【知財高裁平成28年10月19日判決・平成26年(行ケ)第10155号 審決取消請求事件】
【キーワード】パラメータ発明、サポート要件、フリバンセリン、偏光フィルム、大合議判決、知財高判平成17年11月11日 平成17年(行ケ)10042号
第1 はじめに
本件は、減塩醤油のパラメータ発明に係る特許に対する特許無効審判の請求不成立審決を取り消した事例である。争点は進歩性とサポート要件であったが、サポート要件の有無のみが判断された。
本件は、サポート要件の判断規範を明記していないが、「課題を解決できると認識できる」と判示しており、フリバンセリン事件ではなく、偏光フィルム大合議判決(知財高判平成17年11月11日 平成17年(行ケ)10042号)の立てた規範によっているものと考えられる。なお、文中の下線はすべて筆者による。
第2 事案
1 発明の要旨
本件は、発明の名称を「減塩醤油類」とする特許第4340581号(以下「本件特許」)に対する特許無効審判の請求不成立審決に対する審決取消訴訟である。本件特許の訂正後(訂正は、先の無効審判においてなされ、確定している。)の特許請求の範囲は以下のとおりである。
【請求項1】
食塩濃度7~9w/w%,カリウム濃度1~3.7w/w%,窒素濃度1.9~
2.2w/v%であり,かつ窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62である
減塩醤油。
【請求項2】
塩化カリウム濃度が2~7w/w%である請求項1記載の減塩醤油。
【請求項3】
窒素濃度が1.9~2.2w/v%である請求項1又は2記載の減塩醤油。
【請求項4】
更に,核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料及び酸味料から選ば
れる1又は2以上の添加剤を含有する請求項1~3のいずれか1項記載の減塩醤油。
【請求項5】
濃縮及び脱塩により窒素濃度を1.9~2.2w/v%としたものである請求項
1~4のいずれか1項記載の減塩醤油。
2 本件明細書の実施例
3 審決の理由の概要
(1)原告(審判請求人)の主張した無効理由
<サポート要件違反>
食塩濃度が9w/w%未満の場合について,本件明細書の発明の詳細な説明は,本件発明1が課題を解決できることを当業者が認識できるように記載されておらず,本件発明は,発明の詳細な説明に記載したものでないから,特許法36条6項1号の要件を満たしていない。
(ア) 本件明細書の記載を根拠とした主張
食塩濃度が9w/w%未満の場合に,塩味3以上で苦味3以下の減塩醤油が得られるか否かについては,本件明細書に「7~9w/w%が好ましい」(【0009】)旨記載されているが,具体的な実施例は示されていない。本件明細書の【表1】において,実施例1,実施例3及び実施例4の減塩醤油では,食塩濃度が上限の9w/w%であるにもかかわらず,塩味が3と評価されているが,カリウム濃度及び窒素濃度を固定したまま食塩濃度を本件発明1で規定される範囲内で減少させた場合,塩味が3と評価されるとは,本件明細書のその他の記載,及び,本技術分野における技術常識を参酌したとしても,理解できない。 (イ) 原告が行った試験例(甲11,12及び23)を根拠とした主張
(略)
(ウ) 被告が行った試験例(甲10)を根拠とした主張
(略)
(2)審決の判断
イ サポート要件について
(ア) 本件明細書の記載を根拠とした原告の主張について
本件明細書には,食塩濃度が9.0w/w%で,カリウム濃度が窒素重量比との関係で下限値(1.1w/w%)にある本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が,本件明細書において本件発明1の課題が解決できるとされている指標の下限である3と記載されており(実施例3),また,食塩濃度が8.48w/w%でカリウム濃度が1.06w/w%の場合は,各種添加剤を配合した本件発明1に係る減塩醤油の塩味の指標が3.5と記載されている(実施例21)。このように,減塩醤油の食塩濃度が本件発明1で特定される範囲で上限値に近い場合であっても,カリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の場合には,塩味の指標は本件発明1の課題が解決できるとする数値の下限付近であることから,食塩濃度が7w/w%台でカリウム濃度が本件発明で特定される範囲で下限値付近の減塩醤油の塩味の指標は,食塩濃度が9.0w/w%や8.48w/w%の上記減塩醤油の場合よりも,更に低くなるものと解される。
他方,本件明細書の【表1】において,窒素濃度が2w/v%付近にある比較例7及び14(K濃度 0w/w%,塩味1.5),実施例3(K濃度 1.1w/w%,塩味3),実施例4(K濃度 1.6w/w%,塩味3),実施例1(K濃度 2.1w/w%,塩味3),実施例5(K濃度 2.1w/w%,塩味4),実施例6(K濃度 2.6w/w%,塩味4),実施例9(K濃度 3.7w/w%,塩味5),比較例23(K濃度 4.7w/w%,塩味5)の結果に照らすと,カリウム濃度が大きくなると塩味も強く感じる傾向にあることが分かる。このように,カリウムによる塩味の代替効果はカリウム濃度に依存するものと解され,また,本件明細書には,カリウム濃度が上限値の3.7w/w%にある本件発明1に係る減塩醤油(実施例7,9及び11)の塩味の指標は5で,通常の醤油よりも強い塩味であることも記載されている。
・・・
そうすると,「カリウム濃度」が塩味を付け,「窒素濃度」が塩味を増強し,苦味を低減させるという原理が本件明細書から読み取れ,食塩濃度が9w/w%において観察された現象が,食塩濃度7w/w%で観察されないという合理的な理由はないから,本件発明1で規定される範囲内で,カリウム濃度を増やし,窒素濃度を増やし,窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62とすることによっても,課題を解決できないとまではいえない。
よって,本件発明1の特許請求の範囲まで,発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるものといえる。
(イ) 原告が行った試験例を根拠とした原告の主張について
(略)
第3 主な争点(サポート要件)
請求項1の記載は、『食塩濃度7~9w/w%,カリウム濃度1~3.7w/w%,窒素濃度1.9~2.2w/v%であり,かつ窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62である減塩醤油。』となっているところ、本件明細書の実施例は、食塩濃度が9%の場合の例しか記載されていない(9%未満の実施例もあるが、効果に影響する“余計な”成分が含まれている。)。
このような場合に、本件特許がサポート要件(特許法36条6項1号)を満たすということができるか。
第4 判旨
「当裁判所の判断
1 取消事由1(サポート要件の判断の誤り)について
(1)本件発明1について
ア 本件明細書(甲14)には、次のとおりの記載がある。
(略)
イ 本件発明1の課題
上記本件明細書の記載によれば,本件発明1について,次のことがいえる。本件発明1は,食塩濃度7~9w/w%である減塩醤油において,カリウム濃度(1~3.7w/w%),窒素濃度(1.9~2.2w/v%)及び窒素/カリウムの重量比(0.44~1.62)を,それぞれ数値範囲によって特定した発明である。
そして,食塩濃度が9w/w%以下と定められている減塩醤油は,塩味が感じられず,味が物足りないと感じる人が多く,食塩代替物として塩化カリウムを使用する方法等により,減塩醤油を改良する取組みがなされたが(【0003】,【0004】),これら従来の減塩醤油の風味を改良する取組みは,特に食塩濃度の低下と塩味の両立という点で十分とはいえないという問題点があったことから,本件発明1は,かかる先行技術の課題を解決すべく食塩濃度が低いにもかかわらず,塩味のある減塩醤油類を提供することを目的とする(【0005】)ものである。そうすると,本件発明1の目的は,食塩濃度が低いにもかかわらず塩味がある醤油を提供するものであるが(【0008】),併せて,「カリウム含量が増加した場合の苦味が低減」(【0006】)されるようにすることによって,改良された風味を有する醤油とするものといえる。
以上によれば,本件発明1が解決しようとする課題は,食塩濃度が7~9w/w%と低いにもかかわらず塩味があり,カリウム含量が増加した場合の苦みが低減でき,従来の減塩醤油の風味を改良した減塩醤油を提供することであると認められる。
ウ 課題と官能評価との関係
・・・
そして,官能評価は10名のパネラーの評価を平均した上で,0.5単位の近似値を算出したものと解されるが(【0026】,【0030】,【0035】参照),上記1から5までの指標は,醤油における食塩濃度又はそれに応じた塩味の程度に正比例した数値となっていない。・・・
エ 本件発明1についての課題解決
(ア) 課題解決の範囲
本件発明1は,食塩濃度7~9w/w%である減塩醤油における風味の問題点を,カリウム濃度,窒素濃度及び窒素/カリウムの重量比を特定範囲とすることによって解決するものであるから,本件発明1が課題を解決できると認識できるためには ,食塩濃度7~9w/w%の全範囲にわたって,請求項に記載された他の発明特定事項,すなわち,カリウム濃度,窒素濃度,窒素/カリウムの重量比の各数値を,適切に組み合わせれば,他の手段を採用しなくても,上記課題が解決できると認識できることが必要である。したがって,添加することによって相乗的に塩味を増強できる,あるいは,塩味のみならず,苦みの低減,醤油感の増強などの効果もある「核酸系調味料,アミノ酸系調味料,有機酸塩系調味料,酸味料等」(【0015】)を添加しない状態において,上記課題が解決できると認識できるか否かを検討する必要がある。
(イ) 実施例と比較例からの把握
(略)
(a) 食塩濃度と塩味との関係
本件明細書の塩味の指標(【0027】)によれば,最も塩味が弱い場合が,従来の減塩醤油(食塩濃度9w/w%相当)と同等の1,最も塩味が強い場合が,レギュラー品(食塩濃度14w/w%相当)よりも強い5であり,食塩濃度が9w/w%から増加するにつれ塩味が強くなることが理解できる。
しかしながら,上記のとおり,食塩濃度が9w/w%より低い場合の塩味の指標は設けられておらず,また,1から5の指標は,食塩濃度に正比例した数値ではない。
したがって,本件発明1に含まれる減塩醤油であって,食塩濃度9.0w/w%で塩味が4又は5であるものを,食塩濃度を7.0w/w%まで低下させた場合に,塩味が3以上の評価となるのか,あるいは,それを下回る評価となるのかを判断できる根拠となるものはない。
(b) カリウム濃度と塩味・苦みとの関係
(略)
(c) 窒素濃度,窒素/カリウムの重量比と塩味・苦みとの関係
(略)
b 食塩濃度が9.0w/w%の場合について(本件発明1に含まれる
実施例1~11,本件発明1に含まれない実施例26,27,比較例1~25)
本件明細書の表1には,食塩濃度が9.0w/w%の場合について,多数の実施例と比較例が記載され,カリウム濃度が1.1~3.7w/w%,窒素濃度1.93~2.15w/v%,窒素/カリウムの重量比0.44~1.62の範囲内とすれば,塩味が3以上,苦みが3以下で,総合評価が○となることが記載されているから,本件発明1のうち食塩濃度が9.0w/w%の場合は,課題が解決できると認識できる。
c 食塩濃度が8.13~8.21w/w%の場合について(本件発明1に含まれる実施例12と,これに調味料・酸味料を添加した実施例13~19)
・・・
したがって,食塩濃度が8.13~8.21w/w%において,調味料・酸味料を添加しない場合には,カリウム濃度を約2.10w/w%から上限値の3.7w/w%としても,塩味が3以上,苦みが3以下,総合評価が○以上という評価が得られ,本件発明1の課題が解決できるものと,直ちには認識することはできない。
d 食塩濃度が8.32~8.50w/w%の場合について(調味料・酸味料の添加のある実施例20~25)
・・・
したがって,実施例25において,調味料・酸味料を添加しない場合には,カリウム濃度を2.11w/w%から上限値の3.7w/w%としても,塩味が3以上,苦みが3以下,総合評価が○以上という評価が得られ,本件発明1の課題が解決できることを,直ちには認識することはできない。
その他の実施例21ないし24についても,実施例20と実施例25と同様である。
e 以上によれば,本件発明1に関し,本件明細書の実施例・比較例から,課題を解決できることが認識できることが直接示されているのは,食塩濃度が9.0w/w%の場合のみである。
(ウ) 食塩濃度の下限値である7w/w%の場合に,本件発明1の課題を解
決できることを当業者が認識できるか
本件発明1が課題を解決できると認識できるといえるためには ,食塩濃度7~9w/w%の全範囲にわたって,上記課題が解決できると認識できることが必要であるところ,食塩濃度が下限値の場合が,食塩による塩味を最も感じにくく,課題解決が最も困難であることは明らかであるから,食塩濃度が下限値の7w/w%である場合について検討する。
(略)
そうすると,食塩濃度が9.0w/w%,カリウム濃度が下限値に近い1.1w/w%である実施例3(窒素濃度1.99w/v%,窒素/カリウムの重量比1.62,塩味3,苦み1,総合評価○)において,食塩濃度を7.0w/w%に下げても,カリウム濃度を上限値の3.7w/w%まで増加させれば,塩味が3以上,苦みは3以下となり,総合評価も○となるものと,推認することはできない。
(c) その他本件明細書の表1の実施例・比較例を検討しても,食塩濃度7.0w/w%の場合に,塩味が3以上,苦みが3以下,総合評価が○以上という評価が得られ,本件発明1の課題を解決できることを認識することができる記載は認められない。
・・・
(エ) 小括
以上によれば,本件発明1のうち,少なくとも食塩が7w/w%である減塩醤油について,本件出願日当時の技術常識及び本件明細書の記載から,本件発明1の課題が解決できることを当業者は認識することはできず,サポート要件を満たしているとはいえない。
・・・
審決は,「カリウム濃度」が塩味を付け,「窒素濃度」が塩味を増強し,苦みを低減させるという原理が本件明細書から読み取ることができ,食塩濃度が9w/w%において観察された現象が,食塩濃度7w/w%で観察されないという合理的な理由はないと判断した。
しかしながら,上記原理だけから,食塩濃度を低下させた場合における具体的な塩味や苦みの程度を推測することはできないし,特定の味覚の強化,弱化が他の味覚に影響を与えずに独立して感得されるという技術的知見を示す証拠も見当たらない。本件発明の課題が解決されたというためには,本件明細書において設定した,塩味が3以上,苦みが3以下,総合評価が○以上という評価を達成しなければならないが,本件発明のうち食塩濃度が7.0w/w%の場合に,上記の評価を達成でき課題が解決できることを,本件明細書の記載から認識することはできない。」
第5 検討
本件特許は、特許請求の範囲では、食塩濃度が7~9%と規定されているのに対して、本件明細書の実施例には、食塩濃度が9%の例しか記載されていない。
この点、審決は、実施例・比較例の各パラメータから傾向を読み取った上で、「そうすると,「カリウム濃度」が塩味を付け,「窒素濃度」が塩味を増強し,苦味を低減させるという原理が本件明細書から読み取れ,食塩濃度が9w/w%において観察された現象が,食塩濃度7w/w%で観察されないという合理的な理由はないから,本件発明1で規定される範囲内で,カリウム濃度を増やし,窒素濃度を増やし,窒素/カリウムの重量比が0.44~1.62とすることによっても,課題を解決できないとまではいえない。よって,本件発明1の特許請求の範囲まで,発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるものといえる。」と判断した。
これに対して、本判決は、実施例の評価方法における指標の定義について検討し、「上記1から5までの指標は,醤油における食塩濃度又はそれに応じた塩味の程度に正比例した数値となっていない。」と指摘したうえで、「本件発明1に含まれる減塩醤油であって,食塩濃度9.0w/w%で塩味が4又は5であるものを,食塩濃度を7.0w/w%まで低下させた場合に,塩味が3以上の評価となるのか,あるいは,それを下回る評価となるのかを判断できる根拠となるものはない。」と判断している。つまり、食塩濃度が9%の例において、評価が5点になっているものを、仮に食塩濃度を7%にした場合にある程度評価が下がるとして、それが、3点以上にとどまるのか、それ以上評価が下がる(=本件発明1の効果を奏しない)のか、推認することができない、としている。
このように、審決、判決は、ともに、食塩濃度が9%の例についての実施例しか記載されていない場合に、それらの実施例から、食塩濃度が7%の場合であっても本件発明の効果が奏されることを推認できるかどうかを検討している点では共通しているが、結論は異なっている。それは、審決が、各パラメータごとに独立に、各パラメータと味の間のざっくりとした傾向を見出し、そのような傾向からすれば、上記のような推認が可能としたのに対して、本判決では、実施例の評価項目の定義を含めて実施例・比較例の関係を詳細に検討し、塩味と苦みの相互関係にも配慮したことが影響しているものと考えられる。
本件発明は調味料に関する発明であり、食塩、カリウム濃度及び窒素濃度という各パラメータが複雑に絡み合った上で、塩味や苦みといった味の傾向が現れるものであると解され、判決のように、各パラメータと味との関係について詳細に検討する手法が妥当であると思われる。
以上
(文責)弁護士 篠田淳郎