【平成29年12月25日判決(平成27年(ワ)第2862号) 特許権侵害差止等請求事件】

【キーワード】実施可能要件、サポート要件、訂正、特許法102条3項

【判旨】
 原告は、農薬化合物の特許に基づき差止め及び損害賠償請求訴訟を提起した。特許は実施可能要件及びサポート要件違反により無効と判断されたものの、訂正の再抗弁が成り立つとして、請求が認容された。
 実施可能要件及びサポート要件の判断において、出発物質の入手経路を問題にしている点に特徴を有する。また、特許法102条3項に基づく損害額の計算において、明細書の実施例において被疑侵害品の効果が確かめられていない点を考慮して損害額を減じている点が特徴的である。

第1 事案の概要

 以下、実施可能要件及びサポート要件に関する判旨、及び損害額についての判旨を抜粋する。

1 訂正前発明の実施可能要件及びサポート要件に関する判旨
 
特許法36条4項は,発明の詳細な説明の記載は「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないと規定しているところ,物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用等をすることをいうから(同法2条3項1号),物の発明について実施可能要件を充足するか否かについては,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その物を生産することができ,かつ,使用することができる程度の記載があるかによるというべきである。

 本件各発明に係る化合物(式Ⅰaで表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩)については,X1が「酸素により中断された,エチレン,プロピレン,プロペニレンまたはプロピニレン鎖,或いは-CH2O-」(構成要件1E)と特定されており,この「酸素により中断された,エチレン,プロピレン,プロペニレンまたはプロピニレン鎖」が複数個の炭素原子が連なる構造を酸素によって途中で断ち切る構造を有するものを意味すると解されることは上記2⑴で述べたとおりであって,X1の具体的な構成として想定されるものは次の①ないし⑩の十種類であるから,実施可能要件を充足するためには,少なくとも,X1がそのいずれの構造を有する化合物であっても,当業者が,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願日(平成10年8月5日)当時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,生産することができるものであることが必要であるので,まずこれらの点について検討する・・・

(中略)

 当業者において,本件明細書の発明の詳細な説明の合成実施例の記載や化合物の合成方法の記載を参照しても,少なくとも,X1が-CH=CHOCH2-の構造を有する化合物については,本件出願日当時の技術常識に基づき過度の試行錯誤を要することなく生産することができたとはいえない。
 すなわち,まず,上記ア(イ)の合成実施例の記載を参照してX1が-CH=C15HOCH2-の構造を有する化合物を合成しようとすると,工程aにおいて,「φ-CH=CH2」を出発物質として「φ-CH=CH-Br」を得る必要があるが,本件明細書に「φ-CH=CH2」の入手方法は記載されておらず,本件出願日当時の技術常識としてこの物質が入手可能であったと認めることもできない。また,工程bにおいて,「φ-CH=CH-Br」と「HO-CH2-Het」とを反応させて「φ-CH=CH-O-CH2-Het」を得る必要があるが,本件明細書の発明の詳細な説明にこの反応が具体的に記載されておらず,本件出願日当時の技術常識に基づきこの反応を達成することが容易であったと認めることもできない
 また,上記ア(ア)の方法Cによる化合物の合成方法の記載を参照してX1が-CH=CHOCH2-の構造を有する化合物を合成しようとすると,「φ-CH=CH-脱離基」と「HO-CH2-Het」とを反応させて「φ-CH=CH-O-CH2-Het」を得る必要があり,また,上記ア(ア)の方法Bによる化合物の合成方法の記載を参照してX1が-CH=CHOCH2-の構造を有する化合物を合成しようとすると,「φ-CH=CH-OH」と「脱離基-CH2-Het」とを反応させて「φ-CH=CH-O-CH2-Het」を得る必要があるものの,本件明細書の発明の詳細な説明にこれらの反応が具体的に記載されておらず,本件出願日当時の技術常識に基づきこの反応を達成することが容易であったと認めることもできない。

2 訂正後発明の実施可能要件及びサポート要件に関する判旨
 
上記のとおり,訂正明細書の段落【0130】ないし【0134】の合成実施例は,X1がCH2Oである化合物についてのものであるから,当業者において,同様に,X1がCH2Oである本件各発明に係る化合物を作成するに当たって,この合成実施例の記載を参照することが考えられる。
 そうすると,当業者は,訂正明細書の合成実施例の記載を参照して,工程bの出発物質である「HO-Het」の構造を有する化合物を入手できる範囲で,「φ-CH2-Br」と反応させて,X1が「-CH2O-」である「φ-CH2O-Het」の化合物を得ることができると認識することができる。また,工程c及びdの各反応の記載を参照して,「φ-CH2O-Het」の化合物から「Q-φ-CH2O-Het」の構造を有する化合物を合成することができると認識することができる。
 そして,証拠(甲38,51)及び弁論の全趣旨によると,上記の「HO-Het」の構造を有する化合物のうち,少なくとも,Hetが構成要件1F´に記載された合計18個の構造を有する化合物については,本件出願日時点でいずれもCAS登録されていたものであること(各化合物に付されたCAS登録番号及び構造図は別紙出発物質一覧の「X1=CH2Oの化合物を製造するための原料」欄のとおりである。),CAS登録番号は,アメリカ化学会が発行する雑誌に使用されている個々の化合物の識別番号であり,化合物の名称,構造図,登録日等に係る情報とともに管理され,当業者に利用されていたものであることが認められるから,当業者において,本件出願日当時にこれらを入手することができたと認められる

(中略)

 そうすると,本件各訂正発明に係る化合物のうち,X1が-CH2O-の構造を有するものについては,当業者において,訂正明細書の合成実施例の記載等を参照するなどし,本件出願日当時の技術常識に基づき過度の試行錯誤を要することなく生産することができたものと認めるのが相当である。 

3 損害額
 
本件各発明は,新規な,除草剤の有効成分又はその候補となる化合物を提供することを課題として,化合物の一般式及び置換基の組合せを示したものであるものの,発明の詳細な説明においても,発明の技術的範囲に含まれる各化合物の除草特性に関する個別の実験結果が示されていないから,本件各発明の技術的範囲に含まれる化合物の中から,除草特性及び水稲に対する安全性に優れたテフリルトリオンを見出し,農薬混合物として実用化するには相応の試行錯誤を要すると考えられること②被告製品2は,いずれもテフリルトリオンに加えてもう一種類の有効成分(被告製品2⑴ないし⑶のフェントラザミド,同⑷ないし⑹のメフェナセット,同⑺ないし⑿のトリアファモン)を含有する農薬混合物であること,③テフリルトリオンが幅広い雑草に対する除草効果に優れ,スルホニルウレア抵抗性雑草(ホタルイ類,アゼナ類,コナギ等)に高い除草作用を有しているのに対して,被告製品2に含有されるもう一種類の有効成分はいずれもテフリルトリオンの除草効果が十分でないノビエに対して優れた除草効果を有しており,テフリルトリオンと相互に除草効果を補完する関係にあるということができること・・・

(中略)

 上記事実関係に照らすと,被告製品2は,本件各発明の技術的範囲に含まれるテフリルトリオンを有効成分の一つとする農薬混合物ではあるものの,本件各発明の効果が特に顕著であるとみることはできない。また,被告製品2においては,テフリルトリオン以外の有効成分もテフリルトリオンの除草効果を補完する重要な効果を有しており,技術資料等においても二種類の有効成分が含まれた農薬混合物であることが一貫して記載されていることも実施料率を算定するに当たって十分に考慮される必要がある。
 加えて,本件各発明についての特許に上記3⑴及び⑵のとおりの無効理由があることからすると,被告が原告との間でライセンス契約を締結することなく被告製品2を製造販売等して本件特許権を侵害してきたことをもって,実施料率をそれ程高額なものと認定するのは相当とはいえない。

第2 検討

 本件では、農薬化合物について実施可能要件及びサポート要件違反が問題となった。クレームの化合物はマーカッシュ形式で記載され、多数の選択肢を含むものであったところ、判決は、実施可能要件及びサポート要件を満たすためには、クレームにおいて特定される全ての化合物について過度の試行錯誤を要することなく製造可能であることが必要であるとする規範を立てた上で、特定の化合物については、その出発物質の入手方法が記載されておらず、当該出発物質に基づいてクレームの化合物を得る具体的な反応も記載されていないとして、特許を無効とした。
 これに対し、特許権者はクレームの範囲を限定し、出発物質としてCAS登録されており、かつ明細書に反応経路が記載されているか、もしくは類似する反応経路が記載されているものに限定したため、無効理由は解消された。
 マーカッシュ形式で記載された広い化合物についても、その全てで実施可能要件及びサポート要件を満たす必要があることは当然であるが、本判決は、その判断基準として、出発物質の入手経路の開示を問題にした裁判例として意義を有する。なお、CAS番号が登録されていれば、当該化合物が入手可能であるとする判決の判断には若干の疑問がある。
 さらに、本判決は、被疑侵害品の実施例が明細書に記載されていないことから、クレームに記載の発明の中から被疑侵害品の態様をさらに特定して実施するためには試行錯誤を要すると述べて、これを実施料率の計算において参酌した。しかし、クレームの範囲で有効な特許権として成立しているにもかかわらず、ベストモード開示の有無によって推定損害額に修正を加えるべきではない。裁判例では、3項の計算において特許発明の技術的価値を考慮することが一般的であるが、被疑侵害者の利用態様との関係で特許発明の貢献度を評価すれば足り、それ以上に明細書の開示を特許権者に不利に扱うことは、予測可能性の担保という点でも問題があるし、適正な損害額の算定という点でも行き過ぎであるように思われる。

以 上
(文責)弁護士・弁理士 森下 梓