【東京地裁平成28年2月16日判決・平成26年(ワ)第17390号】

【キーワード】
特許法100条、カタラーゼ、ELISA、ネイティブ

第1 はじめに
本件は、特許権の侵害訴訟第一審である。特許請求の範囲の請求項中の用語の意味を、明細書の記載及び出願経過を参酌することにより解釈し、被告製品が、特許発明の構成要件を充足しないと判断した。標準的なクレーム解釈の事例であるが、バイオテクノロジー関連発明の特許権侵害訴訟の一例として参考となるものである。

第2 事案
本件は、発明の名称を「ヘリコバクター・ピロリへの感染を判定する検査方法及び検査試薬」とする特許権を有する原告が、被告に対し、被告による被告製品1及び2の輸入等が特許権侵害に当たると主張して、〈1〉特許法100条1項及び2項に基づく被告製品1及び2の輸入等の差止め及び廃棄、〈2〉民法709条及び特許法102条2項に基づく損害賠償金1億円(内金請求)及びこれに対する不法行為の後の日である平成26年1月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

第3 特許発明

本件特許の請求項6の記載は以下のとおりである(請求項6にかかる発明が、「本件発明1」とされた。)。
消化管排泄物中に存在するヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼを検出することにより、ヘリコバクター・ピロリへの感染を判定するための検査試薬であって、ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体を構成成分とすることを特徴とする検査試薬。

第4 争点
被告製品中の抗体が、「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」に該当するか否か。
被告製品も、本件の特許発明と同様にヘリコバクター・ピロリへの感染を判定するための検査試薬であるが、被告は、被告製品中の抗体は、ネイティブなカタラーゼにも反応するし、SDSで変性させた(ネイティブでない)カタラーゼにも反応するから、特許発明の「ネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」ではないと主張している。

第5 判旨(下線は筆者)
「第3 当裁判所の判断
1 争点(1)イ(「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」(構成要件1B)の充足性)について
(1) まず、争点(1)イについて判断する。
構成要件1Bの「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」の充足性について、原告はモノクローナル抗体がヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼと結合すれば足りると主張するのに対し、被告はモノクローナル抗体が変性したカタラーゼとも結合するものであるときは構成要件1Bを充足しない旨主張するので、以下検討する。
ア 本件特許1の特許請求の範囲の文言上、本件発明1がヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼを検出することによりヘリコバクター・ピロリへの感染を判定することができる検査試薬であり、その構成成分であるモノクローナル抗体がヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼと結合することは明らかであるが、このモノクローナル抗体がこのほかにどのような物質と結合し、又はしないかについては、特許請求の範囲に明示的な記載がない。
イ 本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明の欄には、以下の趣旨の記載がある。
(・・・略・・・)

ウ 本件明細書の上記各記載を総合すると、本件発明1は、従来のヘリコバクター・ピロリの検出方法においては特異性の低さ等の問題があったことから(段落【0008】)、交差反応性がなく特異性に優れ品質管理が容易なヘリコバクター・ピロリの感染を判定するための検査試薬を提供することを目的としているところ(【0010】)、従来はヘリコバクター・ピロリのタンパク質が消化管中で分解されてしまうと考えられていたが、ヘリコバクター・ピロリ感染者の糞便中にヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼが存在していることを見いだしたことで、これをヘリコバクター・ピロリへの感染を判定するための指標とすることとし(【0012】)、ヘリコバクター・ピロリのカタラーゼ(このカタラーゼにはSDS等の変性剤で変性、乖離され、立体構造がほどかれたサブユニットに相当するタンパク質が含まれない。【0011】)と特異的に結合するモノクローナル抗体(【0013】、【0033】、【0065】)、すなわち、ネイティブなカタラーゼと特異的に結合するモノクローナル抗体(【0033】、【0036】、【0037】、【0121】)を
用いることで特異性が極めて高い測定を行うことができる特色を有する(【0065】、【0125】)発明であると認められる。
そうすると、構成要件1Bの「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」とは、ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼのみと結合するモノクローナル抗体であって、SDS等の変性剤で変性されたカタラーゼとは結合しないものをいうと解するのが相当である。
・・・
オ そこで、上記ウの解釈を前提に、被告製品1及び2が構成要件1Bの「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」を充足するかについてみる。
前記前提事実(4)イのとおり、被告製品1及び2に用いられているモノクローナル抗体はヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼと結合する。また、証拠(乙26、34)及び弁論の全趣旨によれば、このモノクローナル抗体(被告製品1につきIgG主抗体及びIgG副抗体、被告製品2につきIgM抗体)はSDS及び2ME(メルカプトエタノール)による変性処理並びに煮沸処理を経たカタラーゼを検出することが認められる。そして、これらの変性及び煮沸処理によってカタラーゼは完全に変性し、単量体となったものと考えられるから(本件明細書の段落【0116】参照)、被告製品1及び2のモノクローナル抗体は変性剤で変性されたカタラーゼと結合するものであるということができる。
そうすると、被告製品1及び2のモノクローナル抗体は、ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼだけでなく、変性剤で変性されたカタラーゼとも結合するモノクローナル抗体であるから、構成要件1Bの「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」に当たらない。したがって、被告製品1及び2が構成要件1Bを充足すると認めることはできない。
・・・
2 結論
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとして、主文のとおり判決する。」

第6 検討
本件発明は、「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」を構成要件の一つとしている。被告製品もヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼと反応するモノクローナル抗体を含んでおり、一見すると、被告製品は本件発明の構成要件を充足していそうである。
しかしながら、裁判所は、本件特許の明細書の記載を参酌することにより、「ヘリコバクター・ピロリのネイティブなカタラーゼに対するモノクローナル抗体」は、ネイティブなカタラーゼのみと反応する抗体であって、SDS等で変性したカタラーゼとは結合しないものをいうと解釈した。
このように、明細書中の記載を参酌してクレーム中の用語の意義を解釈する手法は、特許法70条2項に基づくものであり、標準的である。なお、引用は省略したが、判決では、本件特許の出願経過における原告特許権者の主張をだめ押し的に使っている。原告特許権者は、拒絶理由通知に対する意見書において、先行文献に記載されたモノクローナル抗体は、変性したカタラーゼと結合するものであるのに対し、本件発明のモノクローナル抗体はネイティブなカタラーゼの立体構造をエピトープ(認識部位)とするものであり、SDSにより変性されたカタラーゼとは結合することができないものであると主張している。
このように、クレーム解釈については、“堅い”事案であったように思われる。
一方、被告製品について、被告の実験によると、被告製品中のモノクローナル抗体は、SDSで変性したカタラーゼとも反応するものであり、上記の本件発明の構成要件を満たさないものであった。これに対して原告は、原告の実験によると、被告製品は変性したカタラーゼとは反応しなかったと主張した。
このような場合、原告、被告の実験のいずれが信用性が高いものであるかの判断が難しいことも多く、別の理由により結論を導き出す裁判例が多いように思われるが、本件では、技術的な観点から、原告実験結果があっても被告実験の信用性は害されないと判断しており、興味深い。すなわち、裁判所は、原告実験は抗体そのものではなく被告製品を用いて行われているが、被告製品がサンドイッチELISA法を用いている以上、その測定原理上、変性して単量体となったカタラーゼとは反応しないことを指摘している。つまり、サンドイッチELISAの固相抗体と標識抗体の一方しか変性カタラーゼの単量体と反応できないから、仮に被告製品中のモノクローナル抗体がネイティブでないカタラーゼと反応するものであったとしても、被告製品では、ネイティブでないカタラーゼを検出できないということである。
この点、被告製品のサンドイッチELISAの固相抗体と標識抗体のいずれもが同じ単量体をエピトープとするものであれば、変性して単量体となったカタラーゼであっても被告製品は反応しうると考えられるが、そこまでは検討されていないように解される。

 

                                      以上

(文責)弁護士 篠田淳郎