【知財高裁令和2年6月17日判決(令和元年(行ケ)第10118号)審決取消請求事件】

【キーワード】
進歩性、容易想到性、動機付け、顕著な効果

【判旨】
 本件は、進歩性判断に関する最高裁判決(最高裁令和元年8月27日判決(平成30(行ヒ)第69号)、以下「令和元年最判」という。)の差戻し審であり、名称を「アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物」とする発明にかかる特許(特許第3068858号、本件特許の請求項1に記載の発明を「本件発明」という。)についての審決取消請求事件である。
 令和元年最判の前審(知財高裁平成29年11月21日判決(平成29(行ケ)第10003号)、以下「差戻前判決」という。)は、引用発明に基づき本件発明の構成に至る動機付けがあることを理由に、本件発明の進歩性を否定した。
 令和元年最判は、かかる差戻前判決の判断に対し、顕著な効果を判断することなく進歩性を否定することには法令の適用解釈に誤りがあるとして、これを差し戻した。
 本判決は、本件発明の化合物により、ヒスタミン放出阻害率が濃度依存的に上昇するという顕著な効果の存在を理由として、本件発明の進歩性を肯定した。
 本判決は、進歩性判断にあたって、引用発明に基づき本件発明の構成に至る動機付けについて判断した取消判決の拘束力は、顕著な効果の点には及ばないと判断した。取消判決の拘束力について、令和元年最判は明示的な判断を行っておらず、今後が注目される。
 なお、本判決は、法的論点として、取消判決の拘束力に関する判示の他に、顕著な効果について独立要件説を取るような判示を含んでいるが、本稿では割愛する。

事案の概要

 事案に鑑み、差戻前判決、令和元年最判、本判決の順に判旨を抜粋する。

1 差戻前判決
 引用例1及び引用例2に接した当業者は、引用例1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW-4679を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり、
(中略)
・・・ヒト結膜肥満安定化剤の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められる。
(中略)
 発明の容易想到性については、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けや阻害要因の有無のほか、当該発明における予測し難い顕著な効果の有無等も考慮して判断されるべきものであり、当事者は、第2次審判及びその審決取消訴訟において、特定の引用例に基づく容易想到性を肯定する事実の主張立証も、これを否定する事実の主張立証も、行うことができたものである。これを主張立証することなく前訴判決(注:差戻前判決の審理対象となった審決を拘束している取消判決を意味する。以下同様)を確定させた後、再び開始された本件審判手続に至って、当事者に、前訴と同一の引用例である引用例1及び引用例2から、前訴と同一で訂正されていない本件発明1を、当業者が容易に発明することができなかったとの主張立証を許すことは、特許庁と裁判所の間で事件が際限なく往復することになりかねず、訴訟経済に反するもので、行政事件訴訟法33条1項の規定の趣旨に照らし、問題があったといわざるを得ない。

2 令和元年最判
 原審(USLF注:差戻前判決を意味する。以下同様)は、結局のところ、本件各発明の効果、取り分けその程度が、予測できない顕著なものであるかについて、優先日当時本件各発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができなかったものか否か、当該構成から当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から十分に検討することなく、本件化合物を本件各発明に係る用途に適用することを容易に想到することができたことを前提として、本件化合物と同等の効果を有する本件他の各化合物が存在することが優先日当時知られていたということのみから直ちに、本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消したものとみるほかなく、このような原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない。

3 本判決
 前訴判決は、本件各発明について、その発明の構成に至る動機付けがあると判断しているところ、発明の構成に至る動機付けがある場合であっても、優先日当時、当該発明の効果が、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には、当該発明は、当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから、前訴判決は、このような予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく、この点には、前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)は及ばないものと解される。
(中略)
 本件発明1の効果は、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであると認められるから、当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできない。

解説

 取消判決の拘束力については、最高裁平成4年4月28日判決(高速旋回式バレル研磨法事件、以下「平成4年最判」という。)が以下のとおり判示している。

「特許無効審判事件についての審決の取消訴訟において審決取消しの判決が確定したときは、・・・再度の審理ないし審決には、同法33条1項の規定により、右取消判決の拘束力が及ぶ。
そして、この拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたるものであるから、審判官は取消判決の右認定判断に抵触する認定判断をすることは許されない
(中略)
特定の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたとはいえないとの理由により、審決の認定判断を誤りであるとしてこれが取り消されて確定した場合には、再度の審判手続に当該判決の拘束力が及ぶ結果、審判官は同一の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができたと認定判断することは許されないのであり、したがって、再度の審決取消訴訟において、取消判決の拘束力に従ってされた再度の審決の認定判断を誤りである(同一の引用例から当該発明を特許出願前に当業者が容易に発明することができた)として、これを裏付けるための新たな立証をし、更には裁判所がこれを採用して、取消判決の拘束力に従ってされた再度の審決を違法とすることが許されないことは明らかである。」

 平成4年最判は、特定の引用例に基づく容易想到性について判断した判決の拘束力により、その後の審判及び審決取消訴訟において、同一の引用例に基づく容易想到性の判断が封じられると述べる。
 平成4年最判の上記判示によれば、本件において、進歩性が否定された前訴判決が既に確定している以上、同一の引用例に基づき、その後の審判ないし審決取消訴訟において、これと異なり進歩性を肯定する判断を行うことは許されないことになりそうである。もっとも、平成4年最判は、行訴法33条1項の解釈として、「拘束力は、判決主文が導き出されるのに必要な事実認定及び法律判断にわたる」と述べており、進歩性について判断した取消判決の拘束力により、当該判決で審理判断されなかった内容を含めて、同一の引用例に基づく主張が全て封じられるのかについては、平成4年最判では判断されていないと理解されている。
 差戻前判決(裁判長:高部眞規子判事)は、この点について、訴訟経済の観点から、特定の引用例に基づく進歩性について判断した取消判決の拘束力は、その判断内容にかかわらず、進歩性判断の全体に及ぶことを判示した。
 これに対し、令和元年最判は、この点について判断を下していないが、顕著な効果についての実体判断を更に行うことを求めていることから、差戻前判決の上記考え方を否定したものと考えられていた。
 本判決(裁判長:森義之判事)は、「前訴判決は、このような予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく、この点には、前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)は及ばない」と述べて、発明の構成の容易想到性について判断した取消判決の拘束力が、顕著な効果の点には及ばないことを示した。本判決は、差戻前判決の述べる訴訟経済の点については、無効審判や審決取消訴訟において可能な限り広く実体判断を行うことで回避することができるとの考えに基づくものと思われる(特許判例百選第5版166〜167頁(82事件)参照)。
 本判決のように、取消判決の拘束力が、当該判決において審理判断された内容にしか及ばないと考える場合、取消判決の拘束力をどの範囲で認めるのか問題となる。知財高裁大合議平成30年4月13日判決は、進歩性判断に関し、

主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には、①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆、技術分野の関連性、課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して、主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに、②適用を阻害する要因の有無、予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。

と述べている。すなわち、構成の容易想到性についての判断は、⑴内容中の示唆、⑵技術分野の関連性、⑶課題や作用・機能の共通性などの要素の総合考慮であるとされているところ、例えば主引例の⑴内容中の示唆について判断し、示唆がないとして進歩性を否定した取消判決の拘束力が、⑵技術分野の関連性の点について争うことを封じるか、といった点については、本判決から明らかでない。また、大合議判決は、阻害要因について、動機付けとも顕著な効果とも異なる考慮要素として位置づけているが、動機付けや顕著な効果について判断した取消判決の確定後に、阻害要因の有無について争いうるのかも明らかでない。拘束力の及ぶ範囲について、取消判決で実質的に審理判断されているかどうかによって、事案ごとに異なるものと整理することも可能であるが、それではどのような場合に取消判決の判断が蒸し返されるのか事前に予測ができず、些末な争点まで拾い上げて判断を行うこととなり、審理負担が増大する可能性がある。
 以上を要するに、取消判決の拘束力について、差戻前判決と本判決は全く異なる判断を示しており、令和元年最判は、本判決に近い立場を示したものと理解できるものの、明示的に判断していない。また、本判決の立場を取る場合、取消判決の拘束力の範囲も明らかでない。今後の判断が期待されるところである。

以上
(文責)弁護士・弁理士 森下 梓