【平成29年10月19日(大阪地裁平成27年(ワ)第4169号)】
【要旨】
本件の秘密保持の誓約書に基づく秘密情報を含む「電子データ及びその複製物の返還請求」が認められなかった。
【キーワード】
秘密保持
事案の概要
本件は,原告が元従業員であった被告に対し,被告は原告から示されていた技術情報等(以下「本件技術情報等」という)を持ち出しており,これを競業会社に開示し,又は使用するおそれがあると主張して,以下の請求をした事案である。
ア 不正競争防止法2条1項7号該当の不正競争を理由とする同法3条1項に基づく,又は被告差し入れに係る「秘密情報保持誓約書」(以下「本件誓約書」という)に定めた秘密保持義務違反に基づく,本件技術情報等の使用開示行為の差止請求
イ 本件誓約書に定めた返還義務に基づく本件技術情報等(複製物を含む。)の返還請求,又は不正競争防止法3条2項に基づく同技術情報等の廃棄請求(前者を主位的,後者を予備的とする。)
ウ 被告の行為が不正競争防止法2条1項7号の不正競争に該当することを理由とする弁護士費用相当額の1200万円の損害賠償及びこれに対する不法行為の後の日である平成27年4月1日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金請求
これに対し,以下の判決主文の要旨に示す通り,上記「ア」,「イ」の予備的請求,「ウ」に関しては,本件技術情報等のうちの一部の電子データ(以下「本件電子データ」について原告の請求が認容された(判決主文の要旨の1,2,3項)が,上記「イ」の主位的請求に関しては,本件電子データについても認められなかった(判決主文の要旨の4項)。
(判決主文の要旨)
1 被告は,本件の営業秘密を,アルミナ繊維を用いた製品の製造販売に使用し,又はこれを開示してはならない。
2 被告は,前項記載の営業秘密に係る電子データ及びその複製物を廃棄せよ。
3 被告は,原告に対し,500万円及びこれに対する平成27年4月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
4 本件の営業秘密に係る電子データ及びその複製物の返還を求める請求並びに原告の被告に対するその余の請求をいずれも棄却する。
※本件誓約書の内容
私は,貴社の秘密情報(営業秘密情報及び個人秘密情報)に関して,以下の事項を遵守することを誓約いたします。 |
争点(他の争点もあるが,本稿は下記争点に絞る)
秘密保持誓約書に基づく「電子データ及びその複製物の返還請求」の可否
判旨
第1,第2 ・・・略・・・
第3 当裁判所の判断
1~3,5 略
4 争点(4)(被告が本件電子データ又はその複製物の返還義務を負うか。)について
(1) 原告は,本件電子データについて,使用,開示の差止めを求めるほか,本件誓約書2項の規定に基づき,本件電子データという無形物そのものの返還を求めている。
しかし,本件電子データが本件誓約書にいう「営業秘密情報」に該当するか(争点(3)),またそもそも本件誓約書に基づく合意が有効であるか否かの点をさておいても,原告が主張の根拠とする本件誓約書2項の規定に基づき,原告が主張するような本件電子データという無形物そのものを,同規定にいう保管を命ぜられ,その返還義務を負う対象と解することはできないから,その返還請求には理由がないというべきである。
すなわち,確かに原告が根拠とする本件誓約書2項の規定により,保管を命ぜられて返還することが義務付けられている資料類の例示には,無形物である情報そのものを指すと解し得る「データ」という文言を含まれているが,同条の規定は,「・・私が保管を命ぜられた貴社の営業秘密情報及び個人秘密情報に関する資料類(製品,試作品,文書,データ,図面,電子媒体等一切)を責任を持って保管し」,「退職時にはこれら全ての資料を貴社に返還すること」と定めているから,この規定に基づき返還請求ができる対象とされるのは,「保管を命ぜられ」,「責任を持って保管」するとされた「営業秘密情報」,「に関する資料類」であるということになる。そして,まず「資料類」という用語からして,その対象は,無形物である情報そのものではなく情報が記録されたところの有形の媒体を指すものと解するのが自然である。加えて,「データ」以外の本件誓約書2項の括弧書きの「営業秘密情報・・に関する資料類」の例示は,「製品,試作品,文書,図面,電子媒体等一切」という,全て日常用語としての保管,返還に馴染む物理的な存在を有する物である。また本件誓約書の他の規定をみても,1項は,「秘密情報の保持」として,「貴社の秘密情報管理規定に記載されている秘密情報については,在職中はもとより退職後も貴社の書面による許可なくして自ら使用し,あるいは第三者に開示することなど一切漏洩しないこと」と定めているのに対して,2項は,「機密資料の保管・返還」として上記の規定を定めているのであるから,本件誓約書上では,「情報」と「資料」という二つの文言は明らかに使い分けられ,「情報」は保持され,また漏洩を禁止する対象であるが,「資料」は保管,返還の対象であって,この関係でも資料は,有形物を前提としていると解するのが自然である。
そのほか関連規定をみても,秘密情報管理規定では,秘密情報全般の管理の在り方について,「第三者に開示・漏洩をしてはならない。」(8項(5))ことが基本とされ,「書面による営業秘密情報」については「開示された者が責任を持って保護,保管,廃棄の管理をする。廃棄する場合は,シュレッダー等で裁断または焼却して,社外へのデータ流出を防止する。」(6.3(2))とし,また別表―2では,「文面の情報」は,「開示された者の責任で保管,廃棄を行う。」とされているから,営業秘密情報が書面という物理的存在に記録された場合には,開示された者が原告から独立した形で保管することが想定されているといえるのに対し,本件で問題となる,無形物にすぎない「電算機器内の営業秘密情報」については,「「電算管理規定」による。」(6.3(1))とされているだけである。そして,その電算管理規定では,「データをコピーし,」あるいは「データをプリントアウトし,意図しない目的で」社外へ持ち出すことがそれぞれ禁止されており(12項(2),(3)),ここでは「データ」は明らかにコンピュータで処理する情報という意味で用いられ,これについては「書面による営業秘密情報」のような,開示を受けた者が「返還」を前提に「責任を持って保管」する事態は想定されていない(なお,電算管理規定の7.2(2)に,「使用者は,各端末パソコン内のデータバックアップを定期的に責任を持って行う。」とする規定があるが,これは営業秘密とは関係なく,使用パソコン内のデータバックアップを求めているから,この規定と本件誓約書2項の規定を関連づけて解釈することはできないというべきである。)。
以上を総合して検討すると,確かに本件誓約書2項の規定のいう「営業秘密情報・・に関する資料類」に,無形の情報そのものを指すと解され得る「データ」という文言が含まれているものの,これを無形物としての情報そのものと理解すると,本件誓約書1項,2項の規定振りとして不整合となるし,また秘密情報管理規定,電算管理規定との関係でも解釈上,疑義をもたらすものであるから,ここにいう「データ」とは,保管し返還することが求められる資料類として例示されている「製品,試作品,文書,図面,電子媒体等一切」と同じく,物理的存在を認識し得る資料一般を指す意味で用いられていると解するのが無理はなく,したがって本件誓約書2項にいう「保管を命ぜられ」,返還を義務付けられる対象としての「データ」とは,無形物としての情報ではなく,その情報が記録されている媒体一般を指していると解するのが相当である。
したがって,本件誓約書2項に基づき,被告が不正に取得した「営業秘密情報」そのものを,被告が返還を前提として「保管を命ぜられ」ていたと認めることはできないし,また情報という無形状態のままで特定して返還する義務を負うものと解することはできないから,本件電子データそのものを対象とする返還請求は,その余の点について検討するまでもなく理由がないといわなければならない。
(2) 他方,上記3のとおり,被告に対する不正競争防止法2条1項7号の不正競争を理由とする3条1項に基づく本件電子データの開示,使用の差止請求には理由があるから,原告が予備的請求とする同条2項に基づく本件電子データ及びその複製物の廃棄請求には理由がある。
解説
本件では,本件誓約書(秘密保持の誓約書)に基づく秘密情報を含む「本件電子データ及びその複製物」の返還請求が認められなかった。
本件は,本件誓約書に基づく判断であるため,その誓約書の文言に依存するところは大きいが,「無形物そのものを,同規定にいう保管を命ぜられ,その返還義務を負う対象と解することはできない」,「被告が返還を前提として「保管を命ぜられ」ていたと認めることはできないし,また情報という無形状態のままで特定して返還する義務を負うものと解することはできない」などと判示している所からも分かるように,端的には「データは無体物なので,保管・返還の対象(対象物)にはならず,返還義務も認められない」というところを理由の中心に据えているように読める。要するに,保管・返還は「有体物」を前提にした行為なので,無体物である「データ」は(有形の媒体として存在しているものは別であるが)データそれ自体として「返還」はなしえないということのようである。
この点,本件誓約書に基づくものではなく,不正競争防止法3条2項に基づくものであるが,「本件電子データ及びその複製物」についての「廃棄請求」は認められている。したがって,もし,本件誓約書2の後段に「貴社退職時にはこれら全ての資料を貴社に『廃棄』すること」という趣旨のフレーズが含まれていれば,本件誓約書に基づいても「廃棄請求」は認められていたかもしれない。
秘密保持契約書においては,契約終了時の取り決めとして,秘密情報の返還等の規定が置かれるが,秘密情報として「無体物」を意識するのであれば,ここには少なくとも「返還」だけでなく「破棄」の文言を明示的に置いておかないと(本件と同様の判断が前提になると)当該契約終了時の取り決めが無体物に対して及ばないということになりかねない。通常,「返還」と「破棄」がセットで規定されていることが多いが,念のため,注意しておきたい。
以上
(文責)弁護士・弁理士 高野芳徳