【令和2年8月21日判決(東京地裁 平成29年(ワ)第27378号)】

【判旨】
平成12年4月から平成14年3月まで本件大学大学院生命科学研究科(生体制御学分野)の修士課程に在籍していた原告が、名称を「癌治療剤」とする本件特許権に係る発明は、原告が同大学院在籍中に行った実験結果やその分析から得られた知見をまとめた論文(PNAS論文)に基づくものであるから、原告は同発明の発明者の一人であるとして、本件特許権を共有する被告らに対し、本件発明の発明者であることの確認及び特許法74条1項に基づく本件特許権の持分各4分の1の移転登録手続を求めるとともに、被告らが故意又は過失により原告を共同発明者として出願しなかったことにより損害を被ったとして、共同不法行為に基づく損害賠償を求めた事案。裁判所は,本件発明の発明者であることの確認請求は、原告が本件発明の発明者にあるという事実関係についての確認を求めるものにすぎず、給付の訴えである不法行為に基づく損害賠償請求をすれば足りるのであるから、原告には本件発明の発明者であることの確認を求める利益があるということはできず、本件訴えのうち、原告が本件発明の発明者であることの確認を求める部分は確認の利益を欠き、不適法であるとして却下した上、原告が本件発明の共同発明者であるとは認められないとして、その余の請求を棄却した。

【キーワード】
特許法74条1項,共有特許権

1 事案の概要と争点

本件の訴訟の対象となった特許権(特許第5885764号)は,がんの免疫療法薬として使用されている「オプジーボ」という商品名の医薬品に係るものである。本件発明(請求項1)の内容は以下のとおりである。

【請求項1】

PD-1の免疫抑制シグナルを阻害する抗PD-L1抗体を有効成分として含む癌治療剤。

原告は,岡山大学工学部を卒業した後,平成12年4月に京都大学大学院生命科学研究科(生体制御学分野)に入学し,Z教授(以下「Z教授」という。)の研究室(以下「Z研」という。)に所属し,平成14年3月まで修士課程に,平成17年3月まで博士課程に在籍し,同月,博士号の学位を取得した。原告は,「Involvement of PD-L1 on tumor cells in the escape from host immune system and tumor immunotherapy by PD-L1 blockade(腫瘍細胞中のPD-L1と宿主免疫システムからの回避との関係及びPD-L1をブロックすることによるがん免疫治療について)」)と題する論文(PNAS論文)を共同執筆し,これを米国科学アカデミー紀要(PNAS)平成14年9月17日号において発表した。PNAS論文の脚注1(甲13の1(1頁))には,「AとX(原告)は本研究に等しく貢献した。」との記載があった。

本件の争点は以下のとおりである。本稿では争点2(原告が本件発明の発明者かどうか)について採り上げる。

【争点】

(1)  本件発明の発明者であることの確認の利益の有無(争点1)

(2)  原告が本件発明の発明者かどうか(争点2)

(3)  特許権の持分移転登録請求の可否(争点3)

(4)  不法行為の成否及び損害額(争点4)

2 裁判所の判断

(1)本件発明の技術的意義

まず,裁判所は,本件明細書の記載を引用しつつ,本件発明の技術的意義(特徴)について下記の通り認定した。

※判決文より引用(下線部は筆者付与。以下同じ。)

   (2)  上記(1)によれば,本件発明(請求項1に係るもの)は,PD-L1はPD-1による抑制シグナルを誘導する分子の1つであると知られていたところ,PD-L1に対する抗体が,PD-1による抑制シグナルを阻害し,免疫機能の回復,更には賦活機構を介してがんの増殖を阻害し,がんに対して治療効果を有することを見出したものと認められる。

(2)原告執筆の論文(PNAS論文)との対比

次に,裁判所は,本件明細書の実施例1~5について,各実施例の記載内容をPNAS論文と対比し,その記載内容や掲載されたデータが同一ないし概ね同一であることを以下のとおり認定した。

 2  本件明細書等とPNAS論文の記載の対比

本件明細書等(甲6)の実施例1~3及び5に関する記載と,PNAS論文(甲13の2)の対応する記載を対比すると,以下のとおりである(以下の対比については,当事者間に積極的な争いはない。甲6,13。なお,段落番号は本件明細書等のものである。)。

(1)  実施例1について

ア PD-L1タンパク質の取得及び抗PD-L1抗体の取得

(ア) PNAS論文の記載

「抗体及びフローサイトメトリー分析

ラット抗マウス PD-1と PD-L1 抗体を文献記載のとおり確立し(15,16),抗H-2Ldは,e-Bioscience社(カリフォルニア州サンディエゴ)から購入した。」(3頁)

「15. Agata, Y., Kawasaki, A., Nishimura, H., Ishida, Y.,Tsubata, T., Yagita, H. &Honjo, T. (1996) Int. Immunol. 8, 765–772.

16. Ishida, M., Iwai, Y., Tanaka, Y., Okazaki, T., Freeman, G.J., Minato, N. &Honjo, T. (2002) Immunol. Lett. 84, 57–62.」

(2297頁の脚注)

(イ) 本件明細書等(段落【0089】(19頁47~20頁18行))との対比

PNAS論文の脚注15,16に示された各論文には,本件明細書等の上記引用で記載されている抗PD-L1抗体の作製方法と同一の方法が記載されているので(甲14,15(2.5:2頁)),本件明細書等に記載された抗PD-L1抗体の作製方法は,PNAS論文に記載の方法と同一である。

・・・(中略)・・・

(5)  小括

以上のとおり,本件明細書等の実施例1~3及び5の関する実験結果を示す図面(【図1】~【図3】,【図5】)には,PNAS論文に掲載された対応する図面(Fig1~4)と概ね同一の実験データが記載されているということができる。

(3)共同発明者の該当性(判断基準)

一方で,裁判所は,発明者の判断基準について,従前の裁判例の判断枠組みに従って以下のとおり判示し,本件においては①抗PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすとの技術的思想の着想における貢献,②PD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害する抗PD-L1抗体の作製・選択における貢献,③仮説の実証のために必要となる実験系の設計・構築における貢献及び個別の実験の遂行過程における創作的関与の程度などを総合的に考慮し,発明者該当性を認定すべきとした。

 4  争点2(原告が本件発明の発明者かどうか)について

(1)  発明者の判断基準

発明とは,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいい(特許法2条1項),特許発明の技術的範囲は,特許請求の範囲の記載に基づいて定められなければならない。したがって,発明者と認められるためには,当該特許請求の範囲の記載に基づいて定められた技術的思想の特徴的部分を着想し,それを具体化することに現実に加担したことが必要であり,仮に,当該創作行為に関与し,発明者のために実験を行い,データの収集・分析を行ったとしても,その役割が発明者の補助をしたにすぎない場合には,創作活動に現実に加担したということはできないと解すべきである(知財高裁平成19年3月15日判決(平成18年(ネ)第10074号),同平成22年9月22日判決(平成21年(ネ)第10067号)等参照)。

本件特許請求の範囲の請求項1は,前記のとおり,「PD-1の免疫抑制シグナルを阻害する抗PD-L1抗体を有効成分として含む癌治療剤。」であり,PD-1分子とPD-L1分子の相互作用によりがんの免疫抑制シグナルがPD-1に伝達されることを前提として,抗PD-L1抗体が,PD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することにより,がん免疫の賦活をもたらすとの知見を見出したものである。

本件発明の技術的思想は上記のとおりであるが,本件発明のような免疫学を含む基礎実験医学の分野において,着想した技術的思想を具体化するためには,先行する研究成果に基づいて実証すべき具体的な仮説を着想し,その実証のために必要となる実験系を設計・構築した上で,科学的・論理的に必要とされる一連の実験を組み立てて当該仮説を証明するとともに,当該仮説以外の他の可能性を排除することなどが重要となる。

これを本件に即していうと,本件発明の発明者を認定するに当たっては,①抗PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすとの技術的思想の着想における貢献,②PD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害する抗PD-L1抗体の作製・選択における貢献,③仮説の実証のために必要となる実験系の設計・構築における貢献及び個別の実験の遂行過程における創作的関与の程度などを総合的に考慮し,認定されるべきである。

(4)共同発明者の該当性(あてはめ)

そして,裁判所は,本件の被告であるY教授と,その共同研究者であるZ教授(訴外)とが,原告がZ研に入室した時点以前から,抗PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすという技術的思想を共有し,これを実証するための具体的な実験に着手していたとする一方で,当該技術的思想の着想に原告が関与していたと認めることはできないと判示した。

   (2)  本件発明の技術的思想の着想における原告の貢献

ア 本件発明の技術的思想は,上記のとおり,抗PD-L1抗体が,PD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することにより,がん免疫の賦活をもたらすという知見を見出した点にあるところ,原告は,本件実験の開始時点においては,PD-L1は自己免疫疾患との関係で研究されていたにすぎず,これをがん治療と結びつける発想はなく,原告の行った実験を通じて,徐々にPD-1/PD-L1の相互関係ががん細胞に対する細胞傷害性に影響することが認識されるようになったと主張する。

イ しかし,前記前提事実(7)アないしウのとおり,平成4年にY研においてPD-1が単離され,平成8年には,Int.Immunol論文において,T細胞にPD-1が発現していることが発見され,更に,平成11年にはImmunity論文において,PD-1がT細胞の自己免疫寛容の維持に重要であることが明らかにされていたことに加え,従来がんには自己免疫病と同じようなメカニズムが働いていると考えられていたこと(証人Z3頁)に照らすと,その頃までに,被告YとZ教授は,生体内のがんの免疫反応にPD-1が重要な役割を果たしていると考えていたと認めるのが相当であり(乙B1(3・4頁),乙B13(3頁)),原告もそのこと自体を否定するものではない。

そして,本件においては,前記認定のとおり,①被告Yはがん免疫を専門とするZ教授に対してPD-L1遺伝子を譲り渡しているところ,PD-L1はがん細胞に発現するものであること,②Y研においては,平成11年頃にはA氏を主担当としてPD-1とがん免疫の実験を開始していたこと,③Z研においては,その頃,PD-L1の研究を開始し,Z教授は,がん免疫を専門とするW助手に抗PD-L1抗体の作製を指示していること,④原告も,Z研の入室後ほどない頃,Z教授の指示により,がん細胞にPD-L1が発現しているかどうかの確認実験をしていることなどの事実が認められ,これらの事実によれば,原告がZ研に入室した平成12年4月までに,Y研及びZ研において,PD-1/PD-L1相互作用とがん免疫の関係についての研究が開始されていたと認められる。

以上によれば,被告Y及びZ教授は,原告がZ研に入室した時点以前から,抗PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすという技術的思想を共有し,これを実証するための具体的な実験に着手していたものというべきである。

  他方,原告は,本件実験を開始した当時,PD-1/PD-L1の相互作用をがん免疫との関係で研究しているとの認識はなく,その後のグループミーティングにおいて指摘をされて「初めてがんでも使えるのかな」と思ったというのであるから(甲50(3頁),原告本人26,62,65頁),抗PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすという技術的思想の着想に原告が関与していたと認めることはできない。

ウ 以上に対し,原告は,被告Yが平成12年より前にPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすことに着想していたとしても,それは単なる願望であって,具体性を欠いていたと主張する。

しかし,前記判示のとおり,原告がZ研に入室した平成12年4月当時には,既に,Y研においてPD-1の側から,また,Z研においてPDL1の側から,PD-1/PD-L1相互作用とがん免疫の関係についての研究が開始されていたのであるから,被告Y及びZ教授が着想していた技術的思想が「単なる願望」にすぎなかったということはできない。

エ また,原告は,PD-1/PD-L1の相互作用が抗腫瘍効果を奏する可能性があるとの上記課題自体は,JEM論文や甲60の特許公報などにより公知であったと主張する。

しかし,これらの文献は,その発表又は公開時期からして,原告がZ研に入学したときに公知であったということはできず,また,仮に,同時点で公知であったとしても,原告が本件発明の技術的思想の着想に関与していないとの上記結論を左右するものではない。

オ さらに,原告は,Z教授が本件実験を修士課程の学生である原告に任せたのは,同教授が本件実験の意義を十分に理解していなかったことを示していると主張する。

しかし,PD-L1に関する研究は多面的で,Z研に所属する多くの学生が同研究に関する課題に取り組んでいたのであり(乙B14(18頁)),Z教授が複数ある研究課題の中から本件実験に係る課題を原告に委ねたとしても,それをもって,Z教授が,原告の行った研究の重要性について認識していなかったということはできない。

また,原告は,W助手が作成した研究テーマに関するメモ(甲28)にキラーT細胞の記載がないことをもって,Z教授らはがん免疫治療を目指していなかったと主張するが,同メモに挙げられた原告の研究課題(甲28(3-56頁))には,がん細胞であるYAC細胞とNK細胞を使用して行う研究も含まれていたのであるから,Z教授らががん免疫治療を念頭に置いていたことは明らかである。

カ 以上のとおり,PD-L1抗体がPD-1分子とPD-L1分子の相互作用を阻害することによりがん免疫の賦活をもたらすとの本件発明の技術的思想を着想したのは,被告Y及びZ教授であり,原告は関与していないものと認められる。

(5)その他(原告の実験における貢献等)

上記に加え,原告は,抗PD-L1抗体の作製や,本件発明を構成する個々の実験の設計及び構築への貢献についても主張したが,裁判所は原告による一定の貢献があったことを認めつつも,あくまで主体となったのはZ教授等であって,原告には発明者として認定するのに十分な貢献があったとはいえないと判示した。

・・・しかし,J558L細胞を使用した実験の目的が,人為的にPD-L1を発現させたがん細胞を用いるのではなく,PD-L1を自然に発現しているがん細胞を用いることにあることを考えると,J558L細胞が選択された主たる理由は,同細胞にPD-L1が自然かつ高度に発現していることによると考えるのが自然であり,この点,原告自身も,PD-L1の強発現が認められた5種類のがん細胞(ミエローマ細胞)の中から選択するようZ教授から指導を受けてJ558L細胞を選択したと供述する(原告本人35頁)。

そうすると,原告が,甲75の論文を参照しつつ,PD-L1を強発現する複数のがん細胞からJ558L細胞を選択したとしても,その役割は限定的なものであったというべきである。

(イ) したがって,J558L細胞を使用した実験についても,その設計や構築に主として貢献したのはZ教授であり,原告の貢献は限られたものであったというべきである。

オ 本件発明における原告の貢献

以上によれば,本件発明を構成する個々の実験については,原告が実際の作業を行ったものの,各実験系の設計及び構築をしたのはZ教授であり,各実験の遂行過程における原告の貢献は限られたものであったというべきである。

(5)  本件発明の発明者について

 上記(2)ないし(4)によれば,①本件発明の技術的思想を着想したのは,被告Y及びZ教授であり,②抗PD-L1抗体の作製に貢献した主体は,Z教授及びW助手であり,③本件発明を構成する個々の実験の設計及び構築をしたのはZ教授であったものと認められ,原告は,本件発明において,実験の実施を含め一定の貢献をしたと認められるものの,その貢献の度合いは限られたものであり,本件発明の発明者として認定するに十分のものであったということはできない。

したがって,原告を本件発明の発明者であると認めることはできない。

原告は,「化学の分野においては,発明の基礎となる実験を現に行い,その検討を行った者が発明者と認められるべきである」「PNAS論文において,原告が共同第一著者であると明記され,その脚注(1頁)に『AとXは本研究に等しく貢献した。』と記載されていること」等の主張も行ったが,裁判所は,発明者性の判断はあくまで「①その技術的思想の着想における貢献,②抗PD-L1抗体の作製・選択における貢献,③仮説の実証のために必要となる実験系の設計・構築における貢献及び個別の実験の遂行過程における創作的関与の程度の観点から総合的に認定されるべき」として,原告の主張する事実があるというだけでは発明者として認定するには足りないと判示した。

3 むすび

本件では,上記で採り上げた事実関係の他,原告を含むZ研在籍者がいずれも非医学系学部出身者であったことや,論文の執筆にあたりZ教授らの日常的な指導や助言があったこと,Z研の研究・指導体制等についても細かく事実認定がされており,それらの事情を総合考慮した上で発明者性についての判断がされており,実務における発明者性の判断にあたっても参考になる事案であると思われる。

以上
(筆者)弁護士・弁理士 丸山真幸