【知財高裁令和元年8月28日判決(平成30年(行ケ)第10164号) 審決取消請求事件】

【判旨】
 発明の名称を「酸味のマスキング方法」とする特許について,マスキング剤として,アスパルテームを製品濃度1~200 mg%(=0.001~0.2重量%)で添加する引用発明から,スクラロースを製品の0.0028~0.0042重量%で添加することは容易に想到することができたとして,発明の進歩性が否定された。

【キーワード】
進歩性,容易想到性,動機付け,置換

1 事案

 被告は,食品に人工甘味料であるスクラロースを少量添加することにより酸味をマスキングする方法に関する本件特許を有している。
 原告が被告の本件特許について無効審判を請求したところ,無効審決及びその審決取消訴訟における取消判決を経て,訂正請求認容を認めた上で審判請求不成立の審決がなされた(時系列は以下のとおり)。なお,本件特許には,設定登録時には請求項1及び2があったが,請求項2はその後削除され,争われていないので,本稿では請求項1についてのみ述べる。

 平成9年2月12日          被告:特許出願
 平成19年2月16日        特許庁:被告特許権を設定登録
 平成26年7月9日          原告:本件特許について無効審判請求
 平成28年6月10日        特許庁:本件特許を無効とする審決(以下「一次審決」)
 平成29年7月19日        知財高裁:一次審決を取り消す判決(確定)
 平成30年1月23日        被告:訂正請求(以下「本件訂正」)
 平成30年7月11日        特許庁:本件訂正認容,審判請求不成立審決(以下「本件審決」)
 平成30年11月15日      原告:本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起

 本判決は,無効審判請求不成立審決の審決取消訴訟の判決である。

2 本件審決

 本件特許の訂正後の請求項1に記載された発明(本件発明)は,以下のとおりでる。

 本件発明:醸造酢を含有するドレッシング,ソース,漬物,及び調味料からなる群より選択される少なくとも1種の製品に,スクラロースを該製品の0.0028~0.0042重量%の量で添加することを特徴とする該製品の酸味のマスキング方法。

 また,本件審決は,引用例に記載された引用発明を以下のとおり認定した。

 引用発明:食酢を含む食品に,アスパルテームを該食品に対し1~200 mg%の濃度となるように添加する,酸味の緩和方法。(注:「mg%」は重量%の1000分の1を表す単位である。1 mg% = 0.001重量%)

 本件審決は,本件発明と引用発明との間で,一致点及び相違点を以下のとおり認定した。

 一致点:食酢を含有するドレッシング,ソース,漬物,及び調味料からなる群より選択される少なくとも1種の製品に,酸味のマスキング剤を添加する,該製品の酸味のマスキング方法である点。

 相違点1:製品が含有している食酢が,本件発明では,醸造酢であるのに対し,引用発明では,そのような特定はない点。

 相違点2:酸味のマスキング剤が,本件発明では,スクラロースであり,その添加量が製品の0.0028~0.0042重量%であるのに対し,引用発明では,アスパルテームであって,その添加量が製品濃度で1~200 mg%である点

 本件審決は,相違点1に関し,食酢として醸造酢を用いることについて容易想到性を認めたが,相違点2に関し,以下のように述べてアスパルテームをスクラロースに置き換えることについて容易想到性を認めず,本件発明の進歩性を肯定した。

「甲第1号証は,酸味のマスキング剤としてアスパルテームのみを対象としており,それ以外の酸味のマスキング剤の使用を意図していないこと(略),および,『トレハロース』のように醸造酢の酸味は増強する甘味料も存在する(略)ことからすれば,甲第1,2,3,7,8号証の記載から,上記のとおりショ糖やアスパルテームやステビアやサッカリンに酸味を緩和する効果が認められるとしても,高甘味度甘味料一般が酸味を緩和させる効果を有することまでは導き出すことはできない。」

3 本判決

 本件訴訟において,本件審決と同様に本件発明,引用発明並びにその一致点及び相違点の認定について当事者間に争いがなく,本判決も同じ前提の下判断した。
 相違点1については,被告が明らかに争わなかったため,本判決は,相違点2に係る容易想到性について,概要,以下のように判断した。

(1) 主引用発明のアスパルテームをスクラロースに置換することが容易であったこと
 本件特許の出願日の当時,当業者には,アスパルテーム,ステビア,サッカリン等の慣用された高甘味度甘味料が,酸味食物の酸味を消す効果,すなわち,酸味のマスキング剤としての機能を備えるとの認識があった。
 スクラロースがショ糖の約650倍の甘味を有する非代謝性ノンカロリー高甘味度甘味料であり,アスパルテーム,ステビア,サッカリンナトリウム等の他の高甘味度甘味料と比較し,甘味の質においてショ糖に似ていることは,当業者の技術常識であった。また,そのため,スクラロースが,多くの種類の食品において嗜好性の高い甘味を付与することが見込まれているとも文献に記載されていた。
 したがって,引用発明のアスパルテームに代えてスクラロースを採用してみることは,当業者が容易に想到することができた。

(2) 本件発明の数値限定が容易であったこと
 本件発明における数値限定についても,

  • 酸味以外の風味について,スクラロースの甘味を感じさせない量であっても製品の風味の向上が可能であることを当業者は認識していたこと
  • 引用例に,アスパルテームによる酸味緩和効果を得るための下限値として,上記のスクラロースと同様のレベルの使用量で酸味のマスキングが行えることが記載されていたこと
  • 引用例において,アスパルテームの甘味により,食品・調味料の呈味バランスが崩れないようアスパルテームの添加量は食品・調味料の種類に応じ,適宜設定すべきであるとされていること
  • 酸味のマスキングは,甘味の付与を目的とするものではなく,所望の酸味のマスキング効果を奏する場合には,甘味がつきすぎて味のバランスが崩れることがないように,甘味料の使用を減らすことは考えても,増量することは考えないから,スクラロースを酸味のマスキング剤に使用する場合であっても,当業者は,酸味のマスキングが実現可能な低い濃度でスクラロースを使用することを指向すること

から,「スクラロースを,引用発明の食酢を含む食品(ドレッシング,ソース,漬物,及び調味料などの製品)における,酸味のマスキング剤として使用するにあたり,酸味緩和効果が得られるものの,スクラロースの甘味により前記製品の旨味バランスを崩さない濃度範囲のうち低い濃度を,製品ごとに選択して,スクラロースの従来の使用濃度である0.0001~0.005重量%に重複する0.0028~0.0042重量%という濃度範囲に至ることは,当業者に容易であった」。

(3) 本件審決が容易想到性を否定した理由の排斥
 本件審決が相違点2に係る容易想到性を否定した理由の1つである「『トレハロース』のように醸造酢の酸味は増強する甘味料も存在する」ことについて,本判決は,「トレハロースは,食品の低甘味化に使用されるものであるから,アスパルテーム,ステビア,サッカリン等の高甘味度甘味料と同様に論じることはできない。また,同じ文献(甲48)には,トレハロースを添加した際に,酸味料の種類や他の呈味物質の存在によって,酸味が強調されたり,マスキングされたりすることを,不可解な現象であると説明されていることからすると,高甘味度甘味料一般が酸味を緩和させる効果を有すると認定する上での支障となるとまではいえない。」とした。

(4) 甘味料のカテゴリーの違いに関する被告の主張の排斥
 被告は,アスパルテームとスクラロースが,それぞれ,アミノ酸系甘味料と合成甘味料という別のカテゴリーに分類されていたこと及び甘味の強度の違いから,アスパルテームをスクラロースに置換する動機付けがない旨の主張もしていたが,本判決は,「本件出願日当時,ショ糖,アスパルテーム,ステビア,サッカリンといった,化学構造において別のカテゴリーに分類され,甘味の大きく異なる複数の甘味料が,酸味のマスキング剤に用いられていたことからすれば,アスパルテーム等と比べて各種の風味改善効果に優れているスクラロースを添加することによっても酸味のマスキングが可能であると予測し,スクラロースを,添加する製品ごとの味のバランスが崩れにくい濃度範囲で使用して,その酸味マスキング効果を確認しようとすることは,当業者が容易に想到することができた」として主張を排斥した。

4 検討

(1) 主引用発明の構成の一部を置換する型の進歩性判断方法
 本判決は,主引用発明の構成の一部を副引用発明の構成に置換することによる容易想到性を肯定した。
 主引用発明に副引用発明を適用することにより特許発明の容易想到性を判断する場合,まず,①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題の共通性及び作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用する動機付けがあるかどうかを判断し,動機付けがなければ,容易想到性が否定される。動機付けがあると判断される場合でも,②適用を阻害する阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断する(知財高裁平成30年4月13日判決(平成28年(行ケ)第10182号)参照)。

(2) 甘味料の置換についての容易想到性判断
 本判決は,上記3(1)の判断において,単に甘味料を置換したという見方をし,引用発明に他の甘味料を適用することの動機付けがあったことを認めたと考えられる。また,被告は,上記3(4)のとおり,引用発明の甘味料アスパルテームをスクラロースに置換する動機付けがない旨を主張していたが,本判決は,ここでは,両者ともに食物の風味改善効果という技術分野の関連性,課題の共通性,作用効果の共通性等を有していることを前提として,動機付けを肯定したものと考えられる。

(3) 数値限定についての容易想到性判断
 本件発明は,引用発明の甘味料アスパルテームをスクラロースに置換したことにより,その好適な使用濃度は当然に定まるものではないと考えられる。特に,本件発明は,甘みを感じない濃度範囲(甘味の閾値以下)で使用することを特徴としているため,一般論としては,使用する甘味料によって使用濃度を調整しなければならないと言えるであろう。しかし,本判決は,上記3(2)の判断において,スクラロースが甘味の閾値以下の濃度において風味(酸味以外のもの)改善の効果を奏することが記載された副引例を引用発明に適用することによる容易想到性を認めた。
 引用例にアスパルテームを甘味の閾値以下で適用することによる酸味の緩和効果及びアスパルテームの添加量は食品・調味料の種類に応じ,適宜設定すべきである旨が記載されていたことと,副引例にスクラロースを甘味の閾値以下で適用することによる風味の改善が記載されていたことをもって,両者ともに食物の風味改善効果という技術分野の関連性,課題の共通性,作用効果の共通性等を前提とした判断がなされたものと考えられる。上記(2)に記載した甘味料の置換とは異なり,スクラロースの好適な濃度範囲を決定するには試行錯誤が必要である。しかし,酸味以外の風味改善に用いるスクラロースの好適な濃度範囲が副引例に開示されていたこと,他の甘味が大きく異なる複数の甘味料が酸味のマスキング材に用いられていたことから,それらを組み合わせ,濃度範囲を確認することの動機付けが認められ,格別顕著な効果を奏しているとは評価されないと判断された。
 甘味料が身近なものであるからか,本件発明は,甘味料の単なる置換にすぎないという印象を持ちやすい。数値限定は,そのような印象を払拭するポイントになり得るが,一方,無効を主張する側としては,副引例を充実させることが極めて重要である。

以上
(文責)弁護士 後藤直之