【知財高裁令和5年3月27日判決(令和4年(行ケ)第10029号 特許取消決定取消請求事件)】

【要約】
 特許異議申立てに対し、「ディスプレイの輝度分布の標準偏差」の数値範囲を規定する発明に関し、当該標準偏差の測定方法・測定条件が明細書中に記載されていないとして取消決定がなされたが、取消決定の取消請求事件である本件訴訟において、技術常識を参酌し、当該標準偏差の測定方法・測定条件は不明確とはいえないとして取消決定が取り消された。

【キーワード】
 明確性要件、数値、測定方法、測定条件

1 事案

 本件特許(請求項1~4。請求項2~4は請求項1の従属項)についての特許異議申立てに対し、特許庁は、請求項1の訂正を認めた上、進歩性、実施可能要件、サポート要件及び明確性要件を充足しないとして特許を取り消した。これに対し、特許権者である原告が特許取消決定の取消しを求め、本件訴訟を提起した。本稿では、明確性要件違反の論点について紹介する。

2 判決

 特許取消決定が本件発明1(訂正後の請求項1に係る発明)を明確性要件違反と判断した理由は、以下のとおりである(下線追加)。

  •  本件発明1の「画素密度が441ppiである有機ELディスプレイの表面に装着した状態において、8ビット階調表示で且つ平均輝度が170階調のグレースケール画像として画像データが得られるように調整したときの前記ディスプレイの輝度分布の標準偏差が、0以上10以下の値である防眩層を備える」という発明特定事項に関し、画像データを得る際の、有機ELディスプレイと画像データを得る手段(撮像装置)との撮像距離、及び、画像データを得る手段(撮像装置)のレンズのFナンバーが、どのように一意的に設定されるものであるのか、理解することができない。

  •  そうすると、本件発明1の「ディスプレイの輝度分布の標準偏差が」「0以上10以下の値」となる「防眩層」(「防眩フィルム」)は、有機ELディスプレイと画像データ取得手段(撮像装置)との撮像距離、及び、画像データ取得手段(撮像装置)のレンズのFナンバーに応じて変化することとなる。あるいは、同じ「防眩層」(「防眩フィルム」)であっても、撮像条件によっては、本件発明1の範囲に入ったり、入らなかったりする。したがって、本件発明1は、明確であるということはできない(あるいは、本件発明1は、第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確である。)。

  •  これに対し、原告は、「撮影距離はワークディスタンス170mm(撮影距離328mm)であるから、その測定方法及び測定条件は当業者に明らかである」、「当業者は、ディスプレイの輝度分布の状態を最も忠実に反映できる撮影距離やしぼりを選ぶのであり、そのための撮影距離やしぼりは、本件明細書等に明記がなくとも技術常識を参酌して理解できれば足りる」、「しぼりは、当業者が取扱説明書やカメラ撮影の技術常識を参酌して適切に設定できるのであるから、もしも仮にしぼりを極端に大きくし得るのだとしても、本件発明1が不明確であるということはない」などと主張した。

 本判決は、明確性要件の判断基準を従来どおり「特許を受けようとする発明が明確であるか否かは、特許請求の範囲の記載だけではなく、願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し、また、当業者の出願当時における技術常識を基礎として、特許請求の範囲の記載が、第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断するのが相当である」とした上で、以下のように述べ、「輝度分布の標準偏差が不明確であるということはできない」と結論した。

  • 表面に本件各発明に係る防眩フィルムを装着したディスプレイの輝度分布の標準偏差の値(ギラツキ値)は、防眩層の原料となる溶液中の樹脂組成物の組み合わせや重量比、あるいは、調製工程、形成工程、及び硬化工程の施工条件等によって変化し得るため、本件各発明の防眩フィルムの製造に当たっては、上記各条件を変化させて防眩層を形成し、得られた防眩層の物性を予め測定・把握しておくことで、目的の物性を有する防眩フィルムを得ることができる
  • 本件各発明においては、ギラツキを抑制する方法として、防眩層の表面の凹凸を縮小するだけでなく、防眩層の凹凸の傾斜を高くして凹凸を急峻化すると共に凹凸の数を増やすことで、ディスプレイのギラツキを抑制しながら防眩性を向上させる
  • 本件各発明において、防眩層の凹凸の傾斜を高くして凹凸を急峻化すると共に凹凸の数を増やすために上記各条件を設定するに当たり、ディスプレイの輝度分布の標準偏差が0以上10以下の値となるように各条件を設定することにより、目的の物性を有する防眩フィルムを得るものといえるから(本件明細書等の段落【0008】及び【0011】)、輝度分布の標準偏差は防眩フィルムの凹凸形状を規定しているといえる
  • 一方、上記ディスプレイの輝度分布の標準偏差を得る際に、測定条件の設定の仕方が適切でない場合に、同じ防眩層を有するフィルムを用いて測定したディスプレイの輝度分布の標準偏差が変動することがあり得るとすれば、同じ防眩層を有するフィルムを測定しても、測定結果である標準偏差が0以上10以下の範囲に入ったり入らなかったりすることがあり得ることとなる。しかし、当業者であれば、測定結果に変動が生じないように測定条件を設定しようとすると解され、本件各発明の輝度分布の標準偏差を得るに当たり、測定結果に変動が生じないように測定条件を設定することが不可能であることを示す証拠はない。また、ディスプレイのユーザが感じるギラツキとの乖離が著しくなるような条件(例えば、ユーザにはぎらついて見えるのに輝度分布の標準偏差は小さくなるような条件)で測定を行っても意味がないことは明らかであるし、本件明細書等でも、輝度分布の測定においてユーザの目によるギラツキの感覚を考慮しているから…、当業者が、およそディスプレイのユーザが感じるギラツキとの乖離が著しくなるような条件で本件各発明の輝度分布を測定するものと解することはできない。
  • そうすると、本件各発明における輝度分布の測定に当たり設定可能な条件には、同じ防眩フィルムに関する測定結果が変動せず一定になるように設定すること、ディスプレイのユーザが感じるギラツキとの乖離が著しくならないように、ユーザがギラツキを感じることが少ないときに輝度分布の標準偏差が小さくなるように設定すること等の制限があるということができ、当業者であればこれらの制限のもとで合理的な範囲で条件を設定して測定するものと推認される

 また、「撮影距離及びFナンバーといった測定条件によって変動するにもかかわらず、本件明細書等の発明の詳細な説明の記載や…技術常識によっても、その測定方法や測定条件は明らかでない」という被告(特許庁長官)の主張に対しては、「そもそも、Fナンバーが変化すると輝度分布の標準偏差が変動し得ることを理解する当業者であれば、本件明細書等にFナンバーや撮影距離の記載がなくても、標準偏差の測定結果が安定した値を示すようなFナンバーや撮影距離の設定を行おうとするものと推認される」などと述べてこれを排斥した。

3 検討

 本件発明1が「ディスプレイの輝度分布の標準偏差」(ギラツキ値)の数値範囲により規定されているのに対し、輝度分布の標準偏差を測定する測定方法・測定条件が不明確であるかという点が争点の概要である。明細書の文言上、測定方法・測定条件は明確に記載されていないが、ギラツキを抑制する方法が記載されていること、当業者は、ギラツキと標準偏差が乖離しないような合理的な測定方法・測定条件を設定すること等から、不明確とはいえないと判断された。

 一般論として、明細書中に測定方法・測定条件の記載がないと、明確性要件違反のリスクを抱えることになり、測定方法・測定条件がストレートに技術常識といえない限り不安を払拭するのは現実的に容易ではないところである。本件は、当業者が合理的な設定をするはずであることを根拠としており、どのようなケースに応用できるか興味深いところである。

以上

弁護士 後藤直之