覆層の厚さに関する数値限定が付されていた場合に、被告が被告製品(ブレード)を製造・販売した時点ではこの数値範囲は満たされないが、ブレード購入者が本来の用途に従って使用する過程で、被告製品が磨耗することにより、被覆の厚さが特許発明の上記数値限定の範囲に含まれる結果となった場合に、被告による被告製品の製造・販売(譲渡)が間接侵害(特許法101条1号)を構成するかが問題となった。東京地裁は、

「法101条1号は、特許が物の発明についてされている場合において、業として、その物の凄惨(ママ:「生産」の誤記と推測される。)にのみ使用する物を凄惨(ママ:同左)、譲渡するなどの行為を特許権を侵害(いわゆる間接侵害)するものとみなしている。同号の趣旨は、次のとおりである。すなわち、甲が発明の構成要件を充足しない物を製造、販売するなどの行為をすることは特許権侵害を構成しないが、その物の譲渡を受けた乙において、その物を使用して、発明の構成要件を充足する物を生産するなどの行為に及ぶことが特許権侵害を構成するようなときには、将来における特許権侵害に対する救済の実効性を高めるために、一定の要件の下で、その準備段階である甲の行為について、特許権を侵害するものとみなした。そうすると、同号にいう、乙が行う『その物の生産』とは、『その物の生産又は使用』などと規定されていないことに照らすならば、供給を受けた『発明の構成要件を充足しない物』を素材として『発明の構成要件のすべてを充足する物』を新たに作り出す行為を指すと解すべきであり、加工、修理、組立て等の行為態様に限定はないものの、供給を受けた物を素材として、これに何らかの手を加えることが必要であり、素材の本来の用途に従って使用するにすぎない行為は含まれないと解するのが相当である。」

と判示し、間接侵害の成立を否定した。

 本件は、上記カビキラー事件とも、ドクターブレード事件とも事案が異なるものの、化学物質の経時的変化を扱った事案として実務上参考になる。
 化学分野の特許権侵害事案においては、(1)本件、カビキラー事件、及びドクターブレード事件のように、製造から時間が経つと、被告製品が特許発明の技術的範囲に“属する方向”にシフトしていく事案だけでなく、(2)製造から時間が経つと、被告製品が特許発明の技術的範囲から“外れる方向”にシフトしていく事案もあると考えられる。(2)の場合、生産直後の被告製品は特許発明の技術的範囲に属しているため、特許権侵害が成立することになるであろうが、市場に出回った被告製品は上記“外れる方向”に経時変化をしていくので、場合によっては侵害発見が困難となると考えられる。それゆえ、(2)のような事案においては、特許明細書を作成する段階において、“経時的に変化した後の比較的安定した状態”をサブクレームに記載しておくことや、こうした経時的変化について発明の詳細な説明に記載をしておくことが重要になると考える。

(文責)弁護士 柳下彰彦