【令和2年3月19日判決(令和元年(行ケ)第10100号)特許取消決定取消請求事件】
【キーワード】
進歩性、容易想到性、動機付け、周知技術
【判旨】
本件は、名称を「窒化物半導体積層体及びそれを用いた発光素子」とする発明にかかる特許(特許第6252092号、以下「本件特許」といい、本件特許の請求項1に記載の発明を「本件発明」という。)についての特許取消決定取消請求事件である。
原告は、第三者から本件特許について異議申立てを受け、特許庁はこれを審理し、特許を取り消すとの決定をした。そこで、原告は、特許取消決定の取消しを求めて本件訴訟を提起した。
裁判所は、容易想到性の判断に関し、本件発明と引用発明との相違点に係る構成が、3つの引用文献に記載されていることを認めたものの、各引用文献において、当該相違点の構成が、それぞれ異なる技術的意義のもとに採用されていることから、その技術的意義を捨象して構成のみを上位概念化し、周知技術であると認めることはできないと判断した。
進歩性判断にあたり、相違点に係る構成が周知技術であることを立証する上で、実務上参考になる裁判例である。
事案の概要
1 本願発明
【請求項1】
c面を上面に有するサファイアからなる下地基板上面に接して厚さ2μm以上4μm以下の窒化アルミニウムからなるバッファ層が形成されたテンプレート基板と、
前記テンプレート基板上面に接して形成され、窒化アルミニウムガリウム層 及び窒化アルミニウム層を交互に積層してなる超格子層と、
前記超格子層の上面に接して形成され、アンドープの窒化アルミニウムガリ ウムからなり、前記アンドープの窒化アルミニウムガリウムのアルミニウム比 mAl1が前記超格子層側から上方向に順次減少する第一の組成傾斜層と、
前記第一の組成傾斜層の上面に接して形成され、n型不純物ドープの窒化アルミニウムガリウムからなり、前記n型不純物ドープの窒化アルミニウムガリウムのアルミニウム比mAl2が前記第一の組成傾斜層側から上方向に順次減少する第二の組成傾斜層と、
前記第二の組成傾斜層の上面に接して形成され、III族窒化物半導体からなり、深紫外光を発する発光層を有する活性層と、
前記活性層の上面に接して形成されるp側層と、を含む、窒化物半導体積層体。
2 引用発明
c面サファイア基板上に3μmの厚さのAlN層を堆積したAlNテンプレートと、該AlNテンプレート上に設けた、応力を緩和するAlN/AlGaN超格子バッファと、該AlN/AlGaN超格子バッファ上の、0.5μmの厚さのアンドープ及び2.5μmの厚さのSiドーピングのAl0.6Ga0.4Nのn型コンタクト層と、
2組の4nmの厚さのAl0.45Ga0.55Nの井戸層と2.5nmの厚さのAl0.56Ga0.44Nの障壁層から構成される活性層と、
該活性層上の10Åの厚さのアンドープのAlN層及びp型クラッド層と、
3000Åの厚さのp型GaNコンタクト層と、からなる深紫外発光ダイオード。
3 引用発明との相違点
[相違点1]
第一の層が、本件発明1では、「アルミニウム比mAl1が前記超格子層側から上方向に順次減少する第一の組成傾斜層」であるのに対し、引用発明Aでは、そのようなものではない点。
[相違点2]
第二の層が、本件発明1では、「アルミニウム比mAl2が前記第一の組成傾斜層側から上方向に順次減少する第二の組成傾斜層」であるのに対し、引用発明Aでは、そのようなものではない点。
4 判旨抜粋(下線は著者が便宜上付した。)
引用文献4から6に記載された発光素子は、いずれもAlGaN層又はAlGaAs層を組成傾斜層とするものであるが、引用文献4では緩衝層及び活性層における結晶格子歪の緩和を目的として緩衝層に隣接するガイド層を組成傾斜層とし、引用文献5では、隣接する2つの層(コンタクト層及びクラッド層)の間のヘテロギャップの低減を目的として当該2つの層自体を組成傾斜層とし、引用文献6では、隣接する2つの半導体層の間のヘテロギャップの低減を目的として2つの層の間に新たに組成傾斜層を設けるものである。このように、被告が指摘する引用文献4から6において、組成傾斜層の技術は、それぞれの素子を構成する特定の半導体積層体構造の一部として、異なる技術的意義のもとに採用されているといえるから、各引用文献に記載された事項から、半導体積層体構造や技術的意義を捨象し上位概念化して、半導体発光素子の技術分野において、その駆動電圧を低くするという課題を解決するために、AlGaN層のAlの比率を傾斜させた組成傾斜層を採用すること(本件技術)を導くことは、後知恵に基づく議論といわざるを得ず、これを周知の技術的事項であると認めることはできない。
検討
進歩性の判断において、周知技術は、様々な位置づけで用いられる。例えば、主引用発明と副引用発明とを組み合わせて本願発明の構成に至ることが容易想到か否かを判断するにあたり、周知技術は、本願発明の出願当時における技術水準を理解するために用いられることがある。これは、本来の意味で、ある技術が「周知技術」であるか否かが問題となる場合である。
一方、本件では、これとは異なり、本願発明と主引用発明との相違点に係る構成が周知技術であるかどうかが争われた。
相違点に係る構成は、本来であれば、副引例を特定して副引用発明を認定した上で、これと主引用発明とを組み合わせて本願発明に至る動機付けがあるか否かが問われるものである。ここで、進歩性判断における副引用発明の認定に関し、知財高裁平成30年4月13日大合議判決(平成28年(行ケ)10182号、10184号)は、以下のとおり述べる。
「本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下「主引用発明」といい、後記『副引用発明』と併せて『引用発明』という。)は・・・当業者が、出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから、当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。」
「この理は、本願発明と主引用発明との間の相違点に対応する他の同条1項3号所定の「刊行物に記載された発明」(以下『副引用発明』という。)があり、主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合において、刊行物から副引用発明を認定するときも、同様である。」
このように、大合議判決は、引用発明について、刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想に基づき認定すべきであると述べ、更に、これは主引用発明だけでなく、副引用発明を認定する場合であっても変わるところはないと判示する。
一方、複数の引用文献から共通する構成を抜き出して上位概念化し、これを周知技術として認定した上で、主引用発明との組合せ容易性を検討すると、上記大合議判決の規範によれば適切に考慮されるべきであるはずの、当該引用文献に開示された技術的思想がないがしろにされることとなるのである。したがって、このような認定は、代合議判決の規範に照らし、許されないものであるといえる。
したがい、本判決が、複数の技術文献から共通する構成のみを取りだし、これを上位概念化して周知技術と認定したことは後知恵であるとして、決定のかかる判断を是認しなかったことは正当である。
周知技術を複数の文献から認定するにあたり、引用文献の具体的な記載から離れて抽象化、一般化、上位概念化をすることが許容されないと述べる裁判例は、複数存在する(例えば、知財高裁平成23年2月8日判決(平成22年(行ケ)10056号)、知財高裁平成24年1月31日判決(平成23年(行ケ)10121号)等)。
これらの裁判例は、いずれも本判決と同じく周知技術を副引用発明の代替として利用し、本願発明と主引用発明との相違点を埋める構成として主張した事案に関するものであり、その意味で、本判決と同様に、上記大合議判決の規範と整合的に理解することができるものである。
以上によれば、進歩性違反の主張にあたっては、周知技術がどのような目的で主張されているのかを検討し、それが相違点に係る構成を補完するために主張されている場合には、各引用文献に開示された技術的思想の共通性を前提として、初めて周知技術を認定することができることとなろう。
以上
(文責)弁護士・弁理士 森下梓