【知財高裁令和2年7月29日判決(令和元年(行ケ)第10129号)審決取消請求事件】

【キーワード】
特許法29条の2、拡大先願

【判旨】
 本件は、名称を「ガス器具」とする発明(以下「本件発明」。という。いわゆるカセットコンロに関する発明である。)についての審決取消訴訟である。
 原告は、本件発明について、甲1発明に基づく拡大先願違反を理由に無効審判を請求したところ、特許庁は、請求不成立審決をしたので、本件審決取消訴訟を提起した。
 本判決は、以下のとおり、本件発明の特徴である空冷機構が甲1発明には記載されていないとして、審決の結論を是認した。その判断において、本判決は、阻害要因の存在を根拠に、本件発明と甲1発明との同一性を否定する手法を採用しており、拡大先願の判断の一例として参考になる。

判旨抜粋

1 本件発明(請求項1に記載の発明のみ取り上げる。)
 【請求項1】器具本体に一定の姿勢で横たえてセットされる円筒形のガス容器 を使用するガス器具であって、一定の構造と内容量を有する標準型ガス容器と、それよりも内容量が小さい小型ガス容器とを使用可能であり、標準型ガス容器を器具本体にセットしたときに標準型ガス容器の端部を器具本体外へ出す開口を器具本体壁面に有しており、小型ガス容器を器具本体にセットしたときに上記開口を含む空気導入口から器具本体内へ空気を導入し、導入された空気を器具本体側の排出部から排出する空冷機構を具備したことを特徴とするガス器具。

2 引用発明(甲1発明)
 甲1には、カセットコンロのボンベカセットをセットする形状について、以下の図6が記載されている(ただし、赤字及び青字は原告の主張である。)。

3 本判決の判断
 標準型ガス容器の端部を器具本体外へ出すための開口を、小型ガス容器を器具本体にセットしたときには、空気導入口として活用し、器具本体内に十分な空気の流れを生じさせて冷却性能の向上を図るというのが本件発明の技術思想であると認められる。そうすると、本件発明にいう「開口」とは、小型ガス容器を器具本体にセットしたときに、器具本体内に十分な空気の流れを生じさせて冷却性能を向上させるような「空気導入口」として機能し得る程度のものである必要があるというべきである。

 甲1について検討するに、確かに甲1の【図6】・・・には、原告の主張する隙間1、2らしきものが記載されている。しかし、特許公報に添付された図面は、発明の技術内容を理解しやすくするためのものにすぎず、部材の大きさや位置関係が正確に記載されているとは限らないものであるところ、甲1の【発明の詳細な説明】には、カバー部材5・仕切板9と背面カバー部材6又は背面カバー部材31との間に隙間1・・・を設けることを明示又は示唆する記載は、全く存在しない。

 そうすると、甲1の【図6】・・・から直ちに原告が主張するような隙間1・・・の存在を認めることはできないというべきであるから、原告の主張・・・はその点からして採用することができない。
 仮に、甲1の【図6】・・・から隙間1・・・の存在が認められるとしても、甲1には、隙間1・・・から空気を導入して冷却性能の向上を図るという技術思想については全く記載も示唆もない上、【図6】・・・に描かれた隙間1・・・はいずれもごく小さいものであるから、それらに接した当業者が、隙間1・・・から空気を導入することで、器具本体内に十分な空気の流れを生じさせて冷却性能の向上を図ることができると認識すると認めることはできない。したがって、隙間1・・・が、原告が主張する本件発明1にいう「開口」に相当する部分(甲1発明におけるボンベ装填部8の背面部における開放された部分)に含まれるかどうかにかかわらず、原告の主張・・・を採用することはできない。

 甲1発明のうち、背面カバー部材6がシャーシ3に取り付けられている実施形態の場合、背面カバー部材6を開放すると、背面カバー部材6分だけガスコンロ装置の設置スペースが増大することになり、大きな設置スペースを必要としない小型のガスコンロ装置を提供するという甲1発明の目的・・・とも反することになる。
 甲1発明が、ボンベ装填部8の背面側を開放するという使用形態が可能な機械的構成を備えているとしても、そのことをもって、本件発明1と甲1発明が同一又は実質的に同一であるということはできず、原告の主張・・・は採用することができない。このことは、ボンベ装填部8の背面側を開放するという使用形態が周知・慣用技術であったとしても変わるものではない。

解説

 審査基準は、特許法29条の2に係る、本願発明と引用発明との同一性について、以下のとおり記載している。

「本願の請求項に係る発明と、引用発明とを対比した結果、以下の(i)又は(ii)の場合は、両者を・・・『同一』と判断する。
(i) 本願の請求項に係る発明と引用発明との間に相違点がない場合
(ii) 本願の請求項に係る発明と引用発明との間に相違点がある場合であっても、両者が実質同一である場合
 ここでの実質同一とは、本願の請求項に係る発明と引用発明との間の相違点が課題解決のための具体化手段における微差(周知技術、慣用技術(注)の付加、削除、転換等であって、新たな効果を奏するものではないもの)である場合をいう。」

 このように、審査基準において、拡大先願における同一性は、実質的同一性に拡張され、実質的同一性は、相違点が周知・慣用技術に基づく微差であるか否か、及び新たな効果を奏するか否かにより判断される。上記のように、拡大先願が同一性の判断において周知・慣用技術の付加等を認めるものであることから、新規性よりは広く拒絶することが可能であるとする見解もある(特許判例百選第5版、60事件)。
 本件では、本件発明と甲1発明との相違点に係る構成が周知・慣用技術であったとしても、当該周知・慣用技術を適用すると、甲1発明の目的に反するとして、同一性が否定されている。これは、更に進んで、拡大先願の同一性を否定するために、進歩性判断における阻害要因と同様の枠組みを用いるものであるようにも思われる(実際、進歩性判断と同様の枠組みを用いる裁判例もある。例えば、相違点の構成が当業者の設計事項であるとして拡大先願の同一性を肯定した例として、知財高裁平成13年(行ケ)第230号)。
 しかし、拡大先願規定は、本来、先願と同一の発明に限って後願を拒絶できることを規定するものであるから、上記阻害要因の判示は、過剰であり、同一性を否定するという観点からは不要な認定であると考えるべきである。
 本件において、甲1に開示されていないと認定された「開口」による空冷機構は、本件発明の課題解決手段そのものである。したがって、本判決が、甲1には本件発明の「開口」が開示されていないと認定した時点で、かかる相違点が周知・慣用技術に基づく微差とはいえないことは明らかであるし、甲1発明に開口を備えることにより、本件発明の課題解決手段による新たな効果を奏することも明らかである。そのため、上記審査基準に示された考え方によっても、この点のみをもって、本件発明と甲1発明とは実質的同一でないと判断することができる。
 近時の裁判例には、拡大先願規定の同一性を実質的同一性の範囲にまで広げることなく、単に「先願明細書に記載されているか、又は記載されているに等しい事項か」という観点から、新規性と同様に検討するものもある(例えば知財高裁平成31年(行ケ)第10011号)。
 拡大先願の判断手法を進歩性判断の判断手法に近接させ、「同一性」の範囲を広げると、出願時点で公開されていなかった先行技術に基づく特許性のハードルを上げることとなるため、適切でない。新規性と同様、先願明細書に記載されているに等しい事項かという観点から検討することが好ましいと考える。

以上
(文責)弁護士・弁理士 森下 梓