【平成29年9月29日判決(東京地裁 平成28年(ワ)第30872号)】

【判旨】
発明の名称を「医薬」とする本件特許権を有する原告が、被告に対し、特許法100条1項及び2項に基づき、被告製品の製造、販売及び販売の申出の差止め並びに被告製品の廃棄を求めた事案。被告は、本件出願日(平成24年8月8日)までに,本件2mg錠剤のサンプル薬を製造して本件2mg製品の製造販売承認の申請に必要な治験を実施したことや,本件4mg錠剤のサンプル薬を製造して被告製品(本件4mg製品)の製造販売承認の申請に必要な治験を実施したことを根拠に、本件発明2について先使用権の成立を主張したが、裁判所は、本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬に具現された技術的思想は,いずれも本件発明2と同じ内容の発明であるということはできないとして、被告の先使用権の抗弁を退け、原告の請求を認容した。

【キーワード】
特許法79条,先使用権

水分含量が2.9質量%以下である固形製剤が,

1 事案の概要

(1)本件特許権の内容
 本件特許権の請求項2に係る発明(以下「本件発明2」という。)の内容は,以下のとおりである。

構成要件

内容

次の成分(A)及び(B):
(A) ピタバスタチン又はその塩;
(B) カルメロース及びその塩,クロスポビドン並びに結晶セルロースよりなる群から選ばれる1種以上;を含有し,かつ,

水分含量が2.9質量%以下である固形製剤が,
機密内装体に収容して,,
なる医薬品。
固形製剤の水分含量が1.5~2.9質量%である,

※本件発明2は請求項1に係る本件発明1(上記A~D)を引用する従属項である。

 本件発明に係る医薬品は、本発明の固形製剤が気密保存可能な包装体にて包装され包装体内への水分の侵入が妨げられるため、長期間に渡って包装体内部の固形製剤の水分含量が安定的に保たれ、固形製剤中のピタバスタチン又はその塩由来のラクトン体生成が長期間に渡って抑制され、有用であるとされている(0013段落)。特に、水分含量が1.5~2.9質量%(好適には1.5~2.1質量%、特に好適には1.5~1.9質量%)である本発明の固形製剤は、ラクトン体の生成が抑制され、また、5-ケト体の生成も抑制されるため、固形製剤中のピタバスタチンの安定性が特に良好であるという優れた効果を有するとされている(0019段落)。

(2)争点
 
本件では、被告製品が構成要件A~Eを充足する点については争いがなく、①本件特許権に無効理由があるか、②被告が本件発明につき先使用権を有するか、の2つが大きな争点となった。本稿では、後者の先使用権について解説する。

2 当事者の主張

(1)控訴人(被告)の主張
 
被告は,本件2mg製品(被告製品と比べて各成分の量が半分の製品)の製造販売に必要となる厚生労働大臣の承認を得るため,本件出願日(平成24年8月8日)までに,本件2mg錠剤の処方を決定し,同処方に従ってサンプル薬を製造したものであるから,上記サンプル薬の製造を開始した時点において,事業(製造販売)の対象となる医薬品の内容が一義的に確定していたと主張した。そして,被告は,本件2mg製品の承認申請のため,本件2mg錠剤のサンプル薬を使用して治験を実施し,安定性試験の一つである長期保存試験を除き,全て本件出願日までに完了していたところ、被告の上記一連の行為は,特許法79条にいう「事業の準備」に該当するから,被告は,本件2mg製品に関して先使用権を有すると主張した。

 また、被告は、本件製品と成分量が同じ本件4mg製品について、被告製品(本件4mg製品)の製造販売に必要となる厚生労働大臣の承認を得るため,本件出願日(平成24年8月8日)までに,本件4mg錠剤の処方を決定し,同処方に従ってサンプル薬を製造したものであるから,上記サンプル薬の製造を開始した時点において,事業(製造販売)の対象となる医薬品の内容が一義的に確定していたと主張した。そして,被告は,被告製品(本件4mg製品)の承認申請のため,本件4mg錠剤のサンプル薬を使用して治験を実施し,本件出願日までに,安定性試験につき一定の結果を得ており,生物学的同等性確認のための溶出試験の本試験も完了していたところ、被告の上記一連の行為は,特許法79条にいう「事業の準備」に該当するから,被告は,被告製品(本件4mg製品)に関して先使用権を有すると主張した。

(2)原告(被控訴人)の反論
 
これに対し、原告は、①実生産品とサンプル薬とは少なくともB顆粒の水分含量の管理範囲が異なっているから,サンプル薬が実生産品と同じ工程により製造されているとはいえないこと、②本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬について被告が主張する水分含量(カールフィッシャー法による測定値)は,これらのサンプル薬が製造された当時のものではないところ,上記サンプル薬についても保存中に水分含量が増加している可能性が高いこと等から、本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬が,その製造当時,本件発明2の構成要件Eを備えていたことが立証されたとはいえないと反論した。

3 裁判所の判断

 まず,裁判所は,被告の提出に係る書証からは,実生産品とサンプル薬が同一の工程により製造されたものであると直ちに認めることは困難であり、本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬のPTP包装された状態での水分含量が,本件発明2の構成要件Eの数値範囲内にあったものと認めるに足りる証拠はないから、本件出願日までに,被告の社内において,本件発明2の内容を知らないでこれと同じ内容の発明がされていたと認めることはできないと判示した(下記参照)。

※判決文抜粋

 ⑵  被告において本件発明2と同じ内容の発明がされていたか否かについて

    ア 被告は,本件2mg製品及び被告製品(本件4mg製品)が本件発明2の技術的範囲に属することを前提とした上,本件2mg錠剤のサンプル薬が本件2mg錠剤の実生産品と同一処方,同一工程により製造され,また,本件4mg錠剤のサンプル薬が被告錠剤(本件4mg錠剤の実生産品)と同一処方,同一工程により製造されていた旨主張し,それゆえ,本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬がそれぞれ本件発明2の構成要件Eを備えていたものである旨主張する。

  しかし,被告の提出に係る書証からは,実生産品とサンプル薬が同一の工程により製造されたものであると直ちに認めることは困難である。すなわち,本件で問題となるのは,「PTP包装してなる医薬品」を構成する「錠剤」の「水分含量」が「1.5~2.9質量%」の範囲となるよう管理されていたか否かであるところ,水分は,有効成分でないばかりか,積極的な添加物でもなく,不純物として扱われるものでもないため,錠剤が製造された後,PTP包装された状態で,錠剤の水分含量がいかなる値となるかという観点から工程の同一性を論じるためには,被告の提出に係る全ての書証をもってしても,情報が不足しているというほかはない(少なくとも,打錠工程の湿度環境や打錠後の保管条件は,PTP包装された錠剤の水分含量に影響するといわざるを得ないが,被告の提出にかかる書証では,これらの条件は明らかにされていない。)。

    イ 被告は,本件2mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:PTVD-203)及20び本件4mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:TVD-303)の水分含量について,いずれも本件発明2の構成要件Eの数値範囲内にあったと主張し,乙32号証(以下「乙32実験報告書」という。)を提出する。

  しかし,乙32実験報告書に示される本件2mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:PTVD-203)及び本件4mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:TVD-303)の水分含量の測定値は,これらの錠剤が製造されたとされる日から4年以上が経過した時点のものである。そして,被告ないし同報告書の説明するところによれば,これらの錠剤は,その製造後,PTP包装とアルミピロー包装がされ,その状態により,被告の中央研究所の検体保管庫に温度20℃,成り行き湿度(実測値:75%RH)で保存されていたものであり,検体1錠をPTP包装から取り出して,乳鉢で粉砕してカールフィッシャー法により水分測定を行ったというのであるが,上記の条件下で4年以上が経過しても,錠剤の水分含量がそのまま保持されることを直接裏付ける証拠はない。

  かえって,①本件2mg製品の使用期限が2年6か月とされ,本件4mg製品(被告製品)の使用期限が3年とされていること(甲4〔52頁〕)からすれば,4年以上という期間は,予定されている保存期間を大きく超えるものであって,水分含量を含む錠剤の状態に影響を及ぼす可能性を否定できないこと,②ピタバスタチンからラクトンが生成する反応は,脱水縮合であって,水が脱離することから,水分含量増加の原因となり得ること,③アルミピロー包装に使用される材料の防湿性が高いことがうかがわれる(乙33)としても,PTP包装された上記サンプル薬を収納したアルミピロー包装には,チャックがついていて(乙32,39),当該材料のみでは構成されてはおらず,また,湿気等の影響を受けやすい商品の包装には充分に注意する必要があるとされていること(甲18),④PTP包装やアルミピロー包装が施された他の医薬品について,所定の保存期間経過後に水分含量が増加しているとみられる例があること(甲15,19)などからすれば,PTP包装とアルミピロー包装により,直ちに上記サンプル薬の水分含量の増加が完全に抑えられていたと断ずることは,困難である。

  被告は,上記サンプル薬の水分含量がそれぞれ本件2mg錠剤の実生産品(ロット番号:B062)及び本件4mg錠剤の実生産品(ロット番号:B012)とほぼ同じ値であることから,保存期間中の吸湿の可能性が否定される旨主張するようであるが,かかる被告の立論は,本件2mg錠剤のサンプル薬が本件2mg錠剤の実生産品と同一の工程により製造され,また,本件4mg錠剤のサンプル薬が被告錠剤(本件4mg錠剤の実生産品)と同一の工程により製造されていたことを前提とするものであるところ,既に説示したとおり,本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬が,それぞれ本件2mg錠剤の実生産品や本件4mg錠剤の実生産品(被告錠剤)と同一の工程により製造されたと認めるに足りる証拠はないものというべきである。

    ウ 被告は,A顆粒とB顆粒の水分含量がほぼそのまま錠剤の水分含量となるとした上,実生産品とサンプル薬とは,A顆粒とB顆粒の乾燥減量試験法による水分含量(乾燥減量)と両顆粒の混合比をもとに算出した水分含量(乾燥減量)が同程度である旨の主張もする。

  しかし,本件2mg錠剤の実生産品(ロット番号:B062)及び本件4mg錠剤の実生産品(ロット番号:B012)につき,製造指図書(乙24,26の1)に示されるA顆粒とB顆粒の水分含量(乾燥減量)●(省略)●これらの値は,被告がカールフィッシャー法で測定したとする水分含量(前者につき2.24,後者につき2.30〔乙16〕)の半分程度という不可解な値となっているにもかかわらず,被告は,この点につき合理的な説明をしていない(被告は,原告が本件2mg錠剤の実生産品〔ロット番号:B087〕及び本件4mg錠剤の実生産品〔ロット番号:B023〕につき乾燥減量試験法とカールフィッシャー法により水分含量を測定したところ,同程度の値となったとしていること〔甲13〕について,測定条件が不明であるなどと主張しているが,被告自身におけるカールフィッシャー法と乾燥減量試験法による結果の齟齬について,合理的に説明できていない。)。

    エ 以上より,本件2mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:PTVD-203)及び本件4mg錠剤のサンプル薬(ロット番号:TVD-303)の水分含量が,製造後,PTP包装された状態で,1.5質量%を下回るものであった可能性を直ちに否定することは困難であり,他に本件2mg錠剤のサンプル薬及び本件4mg錠剤のサンプル薬(いずれも上記のロット番号に限らない)のPTP包装された状態での水分含量が,本件発明2の構成要件Eの数値範囲内にあったものと認めるに足りる証拠はない。

 したがって,本件出願日(平成24年8月8日)までに,被告の社内において,本件発明2の内容を知らないでこれと同じ内容の発明がされていた(被告が被告の従業員等から当該発明を知得していた)と認めることはできない。

 さらに、裁判所は、仮に、本件2mg錠剤のサンプル薬の一部(PTVD-203、PTVD-303)の水分含量が,その製造当時,本件発明2の構成要件Eの数値範囲内にあったとしても、他のロットのサンプル薬の水分量が不明であること等から、直ちに本件2mg製品及び本件4mg製品(被告製品)の内容が一義的に確定していたということはできず、被告が即時実施の意図を有し,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていたとはいえないと判示した(下記参照)。

※判決文抜粋

  ⑶  本件2mg製品及び本件4mg製品(被告製品)の内容が一義的に確定していたか否かについて

  仮に,本件2mg錠剤のサンプル薬であるPTVD-203及び本件2mg錠剤のサンプル薬であるPTVD-303の水分含量が,その製造当時,本件発明2の構成要件Eの数値範囲内にあったとしても,以下のとおり,直ちに本件2mg製品及び本件4mg製品(被告製品)の内容が一義的に確定していたということはできない。

  すなわち,成分及び工程それ自体が同様であったとしても,A顆粒及びB顆粒の各水分含量が管理範囲の上限付近にあるか,下限付近にあるか,また,これらの顆粒や混合され,打錠された錠剤が,PTP包装されるまでどのように保管されるかにより,PTP包装された錠剤の水分含量は,相違し得るものというべきであるから,特定のロット番号のサンプル薬(PTVD-203,PTVD-303)が本件発明2の構成要件Eを備えていたとしても,他のロットの錠剤がどのような水分含量であったかは明らかでなく,同構成要件を備えているか否かは不明であるというほかはない(なお,被告は,乾燥減量試験法による測定値であるとして,本件2mg錠剤のサンプル薬〔ロット番号:PTVD-203〕の治験薬製造指図書〔乙23〕に示されるA顆粒及びB顆粒の水分含量(乾燥減量)に加え,本件2mg錠剤のサンプル薬〔ロット番号:PTVD-201及びPTVD-202〕についても,治験薬製造指図書〔乙41〕に示されるA顆粒及びB顆粒の水分含量(乾燥減量)を開示し,これらの値及び両顆粒の混合比をもとに算出した水分含量(乾燥減量)が,●(省略)●である旨説明する。被告が,乾燥減量試験法による測定値とカールフィッシャー法による測定値の不自然な乖離について,合理的な説明をしていないことは,前記⑵ウのとおりであるが,この点をひとまず措いて,仮に,上記被告の説明に係る値を前提とするならば,PTVD-201は,本件発明2の構成要件Eを備えていなかったものと考えられる。この点,被告は,PTVD-201のB顆粒の水分含量(乾燥減量)が測定エラーであるとするのであるが,被告は,そのように判断することができる客観的な根拠を示しているとはいえない。)。

 したがって,本件出願日までに,本件2mg製品及び本件4mg製品(被告製品)の内容が,本件発明2の構成要件Eを備えるものとして,一義的に確定していたと認めることはできず,本件発明2を用いた事業について,被告が即時実施の意図を有し,かつ,その即時実施の意図が客観的に認識される態様,程度において表明されていたとはいえない。

 上記のとおり、被告について先使用権の成立を認めることはできないと判示された。

4 検討

 本件では、先使用権の成否の判断にあたり、ウォーキングビーム事件(最高裁第二小法廷昭和61年10月3日 昭和61年(オ)第454号)において示された「即時実施の意図」とその「客観的表明」の規範を踏襲しつつ、出願日時点における製品の内容が一義的に確定していたか否かという点を判断基準としている点が注目される。これは、分岐鎖アミノ酸含有医薬用顆粒製剤とその製造方法(東京地裁平成17年2月10日 平成15年(ワ)第19324号)の事案においても用いられた判断基準と同一である。
 上記2つの事案においては、事業開始のためには厚生労働省が定めた基準による認証試験に合格する必要があり,その前提として試験の対象となる製品の仕様を確定させておく必要があったことから、当該仕様が確定した時点をもって「事業の準備」の該当性を判断したものと考えられるが、特許権者と先使用権者との公平の観点から考えると、合理的な基準ではないかと思われる。
 また、多数あるロット番号のサンプル薬のうち、たまたま1つか2つのサンプル薬が構成要件Eに規定の数値条件(水分含量が1.5~2.9質量%)を満たしていたとしても、そのことのみでは、サンプル薬に具現された技術的思想が,本件発明2と同じ内容の発明であるということはできないと考えられる(この点は本件の控訴審においても指摘されている)。その意味でも、本件において被告に先使用権が認められなかったことは、結論においても妥当なものではないかと考えられる。

以上
(文責)弁護士・弁理士 丸山真幸