【令和7年10月29日(東京地裁 令和7年(ワ)第70002号)】

第1 事案の概要

原告Aは東工大名誉教授で被告会社の元技術顧問、原告Bは被告の設立者・元代表取締役・取締役である。被告は量子ドット等の半導体関連技術の研究開発会社である。

問題となったのは、いずれも原告らが発明者であり、被告を出願人とする以下の3件の特許出願である。

  • 特願2022-182940(量子ドットを有するナノ複合体関連)
  • 特願2023-140361(半導体基板、その製造方法等)
  • 特願2023-141755(半導体組成物、薄膜及びその製造方法)

これらは、原告らが発明した技術に基づき、本件各基礎出願の国内優先権を主張して行われたものである。

原告らは、本件各発明について特許を受ける権利は本来自らに帰属し、その共有持分2分の1ずつを現在も有すると主張して、被告に対しその存在確認を求めた。これに対し被告は、原告らと被告との間で、本件各発明に関する特許を受ける権利の譲渡合意が、本件各出願時までに成立していると主張した。

 

第2 裁判所の判断

1 黙示の譲渡合意の認定

裁判所は、①本件基礎出願1・本件出願1について、原告らが被告名義で出願する案を特許事務所から受け取り、発明者や明細書の修正は求めたが出願人欄が被告であることに異議を述べなかったこと、②本件基礎出願2・3及び本件出願2・3についても、原告らが被告を出願人とすることを認識したうえで、被告が弁理士法人に委任して手続を進めたこと、③同時期に別件出願についても原告ら発明・被告名義で特許取得していること、などの事情を認定した。

そのうえで、特許出願は特許を受ける権利を有する者が出願人となることを前提とし、出願人名義が権利承継の第三者対抗要件であること、特許権の設定登録を受けるのも出願人であることから、発明者が特許を受ける権利を譲渡していないのに他人を出願人とすることに同意するのは通常考え難いとし、本件各出願時までに、原告らが被告に対し本件各発明に係る特許を受ける権利の共有持分を譲渡するとの合意が黙示に成立したものと推認できると判断した。

2 原告らの反論に対する評価

原告らは、本件契約書案と同じ条件の契約書に調印するとの約束を前提として被告を出願人とすることに同意したにすぎず、その後Cらが同条件での取得意思を有していなかったため譲渡合意は成立していないと主張した。

しかし裁判所は、Cらに同条件での取得意思がなかったとする点を含め、原告らの主張経過を裏付ける証拠はなく、むしろDが本件契約書案に基づく契約書の作成を勧めるLINEを送っていることからも整合しないと評価した。また、本件で原告ら自身を出願人とすることができなかった特段の事情もないことから、原告らの主張する経過は不自然であるとした。

さらに、契約書が作成されていないことや、原告らが無償で権利を譲渡するはずがないとする点についても、特許を受ける権利の譲渡に契約書作成は必須ではないこと、別件出願でも契約書がないこと、本件各出願当時は原告らとCらの関係悪化はうかがえず、原告Aが無償の技術協力を申し出ていたことなどから、対価合意未了であってもまず権利を会社に譲渡することは十分あり得るとして採用しなかった。

以上から、原告らは本件各発明について特許を受ける権利の共有持分を既に被告に譲渡したと認められ、現在は共有持分を有しないとされ、確認請求はいずれも棄却された。

 

第3 コメント

本判決は、発明者が会社名義での出願を容認して行った一連の行為から、特許を受ける権利の譲渡合意を黙示に認定した点で、権利帰属判断の実務において参考になるといえる。

第一に、出願人名義の選択が、単に手続上の形式にとどまらず、権利の帰属と承継に関する当事者の意思を推認する強い根拠として用いられている点が重要である。発明者が他人を出願人とすることに同意し、その前提で特許事務所等に手続を委任している場合には、その行為自体から譲渡の黙示合意が認定され得ることが示されたといえる。

第二に、契約書の不存在や対価合意の未完成があっても、メール・LINE・出願経過・別件出願の取扱いなど周辺事情から、実質的な権利帰属の合意が認定されうることを示している点に実務的意義がある。特に、スタートアップや大学発ベンチャーにおいては、権利譲渡契約書の整備が出願より後回しにされがちであるが、そのような場合でも、出願人名義の選択と運用が決定的な意味を持ち得ることを示すものといえる。

第三に、本件のように発明者が会社の代表者・役員・技術顧問等として企業側に深く関与している場合、裁判所は当初の協働関係に基づき会社に権利を集約する方向の黙示の意思を推認しやすいことがうかがわれる。そのため、後日に発明者個人として権利帰属を主張することは容易ではなく、出願段階での名義・契約の整理が極めて重要であるといえる。

以上から、本判決は、①発明者と企業との関係が密接な場面における権利帰属、②出願人名義と譲渡合意の黙示的認定、③契約書未整備のリスク管理、という観点から、企業・研究機関・発明者いずれにとっても参考になる裁判例と位置付けられる。

以上

弁護士 多良翔理