【平成29年5月18日判決(知財高裁 平成28年(ネ)第10083号)】

【判旨】
発明の名称を「治療用マーカー」とする本件特許権を有する被控訴人(一審原告)らが、控訴人(一審被告)の製造・販売等する被告各製品が、本件発明の技術的範囲に属すると主張して、一審被告に対し、被告各製品の製造、譲渡等の差止め及び廃棄を求めたところ、原判決が請求を全部認容したことから、一審被告が控訴した事案において、乙1発明に乙9発明及び周知技術を適用して、本件発明とすることは、容易想到であり、したがって、本件特許権は、特許無効審判により無効にされるべきものと認められるとして、原判決を取り消し、一審原告らの請求を棄却した事例。

【キーワード】
特許無効の抗弁,進歩性,引用発明の認定

1 事案の概要

(1)本件特許発明の内容
 本件特許権の特許請求の範囲における請求項1(以下「本件特許発明」という。)の記載は,以下のとおりである。
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構成要件

本件訂正発明

A 表面に治療用の目印となるマークが印刷されている基台紙と,
B 該基台紙の裏面に剥離可能に積層されている透明な保護シート層と,
C 該保護シート層の裏面に積層され,前記基台紙に印刷されたマークと同一のマークを形成するインク層と,
D 該インク層の裏面に積層されている接着層と,
E 該接着層の裏面に剥離可能に積層されている保護紙とによって構成され,
F 前記保護紙を剥がして,前記基台紙に水分を含ませると共に,前記接着層を皮膚に押し当てることにより,前記接着層,インク層及び保護シート層を皮膚側に転写して,各種の治療の際の目印となり,前記保護シート層,インク層及び接着層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものである治療用マーカー


(2)争点
   (1)  被告各製品が本件発明の技術的範囲に属するか
   ア 被告各製品の構成
   イ 構成要件A(「治療用」「治療用の目印となるマーク」)の充足性
   ウ 構成要件B(「裏面に」「透明な保護シート層」)の充足性
   エ 構成要件C(「同一のマーク」)の充足性
   オ 構成要件D(「インク層の裏面に積層されている接着層」)の充足性
   カ 構成要件Eの充足性
   キ 構成要件Fの充足性
   (2)  本件特許権が特許無効審判により無効にされるべきものか否か
   ア 無効理由1(サポート要件違反・実施可能要件違反)の成否
   イ 無効理由2(明確性要件違反)の成否
   ウ 無効理由3(乙1発明に基づく進歩性欠如)の成否
   (3)  差止めの必要性

 本件では,無効理由3の主張に際し,副引例として乙9文献が追加された。

2 裁判所の判断

(1)乙1発明の認定

   イ 以上から,乙1発明の概要は,以下のとおりと認められる。
 乙1発明は,皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールに関する(【0001】)。
 従来,各種の転写シール,例えば入れ墨転写シールには,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものがあることが知られている(【0002】)。従来の入れ墨転写シールは,インキ・接着剤層等が適切な特性を有しないため,皮膚への追随性が悪く絵柄がひび割れしたり,皮膚に貼着・使用後にこれを剥がすとき,剥離が非常に困難で,皮膚を痛める原因となっていた(【0003】【0004】)。
 乙1発明は,転写後に着色印刷層を保護する透明印刷層を有し,かつ,従来技術の欠点を解消することができる,皮膚を被着体とする入れ墨転写シール等の,各種用途の優れた転写シールを提供するものであり(【0005】),具体的には,剥離性シート上に,破断伸度が50~1000%,好ましくは250~800%,100%モジュラスが5~150kg/平方cm,好ましくは15~80kg/平方cm,厚みが3~50μm,好ましくは8~25μmである透明弾性層をスクリーン印刷により設け,その上面に単色又は多色の着色印刷インキ層を平版印刷,凸版印刷,凹版印刷又はスクリーン印刷により設け,更にその上面に粘着剤層を印刷により設け,更にその上面に剥離性シートを貼着して構成されることを特色とする転写シールである(【請求項1】【0006】)。乙1発明の転写シールには,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,1以上の空気孔を設けてもよい(【請求項3】【0018】)。乙1発明の転写シールの被着体への貼着手順は,まず,セパレーターとしての剥離性シートを剥がし,粘着剤層により皮膚,その他の被着体に圧接・貼着し,透明弾性層上の剥離性シートを剥がす(【0019】)。
 乙1発明の転写シールは,透明弾性層が,着色印刷インキ層の保護層として役割を果たすと共に,その伸縮作用により,皮膚や屈曲・伸縮性物品等の被着体に転写シールを貼着後,転写された各層を皮膚や屈曲・伸縮性物品等の屈曲や伸縮に追随可能とし,絵柄のひび割れや崩れがなく,使用中に剥がれ落ちることもなく,使用後は,透明弾性層が比較的強靭なため剥離が容易である,という作用効果を有する(【0020】【0027】)。また,乙1発明の転写シールの透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に空気孔を設けた場合,この空気孔は,皮膚の呼吸を可能とし,あせもやかぶれの発生を少なくし,転写シール使用後の剥離を容易にする作用も期待できる(【0022】【0029】)。
  ウ したがって,乙1発明は,以下のとおりに認定される。
 「A’剥離性シートと
  B’該剥離性シートの裏面に剥離可能に積層されている透明弾性層と,
  C’該透明弾性層の裏面に積層された着色印刷インキ層と,
  D’該着色印刷インキ層の裏面に積層されている粘着剤層と,
  E’該粘着剤層の裏面に剥離可能に積層されているセパレーターとによって構成され,
  F’前記セパレーターを剥がして,前記粘着剤層を皮膚に押し当てることにより,前記粘着剤層,着色印刷インキ層及び透明弾性層を皮膚側に転写して,前記透明弾性層,着色印刷インキ層及び粘着剤層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものである転写シール。」

【乙1発明】

(2)本件特許発明と乙1発明の一致点及び相違点

   (3)  本件発明と乙1発明との対比
 本件発明と乙1発明とを対比すると,乙1発明における剥離性シート,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層,セパレーターは,それぞれ,本件発明における「基台紙」「保護シート層」「インク層」「接着層」「保護紙」に相当すると認められ,また,本件発明における「治療用マーカー」は「転写シール」の一種であるということができるから,一致点及び相違点は,以下のとおりに認定される。
 (一致点)
 「基台紙と,
 該基台紙の裏面に剥離可能に積層されている透明な保護シート層と,
 該保護シート層の裏面に積層されたインク層と,
 該インク層の裏面に積層されている接着層と,
 該接着層の裏面に剥離可能に積層されている保護紙とによって構成され,
 前記保護紙を剥がして,前記接着層を皮膚に押し当てることにより,前記接着層,インク層及び保護シート層を皮膚側に転写して,前記保護シート層,インク層及び接着層が皮膚に対して柔軟性に富み,かつ摩擦に強いものである転写シール。」
 (相違点1)
 本件発明では,基台紙の表面に治療用の目印となるマークが印刷されているのに対し,乙1発明にはそのような開示はない点
 (相違点2)
 本件発明では,インク層のマークが基台紙のマークと同一であるのに対し,乙1発明にはそのような開示はない点
 (相違点3)
 本件発明では,転写する際に基台紙に水分を含ませているのに対し,乙1発明では,水分を含ませるかどうか必ずしも明らかではない点
 (相違点4)
 本件発明が,治療用マーカーであるのに対し,乙1発明では皮膚用の入れ墨転写シールを含めた各種用途の転写シールである点

(3)乙9発明(副引例)の認定

   イ 以上から,乙9発明は,以下のとおりと認められる。
 乙9発明は,患者の皮膚面に放射線治療導入域の輪郭を描くのに用いられる,放射線治療用皮膚マーキング装置に関する(①)。
 従来技術の皮膚マーキング装置は,放射線治療処置中,又は処置の間で患者の皮膚から取り外されたり剥がされたりした場合に,放射線導入領域のマーキングを失い,再度位置決めして再度マーキングする必要があった(②③)。
 乙9発明の目的は,従来技術の上記装置を改善することであり,接着片が剥がされたか又は取り外された後に,導入ラインマーキングが患者の皮膚に残留することを許容するものである(④)。
 乙9発明は,皮膚表面にマークを付ける装置にして,第1面と第2面を有する台紙と,前記台紙の前記第2面に配置された接着層と,前記接着層に配置された第1インク層であって,前記皮膚表面に接着して置かれたときに前記皮膚表面上に転写可能なパターンを形成する,該第1インク層と,前記接着層と前記インク層を剥離可能に覆う支持ライナーと,を備え,前記パターンを形成する第2インク層が前記台紙の第1面に更に配置される装置である(⑪)。
   ウ したがって,乙9発明は,以下のとおりと認定される。
 「皮膚表面に放射線治療用のマーキングを付ける装置であって,第1面と第2面を有する台紙と,前記台紙の前記第2面に配置された接着層と,前記接着層に配置された第1インク層であって,前記皮膚表面に接着して置かれたときに前記皮膚表面上に転写可能なパターンを形成する,該第1インク層と,前記接着層と前記インク層を剥離可能に覆う支持ライナーと,を備え,前記パターンを形成する第2インク層が前記台紙の第1面に更に配置される装置。」


(4)相違点についての判断
ア 相違点1,2,4について

   (7)  相違点についての判断
   ア 相違点1,2及び4について
 乙1発明は,皮膚用の入れ墨転写シールを含む各種転写シールであり,乙9発明は,皮膚表面に放射線治療用のマーキングを施すシールであって,皮膚に線などの図柄を描く技術であるという点で共通する。
 また,前記(5)で引用した原判決「事実及び理由」欄の第4,3(3)ウ(ア)のとおり,乙2文献には,基台紙,インク層,接着層,保護紙からなる転写シールについて,インク層に形成されたマークの貼り付け位置を正確にするために,基台紙を透明又は半透明とした上で,位置決め用のラインを印刷しておくことが記載されている。一方,乙9発明は,支持ライナーを剥離して台紙の第2面(皮膚に対向する面)に配置された接着層と第1インク層を皮膚に接着する際に,台紙の第1面(外側から見える面)に配置された第2インク層によって放射線治療導入域が画定されるように,位置決めをするものであり,台紙が皮膚に接着された状態では,第2インク層によって放射線治療導入域が画定される一方,台紙が皮膚から剥がれた場合でも,第1インク層を皮膚表面上に転写可能とし,第1インク層のパターンを第2インク層と同一とすることにより,同一形状の放射線治療導入域を皮膚表面上に転写した第1インク層によって画定できるようにしたものであるから,第2インク層が,台紙が皮膚に接着された状態では,それ自体で放射線治療導入領域を画定することに加え,台紙が皮膚から剥がれた場合には,第1インク層の位置決めを正確にするための指標としても機能することが予定されていたと認められる。これらのことからすると,本件特許の出願当時,転写シールをマーキングに用いることは知られており,さらに,そもそも転写シールにおいてマークをする際にその位置決めをしなければならないことは,マーキングという事柄の性質上,自明のことであるということができる。
 そうすると,乙1発明に接した当業者が,これに乙9発明を組み合わせて,治療用マーカーとして用い,位置決めのための着色印刷インキ層に形成されるマークと同一のマークを表面に印刷すること,すなわち,①乙9発明では,台紙の第1面に第1インク層の位置決めを正確にするための指標としての第2インク層が配置されているから,乙1発明の剥離性シートの表面に治療用の目印となるマークの位置決めのためのマークを印刷する構成を採用し(相違点1),②乙9発明では,第2インク層のパターンは第1インク層と同一であるから,乙1発明の剥離性シートの表面に印刷するマークを着色印刷インキ層に形成されるマークと同一にする構成を採用し(相違点2),③乙9発明は,皮膚表面に放射線治療用のマーキングを付ける装置であるから,乙1発明の転写シールを治療用マーカーとして用いること(相違点4)を容易に想到することができたというべきである。

イ 相違点3及び容易相当性について

   イ 相違点3について
 入れ墨転写シールを含む各種の転写シールには,従来から,水転写タイプ,有機溶剤転写タイプ,粘着転写タイプ等のものが知られているから(乙1公報【0002】,乙3公報【0002】~【0004】),皮膚用の転写シールを水転写タイプとすることは,周知技術であると認められる。また,乙1発明の転写シールには,透明弾性層,着色印刷インキ層,粘着剤層に,1以上の空気孔を設けてもよいのであるから(乙1公報【請求項3】【0018】),粘着剤層の粘着剤を溶解して基台紙を剥離するために水転写の方法を採用することも技術的に可能であり,これを妨げる特段の事情も認められない。
 したがって,乙1発明に相違点3に係る構成を採用することは容易想到であると認められる。
   (8)  以上より,乙1発明に乙9発明及び周知技術を適用して,本件発明とすることは,容易想到である。したがって,本件特許権は,特許無効審判により無効にされるべきものと認められる。

3 検討

 本件特許発明は放射線治療用のマーカーに係る発明であるのに対し,乙1発明(主引例)は入れ墨用シール等の転写シールに係るものであり,その構成に一部共通する点はあるものの,目的・用途等は大きく異なっていた。このため,原審では,相違点に基づき容易相当でないとの判断が下されたのではないかと考えられる。
 一方,控訴審では,新たに追加された乙9発明(副引例)に,放射線治療用のマーカーとの用途や,インク層のマークが基台紙のマークと同一である点についても開示があると認定されたため,相違点に係る構成は全て埋まってしまったものと考えられる。
 原審と控訴審では,無効論に関する判断が異なっているが,当該判断の相違は提出された証拠(引例)の相違によるものであり,いずれの判断も妥当と考えられる。

以上
(文責)弁護士・弁理士 丸山真幸