【知的財産高等裁判所令和元年11月28日(平成30年(行ケ)第10116号)】

【キーワード】
公然知られた発明,公然実施された発明

【判旨】
 本件臨床試験において,本件発明が「公然知られた」とか「公然実施された」と認めることはできない。

本件訴訟の内容

1.はじめに
 本件は,特許無効審判請求に対する不成立審決の取消訴訟です。争点は,進歩性・新規性の有無ですが,本稿では後者の新規性の有無の論点について,取り上げます。

2.手続の経緯
 被告は,平成13年6月15日,名称を「新規な葉酸代謝拮抗薬の組み合わせ療法」とする特許出願(特願2002-506715号。優先権主張:平成12年6月30日[以下,この優先権主張の優先日を「本件優先日」といいます。],同年9月27日,平成13年4月18日,米国,甲31,32)をし,平成24年6月27日,上記特願2002-506715号の一部を特願2012-144570号として分割出願し,平成26年2月7日,その設定登録を受けました(特許第5469706号。請求項の数17。以下「本件特許」といいます。)。
 原告は,平成26年12月27日に本件特許の無効審判請求(無効2015-800006号)をしたところ,特許庁は,平成30年7月4日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「本件審決」といいます。)をし,同審決の謄本は,同月12日に原告に送達されました。

3.本件発明の要旨
 本件特許の請求項1~17(以下,各請求項の発明を,請求項の番号に従い「本件発明1」といい,併せて「本件発明」ということがあります。)は,以下のとおりのものです。

【請求項1】 葉酸及びビタミンB12と用いられる,ペメトレキセート二ナトリウム塩を含有するヒトにおける腫瘍増殖を抑制するための医薬であって,下記レジメで投与される医薬:
a.有効量の該医薬を投与し;
b.葉酸の0.3mg~5mgを,該医薬の投与前に投与し;そして,
c.ビタミンB12の500μg~1500μgを,該医薬の第1の投与の1~3週間前に投与し,
該レジメは,該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする,
上記医薬。
【請求項2】 1000μgのビタミンB12が投与される,請求項1記載の医薬。
【請求項3】 ビタミンB12が筋肉内注射によって投与される,請求項1又は2記載の医薬。
【請求項4】 350μg~1000μgの葉酸が投与される,請求項1~3のいずれかに記載の医薬。
【請求項5】 葉酸及びビタミンB12と用いられる,ペメトレキセート二ナトリウム塩を含有するヒトにおける腫瘍増殖を抑制するための医薬であって,下記レジメで投与される医薬:
a.有効量の該医薬を投与し;
b.葉酸の0.3mg~5mgを,該医薬の投与前に投与し;そして,
c.ビタミンB12の500μg~1500μgを,該医薬の第1 の投与の1~3週間前に筋肉内注射によって投与し,
該レジメは,該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする,
上記医薬。
【請求項6】 1000μgのビタミンB12が投与される,請求項5記載の医薬。
【請求項7】 350μg~1000μgの葉酸が投与される,請求項5又は6記載の医薬。
【請求項8】 葉酸及びビタミンB12と用いられる,ペメトレキセート二ナトリウム塩を含有するヒトにおける腫瘍増殖を抑制するための医薬であって,下記レジメで投与される医薬:
a.有効量の該医薬を投与し;
b.葉酸の0.3mg~5mgを,該医薬の投与前に投与し;そして,
c.ビタミンB12の500μg~1500μgを,該医薬の第1の投与の1~3週間前に筋肉内注射によって投与し,そして該医薬の投与の間に24時間毎~1680時間毎に繰り返し,
該レジメは,該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする,
上記医薬。
【請求項9】 1000μgのビタミンB12が投与される,請求項8記載の医薬。
【請求項10】 350μg~1000μgの葉酸が投与される,請求項8又は9記載の医薬。
【請求項11】 ヒトにおける腫瘍増殖を抑制するための,葉酸とビタミンB12と用いられる医薬の製造における,ペメトレキセート二ナトリウム塩の使用であって,
ここで,
a.有効量の医薬を投与し;
b.葉酸の0.3mg~5mgを,該医薬の投与前に投与し;そして,
c.ビタミンB12の500μg~1500μgを,該医薬の第1 の投与の1~3週間前に投与し,
該レジメは,該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする,
上記使用。
【請求項12】 1000μgのビタミンB12が投与される,請求項11記載の使用。
【請求項13】 ビタミンB12が筋肉内注射によって投与される,請求項11または12記載の使用。
【請求項14】 350μg~1000μgの葉酸が投与される,請求項11~13のいずれかに記載の使用。
【請求項15】 ビタミンB12の投与が,該医薬の投与の間に6週間毎~12週間毎に繰り返される,請求項1~4のいずれかに記載の医薬。
【請求項16】 ビタミンB12の投与が,該医薬の投与の間に6週間毎~12週間毎に繰り返される,請求項5~7のいずれかに記載の医薬。
【請求項17】 ビタミンB12の投与が,該医薬の投与の間に6週間毎~12週間毎に繰り返される,請求項11~14のいずれかに記載の使用。

3.本件審決の内容
 新規性の有無の論点に関する本件審決の理由の要点は,次のとおりです。

「原告は,本件発明は,甲21~23で言及されている第II相臨床試験(H3EMC-JMDR試験。以下「本件臨床試験」という。)によって,本件優先日前に外国において公然知られた発明又は公然実施された発明であると主張しているところ,医薬品規制調和国際会議(INTERNATIONAL COUNCIL FOR HAROMNISATION OF TECHNICAL REQUIREMENTS FOR PHARMACEUTICALS FOR HUMAN USE)が定めたGCP(good clinical practice)についてのICHハーモナイズド3極ガイドライン(甲36。以下「ICH-GCPガイドライン」という。)の規定を本件臨床試験に当てはめると,本件臨床試験において「ビタミン補給ありの患者」とされた者は,治験担当医師に説明を求めれば,「ビタミン補給レジメン」で用いられた葉酸,ビタミンB12及びペメトレキセドそれぞれの具体的な投与量・投与期間・投与経路等の数値を含む全ての臨床治験プロトコール情報を知り得る状況にあったと認められる。
 もっとも,「ビタミン補給レジメン」が,本件発明1における必須の発明特定事項である「該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする」ことを満足し得るレジメンであるか否かについては,本件臨床試験に参加した個々の患者から得られた結果を集約して統計処理を行って「ビタミン補給レジメン」の有効性や安全性を評価した結果を考察して判断されるものであるから,本件臨床試験に参加した「ビタミン補給ありの患者」は,本件優先日の前日である平成12年6月29日までの時点で,「ビタミン補給レジメン」が,本件発明1における必須の発明特定事項である「該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする」ことを満足し得るレジメンであるという情報について,知り得る状況にあったとはいえない。
 したがって,本件発明1は,「公然知られた発明」又は「公然実施された発明」のいずれにも該当しない。
 そして,上記の点からすると,本件発明1と同様に,本件発明2~17は,「公然知られた発明」又は「公然実施された発明」のいずれにも該当しない。」

判旨

「本件臨床試験は,抗がん剤としてのMTAについて行われたものであり,本件臨床試験中で用いられた葉酸及びビタミンB12を投与するMTA療法におけるMTA,葉酸及びビタミンB12の投与量,投与の時期,投与経路は,本件発明1~17のそれに含まれるものであると認められる。」

「本件臨床試験はICH-GCPガイドラインに沿って実施されたものであるところ,…ICH-GCPガイドライン4.8.10は,インフォームドコンセントの同意書面等に「治験の目的」,「治験における処置の内容」,「治験の手順」,「合理的に期待できる利益」について記載すべきと規定している。ICH-GCPガイドラインの上記規定からすると,本件臨床試験においてビタミン補充を受けた患者に対し,投与する抗がん剤がMTAであり,それと併用投与されるのが葉酸及びビタミンB12であるという程度の情報については情報提供があったとは推認できるものの,同意書面等に記載されるべき「治験の目的」,「治験における処置の内容」,「治験の手順」,「合理的に期待できる利益」が具体的にどのようなものを指し,どこまでの情報を開示すべきであるのかについて,ICH-GCPガイドラインには明示的な定めがないし,本件臨床試験が実施されていた諸外国で,当時,どのような法令や実務があったのかについては本件証拠上明らかではない。そうすると,上記のような開示されたと合理的に推認される情報から更に進んでMTA,葉酸及びビタミンB12の具体的な投与量,投与の時期,投与経路といった情報や「MTAの毒性の低下及び抗腫瘍活性の維持を特徴とすること」までもがインフォームドコンセントの同意書面等に記載されていたと認めることはできない。
 また,ICH-GCPガイドライン4.8.7は,治験担当医師は,患者の同意を得るに当たって,患者やその法的に許容される代理人(以下,併せて「患者ら」という。)が,満足するまで患者らからの質問に回答しなければならない旨規定しているものの,「患者らが満足するまで質問に回答しなければならない」という規定は抽象的なものであって,MTA,葉酸及びビタミンB12の具体的な投与量,投与の時期,投与経路といった情報や「MTAの毒性の低下及び抗腫瘍活性の維持を特徴とすること」といった情報を含む全ての情報が患者らの求めに応じて治験担当医師から患者らに対して提供される体制が構築されていたなどそれらの情報が提供される状況にあったとまで本件証拠上認めることはできず,ましてや,実際にそれらの情報が患者らの求めに応じて治験担当医師から提供されたと認めることはできない。
 その他,本件臨床試験において,患者らが本件発明の内容を知ったとか,知り得る状態にあったというべき事実は認められない。
 したがって,本件臨床試験において,本件発明が「公然知られた」とか「公然実施された」と認めることはできない。」

説明

1.本件審決と本判決の判断の相違
 新規性の有無の論点については,本件審決も本判決も,ともに本件臨床試験において,本件発明が「公然知られた」とか「公然実施された」と認めることはできないと判断しましたが,その理由は異なります。
 すなわち,本件審決は,本件臨床試験に参加した個々の患者は,全ての臨床試験プロトコールを知り得る状況にあったと認定しつつも,本件発明1における「該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする」との点については,当該患者から得られた結果を集約して統計処理等を行う必要があり,患者は,この統計処理等の結果を知り得る状況にあったとはいえないことを理由とするものです。
 他方で,本判決は,そもそも上記患者は,本件発明の内容を知った,あるいは知り得る状態にあったとはいえないことを理由としています。

2.上記相違点の検討
 「該医薬の毒性の低下および抗腫瘍活性の維持を特徴とする」との点は,患者にも推測可能な内容であると考えられることから,本件審決の理由付けですと,必ずしも,患者が本件発明の内容を知り得る状態にはなかったとはいえないようにも思われます。このため,本判決は,上記のような理由付けで原告の主張を否定した可能性があります。
 なお,この新規性の有無の論点について,被告は,次のような主張を行っていましたが,裁判所の判断には,このような政策的考慮が存在した可能性も否定できません。

「仮に,臨床試験において,患者に明示的な秘密保持義務が存在しないことを根拠として,臨床試験を行ったことにより発明が公知・公用となったとの主張が認められることになれば,製薬会社としては,臨床試験に参加する患者に明示的な秘密保持義務を要求することは実際上不可能であることから,臨床試験による効果の裏付けが原則的に必要とされるような医薬品の用途,用法や用量に関する発明について,特許による保護を求めることが不可能となる。」

 いずれにしろ,本判決の内容を踏まえますと,臨床試験に参加した患者を理由として,発明が「公然知られた」あるいは「公然実施された」と主張するためには,患者に対して,具体的にどのような内容が開示され,あるいは開示され得る可能性があったのかを主張立証する必要があるといえそうです。

以上
(文責)弁護士 永島太郎