【令和3年3月17日(知財高判 令和2年(ネ)10052号)】

【キーワード】
発明者

1 事案の概要

 本件は、京都大学の元大学院生(原告)が、自らも抗PD-L1抗体を用いた抗癌剤に関する特許発明の発明者の一人であるとして、特許権の持分移転等を求めた事件の控訴審である。
 1審では、原告が発明者であることは認められなかった。
 そして、控訴審においても、原告(控訴人)が発明者であることは認められなかった。

2 当事者等

ア 原告は、岡山大学工学部を卒業した後、平成12年4月に京都大学大学院生命科学研究科(生体制御学分野)に入学し、Z教授(以下「Z教授」という。)の研究室(以下「Z研」という。)に所属し、平成14年3月まで修士課程に、平成17年3月まで博士課程に在籍し、同月、博士号の学位を取得した。
イ 被告小野薬品は、医薬品の製造、売買及び輸出入等を業とする株式会社であり、がんの免疫療法薬として使用されている「オプジーボ」という商品名の抗PD-1(Programmed cell death 1 の略)抗体に係る薬剤を製造販売している。
ウ 被告Yは、京都大学大学院医学研究科(分子生物学)教授等を歴任し、現在、京都大学医学部内の講座「免疫ゲノム医学」教室において特任教授の地位にある。同被告は、平成30年10月、T細胞上に発現するPD-1の免疫抑制機能を阻害することによるがん治療法を発見したとして、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。(甲7、乙B24)
エ Z教授は、原告が京都大学大学院の修士・博士課程に在籍していた時の指導担当教授であり、がん免疫の研究を専門としている。
オ W助手(以下「W助手」という。)は、平成10年10月にZ研にスタッフとして着任し、原告が京都大学大学院の修士・博士課程に在籍していた時、Z研に所属する助手であり、原告を直接指導する立場にあった。
カ A氏(以下「A氏」という。)は、平成10年春から平成14年3月まで、京都大学大学院の博士課程に在籍し、被告Yの研究室(以下「Y研」という。)に所属して研究を行っていた。
キ 上記のとおり、平成12年から平成14年までの間、Y研には被告Y及びA氏(博士課程)等が、Z研にはZ教授、W助手、原告(修士課程)等が所属していた。
ク 当事者等の前提事実に関して控訴審において新たに以下の事項が主張された。
被告(被控訴人)らは、2015年、米国において、ダナ・ファーバー癌研究所から、当該研究所に所属していた研究者らが、被控訴人らが保有する関連特許権の米国対応特許の発明者であるとして、発明者名の訂正を求める訴訟(別件米国訴訟)を提起された。
京都大学の代理人弁護士が、2016年4月、原告(控訴人)に対して、別件米国訴訟に関し、被告(被控訴人)らのために本件発明に関連する実験ノートを提出すること及びデポジションを受けることを依頼した。
控訴人は、この依頼を受けて本件特許及び関連特許の存在を知り、自らも発明者であり、発明者としての権利を有するとして、被告小野薬品らに内容証明郵便を送付した。

3 経緯等

⑴ 原告の学位の取得
ア 修士論文及び修士号の取得
原告は、平成14年3月に論文題目を「PD-1/PD-L1システムによるCTL細胞障害性に対する抑制調節」とする修士論文を執筆し、修士号を取得した。(甲12)

イ PNAS論文の発表
A氏、原告、W助手、被告Y及びZ教授は、「Involvement of PD-L1 on tumor cells in the escape from host immune system and tumor immunotherapy by PD-L1 blockade (腫瘍細胞中のPD-L1と宿主免疫システムからの回避との関係及びPD-L1をブロックすることによるがん免疫治療について)」)と題する論文を執筆し、これを米国科学アカデミー紀要(PNAS)平成14年9月17日号において発表した(以下「PNAS論文」という。甲13)。
PNAS論文は、同論文掲載の一連の実験の結果が、「PD-L1の発現が、潜在的に免疫原性のある腫瘍が宿主の免疫反応から免れるための強力なメカニズムとして機能し得ることを示唆し、また、PD-1とPD-L間の相互作用を遮断することが、特定のがん免疫療法のための有望な戦略を提供することを示唆している」(甲13の2(1頁))ことを要旨とするものである。
PNAS論文の脚注1(甲13の1(1頁))には、「AとXは本研究に等しく貢献した。」との記載がある。

ウ 博士論文及び博士号の取得
原告は、平成17年3月、PNAS論文を根拠論文として、博士号を取得した。同博士号の申請に当たり、原告の指導教授であるZ教授は、自ら署名押印した文書(甲1の2)において、原告の行った実験及びその結果を列記した後、「以上のところまでを、equal contribution として、分担担当した。」と記載している。
なお、京都大学大学院生命科学研究科においては、その当時、博士課程修了認定者は、当該学生が筆頭著者となっている国際誌に英文で発表した論文を根拠論文としなければ学位申請をすることができなかった。(乙B3(24頁)、乙B13(35頁))

⑵ 原告が修士課程に在籍中に行った実験(以下の実験を総称して「本件実験」という。)
原告は、Z研に入室後、以下の実験を行った。
ア 抗PD-L1抗体の性状確認等
(ア) 抗PD-L1抗体の性状確認等
原告がZ研に入室した平成12年4月当時、抗PD-L1抗体の作製作業は既に開始しており、1-111抗体及び1-167抗体のハイブリドーマは得られていたものの、なお、より良い抗体を作製する抗体スクリーニング作業は続いていた。原告は、Z研に入室後、このスクリーニング作業に参加するとともに、1-111抗体及び1-167抗体の性状解析を行い、これらの抗体がPD-L1分子をしっかり認識できるかどうかなどの確認作業を行った。
その結果、平成12年11月頃には、1-111抗体の方がより高い親和性でPD-L1分子を認識していることが明らかになり、これを超える性能の抗PD-L1抗体は見つからなかったことから、その後は、1-111抗体が抗PD-L1抗体として実験に使用されるようになった。(甲50(5~7頁)、乙B13(9頁)、乙B14(19~25頁))

(イ) PD-L1の発現の確認
原告は、その後、抗PD-L1抗体を用いて、ランダムに多数のがん細胞におけるPD-L1の発現の有無を調べる実験を行った。

イ ヒトのγδ型T細胞及びNK細胞を使用した実験
原告は、平成12年9月頃から、具体的な実験に従事するようになった。原告は、当初、「PD-1遺伝子のヒトγδ型T細胞に及ぼす影響の検討」、「マウスPD-L1のNK細胞に及ぼす影響の検討」を研究テーマとして与えられ、がん細胞を攻撃するキラー細胞(キラーT細胞、NK細胞、γδ型T細胞)のうち、主として、NK細胞及びγδ型T細胞を使用して実験を行った。

ウ P815/PD-L1細胞に対する2C細胞の細胞傷害性測定実験(実施例1関係)
原告は、平成12年10月から11月にかけての頃、2C細胞とP815細胞とを組み合わせた実験を開始した。2C細胞は、B6系マウスに、H-2Ldという主要組織適合抗原遺
伝子複合体(MHC)クラスI分子を認識するT細胞受容体(TCR)をコードする遺伝子を導入した2Cマウスに由来するキラーT細胞である。T細胞にPD-1が発現していることは、上記(7)イのとおり、Int.Immunol論文において既に明らかにされていた。
(ア) PD-L1を発現するP815細胞の樹立
原告は、P815細胞にPD-L1を遺伝子導入する方法としてエレクトロポレーション法を使用し、作製されたP815/PD-L1細胞上にPD-L1が発現していることをフローサイトメトリー法により確認した。
原告は、平成12年12月の時点で1個のクローンを樹立することができたが、一つの細胞株のみで行った実験ではクローナル・バリアナンスの可能性を排除することができないことから、P815/PD-L1細胞株を複数樹立する作業を進めたところ、平成13年4月になって、3個のクローンを取得することができた。
上記実験の結果は、PNAS論文Fig.1B右図に掲載されるとともに、平成14年2月頃に実施した実験の結果(甲34)が同左図に掲載され、本件明細書等の実施例1に関する【図1】(A)にも掲載された。

(イ) 51Crリリースアッセイによる細胞傷害性測定実験
原告は、平成12年12月頃、樹立されたP815/PD-L1細胞を用い、PD-L1を発現させたP815/PD-L1細胞に対する2C細胞によるキラー活性(細胞傷害性)を測定し、野生型のP815細胞に対するキラー活性と比較する実験を行い、更に、抗PD-L1抗体が存在する状況でのキラー活性の測定も行い、その結果を放射性同位体であるクロミウムを使用した51Crリリースアッセイにより測定した。

(ウ) 抗PD-L1抗体からFc部分を切断した抗体を使用した実験
原告は、平成13年2月頃、抗PD-L1抗体のキラー活性増強効果がADCC効果による可能性を排除し、PD-1/PD-L1相互作用の阻害による効果であることを確認するために、抗PD-L1抗体をペプシンという消化酵素を用いて切断し、F(ab’)2型の抗PD-L1抗体を作製する作業を開始した。
F(ab’)2型の抗PD-L1抗体を使用した実験の結果、2C細胞とP815/PD-L1の存在下ではキラー活性は阻害されたが、F(ab’)2型の抗PD-L1抗体を投与すると、キラー活性が2C細胞とP815細胞を混合した場合と同程度まで回復することが明らかになった。これにより、抗PD-L1抗体の効果が、Fc部分を介した細胞傷害に起因するものではなく、PD-1/PD-L1相互作用に基づく2C細胞抑制シグナルの阻害によるものであることが明らかになった。(甲39)
この結果は、PNAS論文Fig.1Cに掲載され、本件明細書等の実施例1に関する【図1】(B)にも掲載された。

エ DBA/2マウスへのP815/PD-L1細胞移植実験(実施例2関係)
(略)

オ P815特異的細胞傷害性T細胞及びP815移植DBA/2マウスに対する抗PD-L1抗体の投与実験(実施例3関係)
(略)

4 本件特許発明

【請求項1】
 PD-1の免役抑制シグナルを阻害する抗PD-L1抗体を有効成分として含む癌治療剤。

5 裁判所の判断

 控訴審は、原審判決を一部修正ないし追記したものの、原審判決を支持して、原告の請求を棄却した。
 主な追記として、以下を引用する。
「第4 当裁判所の判断
 当裁判所も、控訴人が本件発明の発明者に該当するものと認めることはできず、控訴人の特許権一部移転登録手続請求及び損害賠償請求はいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
・・・(中略)・・・
しかるところ、控訴人作成の平成12年11月17日付けグループミーティングメモの「今後の計画」に「2CとP815、FBL3、YAC−1、YAC−1/PD−L1細胞を使って細胞障害性を調べる」との記載があること(甲83(7-12頁〔H12.11.17〕))、D助手が同年9月頃に控訴人に与えた研究テーマ(甲28)には、2C細胞におけるPD−1の発現の解析は含まれておらず、同年11月17日以前にA教授又はD助手が、控訴人に対し、2C細胞におけるPD−1の発現を確認する実験を行うことを指導、助言したことを客観的にうかがわせる証拠もないことに鑑みると、控訴人の上記供述はおおむね信用できるというべきであるから、ヒトγδ型T細胞及びマウスNK細胞に関する実験に行き詰っていた控訴人は、A教授又はD助手の指導、助言に基づかずに、2C細胞にPD-1分子が発現していることを確認する実験を行い、同日のグループミーティングにおいて、2C細胞にPD-1が発現したことを報告し、2C細胞とP815細胞を用いた実験を行うことを提案したものと認めるのが相当である。
・・・(中略)・・・
しかるところ、控訴人の供述中には、①A研に入る前に2C細胞及びP815細胞を使用した経験はなかった、②2C細胞にPD-1が発現していることは知らなかった、③P815細胞がH-2Ldを発現しているという認識はなかった、④2C細胞とP815細胞の組合せがキラーT細胞の活性を検証するために以前から使用されていたことは知らなかった、⑤2C細胞とP815細胞の組合せ実験が移植免疫系であるとの認識はなかった、⑥2C細胞とP815細胞との組合せを思い付いたときにはPDL1を導入する実験のことは想定しておらず、A教授からP815細胞にPD-L1を導入してみてはどうかとの助言を受けた、⑦2C細胞とP815細胞との組合せの実験でうまくいっても、その先における具体的なプランはなかった旨の供述部分があることに照らすと、控訴人は、2C細胞とP815細胞を使用してどのような実験を実施するかというアイデアや、2C細胞とP815細胞の組合せ実験の後の展望を有していなかったものと認められるから、控訴人が2C細胞とP815細胞を用いた実験を行うことを提案したことは、本件明細書等の実施例1に係る2C細胞とP815細胞の組合せ実験の出発点となったものと認められるが、そのことのみから、控訴人が上記組合せ実験の策定又は構築について創作的に関与したものと評価することはできない。」

6 検討

 本件は、発明者の認定について争われた事例である。
 原審に続いて控訴審においても、原告が発明に創作的に寄与したとは認められなかった。
 控訴審では、原告が、2C細胞とP815細胞を用いた実験を行うことを『提案』したことは認められたものの、原告には、その細胞を使用してどのような実験を実施するかというアイデアや、その組合せ実験の後の展望を有していなかったものと認められるから、控訴人が上記組合せ実験の策定又は構築について創作的に関与したものと評価することはできないと判断された。原審判決及び本件判決には、原告が細かい実験手技の工夫においては主体的に動いた形跡が見られるものの、全体としては、原告が指導教官の指導のもとで受動的に実験を進めていたという判断が根底にあるように思われる。

                                       以上
(筆者)弁護士 篠田淳郎