【知財高判令和元年10月30日(平成31年(ネ)第10014号)(原審:東京地裁平成29年(ワ)第16468号)】
【キーワード】
抗体、CDR、機能クレーム
事案の概要
本件は、特許権侵害差止請求事件であり、被告が製造販売するモノクローナル抗体が原告特許権を侵害するものであるかどうかが争われた事例の控訴審である。
本件で特徴的なのは、問題となった特許発明が、抗体の発明でありながら、CDR配列が限定されておらず、機能のみで特定された発明であるという点である。そして、原審では、特許権侵害が認められた。
本件特許発明
⑴ 本件訂正発明1-1(判決時に訂正は未確定であったが、訂正発明についても判断した)(構成要件ごとに分説)
[1A] PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,
[1B’]PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,
[1C] 単離されたモノクローナル抗体。
⑵ 本件訂正発明2-1(判決時に訂正は未確定であったが、訂正発明についても判断した)(構成要件ごとに分説)
[2A] PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,
[2B’]PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列から なる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,
[2C] 単離されたモノクローナル抗体。
控訴人(被告)が販売していた抗体
控訴人(被告)は、本件明細書に具体的なアミノ酸配列が記載されたモノクローナル抗体とはアミノ酸配列が異なるものの、本件訂正発明の構成要件にかかる機能を有する抗体を販売していた。
主な争点
機能で特定された特許発明への充足性判断である。
また、サポート要件、実施可能要件、進歩性欠如についても争点となった。
本稿では、充足性判断に加えてサポート要件と実施可能要件について取り上げる。
裁判所の判断
「第4 当裁判所の判断
当裁判所も,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び2-1の,被告製品は,本件発明1-2及び2-2の技術的範囲に属し,また,本件各特許は特許無効審判により無効にされるべきものとは認められないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
・・・(中略)・・・
2 争点(1)(本件各発明の技術的範囲の属否)について
・・・(中略)・・・
(オ) 以上によれば,被告モノクローナル抗体は本件発明1-1及び2-1の構成要件を,被告製品は本件発明1-2及び2-2の構成要件を,それぞれ全て充足する。
(3) 控訴人の主張について
ア 控訴人は,本件各発明は,参照抗体1又は2と競合する機能のみによって発明を特定する機能的クレームであり,このような機能的クレームの場合,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを技術的範囲に含まれると解すると,明細書に開示された技術思想と異なるものも発明の技術的範囲に含まれ得ることとなり,出願人が発明した範囲を超えて特許権による保護を与える結果となるから,機能的クレームについては,クレームの記載に加え,明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌し,出願人が明細書で開示した具体的な構成に示された技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきであり,明細書の記載から当業者が実施し得る範囲に限定解釈すべきであると主張する。そして,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書記載の実施例である具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるから,本件各発明の技術的範囲は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列に限られ,これらとはアミノ酸配列が異なる被告モノクローナル抗体及び被告製品は,本件各発明の技術的範囲に属しない旨主張する。
本件各発明をいわゆる「機能的クレーム」と呼ぶかはさておき,特許発明の技術的範囲は,特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならず,明細書の記載及び図面を考慮して,そこに開示された技術的思想に基づいて解釈すべきであって,控訴人の主張は,サポート要件又は実施可能要件の問題として検討されるべきものである。本件各明細書に開示された技術的思想は,参照抗体1又は2と競合する単離されたモノクローナル抗体が,PCSK9がLDLRに結合するのを妨げる位置及び/又は様式で,PCSK9に結合し,PCSK9とLDLR間の結合を遮断し(中和),対象中のLDLの量を低下させ,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏するというものである。そして,被告モノクローナル抗体及び被告製品は,上記技術的思想に基づいて解釈された本件各発明の技術的範囲に属することは,前記のとおりである。
本件各発明は,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し,本件各参照抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体を提供するものであり,PCSK9とLDLR間の結合を遮断して「中和」すること(構成要件1A,2A)と,PCSK9との結合に関して参照抗体と「競合」すること(構成要件1B,2B)の双方を構成要件としている。そして,本件各明細書には,本件各発明が,参照抗体1又は2と競合する機能のみによって発明を特定するものであることをうかがわせる記載があるとはいえず,そのことを前提に実施例に限定されるとする控訴人の主張は採用できない。
また,本件各発明は,アミノ酸配列によって特定されるものではないから,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると解すべき理由はない。
さらに,本件各明細書には,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製,免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製,参照抗体1又は2と競合するPCSK9-LDLRとの結合を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイの方法が記載され(後記3(2)),これらの記載に基づき,一連の手順を繰り返し行うことによって,本件各明細書に具体的に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,参照抗体1又は2と競合する中和抗体を得ることができること,上記エピトープビニングアッセイの結果確認された,15個の本件発明1の具体的抗体,7個の本件発明2の具体的抗体が得られることに加えて,上記2441の安定なハイブリドーマから得られる残りの抗体についても,同様のエピトープビニングアッセイを行えば,参照抗体1又は2と競合する中和抗体を得られるものと認識できることは,後記3,4のとおりである。
そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえず,控訴人の主張は,この点においても採用することができない。
・・・(中略)・・・
3 争点(2)ア(サポート要件違反)について
(1) 本件各明細書には,本件各発明に関し,以下の記載がある(以下の記載中に引用する表8.3,表37.1については別紙を参照)。
・・・(中略)・・・
(2) 上記(1)の認定事実によれば,本件発明1は,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し,参照抗体1と競合する,単離されたモノクローナル抗体及びこれを使用した医薬組成物を,本件発明2は,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し,参照抗体2と競合する,単離されたモノクローナル抗体及びこれを使用した医薬組成物を,それぞれ提供するものである。そして,本件各発明の課題は,かかる新規の抗体を提供し,これを使用した医薬組成物を作製することをもって,PCSK9とLDLRとの結合を中和し,LDLRの量を増加させることにより,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することにあると理解することができる。
本件各明細書には,本件各明細書の記載に従って作製された免疫化マウスを使用してハイブリドーマを作製し,スクリーニングによってPCSK9に結合する抗体を産生する2441の安定なハイブリドーマが確立され,そのうちの合計39抗体について,エピトープビニングを行い,21B12と競合するが,31H4と競合しないもの(ビン1)が19個含まれ,そのうち15個は,中和抗体であること,また,31H4と競合するが,21B12と競合しないもの(ビン3)が10個含まれ,そのうち7個は,中和抗体であることが,それぞれ確認されたことが開示されている。また,本件各明細書には,21B12と31H4は,PCSK9とLDLRのEGFaドメインとの結合を極めて良好に遮断することも開示されている。21B12は参照抗体1に含まれ,31H4は参照抗体2に含まれるから,21B12と競合する抗体は参照抗体1と競合する抗体であり,31H4と競合する抗体は参照抗体2と競合する抗体であることが理解できる。そうすると,本件各明細書に接した当業者は,上記エピトープビニングアッセイの結果確認された,15個の本件発明1の具体的抗体,7個の本件発明2の具体的抗体が得られることに加えて,上記2441の安定なハイブリドーマから得られる残りの抗体についても,同様のエピトープビニングアッセイを行えば,参照抗体1又は2と競合する中和抗体を得られ,それが対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を有すると認識できると認められる。
さらに,本件各明細書には,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製,免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製,21B12や31H4と競合する,PCSK9-LDLRとの結合を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイの方法が記載され,当業者は,これらの記載に基づき,一連の手順を最初から繰り返し行うことによって,本件各明細書に具体的に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,参照抗体1又は2と競合する中和抗体を得ることができることを認識できるものと認められる。
以上によれば,当業者は,本件各明細書の記載から,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し,参照抗体1又は2と競合する,単離されたモノクローナル抗体を得ることができるため,新規の抗体である本件発明1-1及び2-1のモノクローナル抗体が提供され,これを使用した本件発明1-2及び2-2の医薬組成物によって,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減するとの課題を解決できることを認識できるものと認められる。よって,本件各発明は,いずれもサポート要件に適合するものと認められる。
(3) 控訴人の主張について
控訴人は,本件各発明は,「参照抗体と競合する」というパラメータ要件と,「結合中和することができる」という解決すべき課題(所望の効果)のみによって特定される抗体及びこれを使用した医薬組成物の発明であるところ,競合することのみにより課題を解決できるとはいえないから,サポート要件に適合しない旨主張する。
しかし,本件各明細書の記載から,「結合中和することができる」ことと,「参照抗体と競合する」こととが,課題と解決手段の関係であるということはできないし,参照抗体と競合するとの構成要件が,パラメータ要件であるということもできない。
そして,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であり,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない(甲34,35)。
前記のとおり,本件各発明は,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し,本件各参照抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体を提供するもので,参照抗体と「競合」する単離されたモノクローナル抗体であること及びPCSK9とLDLR間の相互作用(結合)を遮断(「中和」)することができるものであることを構成要件としているのであるから,控訴人の主張は採用できない。
・・・(中略)・・・
(5) 小括
以上によれば,本件各発明及び本件各訂正発明は,いずれもサポート要件に適合するというべきである。
4 争点(2)イ(実施可能要件違反)について
(1) 前記3(1)の認定事実によれば,本件各明細書の記載から,本件発明1-1及び2-1の抗体及び本件発明1-2及び2-2の医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるということができる。
したがって,本件各発明は,いずれも,実施可能要件に適合するものと認められる。
(2) 控訴人の主張について
控訴人は,本件各発明は,抗体の構造を特定することなく,機能的にのみ定義されており,極めて広範な抗体を含むところ,当業者が,実施例抗体以外の,構造が特定されていない本件各発明の範囲の全体に含まれる抗体を取得するには,膨大な時間と労力を要し,過度の試行錯誤を要するのであるから,本件各発明は実施可能要件を満たさない旨主張する。
しかし,明細書の発明の詳細な説明の記載について,当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであるとの要件に適合することが求められるのは,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をできる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからである。
本件各発明は,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,参照抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体についての技術的思想であり,機能的にのみ定義されているとはいえない。そして,発明の詳細な説明の記載に,PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,参照抗体1又は2と競合する,単離されたモノクローナル抗体の技術的思想を具体化した抗体を作ることができる程度の記載があれば,当業者は,その実施をすることが可能というべきであり,特許発明の技術的範囲に属し得るあらゆるアミノ酸配列の抗体を全て取得することができることまで記載されている必要はない。
また,本件各発明は,抗原上のどのアミノ酸を認識するかについては特定しない抗体の発明であるから,LDLRが認識するPCSK9上のアミノ酸の大部分を認識する特定の抗体(EGFaミミック)が発明の詳細な説明の記載から実施可能に記載されているかどうかは,実施可能要件とは関係しないというべきである。
そして,前記(1)のとおり,当業者は,本件各明細書の記載に従って,本件各明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件各特許の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるのであるから,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体を得るために,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要するものとはいえない。よって,控訴人の主張は採用できない。
・・・(中略)・・・
(4) 小括
以上によれば,本件各発明及び本件各訂正発明は,いずれも実施可能要件に適合するというべきである。」
考察
原審と同様、本件が特徴的なのは、問題となった特許発明が、抗体発明でありながら、CDR(相補性決定領域)配列が何ら特定されておらず、機能のみで特定された発明であるという点であり、また、イ号製品である抗体が、特許明細書に例示された抗体とはアミノ酸配列が異なるものであったにも拘わらず、特許発明の技術的範囲に属すると判断された点である。
原審では、侵害が認められ、控訴審でも同様の判断となった。
原審を紹介する際にも指摘したことであるが、従来から、モノクローナル抗体の発明を日本で出願すると、審査過程でサポート要件違反などが指摘されるなどして、抗体のCDRを配列番号などで具体的に特定しないと特許が得られないという傾向が強いといわれていた(日本弁理士会ライフサイエンス委員会の調査結果。https://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/201109/jpaapatent201109_014-029.pdf)。つまり、同じ抗体発明を日米欧で出願すると、米欧では、具体的な配列まで限定せずにある程度概括的で広いクレームで特許が成立するのに、日本では、6つのCDR配列すべてを特定しないと権利化できないといった事例が散見されていた。クレームにおいてCDR配列が特定されるということは、それとは異なるCDR配列を有する抗体は、原則として特許発明の技術的範囲に属さないということになるから、当該クレームにかかる特許権の権利範囲は狭いということになる。
これに対して、本件特許発明は、CDR配列は何ら特定されておらず、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができるという機能、及び、ある特定の抗体と競合するという機能を有するという発明であり、日本においてこのようなクレームで特許が成立していたこと自体が比較的珍しいと考えられる。
また、本件特許は、実施可能要件も満たすと判断されている。従来、機能やパラメータで特定された発明の実施可能要件について、当業者が、特許明細書を見て、特許発明に係る特定の機能やパラメータを満たす物を得るために過度の試行錯誤を要するような場合には、実施可能要件を満たさないと判断されることがあった。本件の控訴人の主張もこのような従来からの裁判例を考慮したものと解される。しかしながら、本件では、本件特許明細書に特許発明にかかる抗体を得るためのスクリーニング方法等が記載されていることを以て、当業者は、明細書に記載されたような方法によって、抗体をスクリーニングし、特許発明にかかる抗体を得ることができ、これは過度の試行錯誤ではないと認定された。
抗体に関する特許の記載要件に関して、本判決と従来の判決との関係について今後さらに検討していく必要があると解される。
以上
(文責)弁護士 篠田淳郎