【平成30年(ワ)第7456号(大阪地裁R元・7・18)】

【事案の概要】

本件は,被告の従業員であった原告が,在職中にした3件の商品開発に係る職務発明又は職務考案(以下「職務発明等」という。)につき,特許又は実用新案登録を受ける権利(以下「特許等を受ける権利」という。)を被告にそれぞれ譲渡したとして,被告に対し,特許法35条3項(平成27年法律第55号による改正前のもの。以下同じ),実用新案法11条3項(以下「特許法35条3項等」という。)に基づき,上記各譲渡に対する相当対価の合計額1084万7046円及びこれに対する平成30年10月4日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を請求する事案である。

【判決抜粋】(下線部筆者)

第4 当裁判所の判断
 1 争点2(権利承継の有無)について
  (1) 事実認定
  ア 被告代表者は,原告が平16年頃に開発に従事した商品(なお,この商品につき原告と被告とで争いがあるが,本件の結論を左右するものではない。)の売行きが好調であったことから,被告の岡山工場で働く従業員が参加した平成17年1月の新年会の際,原告に対し,特許等を受ける権利の譲渡の対価の趣旨ではなく,顕著な業績を踏まえた報奨の趣旨で,10万円を交付した(乙17,被告代表者)。
  イ 原告は,平成213月の定年退職に際し,本件話合いを行った。その際,被告代表者は,原告に対し,再雇用後は雇用形態が嘱託社員となり,給料が従前と比較して減ることを説明するとともに(争いのない事実),原告が開発に従事した商品の売行きが良ければ,また表彰することもある旨を述べた(乙17)。
  ウ 被告は,本件商品等1及び2や,本件商品等3を原材料に用いた「産直豚モモ塩麹漬け」等の商品を販売している(乙4~11〔枝番号を含む。〕)。
  エ 事実認定の補足説明
  (ア) 原告は,平成171月の新年会で交付を受けた10万円につき,特許等を受ける権利の譲渡の対価の趣旨で交付されたものであると主張し,これに沿う供述をする
  しかし,これを裏付けるに足る的確かつ客観的な証拠はない。そもそも,上記新年会以前に,原告と被告との間で原告の特許等を受ける権利の譲渡の対価を被告が支払う旨の明示又は黙示の合意が存在したことをうかがわせる事情はなく被告にこの点に関する勤務規則その他の定めがないことは,前記第2の2(3)のとおり。),かえって,原告自身,本件話合いまで,特許等を受ける権利を被告に譲渡した場合に原告がその対価を受け取れることにはなっていなかった旨を供述している(原告本人)。また,上記10万円につき特許等を受ける権利の譲渡の対価と見るに当たり,その価額の算定根拠は明らかでないし,対価として相当な価額であることをうかがわせる事情もない
  むしろ,上記新年会は,商品開発に従事する者に限らず被告の岡山工場の従業員全員が参加し得るものであり,かつ酒席であることを併せ考慮すると,就業規則等に職務発明等に係る規定のない被告が,そのような場で,特許等を受ける権利の譲渡の対価を支払うとは考え難い
  これらの事情に鑑みると,上記10万円の支払は,顕著な業績を残した商品の開発に従事したことへの報奨として,他の従業員の士気を高める目的も含めた一般的な表彰に伴うものと理解するのが合理的である。これに沿う被告代表者の供述には信用性があるといってよい。
  したがって,この点に関する原告の供述は信用し難く,原告の主張は採用できない。
  (イ) 原告は,本件話合いの際,被告代表者が「商品を発明してくれればそれに見合った報酬を出すから頑張ってほしい。」などと発言したと主張する。
  しかし,本件話合いの際に被告代表者が原告主張のとおりの発言をしたことを認めるに足る的確かつ客観的な証拠はない。かえって,原告自身,本件話合いの際の被告代表者の発言につき,「給料は下がるけれども,新しい商品を開発してくれたら,それに対する報酬は出します。」(甲10),「給料は下がるけれども,新しい商品を作ったことに対しては,また報酬を出すというふうに私は受け止めてました。」,(「具体的にどんな言葉で言われたかは覚えてないですか。」との問いに対し)「そういうふうに出すから頑張ってくれだったとは思いますけど。」,「給与は下がるけれども,新しい商品を作った場合には,それに対して報酬は出しますという趣旨の言い方をされたように記憶してます。」(原告本人)などと供述しており,「発明してくれれば」と発言したとはしていない。また,その供述に係る被告代表者の発言は,必然的に職務発明等と結び付けて理解し得るものではないし,「商品が売れれば,また表彰する。」旨の発言をしたとする被告の主張及び被告代表者の供述と趣旨を異にするものでもない。しかも,そのような理解は,平成17年1月の新年会の際に,開発に従事した商品の顕著な業績を理由に原告に報奨金10万円が交付されたという経緯(上記(ア))にも合致する。
  そうすると,本件話合いにおける発言の具体的な文言はさておき,その際,原告及び被告代表者,少なくとも被告代表者が,再雇用後の原告による商品開発が職務発明等となる場合のことを念頭に置いていたと見るに足る事情はなく趣旨としては,開発に従事した商品の売行きが良好であればまた表彰することもあり得る旨を発言したものと理解するのが合理的である。
  したがって,この点に関する原告の主張は採用できない。
  (2) 権利承継の有無について
  ア 被告の就業規則等に従業員がした発明又は考案の取扱いを定めた規定はなく,また,原告と被告とが,本件商品等1~3に係る原告の特許等を受ける権利を被告に譲渡する旨の明示の合意をしていないことは,前記(第2の2(3))のとおりである。
  イ 上記(1)認定に係る事実のほか,被告が,本件商品等1~3につき,特許出願や実用新案登録出願をしていないこと(前記第2の2(2)),被告は,原告が開発に従事した本件商品等13を現に商品化して販売しているけれども,惣菜の製造販売をその目的の1つとする被告が,商品開発の成果である商品を製造販売することは当然であり,これをもって特許等を受ける権利の譲渡を受けたことを前提とする行動であるとはいえないことを考慮すると,平成21年3月末頃,原告と被告との間で,原告の特許等を受ける権利の譲渡の対価を被告が支払う旨の黙示の合意が成立したと見ることはできない。この点に関する原告の主張は採用できない。
  ウ そうである以上,本件商品等1~3に係る発明又は考案について,原告から被告に特許等を受ける権利が譲渡されたとは認められない。したがって,原告は,被告に対し,その相当な対価の支払請求権を有するとはいえない
 2 結論
  以上より,その余の点につき判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないから,これらをいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。

【解説】

 本件は,被告の従業員であった原告が,在職中にした3件の商品開発に係る職務発明等につき,特許等を受ける権利を被告にそれぞれ譲渡したとして,被告に対し,特許法35条3項等に基づき相当対価を請求した事案である。裁判所は,原告が被告に職務発明等につき特許等を受ける権利を譲渡したとは認められないとして,原告は,被告に対し,相当対価の支払い請求権を有するとはいえないと判断した。
 被告の就業規則等に従業員がした発明等の取扱いを定めた規定はないこと,原告と被告との話し合いの場でも,原告による商品開発が職務発明等となるとの理解はなかったこと,平成17年1月の新年会の際に原告に交付された金銭は,商品の顕著な業績を理由とする報奨金と考えられること,から,原告から被告に特許等を受ける権利が譲渡されたとは認められないという,裁判所の示した結論は正当と考えられる。
 職務発明の対価請求権に関する訴訟では,特許を受ける権利が発明者から企業に対して譲渡されたことが否定されるケースは少数であり,主に相当対価の評価額が争点となる。
 これに対し,本件では,特許等を受ける権利が原告から被告に譲渡されていないと判断された。このような場合,本件商品等1~3に係る発明[1]が原告により出願され特許を受けたとすれば[2],かかる特許発明を実施した被告の行為はどのように扱われるか。
 本件商品等1~3に係る発明が職務発明に該当すれば,職務発明につき特許を受ける権利が原告から被告に譲渡されずに,原告が特許を受けたとしても,被告にはその特許権について通常実施権が許諾される(特許法35条1項)。すなわち,本件商品等1~3に係る発明が特許を受け,被告がこれを実施していたとしても,被告の行為は権利侵害には当たらない。
 本件商品等1~3に係る発明が職務発明に該当しない場合[3],当該発明について原告が特許を受け,かつ原告と被告の間に特に合意がないならば,被告はかかる特許発明を実施する正当な権原を有しない。すなわち,原告は,被告に対して権利行使することができる。
 もっとも,脚注2でも指摘したとおり,本件商品等1~3に係る発明が職務発明であるか否かにかかわらず,公然実施されてしまった本件では,被告による実施が原告の権利侵害となる事態は想定しにくい。ただ,職務発明取扱規定がない場合,本件のような紛争を引き起こすおそれがある。そのため,被告のように発明とあまり関係ないと思われる企業においても,職務発明取扱規定を策定することが望ましい。

以上
(文責)弁護士 石橋 茂


[1] 以下,単に「発明」「特許」と記載するが「考案」「実用新案」の場合も同様である。
[2] 本件においては,被告が本件商品等1~3に係る発明を公然実施しているため,判決が出た時点からは権利化できないが,公然実施前に出願したと仮定する。
[3] 本件においては,原告は職務発明等であると主張しているので,このような場合を想定することは難しいが。