【令和2年3月26日 (東京地裁 平成29年(ワ)第24598号)】

【キーワード】
サポート要件

【判旨】
本件発明1及び2は,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものではないから,特許法36条6項1号に違反する。

第1.本件訴訟の内容

1.事案の概要
本件は,発明の名称を「セルロース粉末」とする特許の特許権者である原告が,被告が製造・販売等するセルロース粉末である各製品(以下,「被告各製品」といいます。)及び被告が被告各製品を製造するために使用する方法(以下「被告方法」といいます。)は,原告の上記特許権に係る特許発明の技術的範囲に属すると主張して,被告に対し,被告各製品の製造等及び被告方法の使用の差止並びに被告各製品の廃棄を求めるとともに,損害賠償等の支払を求める事案です。

2.本件特許権等
(1)本件特許権
原告は,以下の特許権(以下,「本件特許権」といい,本件特許権に係る特許を「本件特許」といいます。)を有しています。

特許番号 特許第5110757号
発明の名称 セルロース粉末
優先日 平成12年7月5日
出願日 平成13年6月28日
登録日 平成24年10月19日

(2)本件各発明
本件特許権の特許請求の範囲の請求項1の記載は以下のとおりです(以下,この請求項1と,記載は省略しますが請求項2及び6に記載された発明を併せて「本件各発明」といいます。また,本件特許権に係る明細書及び図面を「本件明細書」と総称します。)。

「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末であって,平均重合度が150~450,75μm以下の粒子の平均L/D(長径短径比) が2.0~4.5,平均粒子径が20~250μm,見掛け比容積が4.0~7.0㎤/g,見掛けタッピング比容積が2.4~4.5㎤/g,安息角が54°以下のセルロース粉末であり,該平均重合度が,該セルロース粉末を塩酸2.5N,15分間煮沸して加水分解させた後,粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いことを特徴とするセルロース粉末。」

同請求項を分説すると,以下のとおりです(以下,分説された構成要件の符号に従い,「構成要件1A」などといいます。)。
1A:天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末であって,
1B:平均重合度が150~450,
1C:75μm以下の粒子の平均L/D(長径短径比) が2.0~4.5,
1D:平均粒子径が20~250μm,
1E:見掛け比容積が4.0~7.0㎤/g,
1F:見掛けタッピング比容積が2.4~4.5㎤/g,
1G:安息角が54°以下のセルロース粉末であり,
1H:該平均重合度が,該セルロース粉末を塩酸2.5N,15分間煮沸して加水分解させた後,粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いことを特徴とする
1I:セルロース粉末。

3.本稿で取り上げる争点と当事者の主張
(1)本稿で取り上げる争点
本件の争点は多岐にわたりますが,本稿では,構成要件1Hとの関係で,本件特許がサポート要件に違反して特許無効審判により無効にされるべきものかどうかという点について取り上げます。

(2)争点に係る被告の主張
本件各発明については,本件明細書における発明の詳細な説明に,当業者が本件各発明の課題を解決できると認識できる程度に記載されているとは認められないから,特許法36条6項1号に違反する。
具体的には,本件各発明の特許請求の範囲には,レベルオフ重合度という用語を用い,当該セルロース粉末の平均重合度がレベルオフ重合度より5~300高いことを内容とする構成要件が存在するが(構成要件1H,以下「本件差分要件」といいます。),本件差分要件の算定に必要な本件セルロース粉末のレベルオフ重合度が記載されていない。仮に,本件各発明におけるレベルオフ重合度とは「2.5N塩酸,沸騰温度,15分で加水分解した後,粘度法により測定される重合度」であり,BATTISTA論文におけるレベルオフ重合度と同義であると解するとしても,本件差分要件は発明の詳細な説明に記載されているとは認められない。
本件差分要件におけるレベルオフ重合度の測定対象物は,天然セルロース質物質(以下,「原料パルプ」ということがある。)の加水分解によって得られるセルロース粉末である「該セルロース粉末」(以下,「本件セルロース粉末」ということがある。)であるところ,実施例によれば,本件セルロース粉末は市販SPパルプ(原料パルプ)を細断し,4Nという高濃度の塩酸による長時間の加水分解,アンモニア水での中和,分散液の調製等という処理に付した後に乾燥して得られるものである。
ところが,本件明細書の発明の詳細な説明では,「セルロース質物質を温和な条件下で加水分解すると,酸が浸透しうる結晶以外の領域,いわゆる非晶質領域を選択的に解重合させるため,レベルオフ重合度といわれる一定の平均重合度をもつ」と説明され,実施例においても原料パルプのレベルオフ重合度が記載されているものの,本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は一切記載されていない。
セルロースに一定の処理を施してセルロース分子の状態に一定の変化が生じると,加水分解による分子切断が余計に進行してレベルオフ重合度が顕著に低下することが知られており,原料パルプのレベルオフ重合度よりも一定の処理を行った後の本件セルロース粉末の方が,レベルオフ重合度が顕著に低くなる。
本件特許の優先日当時,一定の処理によりセルロースのレベルオフ重合度は変化するとの技術常識が存在することに鑑みても,当業者は,実験データ等の実測による裏付けもなく,本件セルロース粉末と原料パルプのレベルオフ重合度が同一であると理解することはできない。
そうすると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件差分要件の算定に必要な本件セルロース粉末のレベルオフ重合度の根拠が記載されていないから,本件各発明は発明の詳細な説明に記載されているとは認められない。

(3)争点に係る原告の主張
被告は,本件明細書の実施例に記載されたレベルオフ重合度が本件セルロース粉末のレベルオフ重合度ではなく,原料パルプのレベルオフ重合度であるから,本件各発明は発明の詳細な説明に記載されていないと主張する。
しかしながら,サポート要件との関係では,本件明細書に実際に測定した本件セルロース粉末のレベルオフ重合度のデータが記載されている必要はない上,原料パルプのレベルオフ重合度と本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は,実施例に記載された比較的低温で結晶領域まで分解が進まない条件を前提とした場合,等しいと見てよく,少なくとも大きく異なるはずがない。
すなわち,非晶質領域が分解されて結晶領域のみが残った状態に達した時の重合度であるレベルオフ重合度は,途中に原料パルプから本件セルロース粉末という加水分解過程を経ると否とにかかわらず,同じ値となるのであり,当業者であれば,原料パルプと,そこから温和な加水分解によって得られる本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は等しくなると当然に理解することができる。
したがって,本件明細書に,原料パルプのレベルオフ重合度と本件セルロース粉末の重合度との差の記載があれば,その原料パルプから加水分解で得られた本件セルロース粉末のレベルオフ重合度と本件セルロース粉末の重合度の差も記載されているのに等しいといえるから,当業者が本件差分要件によって特定される発明により課題を解決できると認識できない理由とはなり得ない。
これに対し,被告は,原料パルプのレベルオフ重合度と,この原料パルプから作られた本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は異なり得る旨主張し,その根拠として複数の文献を挙げるが,これらの文献は,いずれも本件各発明が対象とするセルロース粉末とは関係がないものについて記載したものであるから,被告の主張の裏付けとなるものではない。

第2.判旨

「特許請求の範囲には,当該セルロース粉末について,その平均重合度が本件加水分解条件(筆者注:2.5N塩酸,沸騰温度,15分の条件のこと。)で加水分解後,粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いという本件差分要件が記載されている。
本件明細書の発明の詳細な説明には,セルロース粉末について,その重合度とレベルオフ重合度の差が5未満では粒子L/Dを特定範囲に制御することが困難となり成型形が低下して好ましくなく,300を超えると繊維性が増して崩壊性,流動性が悪くなって好ましくないと記載されている。しかし,それらの数値に基づく上記の効果等について具体的な例がなくとも当業者が理解することができたことを認めるに足りる証拠はない。そこで,本件明細書の発明の詳細な説明において,特許請求の範囲に記載された上記範囲内であれば所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体的な例が開示して記載されているかを検討する。
ここで,特許請求の範囲には,セルロースについて,その平均重合度とレベルオフ重合度との差についての本件差分要件が記載されている。ところが,本件明細書の実施例には,原料パルプのレベルオフ重合度は記載されており,また,それを加水分解して得られた粉末セルロースの平均重合度は記載されているが,当該セルロース粉末のレベルオフ重合度は記載されていない。また,上記原料パルプのレベルオフ重合度とセルロース粉末のレベルオフ重合度の関係も明示的には記載されていない。そうすると,発明の詳細の説明には,実施例のセルロース粉末について,その平均重合度とレベルオフ重合度との差は明示的には記載されていないこととなる。
この点について,原告は,当業者は,原料パルプのレベルオフ重合度と本件セルロース粉末のレベルオフ重合度は等しくなると当然に理解することができるから,本件明細書には,本件セルロース粉末について,その平均重合度とレベルオフ重合度との差も記載されているのに等しいと主張する。」

「本件では本件加水分解条件によるレベルオフ重合度が問題となるところ,本件加水分解条件を提唱し,本件明細書でも引用しているBATTISTA論文は,…他の複数の研究者による研究成果を紹介した上で,本件加水分解条件によるレベルオフ重合度については,温和な加水分解を経た場合にはその過程を経ていないものに比べて,値が低下することが予想されると述べていた。その内容とは異なり,本件加水分解条件で測定されるレベルオフ重合度について,天然セルロースと,それを温和な条件で加水分解して生成されたセルロース粉末とが同じレベルオフ重合度であるという技術常識があったことを認めるに足りる証拠はない。…文献に述べられるレベルオフ重合度は本件加水分解条件により測定されたものではないし,同文献の著者は,優先日頃においても,著者が考える「レベルオフ」するためには本件加水分解条件の時間では足りないと考えられていた旨述べる…。
また,本件明細書に記載された実施例のセルロース粉末は,原料パルプを加水分解した後,攪拌,噴霧乾燥(液供給速度6L/hr、入口温度180~220℃、出口温度50~70℃)して得られたものである。当該セルロース粉末の本件加水分解条件の下でのレベルオフ重合度の明示的な記載が明細書にない以上は,上記加水分解,攪拌,噴霧乾燥の工程を経た当該セルロース粉末について,本件加水分解条件下でのレベルオフ重合度が原料パルプのそれと同じであるという技術常識がある場合に,当該セルロース粉末のレベルオフ重合度が本件明細書に記載されているに等しいといえる。上記の加水分解,攪拌や噴霧乾燥を経たセルロース粉末の本件加水分解条件下でのレベルオフ重合度が原料パルプのそれとの関係でどのような値になるかについての技術常識を認めるに足りる証拠はない。
これらを考慮すれば,優先日当時,当業者が,本件明細書に記載された原料パルプのレベルオフ重合度とそこから加水分解して生成されたセルロース粉末の本件加水分解条件によるレベルオフ重合度が同じであると認識したと認めることはできない。また,発明の詳細な説明の実施例は,具体的な原料パルプから明細書記載の特定の条件の加水分解,攪拌,噴霧乾燥を経て得られたセルロース粉末である。当業者が,優先日当時,技術常識に基づいて,記載されている当該原料パルプのレベルオフ重合度に基づいて,上記具体的な条件で得られたセルロース粉末について,本件加水分解条件によるレベルオフ重合度の値を認識することができたとも認められない。
以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,セルロース粉末について,本件加水分解条件の下でのレベルオフ重合度の記載があるのに等しいとは認められない。」

「以上によれば,本件差分要件は,粉末セルロースについての平均重合度と本件加水分解条件下でのレベルオフ重合度の差に関するものであるところ,明細書の発明の詳細な説明には,実施例について,粉末セルロースの本件加水分解条件でのレベルオフ重合度についての明示的な記載はなく,また,優先日当時の技術常識によっても,それが記載されているに等しいとはいえない。したがって,本件明細書の発明な詳細には,本件特許請求の範囲に記載された要件を満たす実施例の記載はないこととなる。
そうすると,本件明細書の発明な詳細において,特許請求に記載された本件差分要件の範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に具体的な例が開示して記載されているとはいえない。」

「以上によれば,本件発明1及び2は,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものではないから,特許法36条6項1号に違反する。」

第3.説明

1. 明細書のサポート要件
特許法36条6項1号は,次のように規定し,特許を受けようとする発明は「発明の詳細な説明に記載したもの」でなければならないとして,請求項に係る発明が発明の詳細な説明の欄の記載によって十分に裏付けられたものであることを求めています。発明の詳細な説明の欄に十分に記載もせず,開示もされていない事項を請求項に記載すると,開示されていない発明までも特許として保護されることになり,発明公開の代償として独占的排他権を付与するという特許制度の趣旨に反するからです [1] 。

(特許出願)
第36条 (1項略)
2 願書には、明細書、特許請求の範囲、必要な図面及び要約書を添付しなければならない。
3~5 (略)
6 第2項の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。
一 特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。(以下略)

なお,特許法36条6項1号に規定される要件は,一般的に「明細書のサポート要件」あるいは単に「サポート要件」と呼ばれています。

2. サポート要件の判断基準
知財高判平17・11・11(平成17(行ケ)第10042号)では,サポート要件充足の判断基準について,次のように述べています。

「特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであ」る。

また,知財高判平22・1・28(平21(行ケ)第10033号)は,サポート要件充足の判断基準について,次のように説示しています。

「法36条6項1号は,…「特許請求の範囲」と「発明の詳細な説明」とを対比して,「特許請求の範囲」の記載が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲を超えるような広範な範囲にまで独占権を付与することを防止する趣旨で設けられた規定である。そうすると,「発明の詳細な説明」の記載内容に関する解釈の手法は,同規定の趣旨に照らして,「特許請求の範囲」が「発明の詳細な説明」に記載された技術的事項の範囲のものであるか否かを判断するのに,必要かつ合目的的な解釈手法によるべきであって,特段の事情のない限りは,「発明の詳細な説明」において実施例等で記載・開示された技術的事項を形式的に理解することで足りるというべきである。」

3.まとめ
本件においても,上記第4の2の判断基準にしたがって,サポート要件充足の有無について判断しているものと考えられ,その判断方法について,今後の参考になるものと考えられます。

以上
(文責)弁護士 永島太郎


[1] 中山・小泉編「新・注解特許法[第2版]【上巻】」748頁