【判旨】
食塩濃度、カリウム濃度、窒素濃度、及び窒素/カリウムの重量比を規定した「減塩醤油類」に係る特許発明につき、発明の詳細な説明は、当業者が当該特許発明の課題(塩味がより強く感じられ,味が良好であって,カリウム含量が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得る)を解決できると認識できる程度に記載されているとして、サポート要件が満たされている(実施可能要件も肯定)とした事例
【キーワード】
数値限定、実施可能要件、サポート要件、サポート要件の規範、4部判決

【事案の概要】
本件は、「食塩濃度7~9w/w%,カリウム濃度1~3.7w/w%,窒素濃度1.9~2.2w/v%であり,かつ窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62である減塩醤油」との発明(請求項1)及びその従属項(請求項2~5)に係る発明の無効審判の不成立審決に対して、無効審判請求人(以下「原告」という。)が、同審決の取消を求めた事件である。以下、請求項1~5に係る発明をそれぞれ本件発明1~5という。
【争点】
サポート要件、実施可能要件(以下では、サポート要件についてのみ紹介する。)
【判旨抜粋】
〔原告の主張〕
「・・・ 被告は,乙8(試験結果報告書)を提出したが,食塩濃度7w/w%の減塩醤油は,本件明細書に記載された評価基準に照らせば塩味が弱く,発明の課題を解決することができない場合があることが明らかである。
 すなわち,乙8の表1に記載された試験品D,E,Fの減塩醤油の総合評価を行うと,試験品DとEは,塩味の評価が2であるから総合評価は「×」と判定される。なお,試験品Eは,本件明細書の比較例9,12と同等の評価結果である。また,これらの結果は,口頭審理陳述要領書の被告の主張と矛盾するものである。
 他方,試験品Fは,塩味の評価が3であり,かつ,苦みの評価も3であるため,総合評価は「○」又は「△」と判定されるが,異味についての評価が記載されていない。しかしながら,仮に試験品Fの総合評価が「○」であったとしても,試験品D及びEの総合評価が「×」である以上,本件発明1は,数値範囲で特定される全ての範囲において所期の効果が得られると認識できる程度に記載されているということができない。」
 
〔知財高裁の判断〕
「2 取消事由1(サポート要件に係る判断の誤り)について
(1) サポート要件について
特許請求の範囲の記載が,特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであることを要するとするサポート要件(特許法36条6項1号)に適合することを要するとされるのは,特許を受けようとする発明の技術的内容を一般的に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲を明らかにするという明細書の本来の役割に基づくものである。この制度趣旨に照らすと,明細書の発明の詳細な説明が,出願時の当業者の技術常識を参酌することにより,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に記載されていることが必要である。
(2) 本件発明1について
・・・本件発明の課題は,本件明細書の記載によれば,塩味がより強く感じられ,味が良好であって,カリウム含量が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得ることであると認められる。そして,前記・・・のとおり,食塩濃度が9w/w%の場合には,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が,特許請求の範囲において特定される範囲内で,通常の減塩醤油と比較して塩味が増し,かつ苦みも抑制できることが記載されており,また,食塩濃度が8.32~8.50w/w%の場合にも同様であったことが示されていることに照らすと,食塩濃度が8.3~9w/w%の場合,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が,特許請求の範囲において特定した数値範囲で,塩味が強く感じられ,味が良好であって苦味もない減塩醤油となるものと合理的に推認できる。すなわち,本件明細書の発明の詳細な説明には,食塩濃度が8.3~9w/w%,カリウム濃度が1~3.7w/w%,窒素濃度が1.9~2.2w/v%,かつ窒素/カリウムの重量比を0.44~1.62である減塩醤油については,本件発明1の課題を解決できるように記載されているということができる。
・・・次に,食塩濃度が8.3~9w/w%以外の場合,例えば,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油について,カリウム濃度を1~3.7w/w%,窒素濃度を1.9~2.2w/v%,窒素/カリウムの重量比を0.44~1.62とした場合に,発明の詳細な説明において本件発明1の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができるか否かについて検討する。
(ア) 塩化カリウムは,塩化ナトリウムと同様な塩分の一種であり,塩化カリウムを主体とした代替塩がみられるように,塩化カリウムが食塩(塩化ナトリウム)の塩味を代替する成分であることは,本件特許の優先権主張日当時における当該技術分野の技術常識ということができる(甲1,2)。よって,本件発明1に係る減塩醤油において,塩味に寄与する成分は,主として食塩及びカリウムであると解される。
 そして,本件明細書には,食塩濃度が9.0w/w%で,カリウム濃度が窒素重量比との関係で下限値(1.1w/w%)にある本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が,本件明細書において本件発明1の課題が解決できるとされている指標の下限である3と記載されており(実施例3),また,食塩濃度が8.48w/w%でカリウム濃度が1.06w/w%の場合は,各種添加剤を配合した本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が3.5と記載されている(実施例21)。このように,減塩醤油の食塩濃度が本件発明1で特定される範囲で上限値に近い場合であっても,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の場合には,塩味の指標は本件発明1の課題が解決できるとする数値の下限付近であることから,食塩濃度が7w/w%台でカリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の減塩醤油の塩味の指標は,食塩濃度が9.0w/w%や8.48w/w%の上記減塩醤油の場合よりも更に低くなるものと解される。
 他方,本件明細書の表1・・・に照らすと,カリウム濃度と塩味の関係は,カリウム濃度が大きくなると塩味も強く感じる傾向にある。したがって,カリウムによる塩味の代替効果はカリウム濃度に依存するものと解され,また,本件明細書には,カリウム濃度が上限値の3.7w/w%にある本件発明1に係る減塩醤油(実施例7,9及び11)の塩味の指標は5で,通常の醤油よりも強い塩味であることも記載されている。
 そうすると,本件明細書に接した当業者は,本件発明1において,食塩濃度が7w/w%台の減塩醤油であって,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値に近い場合には,塩味が十分に感じられない可能性があると理解すると同時に,このような場合には,カリウム濃度を本件発明1で特定される範囲の上限値近くにすることにより,減塩醤油の塩味を強く感じさせることができると理解するものと解される。
 そして,被告作成の試験結果報告書(乙8)によれば,食塩濃度7.0w/w%,カリウム濃度3.7w/w%の場合(試験品F),塩味の指標は3であって,通常の醤油と比較して若干弱い程度の塩味が感じられる結果が示されており,食塩濃度が本件発明1の下限値である7w/w%付近で,カリウム濃度が本件発明1において特定された数値範囲の上限である3.7w/w%の減塩醤油は,本件発明1の課題が解決されている。
 すなわち,本件発明1において食塩濃度が7w/w%台と本件発明が特定する食塩濃度の下限に近い場合であっても,塩化カリウムが食塩の塩味を代替する成分であるという技術常識に照らし,カリウム濃度を本件発明1が特定する数値範囲の上限付近とすることによって,本件発明1の課題を解決できると当業者が理解することができ,本件発明は,発明の詳細な説明において発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載されているということができる。
(イ) カリウム濃度が増加した場合にも苦味が低減できる減塩醤油を得ることも本件発明1の課題の1つであることから,カリウム濃度を本件発明1が特定する数値範囲の上限付近とした場合に,苦味についての課題が解決できるように記載されているかについて,検討する。
本件明細書の実施例2,7,9,11には,食塩濃度が9w/w%の場合,カリウム濃度が本件発明1における上限値である3.7w/w%の場合であっても,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が本件発明1の範囲内にある場合には,苦味をわずかに感じる程度であって,本件発明1が特定する数値範囲内であれば,苦味の低減という課題は解決されている。また,食塩濃度が7w/w%の場合に,カリウム濃度が本件発明1における上限値である3.7w/w%とした場合(試験品F)であっても,食塩濃度が9w/w%の場合と同様に,苦味はわずかに感じる程度であって,苦味の低減という課題は解決されている(乙8)。
 すなわち,本件明細書の記載から,本件発明1では,カリウム濃度を上限値とした場合であっても,食塩濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比が本件発明1で特定する数値の範囲内であれば,カリウムを配合することによる苦味に関する課題は,解決されていると理解することができる。
・・・したがって,本件発明1は,発明の詳細な説明に記載したものであり,サポート要件を満たすものということができる。」
なお、本判決では本件発明2~5についてもサポート要件が肯定されたが、紙面の関係からここでは割愛する。
「(4) 原告の主張について
・・・
エ 乙8の試験結果について
原告は,本件発明において食塩濃度7w/w%の場合,塩味が弱く,発明の課題を解決できない場合があることから(乙8の試験品D),本件発明は全ての数値範囲において所期の効果が得られると認識できる程度に記載されているということができない旨を主張する。
 しかし,前記のとおり,本件明細書に接した当業者は,本件特許の優先権主張日当時の技術常識に照らして,食塩濃度が本件発明で特定される範囲の下限値の7w/w%の減塩醤油の場合,カリウム濃度を本件発明で特定される範囲の上限値近くにすることにより,塩味をより強く感じる減塩醤油とするものであることから,特許請求の範囲において特定された数値範囲の極限において発明の課題を解決できない場合があるとしても,本件発明がサポート要件を満たさないということは適切ではない。」
※・・・乙8は、被告(特許権者)が提出した試験結果報告書

【解説】
 本判決の興味深い点は2点ある。1点目は、サポート要件を判断する際に用いた規範にある。
 サポート要件の規範については、平成17年の大合議判決(知財高裁平成17年11月11日判決 平成17年(行ケ)第10042号 以下「パラメータ事件」という。)では、
 
特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,明細書のサポート要件の存在は,特許出願人・・・又は特許権者・・・が証明責任を負うと解するのが相当である。
 
との規範が示された。
他方、知財高裁3部(飯村裁判長)が担当した、知財高裁平成22年1月28日判決(平成21年(行ケ)第10033号 以下「フリバンセリン事件」という。)では、パラメータ事件とは事案が異なるとして、
 
法36条6項1号は,前記のとおり,『特許請求の範囲』と『発明の詳細な説明』とを対比して,『特許請求の範囲』の記載が『発明の詳細な説明』に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,『発明の詳細な説明』の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,『特許請求の範囲』が『発明の詳細な説明』に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,『発明の詳細な説明』において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。」
 
とされた。
 本件は、減塩醤油類の組成に関する発明であり、パラメータ事件のような「『特許請求の範囲』が特異な形式で記載されたがために,その技術的範囲についての解釈に疑義があると審決において判断された事案」ではないので、パラメータ事件よりもフリバンセリン事件に近い事案のように考えられる。それゆえ、サポート要件の規範も、フリバンセリン事件のものを用いるということも考えられるが、本判決は
 
「・・・明細書の発明の詳細な説明が,出願時の当業者の技術常識を参酌することにより,当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に記載されていることが必要である。」
 
とし、パラメータ事件の規範に近い立場をとっている。本判決は知財高裁4部(滝澤裁判長)の判決であるが、同部が担当し、本判決に先立ってなされた平成23年(行ケ)10147号(「知財判例時々刻々」において当職が先日紹介した事案)においても同様の規範が用いられている。それゆえ、サポート要件の判断基準(規範)については、知財高裁4部はパラメータ事件の規範を用いる傾向にあると考えてよいのかもしれない。
 
 本判決においてもう一つ興味深いのは、請求項に係る発明の範囲内において、発明の課題が解決されない(発明の効果が奏されない)ことを示す実験データが存在したとしても、明細書全体の記載に鑑みて発明の課題が解決されていると理解できる場合は、当該実験データのみによってサポート要件は否定されないとした点である。原告(無効審判請求人)は、被告(特許権者)が提出した試験結果報告書(乙8)に、食塩濃度7w/w%とした場合は塩味が弱く発明の課題を解決できない実験データ(矛盾する実験データ)があると主張したが、本判決では「特許請求の範囲において特定された数値範囲の極限において発明の課題を解決できない場合があるとしても,本件発明がサポート要件を満たさないということは適切ではない。」と判示して、原告の主張を退けた。
 上記矛盾する実験データが明細書に記載されていたものではなく、被告(特許権者)が審判手続で提出した実験成績証明書に記載されたものであるとの事情もあろうが、本判決では、矛盾する実験データが1点あったとしても、明細書全体からサポート要件が肯定される場合は、当該矛盾する実験データは結論に影響を与えないとされた。この判断は、裁判所が発明の「技術的思想」を重視した結果であると考えることもできる。実務においては、実験データが明細書に記載されている発明において、請求項に係る発明と矛盾する実験データを時折見かけることがある。しかし、こうした場合でも、(サポート要件の証明責任を負う)特許権者は、本判決で示されたような詳細な検討を行って明細書全体の記載からサポート要件が肯定されるとの主張をすべきであり、こうした主張により明細書の不備をカバーできる場合があると考えられる。
 
2012.4.9 (文責)弁護士 栁下彰彦