【平成28年8月10日(知財高裁平成27年(行ケ)第10149号)】

【要旨】
 「平底幅広浚渫用グラブバケット」という名称の本件発明につき,当業者が主引用例において周知技術が解決すべき課題を認識するとは考え難いなどと判断して容易想到性を否定し,本件特許を無効とした審決を取り消した。

【キーワード】
特許法29条2項,進歩性,容易の容易

事案の概要

(特許庁等における手続の経緯)
⑴ 原告(特許権者,無効審判の被請求人)は,他の共有者と共に,平成16年5月24日,発明の名称を「平底幅広浚渫用グラブバケット」とする特許出願(特願2004-153246号)をし,平成18年11月24日,設定の登録を受けた(特許第3884028号。以下,「本件特許」という。)。
⑵ 被告(無効審判の請求人)は,平成22年12月14日,本件特許の特許請求の範囲請求項1に係る発明について特許無効審判を請求し,原告らは,同手続において訂正請求をした。
⑶ 特許庁は,これを無効2010-800231号事件として審理し,平成23年11月4日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした。
⑷ 被告は,上記⑶の審決の取消しを求める訴訟を提起した。知的財産高等裁判所は,平成25年1月10日,上記⑶の審決を取り消す旨の判決をし,同判決は,上告不受理の決定により確定した。
⑸ 原告は,平成25年7月22日,他の共有者から,本件特許権に係る持分の全てを譲り受け,その後,訂正請求をした。
⑹ 特許庁は,平成26年4月24日,「訂正を認める。特許第3884028号の請求項1に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決をした。
⑺ 原告は,上記⑹の審決の取消しを求める訴訟を提起した。その後,特許請求の範囲の減縮及び明瞭でない記載の釈明を目的とする訂正審判を請求したので,知的財産高等裁判所は,平成23年法律第63号による改正前の特許法181条2項に基づき,上記⑹の審決を取り消す旨の決定をした。前記訂正審判請求については,同訂正審判の請求書に添付された訂正した明細書,特許請求の範囲又は図面を同法134条の3第3項の規定により援用した同法134条の2第1項の訂正の請求がされたものとみなされた(以下,「本件訂正」という。)。
⑻  特許庁は,平成27年6月26日,「訂正を認める。特許第3884028号の請求項1に記載された発明についての特許を無効とする。」との審決(以下,「本件審決」という。)をした。
⑼ 原告は,平成27年7月30日,本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。

(本件訂正後の請求項1の記載)
【請求項1】吊支ロープを連結する上部フレームに上シーブを軸支し,側面視において両側2ケ所で左右一対のシェルを回動自在に軸支する下部フレームに下シーブを軸支するとともに,左右2本のタイロッドの下端部をそれぞれシェルに,上端部をそれぞれ上部フレームに回動自在に軸支し,上シーブと下シーブとの間に開閉ロープを掛け回してシェルを開閉可能にしたグラブバケットにおいて,/シェルを爪無しの平底幅広構成とし,シェルの上部にシェルカバーを密接配置するとともに,前記シェルカバーの一部に空気抜き孔を形成し,該空気抜き孔に,シェルを左右に広げたまま水中を降下する際には上方に開いて水が上方に抜けるとともに,シェルが掴み物を所定容量以上に掴んだ場合にも内圧の上昇に伴って上方に開き,グラブバケットの水中での移動時には,外圧によって閉じられる開閉式のゴム蓋を有する蓋体を取り付け,正面視におけるシェルを軸支するタイロッドの軸心間の距離を100とした場合,側面視におけるシェルの幅内寸の距離を60以上とし,かつ,側面視においてシェルの両端部がタイロッドの外方に張り出すとともに,側面視においてシェルの両端部が下部フレームの外方に張り出し,更に,側面視においてシェルの両端部が下部フレームとシェルを軸支する軸の外方に張り出してなり,薄層ヘドロ浚渫工事に使用することを特徴とする平底幅広浚渫用グラブバケット(なお,前記正面視はシェルと下部フレームを軸支する軸の軸心方向から視たものであり,前記側面視はシェルと下部フレームを軸支する軸を軸心方向の側方から視たものとする)。

争点(他の争点もあるが,本稿は下記争点に絞る)

 容易想到性の判断

判旨抜粋(下線は筆者が付した)

第1~第3 ・・・略・・・
第4 当裁判所の判断
1,3 ・・・略・・・
2  取消事由1(引用発明1を主引用例とする容易想到性の判断の誤り)について
⑴~⑷ ,⑹~⑼ ・・・略・・・
⑸  相違点2の容易想到性の判断の誤りについて
 ア 相違点2について
 本件発明と引用発明1との間には,本件審決が認定したとおり,本件発明においては,「シェルの上部にシェルカバーを密接配置するとともに,前記シェルカバーの一部に空気抜き孔を形成し,該空気抜き孔に,シェルを左右に広げたまま水中を降下する際には上方に開いて水が上方に抜けるとともに,シェルが掴み物を所定容量以上に掴んだ場合にも内圧の上昇に伴って上方に開き,グラブバケットの水中での移動時には,外圧によって閉じられる開閉式のゴム蓋を有する蓋体を取り付け」るのに対して,引用発明1においては,そのように構成されているか否か不明であるという相違点・・・が存在するものと認められ,この点は,当事者間に争いがない。
 イ 相違点2の容易想到性について
(ア) 本件審決は,浚渫用グラブバケットに関する発明である引用発明1において,同じく浚渫用グラブバケットに関する周知技術2及び3並びに引用発明3を適用して相違点2に係る本件発明の構成とすることは,当業者であれば容易に想到し得たことであると判断した。
(イ) 相違点2は,シェルの構成に関するものである。しかし,引用例1(甲1)には,専ら,バケットの吊上げ初期の揺れがほとんど発生せず,開閉ロープのロープ寿命も長くなる浚渫用グラブバケットの提供を課題として…,上部シーブ,下部シーブ,バケット開閉用の開閉ロープ及びガイドシーブの構成や位置によって上記課題を解決する発明が開示されており…,シェルに関しては,特許請求の範囲及び発明の詳細な説明のいずれにも,「各シェル部1A,1Bは軸3で開閉自在に軸支され,下部フレーム2に取付けられている。」…など,他の部材と共にグラブバケットを構成していることが記載されているにとどまり,シェル自体の具体的構成についての記載はない。引用例1においては…上記発明の一実施形態に係る浚渫用グラブバケットの側面図【図1】及び正面図【図2】に加え,従来のグラブバケットの側面図【図6】及び正面図【図7】において,シェルが図示されているにすぎない。したがって,引用例1には,シェルの構成に関する課題は明記されていない。
(ウ) もっとも,引用例3(甲4)の考案の詳細な説明中の考案が解決しようとする問題点…,周知例1…,周知例2…及び引用例5(甲5)…によれば,本件特許出願の当時,浚渫用グラブバケットにおいて,シェルで掴んだ土砂や濁水等の流出を防止することは,自明の課題であったということができる。したがって,当業者は,引用発明1について,上記課題を認識したものと考えられる。
 前記⑶ウのとおり,本件審決が周知技術2を認定したことは誤りであるが,当業者は,引用発明1において,上記課題を解決する手段として,周知例2に開示された「シェルが掴んだヘドロ等の流動物質の流出を防ぐために,相対向するシェル11,11の上部開口部12,12に上部開口カバー13,13をシェル11,11の内幅いっぱいに固着するか,又は,取り外し可能に装着することによって,上部開口部12,12を上部開口カバー13,13でふさぎ,シェル11,11を密閉する」構成を適用し,相違点2に係る本件発明の構成のうち,「シェルの上部にシェルカバーを密接配置する」構成については容易に想到し得たものと認められる。
 しかしながら,前記⑷のとおり,シェルの上部に空気抜き孔を形成するという周知技術3は,シェルの上部が密閉されていることを前提として,そのような状態においてはシェル内部にたまった水や空気を排出する必要があり,この課題を解決するための手段である。引用例1には,シェルの上部が密閉されていることは開示されておらず,よって,当業者が引用発明1自体について上記課題を認識することは考え難い。当業者は,前記のとおり引用発明1に周知例2に開示された構成を適用して「シェルの上部にシェルカバーを密接配置する」という構成を想到し,同構成について上記課題を認識し,周知技術3の適用を考えるものということができるが,これはいわゆる「容易の容易」に当たるから,周知技術3の適用をもって相違点2に係る本件発明の構成のうち,「前記シェルカバーの一部に空気抜き孔を形成」する構成の容易想到性を認めることはできない。
(エ)  ・・・略・・・
 ウ 被告の主張について
 被告は,空気抜き孔をシェルカバーの一部に設けることは,引用例5及び周知例1に開示された公知技術ないし周知技術である旨主張するが,前記イのとおり,同技術は,シェルの上部が密閉されていることを前提として,そのような状態においてはシェル内部にたまった水や空気を排出する必要があり,この課題を解決するための手段であり,引用例1には,シェルの上部が密閉されていることは開示されていないのであるから,よって,当業者が引用発明1自体について上記課題を認識することは考え難く,上記技術を適用する動機付けを欠く。
 エ 小括
 以上によれば,相違点2が容易に想到できるとした本件審決の判断には誤りがある。
4  結論
 以上によれば,本件審決の容易想到性に関する判断には誤りがあり,原告主張の取消事由は理由があるから,本件審決は取消しを免れない。よって,原告の請求を認容することとし,主文のとおり判決する。

解説

 本件は,本件発明につき,当業者が主引用例において周知技術が解決すべき課題を認識するとは考え難いなどと判断して容易想到性を否定したものであるが,その判断の中で「いわゆる『容易の容易』に当たるから」容易想到性を認めることはできないと判断した点に特徴がある。
 特許法29条2項は「特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは,その発明については,同項の規定にかかわらず,特許を受けることができない。」と規定するだけなので,「容易の容易」であるということをもって「容易でない」と即断されるわけではない。また,特許庁審査基準においても「容易の容易」という記載は存在しない。しかしながら,特許庁の審査実務(特許庁の審査官の中で)では,いわば合言葉のように「容易の容易は容易でない」と言われており,実務的にも(拒絶理由通知書において「容易の容易は容易でない」と書かれることはないが)そのような判断がなされていると言ってよい。
 それでは「容易の容易」とはどのようなケースを言うのか。以下の図は,その典型例を示したものである。
 「見え方1」で示した例が「容易の容易」の典型例である。本件発明と主引用例との相違点B1,C1,D1に対し,副引用例1を適用しただけではすべての相違点が埋まらず,更に,副引用例1で置き換えた要素D2を副引用例2の要素D1で置き換えている。このような論理付けを行うと,例えば「副引用例1で置き換えた要素D2を副引用例2の要素D1で置き換える」場面において,主引用例に対する副引用例1,2を適用することの動機付けができなくなり(課題の認識ができなくなる,阻害要因が生じる等)容易想到性が否定されることが多くなる(なお,副引用例2の適用が設計変更に過ぎない場合には容易の容易に見えるケースでも容易想到性が否定されない場合もある(特許庁審査基準(第Ⅲ部第2章第2節3.1の3.1.1の注1の記載,知財高裁平成28年(行ケ)第10119号など)。)。
 一方,「見え方2」で示した例は「容易の容易」とは言わない。本願発明と主引用例との相違点は「見え方1」と同じに見えるが,各相違点を1つずつ置き換えている点が異なる。要するに,相違点が3個あって,3個の相違点に対して各々副引用例1~3を適用したということになる。

 それでは,見え方1と見え方2の違いの本質は何か。これは相違点B1,C1,D1が実質的に「何個に分解されているか」という点になる。「見え方1」では,相違点B1,C1,D1が実質的に「1個」の相違点として考えられている。「見え方2」では,相違点B1,C1,D1が「3個」の相違点として考えられている。相違点として抽出された事項が「技術的なまとまり」があるのであれば,相違点は大きくなり,その分だけ1個の副引用例ですべてを置き換えるのが難しくなるので,「容易の容易」になりやすくなる。すなわち,「容易の容易」の議論は,いわば「相違点の分解」の議論に集約することもでき,恣意的な相違点の分解が行われれば「一致点・相違点の誤り」になるものとも考えられる。
 本件では,問題となった相違点2に関しては当事者間で争いがなかった(要するに,「大きな」相違点とすることに当事者間で争いがなかった)ので「容易の容易」という枠組みの中で判断が行われたものと考えられる。

以上
(文責)弁護士・弁理士 髙野芳徳