【平成30年(行ケ)第10093号(知財高裁R1・9・19)】
【判旨】
本件特許がサポート要件を具備すると判断した事案。
【キーワード】
サポート要件,亜鉛ベース合金,金属間化合物
事案の概要
以下,サポート要件の判断に係る部分のみ解説する。また,証拠番号等は,適宜省略する。
(1) ユジノール(後に,「アルセロールミタル・フランス」と商号を変更した。)は,平成13年4月6日,発明の名称を「極めて高い機械的特性値をもつ成形部品を被覆圧延鋼板,特に被覆熱間圧延鋼板の帯材から型打ちによって製造する方法」とする発明について,特許出願(特願2001-109121号,優先日:平成12年4月7日[以下「本件優先日」という。],優先権主張国:フランス)をし,平成17年4月1日,特許第3663145号として特許権の設定登録(請求項の数8)を受けた(以下,この特許を「本件特許」といい,特許権を「本件特許権」という。また,上記出願時を「本件出願時」という。)。
原告は,平成25年9月27日,本件特許の無効審判請求をし,アルセロールミタル・フランスは,平成26年1月28日付けで本件特許の特許請求の範囲についての訂正請求をし,同年3月7日付け手続補正書により上記訂正請求を補正した(以下,この補正後の訂正請求に係る訂正を「本件訂正」といい,本件特許の明細書及び図面を併せて「本件明細書」という。)。
特許庁は,上記無効審判請求を無効2013-800184号事件として審理した上で,平成26年12月10日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「第二次審決」という。)をしたところ,原告は,平成27年1月16日,知的財産高等裁判所に,第二次審決について審決取消訴訟を提起し(平成27年(行ケ)第10010号),同裁判所は,平成29年1月23日,「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決(以下「先行判決」という。)をし,第二次審決は確定した。
なお,第二次審決と上記審決取消訴訟においては,サポート要件違反及び実施可能要件違反が争点となっていたところ,先行判決は,熱処理前の「亜鉛ベース合金」の被覆(以下「被膜」ということもある。)が金属間化合物の場合のサポート要件及び実施可能要件の充足の有無については審判で審理判断されていないから,その点について改めて無効審判で審理判断されるべきである旨判示していた。(下線は筆者が付した。)
また,上記審決取消訴訟の係属中,被告はアルセロールミタル・フランスから本件特許権を譲り受けて,その移転登録がされた。
(2) 原告は,平成29年5月11日付けで改めて本件特許の無効審判を請求し,特許庁は上記無効審判請求を無効2017-800064号事件として審理した上で,平成30年6月5日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をし,同審決謄本は,同月14日に原告に送達された。
本件特許
書誌事項に関しては,事案の概要を参照のこと。
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(以下,各請求項に係る発明を,それぞれ請求項の番号に応じて,「本件発明1」などといい,これらを併せて「本件発明」という。)。
【請求項1】
熱処理用鋼板の表面及び内部の鋼を確実に保護する,亜鉛または亜鉛ベース合金で被覆された圧延熱処理用鋼板の帯材を型打ちすることによって成形された部品を製造する方法であって,
熱処理用鋼板を裁断して熱処理用鋼板ブランクを得る段階と,
熱処理用鋼板ブランクを熱間型打ちして部品を得る段階と,
型打ち前に,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保し且つ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物および亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物からなる群から選択される合金化合物を熱処理により熱処理用鋼板ブランクの表面に生じさせる段階と,ここで該熱処理は熱処理用鋼板ブランクに800℃~1200℃の高温を2~10分間作用させるものであり,
型打ちされた部品を臨界焼入れ速度を上回る速度でさらに冷却する段階と,
型打ち処理に必要であった熱処理用鋼板の余剰部分を裁断によって除去する段階と,
を含んで成る方法。
争点
本件特許がサポート要件を具備するか否か。より,具体的には,本件発明1の「亜鉛べース」の被膜が金属間化合物である場合にサポート要件が認められるかである。
判旨抜粋
以下,下線は筆者が付した。
(3) 前記(1)及び(2)を踏まえると,本件明細書には,本件発明に関し,次のようなことが開示されていると認められる。
従来,高温下の成形又は熱処理を要する鋼板においては,一般に亜鉛の融点を上回る高い温度で熱処理が行われるため,鋼板に亜鉛被膜があると,亜鉛が溶融,流動して熱間成形用ツールの働きを妨害し,さらに,急冷中に被膜が劣化すると考えられてきた。そのため,鋼板の被覆処理は,熱処理の前には行われず,熱間成形や熱処理後の完成部品に対して行われていたが,そうすると,①部品の表面及び中空部分の十分な清浄化が不可欠であり,その清浄化には酸又は塩基を使用する必要があるため,経済的な負担や作業員及び環境への危険があること,②鋼の脱炭及び酸化を完全に防止するために,熱処理を管理雰囲気下で行う必要があること,③熱間成形の場合に生じるカーボンデポジットが成形用ツールを損傷し,部品の品質を低下させたり,ツールの頻繁な修理のためにコストが上がったりすること,④得られた部品の耐食性を強化するために,当該部品の後処理が必要であるが,後処理は,経費も高く作業も難しい上に,中空部分のある部品では不可能であることなどの問題があった。(【0002】,【0003】)
そこで,本件発明は,熱間成形や熱処理の前に鋼板に被覆を形成することで,熱処理における鋼板の脱炭や酸化を防止するなど,上記①~④の従来技術の問題点を解決することができる,極めて高い機械的特性値をもつ鋼板を製造する方法を提供することを課題とするものであり,その解決に当たり,亜鉛又は亜鉛合金で被覆した鋼板を熱処理又は熱間成形を行うために温度を上昇させたときに,被膜が鋼板の鋼と合金化した層を形成し,この瞬間から被膜の金属の溶融が生じない機械的強度を持つようになるという,従来の定説とは異なる新たな知見が得られたことに基づき,解決手段として,亜鉛又は亜鉛を50重量%以上含む亜鉛ベース合金(前記(2)のとおり,ここには金属間化合物からなる合金も含まれている。)で被覆された熱処理用鋼板ブランクに対し,部品を得るための熱間型打ち前に,800℃~1200℃の高温を2~10分間作用させる熱処理を行うことにより,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保しかつ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物及び亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物からなる群から選択される合金化合物(金属間化合物)を熱処理用鋼板ブランクの表面に生じさせる工程を実施するものとしたことを特徴とするものである(【請求項1】,【0004】~【0008】,【0014】~【0016】,【0021】)。
そして,本件発明は,熱処理用鋼板に上記合金化合物(金属間化合物)の被膜を形成することにより,熱処理中又は熱間成形中の鋼の腐食防止及び脱炭防止,カーボンデポジットの形成を阻止することによるツールの損耗防止,高温での潤滑機能の確保,得られた部品の酸洗い浴が不要となることによる経済的利点,成形部品の耐疲労性,耐損耗性,耐摩耗性及び耐食性の強化などの効果を奏するものである(【0024】~【0027】)。
2 金属間化合物についての本件出願時の技術常識
(1) 金属間化合物とは,2種類以上の金属元素から形成される化合物であり,本件出願時に,本件発明において熱処理後に生じるとされている①亜鉛-鉄ベースの金属間化合物として,亜鉛-鉄及び亜鉛-ニッケル-鉄の金属間化合物が,②亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物として,亜鉛-鉄―アルミニウムと亜鉛-鉄-アルミニウム―ニッケルの金属間化合物がそれぞれ知られていた。
また,熱処理をして亜鉛に鉄を拡散させ,金属間化合物を形成することができること及び各金属間化合物について,組成の濃度に応じて複数の相が存在することが本件出願時に知られていた。
(2) 前記のとおり,本件発明においては,熱処理前の「亜鉛ベース合金」に,金属間化合物が含まれ得るところ,本件出願時に,亜鉛と金属間化合物を形成して「亜鉛を50重量%以上含む亜鉛ベースの金属間化合物」を構成し得る元素としては,鉄の他に,ニッケル,銀,金,クロム,マンガンなどが知られていた。
3 取消事由1(サポート要件についての認定判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,サポート要件の存在については,特許権者(被告)がその証明責任を負うものである。
そして,前記のとおり,本件では熱処理前の「亜鉛ベース合金」が「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合にもサポート要件が充足されているかどうかが争点となっているところ,以下,この争点について,上記のような証明責任が果たされているかどうかについて判断する。
(2) ア 前記1のとおり,本件明細書には,亜鉛又は亜鉛合金で被覆した鋼板を熱処理又は熱間成形を行うために温度を上昇させたときに,被膜が鋼板の鋼と合金化した層を形成し,この瞬間から被膜の金属の溶融が生じない機械的強度を持つようになるという新たな知見が得られたことに基づき,熱間成形や熱処理の前に,鋼板を亜鉛又は亜鉛ベース合金で被覆し,その後熱処理を行うことにより,腐食に対する保護及び鋼の脱炭に対する保護を確保しかつ潤滑機能を確保する,亜鉛-鉄ベース合金化合物又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物を生じさせ,これによって,熱処理中または熱間成形中の鋼の腐食防止,脱炭防止,高温での潤滑機能の確保等の効果を奏することが記載され,実施例1として,鋼板を亜鉛で被膜したものを950℃で熱処理して,亜鉛-鉄合金の被膜を鋼板の表面に生じさせたところ,同被膜が優れた腐食防止効果を有することが確認された旨が記載され,さらに,実施例2として,50-55%のアルミニウム,45-50%の亜鉛及び任意に少量のケイ素を含有する被膜を熱処理したところ,極めて優れた腐食防止効果を有する亜鉛-アルミニウム-鉄合金の被膜が得られたことが記載されている。
これらの記載及び弁論の全趣旨を総合すると,当業者は,本件明細書の記載から,鋼板上に被覆された亜鉛又は「亜鉛ベース合金」の固溶体である亜鉛-アルミニウム合金を熱処理して,亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的強度を持つ鋼板を製造することができることを認識することができるものと認められる。また,当業者は,本件発明の合金化合物において,亜鉛が共通する主要な成分であるから,本件発明の課題解決には亜鉛が重要な役割を果たしていると認識するものと認められる。
イ 前記2で認定したとおり,亜鉛と鉄が金属間化合物を形成するものであること,熱処理後の「亜鉛-鉄ベース合金化合物」に亜鉛-鉄金属間化合物が含まれること及び熱処理により鋼板から鉄の拡散が進んで金属間化合物について複数の相が生じ得る,すなわち,異なる金属間化合物に変化し得ることが,本件出願時の技術常識であったことからすると,本件明細書の記載に接した当業者は,熱処理前の被膜が実施例1とは異なり,亜鉛-鉄金属間化合物であったとしても,実施例1の記載及び上記技術常識を基礎にして,熱処理前の亜鉛-鉄の金属間化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,熱処理後に異なる亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造することができると認識することができると認められる。
ウ また,鋼板上に被覆された熱処理前の「亜鉛ベース合金」が金属間化合物で,それを熱処理して亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物を生じさせる場合についても,①固溶体である亜鉛-アルミニウム合金の被膜を熱処理して,極めて優れた腐食防止効果を有する亜鉛-鉄-アルミニウム合金の被膜を生じさせる実施例2が本件明細書に記載されていること,②前記2(1)のとおり,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物の存在が,本件出願時,当業者に知られていた上,熱処理により鋼板から鉄の拡散が進んで異なる金属間化合物が生じるという本件出願時に知られていた基本的なメカニズムは,出発点が亜鉛-アルミニウムの固溶体である場合と,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物である場合で,異なることを示す根拠となる事情は認められず,基本的には異ならないと考えられることからすると,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,実施例2に開示された亜鉛―アルミニウムの固溶体からなる合金のみならず,亜鉛-鉄-アルミニウムの金属間化合物であっても,熱処理前の同金属化合物の組成,熱処理の温度や時間等を適宜調節して,亜鉛-鉄-アルミニウムベースの合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
エ 次に,その他の熱処理前の「亜鉛ベース合金」についても検討する。「亜鉛ベース合金」には,前記2(2)で認定したとおり,多種多様な金属間化合物が該当し得る一方で,本件明細書には,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,それらの「亜鉛ベースの金属間化合物」である場合についての明示的な記載はない。
しかし,前記2(1)のとおり,本件出願時,本件発明にいう熱処理後に生じる3元系以上の亜鉛-鉄ベース又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物に該当するものとして,証拠上認定できるものは,①亜鉛-ニッケル-鉄,②亜鉛-鉄-アルミニウム,③亜鉛-鉄-アルミニウム-ニッケルの3種類のみである。
そうすると,上記のような3元系以上の「亜鉛-鉄ベース合金化合物」又は「亜鉛-アルミニウム合金化合物」を生じさせることのできる熱処理前の「亜鉛ベース金属間化合物」たる「亜鉛ベース合金」に含まれ得る亜鉛以外の金属元素としては,鉄,アルミニウム以外にはニッケルが挙げられる。そして,ニッケルについては,前記2(1)で認定したとおり,亜鉛-ニッケル-鉄や亜鉛-鉄-アルミニウム-ニッケルの金属間化合物の存在が本件出願時に知られていた上,本件出願時から,ニッケルは亜鉛と合金を形成して鋼板の被膜を形成すること及び亜鉛-ニッケル合金メッキは優れた耐食性を有することが知られていたから,当業者は,ニッケルがマイナー成分として加えられても本件発明の課題解決には影響はなく,上記のように亜鉛が重要な役割を果たしていると認識するといえる。そうすると,本件明細書の記載に接した当業者は,前記の鉄の拡散が進んで異なる金属間化合物が生じるという技術常識も踏まえて,熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,亜鉛-ニッケルの金属間化合物やそれに更にアルミニウムや鉄を含む金属間化合物であっても,それらの組成,熱処理の温度や時間を適宜調節して,亜鉛-鉄ベースの合金化合物又は亜鉛-アルミニウム-鉄ベースの合金化合物を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる。
解説
本件は,本件特許がサポート要件及び実施可能要件を具備することを認めた事件である。具体的には,「亜鉛べース」の被膜が金属間化合物である場合にサポート要件及び実施可能要件が認められるかである。
裁判所は,いわゆる偏光フィルム事件(知的財産高等裁判所平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日特別部判決)の規範を用いた上で,「当業者は,本件明細書の記載から,鋼板上に被覆された亜鉛又は『亜鉛ベース合金』の固溶体である亜鉛-アルミニウム合金を熱処理して,亜鉛-鉄ベース合金化合物(金属間化合物)又は亜鉛-鉄-アルミニウムベース合金化合物(金属間化合物)を生じさせ,高い機械的強度を持つ鋼板を製造することができることを認識することができるものと認められる」と判断した。
その上で,裁判所は,さらに,技術常識を認定し,「亜鉛ベース合金」には種々のものがあるが,「出願当時は,本件発明にいう熱処理後に生じる3元系以上の亜鉛-鉄ベース又は亜鉛-鉄-アルミニウムベースの金属間化合物に該当するものとして,証拠上認定できるものは,①亜鉛-ニッケル-鉄,②亜鉛-鉄-アルミニウム,③亜鉛-鉄-アルミニウム-ニッケルの3種類のみ」であり,このいずれにおいても,「熱処理前の「亜鉛ベース合金」が,亜鉛-ニッケルの金属間化合物やそれに更にアルミニウムや鉄を含む金属間化合物であっても,それらの組成,熱処理の温度や時間を適宜調節して,亜鉛-鉄ベースの合金化合物又は亜鉛-アルミニウム-鉄ベースの合金化合物を生じさせ,高い機械的特性を持つ鋼板を製造できると認識することができると認められる」と判断した。
本件は,事例判断であるが,サポート要件の判断方法を知る上で参考になると思われる。
以上
(文責)弁護士 宅間仁志