【知財高裁令和2年11月10日判決(令和2年(行ケ)第10005号) 審決取消請求事件】

【要約】
 特に先願明細書等に記載がなくても,先願発明を理解するに当たって,当業者の有する技術常識を参酌して先願の発明を認定することができる一方,抽象的であり,あるいは当業者の有する技術常識を参酌してもなお技術内容の開示が不十分であるような発明は,特許法29条の2にいう「発明」には該当せず,後願を排除する効果を有しない。
 創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されていないものは、「発明」としては未完成であり、特許法29条の2にいう「発明」に該当しない。

【キーワード】
拡大先願、発明の完成

事案

 原告は、ガラス板を複数枚積層して保管、運搬する際、ガラス板を包装したりガラス板の間に挟み込む紙であるガラス合紙(紙中に含まれるシリコーンの量を一定割合以下に調整する。)の発明について、優先日を2012年12月27日として特許出願したところ、出願日が2012年12月21日である他の特許出願に最初に添付された明細書、特許請求の範囲又は図面(「甲1明細書」)に記載された発明(「先願発明」)であるとして、特許法29条の2に基づき拒絶査定を受けた。原告は、拒絶査定に対する不服審判を請求したが、請求不成立の審決がなされたため、審決の取消しを求め、本件訴訟を提起した。
 原告が主位的に主張する取消事由は、審決が、先願発明が発明として未完成であることを看過し、先願発明の認定を誤ったというものである。

判決

⑴ 先願発明の認定方法
 本判決は、特許法29条の2における先願発明の解釈及びその認定方法を以下のとおり述べた(下線部は筆者)。

 特許法184条の13により読み替える同法29条の2は,特許出願に係る発明が,当該特許出願の日前の他の特許出願又は実用新案登録出願であって,当該特許出願後に特許掲載公報,実用新案掲載公報の発行がされたものの願書に最初に添付した明細書又は図面(以下「先願明細書等」という。)に記載された発明又は考案と同一であるときは,その発明について特許を受けることができないと規定する。
 同条の趣旨は,先願明細書等に記載されている発明は,特許請求の範囲以外の記載であっても,出願公開等により一般にその内容は公表されるので,たとえ先願が出願公開等をされる前に出願された後願であっても,その内容が先願と同一内容の発明である以上,さらに出願公開等をしても,新しい技術をなんら公開するものではなく,このような発明に特許権を与えることは,新しい発明の公表の代償として発明を保護しようとする特許制度の趣旨からみて妥当でない,というものである。
 このような趣旨からすれば,同条にいう先願明細書等に記載された「発明」とは,先願明細書等に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から把握される発明をいい,記載されているに等しい事項とは,出願時における技術常識を参酌することにより,記載されている事項から導き出せるものをいうものと解される。
 したがって,特に先願明細書等に記載がなくても,先願発明を理解するに当たって,当業者の有する技術常識を参酌して先願の発明を認定することができる一方,抽象的であり,あるいは当業者の有する技術常識を参酌してもなお技術内容の開示が不十分であるような発明は,ここでいう「発明」には該当せず,同条の定める後願を排除する効果を有しない。また,創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されていないものは,「発明」としては未完成であり,特許法29条の2にいう「発明」に該当しないものというべきである。

⑵ 事案についての具体的判断
 本判決は、甲1明細書から、課題及び課題解決手段を認定した上、その具体的な記載及び実施例の記載から、先願発明が、先願発明の目的とする効果を奏するものであること、そのようなガラス合紙が具体的に製造できることが理解できるとして、「先願発明は,創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されたものというべきである」から、先願発明は特許法29条の2にいう「発明」に該当すると結論した。

 原告は、以下の4点を理由として、先願発明が未完成であると主張した。
① ソックスレー抽出器による抽出時間が不明であるから,ガラス合紙中の「有機ケイ素化合物」の含有量を特定することはできない
② 抽出溶媒及び抽出時間が不明であるから,実施例に示されている抽出操作は実施不可能である
③ 有機ケイ素化合物が具体的に何であるかが不明である
④ 核磁気共鳴(NMR)による定量の際の標準品について記載されておらず,「有機ケイ素化合物」が具体的に何であるかが不明であるから標準品を作製すること自体不可能であり,検量線を決定することは不可能であるから,原理的に有機ケイ素化合物を定量することはできない

 これに対し、本判決は、概ね以下のように述べ、原告の主張を排斥した。

ア ③について
 甲1明細書の記載から、実施例の有機ケイ素化合物は、ポリジメチルシロキサンを意味すると理解するのがごく自然である。

イ ①及び②について
 先願の出願時の公知文献(書籍1件及び特許文献2件)の記載に照らせば、当時、ソックスレー抽出機により,不揮発性成分を揮発性溶剤を用いて十分抽出し,溶剤を留去して油分を定量することや,ポリジメチルシロキサン等のポリオルガノシロキサンについても,n-ヘキサン等の溶剤を用いてソックスレー抽出を行うことにより定量するということは,技術常識であったといえる。

ウ ④について
 先願の出願時の公知文献(書籍2件)の記載によれば、当時、NMRによってジメチルシリコーン等のシリコーンの定量分析を行うこと,この際,シリコーン既知濃度の試料とピーク強度を比較することによって定量分析を行うことは,技術常識であったといえる。

エ そうすると、前記イの技術常識を有する当業者であれば、甲1明細書に接した際には、その実施例に抽出時間や抽出溶媒について具体的な記載がなくとも、ポリジメチルシロキサンの抽出に適した揮発性溶媒を用い、十分な時間抽出することを当然に理解するものといえる。
 また、前記ウの技術常識を有する当業者であれば,甲1明細書に接した際には,その実施例にNMRの標準品が何であるかについて具体的な記載がなくても,ポリジメチルシロキサンを定量するにあたり既知濃度の適宜の試料を標準品として用いることを理解するものといえる。
 したがって,原告の指摘する事情を踏まえても,先願発明は,特許法29条の2にいう「発明」に該当する。

検討

 本判決では、まず、拡大先願により後願を排除する特許法29条の2の趣旨、先願明細書等における開示の程度及び先願発明を認定するに当たり技術常識を参酌することができること等についての解釈が述べられているが、裁判例で繰り返されてきた内容であり、近時の裁判例として知財高判令和2年2月25日・平成31年(行ケ)第10010号が挙げられる。

 本判決は、これに加え、以下のとおり、先願発明の完成・未完成という概念にも言及した。

① 特に先願明細書等に記載がなくても,先願発明を理解するに当たって,当業者の有する技術常識を参酌して先願の発明を認定することができる一方,抽象的であり,あるいは当業者の有する技術常識を参酌してもなお技術内容の開示が不十分であるような発明は,ここでいう「発明」には該当せず,同条の定める後願を排除する効果を有しない
② 創作された技術内容がその技術分野における通常の知識・経験を持つ者であれば何人でもこれを反覆実施してその目的とする技術効果をあげることができる程度に構成されていないものは,「発明」としては未完成であり,特許法29条の2にいう「発明」に該当しない

 この点については、既に東京高判平成13年4月25日・平成10年(行ケ)第401号においても、既に、「一般に、特許出願に係る発明が特許法29条の2第1項により、特許を受けることができないとされるためには、上記『当該特許出願の日前の他の特許出願に係る発明』は、発明として完成していることを必要とするものというべきである。そして、発明が完成したというためには、その技術手段が当該技術分野における通常の知識を有する者が反復実施して目的とする効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることを要し、かつ、これをもって足りるものと解すべきである(最高裁昭和61年10月3日判決・民集40巻6号1068頁)」と解されており、その後の裁判例もこれに沿ったものであると考えられる(例えば知財高判平成26年3月25日・平成25年(行ケ)第10199号)。
 本判決において、上記①で述べられた先願の開示の程度と上記②において述べられた発明の完成・未完成との関係は詳しく説明されていないが、特許法29条の2の先願の「発明」は、特許法2条1項の「発明」の解釈に基づき、以下のように考えられるであろう。

【前提】
 発明は、自然法則を利用したものであるから、一定の条件下で、反復して作用効果を再現するはずである。

【①について】
 先願明細書等の開示が不足しており、先願の出願時の技術常識を参酌しても具体的に再現できないようなものである場合、一定の条件を準備しても作用効果を再現することができず、自然法則を利用していることが確認できないから、「発明」に当たらない。

【②について】
 先願明細書等の開示(及び技術常識を参酌すること)により、一定の条件下で作用効果を再現することが全く不可能ではないが、反復実施して目的とする技術効果をあげるまでに至らない場合、自然法則を利用していると思われるものの、技術的構成が確立されていないから、「発明」が未完成である。

 本判決の具体的当てはめは、甲1明細書から、先願発明が反復実施可能な程度に具体的に開示されていることを認定したものであり、具体的な判断方法は、新規性・進歩性の判断における引用発明の認定においても参考になると思われる。

以上
(筆者)弁護士 後藤直之